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丹青 [絵]

 丹青なる言葉がある。丹(たん)は朱色、青(せい)は青。絵具転じて絵または絵を描くこと。と国語辞典にある。
 あをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫(にほ)ふがごとく今盛りなり 小野 老
 この青は青銅または緑青、丹は漆の朱と学校で習ったので「青丹(あおに)」の方になじみがある。堂伽藍の窓などに使われた青銅・岩緑青マラカイトグリーンと水銀の朱とされる柱の赤。それらが豪華な美しい都の象徴であった。

 さて、絵の方は、 奇想の画家、「若冲(1716-1800)は,丹青に沈潜して30年一日の如くなり」いう風に使われる。この人の絵は確かに日本画のなかでは変わっているように思う。凄いと思うが、正直あまり好きではない。
 日本最後の文人といわれる富岡鉄斎(1837-1924,天保7年―大正13年歿)の絵の方がどちらかといえば好きである。 鉄斎が本格的に絵をはじめたのが60歳のときという説がある。そしてその60歳頃描いた絵を「若がき」というそうである。

70歳になってカルチャーの水彩教室に通い、丹青に沈潜すること6年、一日のごとくなり、6年も習っている自分の絵は、一向に上手くなった形跡がないが、一体「何がき」というのであろうか。
しかし、何がきと言おうと絵が描けるというだけで幸せなのだから、それだけでいいのだ。およそ若冲や鉄斎を引き合いに出すことが不遜というか、無理がある。
下手の横好きとは良く言ったものだとしみじみ思う。
若冲の絵.JPG

富岡鉄斎の絵.JPG



タグ:若冲 鉄斎
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遠近無差別黒白平等の水彩画 [絵]

  何かの随筆で漱石が小説のなかで登場人物に、こう言わせていると読んだことがあって、「へぇ、漱石も水彩をやったことがあるのか」と気になっていた。

最近、「猫」を再読していてやっとこの文章に出会った。吾輩の主人たる苦沙彌先生の水彩画を、先生の友人の迷亭氏が先生の文章と画を比較して評した言であった。つまり先生の文章の方が先生の水彩画より余程良いと、言っているのだ。手すさびであろうが、実際水彩画をはじめた漱石は上手くならず投げ出してしまったようである。
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その漱石に子規の画という短編がある。
「余は、子規の描いた画をたった一枚持っている。」ではじまる。
この画というのは子規が東菊を描き、漱石への手紙に添えて送ったものであるが、 「是は萎み掛けた所と思い玉へ。下手(まずい)のは病気の所為だと思い玉へ。嘘だと思わば肱(ひじ)を突いて描いて見玉へ。」とあり、
東菊活けて置きけり火の国に住みける君の帰り来るがね
という歌も添えていることなどが書かれている。
すでにイギリスに発っていた漱石と,病が深刻になっていた子規との二人の友情とその思いを知らされる一遍である。

俳句に写生を重んじた子規は、草花帖、果物帖など水彩画を好んで描き、力量は漱石より余程うえだったようだ。
その子規にも「画」という随筆がある。彼はその末尾で「僕に画がかけるなら俳句なんかやめてしまう。」とまで書いている。

画に興味を持ちながら途中で投げ出してしまったらしい,文豪漱石ににわかに親しみを感じ、俳句の名人が、画が描けたらそれをやめても良い、とまで言ったところに感心した。
 水彩画の持つ魅力にしみじみと感じ入っている。

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司馬遼太郎の水彩画 [絵]


文章をよくし、絵も描けるひとというのは羨ましいの一語に尽きる。
司馬遼太郎はあまり知られてはいないが、その一人である。司馬遼太郎は短編紀行文「街道をゆく・愛蘭土紀行」のなかで水彩画について次のように書いている。
「水彩画や地誌画は英国美術の伝統でもあるが、ぎらつかないもの静かさが、英国人の好みにあうのにちがいない。主題や手法は古いが、それだからこそ安定していて、部屋にいる気分まで落ちつく。それらまでふくめて、英国のくらしの"趣味のよさ"といえそうである。」
司馬遼太郎は万人が認める名文家である。流れるように頭に入る。難は読んだことを忘れるほど滑らかであることだが、忘れる責任は当方にあってもちろん作家にはない。
 その本人も水彩画を描く。著書にときどき装丁や挿絵に作家の絵が使われている。
例えば「司馬遼太郎が考えたこと1-14」(2005〜新潮社)「アメリカ素描 」(1986読売新聞社)など。
習った絵ではなく、個性あふれる絵である。絵は、習うものでなく好きに描けば良いと分かる。

  ほかにも文章がうまくてしかも絵がうまいという人は限りなく沢山おられる。
たとえば、62歳で亡くなった評論家で俳人江国滋。この人の絵も良い。好きである。
もちろん画家で名文家というのも多い。例えば山本蓉子、佐野洋子、池田あきこ・・・例はたまたま最近読んだ  本が女性ばかりだっただけ。男性も含め他にも沢山いられる。

 著名人でなくても、良い絵を描き素晴らしい文章をものす人は多い。かつて勤めていた会社の先輩もそのひとり、お人柄をあらわす優しい線と色彩の絵に分かり易い文章で楽しい話を書かれているのを見ると、ああいうふうになりたいなといつもしみじみ思うのである。
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センチメンタルスケッチング [絵]

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教室のスケッチで皇居に行った。天気上々スケッチ日和。和田倉門の皇太子殿下ご成婚記念噴水公園が集合場所。
スケッチする場所を探していて、ふっと有楽町方面を見ると昔勤めていたビルが目に入った。それを中心に皇居の石垣などを配することにする。

 30分ほどペンでかき、すぐ着色。1時間もたたないで疲れて終了。拙速かつ出来は拙作。
暫くビルを眺めていた。昔のことをあれこれ思い出し、今ごろ後輩達が頑張っているだろうななどと余計な心配をした。図らずもセンチメンタルジャーニーならぬセンチメンタルスケッチングとなった。
 先生にみて頂き、画友と新丸ビルでランチパスタを食べて帰った。丸ノ内界隈の変わり様に改めて驚く。

 石垣に落ちていた椎の実を4個拾ってポケットに入れて持ち帰り、昔を思い出しながら楊枝を刺して独楽を作り遊ぶ。 それを猫がサッカーボールにして、これまた激しく遊んだ。ユーチューブの人気猫の映像にも負けぬ、その愉快なさまを見て腹がよじれた。
しみじみとして、楽しく贅沢な半日であった。

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いわさきちひろ美術館 [絵]


 
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今年の冬はことのほか寒さがきびしい。
 晴れて風のないおだやかな今日、家の近くにあるいわさきちひろ美術館に二人ででかけた。
 前の晩、美術館のHPとグーグルのスカイダイビングで駐車場が3台しかないのを確認しているので、のんびり電車で行き散歩を兼ねることにした。
 家を9時半に出る。上井草駅は我が家の最寄り駅から三つ目。10時の開館に間に合うはずが人身事故のためダイヤが乱れ,少し遅れた。上井草駅を降りると途中住宅街にただよう梅の花の薫りが心地よい。
 いわさきちひろの愛した画家たちという特別展を含め、展覧会の絵を十分たのしみ熱いコーヒーを飲んで12時前には家に帰り着いた。

 いわさきちひろはかわいい子どもの絵で有名だが、「戦火のなかの子どもたち」のようにきびしい絵もある。丸木俊等とデッサン練習会で鍛錬をしたと知ったが、力のある素描も印象的だ。
 水彩画教室に通う前に一度この美術館に行っているが、今回は、画家のぼかし、にじみ、余白の扱い方の巧みさやパステルの使い方にあらためて感心させられた。
水彩画は、手軽な画材であることのほか、彼女はその印刷された絵が油彩などより原画に近い感じが出ることに惹かれたという。気が付かなかったが、なるほどそのとおりだと思う。

 美といえども長い時間のスパンでみれば「不易」ではなく時代の変化のきまぐれによって「流行」ともなるそうだが、いわさきちひろのようにかわいい子供の表情をとらえた美しい絵は、きっと長く人に好かれ愛され続けるだろうなと思う。
 画家は55歳で亡くなっているが、長生きをしておばあちゃんになられたらどんな絵を描いただろうかと良い笑顔の写真をみて思う。

 東京には多くの美術館があっていつも魅力的な展覧会が開催されているのにあまり出かけることはない。こんなことではだめだとは思うのだが。
 それにしても、ちひろ美術館は、図書室や子供の遊ぶ部屋などもあってこじんまりとしているが、良い美術館である。画家の両親の出身地である安曇野にも同じ美術館があるとのこと、穂高の駅前にある禄山美術館には行ったが、ここは行っていない。機会があれば訪ねてみたいものだ。

 繰り返すことになるが、今年の冬は全国的に厳しい寒さに見舞われている。しかし、今日の東京は午後にはしぐれて雪も舞い寒いことは寒いが、午前中は穏やかな天気で、長野、北海道や北陸などの日本海に面した地で豪雪と戦っている皆さんには申し訳ないほどの美術館日和であった。


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木田金次郎の絵と有島武郎 [絵]

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水彩教室の先輩が、テレビで木田金次郎と岩内にある美術館のことを放映している番組を見たが、良い絵だったのでもう一度あの絵を見たい。インターネットで見られないものかとおっしゃる。
はずかしながら木田金次郎なる画家を知らなかったので検索して見ましょうと言うことになった。

 ネットで調べると、木田金次郎は「北海道洋画壇を代表する作家の一人。1893(明治26)年岩内に生まれ、漁業を続けながらも、絵画への情熱を育み、有島武郎との運命的な出会いにより、その生涯を岩内で過ごし、絵筆を握ることを決心生涯、岩内の自然を描き続けた画家」とある。

文中にあるように有島が、木田青年との交流を小説にし、「生れ出づる悩み」として出版すると、そのモデル画家として知られるようになる。有島の激励を受けながら、厳しい漁師生活のなかで岩内周辺の自然を描き続け、有島武郎の没後、家業である漁業を捨て画家に専念する。
1954(昭和29)年岩内大火(市街地の8割を焼失)により、それまでの作品約1,500点余を焼失したが、その後、精力的な創作を続け、生涯、故郷岩内を離れることなく、独自の画境を切り開く。1962(昭和37)年脳出血により逝去、享年69才。」

 さっそく電子書籍の出番。「生れ出づる悩み」を読む。昔読んだ記憶は残っていない。多分読まなかったのだろう。
 金次郎の絵に初めて接した時作家は、「生れ出づる悩み」のなかでこう書いている。
「私は一目見て驚かずにはいられなかった。少しの修練も経てはいないし幼稚な技巧ではあったけれども、その中には不思議に力がこもっていてそれがすぐわたしを襲ったからだ。」

 有島武郎は、1878年東京小石川の生まれ。「カインの末裔」「或る女」などの作品で白樺派を代表する小説家として、また北海道ニセコ町に所有する農場を解放させた思想家として、あるいは、演劇界、美術界にも大きな足跡を残した、北海道文化にとっては欠かすことのできない人物である。

 金次郎の絵に添えられた手紙の中の「山ハ絵具ヲドッシリ付ケテ、山ガ地上カラ空ヘモレアガッテイルヨウニ描イテミタイ」という一文は、素晴らしい自然への肉迫を表現した言葉として、有島の心に深く染み入った、という。

 1923(大正12)年、有島武郎は軽井沢の別荘で情死する。理解者の突然死は、木田が網を捨て画業に専念する契機になったと言われている。二人の心の触れ合いの深さが窺える話である。

絵を見るとなるほど先輩が好むというのが良く分かる。水彩と油彩の違いがあるが、何か共通するものがあるように思える。それが、何と表現できないのだが。

 それにしても、木田金次郎と有島武郎の関係など絵や小説の好きなひとなら常識なのであろうが、初めて知った自分の無知に呆れる。何も今回に限ったことでなくしょっちゅうあることだが。
 しかし、あたらしいことを知ることが出来る、ということは負け惜しみでなく嬉しいことでもある。当たり前だが、自分が知っていることなど、知らないことに比べたら問題にならないほど少ないのだから。


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かくもながき愉しみ [絵]

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 これまでに描いた水彩画を作成日順に整理して、水彩画文集を作った。
 手作りで自分のためのものである。よって一冊だけ印刷した。A4版、135p、収録した絵は270枚余 になる。

 水彩画を意識して描き始めたのは、まだ現役の九州福岡勤務のときだから平成元年頃である。水彩は高校時代、選択科目に美術があってそのとき描いたことがあるだけで就職してからはほとんど描いたことがない。
 担当する範囲が九州一円と沖縄なので、長崎、鹿児島、大分、宮崎、熊本、沖縄などによく出張したが、出張先のホテルで朝起きてから食事までの間に、気が向けば小さなスケッチブックで窓の景色などを描いたことを想いだす。
 福岡勤務は一年一カ月と短かったが、その後東京に戻ってからの6、7年は、仕事に追われてあまり描いていない。時々身の回りの花などを描いたくらいである。

 平成7年から9年までの2年間の大阪勤務は単身赴任だったこともあって、付き合いゴルフのないたまの土、日曜日に奈良や大阪の中之島公園などをスケッチしたこともある。

 平成11年退職後の第二の職場では余裕もなく、ドタバタもあって絵どころではなかった。そこをリタイヤしたのは14年3月。絵を習おうとカルチャーに通い始めたのは、その2年後の16年10月である。64歳になっていた。
 この間も、その後もいろいろなことがあった。そして、もはや平成も24年となる。長い、長い歳月を重ねてしまった。

 水彩画の教室に通うこと八年目になるので、この間に描いた絵の枚数は膨大になる。
 普通ひとは気にいらない習作は捨てるが、何故かほとんどもっている。いつかは捨てねばならないことは分かっているのだが、下手な絵にしても、これを描いていた自分の長い時間を思うと破って反古にする気になれない性質、たちなのである。

 さて、誰も見るものはいないと思いつつ、これまで描いた絵に文を添えてHPに掲載してきた。もう10年以上になる。それを最近、B5の電子書籍画集(5冊)にしてで眺めていたが、どうしてもこれを紙の本にして見たくなった。やはり古いアナログ世代の人間である。

 今回は、この電子書籍画集を編集し直して製本した。B5版でなくA4版としたのには、些細なことではあるが、それなりの理由がある。両面印刷する場合には、B5版の紙の種類が少ないので選択肢が限られてしまう。不本意ながら、B4を買ってきて半裁せねばならない。これが結構大変なのである。A4は少し大判であるが、それをしないですむので助かる。

 画集の題名案は当初「水彩画習作集」だったが、「水彩画集」とし、さらに「水彩画文集」と昇格させた。正直のところ「画文集」とするには、絵に添えた文があまりにぼやきばかりでせいぜい「習作集」というところなのだが、「画文集」というなんともいえぬ魅力的な「語感」の誘惑には勝てなかったのである。従って名は体を表していない。
 容易ならざる時代に、絵をかくも長きにわたり描けるというのは、本当に有り難いことだとつくづく思う。
 「絵の恥は描き捨て」とか、「下手の横好き」とか自嘲しているがやはり描くことが好きなのだろう。体調が悪くても毎週金曜日になると、雨が降っても、暑いさなかでもいそいそとカルチャーの絵画教室に出かける。
 古希を過ぎた耄碌寸前というこの年齢で好きなことができるのは、もはや奇蹟に近いと言っても大げさでは無い。健康と周りのみんなに感謝するばかりだ。そこで副題を「かくもながき愉しみ」とした。
 「ありがたやかくもながきに愉しみて」という気持ちである。「かくも」は「描く」をかけた。これは、言わぬが花、蛇足だ。

 芭蕉は「多作多捨」といったが、自分の場合は、描いた原画を余り捨てないから「多作少捨」。
 もちろん絵は沢山書いたからといって上手くなるとは言えない。水彩を習いはじめてから描いた絵は膨大になる。失敗作を含め駄作、習作ばかりだが、それをほとんど破棄することなく持っている。
 それだけでなくご丁寧にも、描いている途中のものも含めてデジカメで撮影、保存してきた。このデータもまた膨大である。
 考えるに、この「捨てられない」というのとデジカメによる「絵の写真記録」は、きっと水彩画の技術が上達しない、また良い絵が描けないことと関係があるのかも知れない。
 透明水彩には他の画材の絵にない幾つかの特質がある。一番はその非可逆性であろう。油彩画は重ね塗りが出来て、後から修正が出来るが水彩はそれが出来ない。最近のお絵かきアプリは、ほとんど無限のredoがついていて羨ましいが、水彩はやり直しが出来ない。取り返しがつかないのである。その代わりに短時間で美を捉えることが出来る特質、利点があるのだ。
 透明水彩画には思い切りの良さと自由奔放のようなものが必要かなと、時折り思う。描いたものにこだわっているのは、絵の上達のために確かに良くないような気がする。

 さて、近年のカメラ、印刷技術やITの進歩は、目覚ましい。ハード、ソフトそして扱うための人間とのインターフェースを含めて日進月歩である。
 おかげで水彩画を描く愉しみだけでなく、それを中心にHP、ブログ、ポストカード、電子本の画集など愉しみは広がる。今回の画集の製本も同じ延長線上にある。
 絵と文のファイルがあるのでそれを編集すれば、印刷製本も出来るし、自炊もせずに電子書籍を作ることもわりと簡単である。それをもとに、「天上天下唯我独本」と洒落ているこの世に一冊だけの究極の愛蔵版画文集が出来たことになる。

 絵の方は、ますます混迷の度を深め、悪足掻きが続いているが、それもまた楽し・・である。副題に「愉し」と入っているのが泣かせるところ。
ちっとも上達していない絵を進化著しい液晶でiPadをめくって眺め、さらに手にずっしり重い印刷本も読めるという贅沢をひとり愉しんでいる。

 この頃、素人向けお絵描きソフトが良くなっている。水彩も油絵も描ける。これはこれで楽しい。面白いのでこれで遊んでいるが、作った画文集を眺めながらやはり本物の水彩の良さはまた格別だなとあらためて思った。
 パソコンHDやCD、SDカードなどの記録媒体に保存された絵はいつ迄鮮度を保つのだろうかと訝っているが、それに比べて長い伝統を持つ水彩画は保存力は勿論のこと、透明感、色の輝きなども液晶の輝きとは別の素晴らしいものがある。
 それだけに水彩画を学ぶ者にとっては、奥が深いということのようで、道ははるけくも遠いなとも、しみじみ思うのである。

 HPの表紙でもこの画文集を紹介した。次の駄句を添えて。心臓である。

   絵も文もアブラカダブラ春隣り
   水彩を学び八年破蓮(やれはちす)
   淡彩は茄子の浅漬け白小皿
   妻の絵を描き損じけり老いの春 

 2句目。水彩を習って八年目なので「やれ蓮(やれはちす)」としたが、「敗荷」とも書くとか。負けないよう、まして枯れ蓮(かれはちす)にならないよう、これまでどおり愉しみながら精進できたら嬉しい。


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T会グループ展 [絵]

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T会とは我がカルチャー水彩教室の生徒25名あまりでつくっている親睦会名である。
他のカルチャー水彩教室でも親睦会や愛好会があってその一つの名が「淡彩房」というのがあると聞いておもわず吹き出した。こういう洒落は好きである。我が方の会名は「淡い君子の交わり」を意味してごく平凡。
我が水彩教室は講座名「スケッチ淡彩」といい、毎週一回金曜日10時からの2時間半。もう30年近くも続いているという。このてのものとしては、こうも長く続いているのは珍しい方だろう。講師先生も20年前後変わらず新制作協会会員のO先生。本業は小磯良平門下の油彩画家である。

 さてT会は毎年京橋で一年間の勉強の成果を発表するためグループ展を開催する。ことしは第17回になる。
 自分はこの教室に通い始めて8年目になるが、今年で7回出品した。良い生徒とは言えないので毎回出品作が無くて苦労するが、今年も1年間不出来な仕上がりばかりで最後まで決まらない。苦し紛れに習作1・2と実質無題で幹事に届を出しておいて、開催日ぎりぎりで会場に送り込むていたらくとなった。
 そんなことでいつも絵の好きな知人など10名くらいには案内はがきを出すが、今年は豚児に1枚だけ手渡しただけになった。この話を後で絵の上手い先輩にしたら「絵は人に見てもらわなければ上手くならないものだ」とたしなめられた。
どうも、HPなどに掲載するのは不特定多数で知らない人が見るのだからと、恥ずかしくないのだが、知った人に絵を見られるのは照れくさくて苦手である。恥ずべきでもないことを恥じて情けない。しかも存念からして間違っているかもしれない。

 アップロードしたのはそのうちの一枚。習作1でなく、羞作1。


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鈴木 信太郎の絵 マッターホーンにて [絵]

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昨日は今月2度目の竜巻模様の翌日だった。天気を心配したが、幸い快晴の写生日和となった。描こうとする場所は、学芸大学駅の近くにある碑文谷公園。
先生は固有色に捉われないようにと教えてくださるが、五月晴れの下の輝く樹々にはどうしても緑を使ってしまう。
ペンで一枚、鉛筆でもう一枚チャレンジしたが、いつものとおりの不出来。満足せず、筆をおく。

帰り道、ふとみると洋菓子屋「マッターホーン」。あ、これは何かで見た鈴木信太郎の絵を包み紙などに使っている店では、と気づいたので、店に入った。あるある、何枚かの画伯の油彩画が飾られていた。喫茶室もあったので、珈琲を飲みながら、しばし眺める。
実習生と書いてある名札を胸につけたウエイトレスに、撮影しても良いでしょうかと聞くと、ちょっと確認してきます、と言って菓子売り場へ消えた。すぐ戻り、「問題ありません」とのこと。鈴木信太郎描く人形のようで可愛い。

鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年 - 1989年)は、洋画家。東京八王子生まれ。黒田清輝に師事。二科会を経て一陽会結成。1988年文化功労者。平成元年に逝去、93歳。明朗な風景画を得意としたとされる。
なるほど、風景のみならずくだもの、花、人形などもそのとおりだと思う。赤、青、黄色、緑など原色を多用した色彩はあくまで明るく、独特の線も一目でこの人の絵とわかる。何やら童画風と言ったら叱られるか。好きな画家の一人である。
油彩だけでなく挿絵、装幀なども手がけて、この店や西荻窪の洋菓子店「こけし屋」でも、鈴木信太郎のイラストが包装紙やメニューなどに使われている。爽やかでエキゾチックなところが洋菓子、ケーキとマッチして良い感じである。

思いがけず、良い絵を見ながら珈琲を飲むという、いっときシアワセな時間を過ごすことが出来て大満足の半日であった。スケッチは駄目だったが。

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クマのプーさんWinnie-the-Poohの挿絵 [絵]

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家人は、長いあいだヴァイオリンの練習と英語の勉強を続けている。バイオリンはいっとき先生についたが、後は独りでほとんど毎日必ず30分ほど練習をしている。ときに、チェロを弾く友人に見て貰ったりするだけである。自分は、口にすることはないが、その根気にはひたすら頭が下がるばかりだ。
英語の方は、かつてYMCA英会話も習ったりしたこともあるので、一緒に出かけたハワイ旅行などでは大変重宝した思い出がある。今は図書館利用の独学である。これもよく投げ出さないものと思う。

さて、その家人の愛読書に「クマのプーさん」( Winnie-the-Pooh)がある。
この本は、我が国では、美智子皇后の愛読書と報道されて以来、すっかり有名になった。

主人公のクマのプーさんのほかにも個性的な動物たちが、たくさん登場して楽しい。どれが好きかは人それぞれだが、一例をあげれば、陰気なロバのイーヨー(Eeyore)などは変わっていて愉快だ。この名は大江健三郎の小説にも出てくるから、知っている人も多いのではないか。
主食はアザミ。しっぽをすぐに無くしてしまうのと、木の枝の家がすぐに壊れてしまって悩む。ところが、いちばんの常識人でもある。また、強い想像力を兼ね備えている変わったキャラクターである。

「クマのプーさん」は、アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne, 1882年 - 1956年)作の世界的に有名な童話である。1926年に発表された。
ミルンは、ロンドン生まれのスコットランド人で、イギリスの児童文学作家、劇作家、詩人。
その童話の主人公であるクマのぬいぐるみ、テディベアの名前も同じ「クマのプーさん」であることは誰でも知っている。実際のぬいぐるみだけでなく、あらゆる商品にデザインされ世界中で愛されている。キャラクター商品界のビッグネームでもある。
ミルンは1913年、ドロシー・ド・セリンコートと結婚。1920年結婚してやっと7年後、38歳の時にクリストファー・ロビン・ミルン(1920年- 1996年)が生まれる。「クマのプーさん」は、愛するこの一人息子クリストファーのために書かれたことも、物語にこのクリストファーが登場することも広く知られている。

Winnie-the-Poohは、クリストファー・ロビンが持っていたテディベアの名前であるWinnipegと、ミルン親子が休日に見た白鳥の名前Poohから、ミルンがヒントを受けて名付けたものと言われている。

童話の挿絵は、エルンスト・H・シェパードによって描かれたが、プーさんの絵のモデルは、シェパードの息子が持っていたテディベア「グロウラー」という。

自分も、時折りパラパラとこの本を開いて見るが、その目的はこの挿絵である。
シェパードの挿絵は、銅版画かなにか知らないが、ペンで描かれた絵に薄く着色されていて、一見水彩画風である。
個性的な動物たちや主人公の少年もそれぞれに魅力的だが、背景の風景も水彩画風で明るい色調が美しい。水彩画を習っているものにとっては、線も色も大変参考になる。
クマのプーさんの舞台である100エーカーの森は、作者ミルンの故郷であるイギリスのイースト・サセックス州にある、500エーカーほどの森林であるアッシュダウンフォレストをモデルにしているという。
シェパードの挿絵がそこを描いているかどうか知らないけれども、まことに楽しい童話の世界にふさわしい美しい景色であると思う。それが何とも魅力的で見ていて飽きることがない。
物語もさることながら、イラストの絵が子供達のみならず、親たち大人の心も捉える力を持っていたのであろうと確信する。

クマのプーさんは、その後ディズニー社によるアニメーション化がなされて、童話とともにあっと驚くほど速いスピードで、全世界に広まっていったのは周知の通りである。やや前の情報になるが、全世界での単行本売上は2001年時点で7000万部を超えるという。

今や ミッキーマウス、ミッフィーともに世界の三大人気キャラクターといって良いだろう。もちろんキャラクター商品の売り上げも、ベストスリーに入るのは間違いないのではないかと推量する。

三大キャラクターというのは、自分が勝手に言っているだけであるが、その一つのミッキーマウス (Mickey Mouse) は、ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスが、1928年に生み出したアメリカ文化のシンボル的キャラクターである。
1926年のくまのプーさんとほぼ同時期というのも何か時代の背景があるのか興味深い。
ミッキーこそ「キャラクターの王者」であろう。また、アメリカの象徴ともいわれるキャラクターである。説明など野暮というもので、誰でも知っている。
日本でも、東京ディズニーランドのミッキーマウスを始め圧倒的な人気者であり、ありとあらゆる商品に描かれ、それこそ「世界中で溢れるようにある」といって差し支えないほどである。

一方、ナインチェ・プラウス(オランダ語 Nijntje Pluis、英語 Miffy)は、これも縷々説明するまでもないが、ウサギの女の子のキャラクター、ミッフィーである。
1955年オランダのデザイナー、ディック・ブルーナが描いた絵本に主人公として登場する。
日本でも、「ミッフィー」または「うさこちゃん」として知られ、子供から大人まで広い層に愛されている。「うさこちゃん」は石井桃子訳 (福音館書店)の絵本の主人公名である。
ナインチェの絵本の販売は、2004年時点で全世界で8500万部に達するといわれ、プーさんに負けぬワン・ハンドレッド・ミリオンセラーである。これもぬいぐるみはもちろんのこと、コーヒーカップにいたるまで多くの商品のキャラクターとしても愛されている。

もちろん、キャラクターはこの三つだけが、有名なのではない。例えばスヌーピー(Snoopy)。アメリカの漫画家、チャールズ・モンロー・シュルツが1950年から書いた漫画『ピーナッツ』に登場するビーグル犬。性別はオス。主人公のチャーリーブラウンの飼い犬である。

これも子どもにも大人にも人気があるが、比べれば、上の三つはやはり桁外れのネームであることが歴然とする。

これらは、童話や物語の主人公出身だが、ややマイナーながら最初から商品化を目的に開発されたキャラクターもあることはある。
1974年誕生のハローキティ(Hello Kitty)はその一例。
株式会社サンリオでデザインされたキャラクターグッズ用の一連のキャラクター達を称していう。
主人公はキティ・ホワイト(Kitty White)。擬人化された白い子ネコで、左耳の付け根にリボン、またはそれに類する飾りをつけているのが特徴。サンリオを代表する長寿キャラクターである。通称は「キティちゃん」。他にもたくさんのネコがいて大人気だ。
しかし、最近の猫ブームに後押しされて人気が高いといえ、これも先の御三家にはとても及ばないように見える。爆発的人気者になるには、背景に物語性が必要だというのだろうか。

ところでクマのプーさん、ミッキーマウス、ミッフィー、スヌーピー、キティーちゃんくらいまでは、子供にも大人にも人気があって、キャラクターそのものやキャラクター商品を生み出す事情など、自分にも良く理解できる。
しかし、最近の、「ゆるキャラ」ブームというのは、一体どういう風潮なのかよくわからない。なかでも自治体あげて燃えているのは、何なのだろうかと訝る。市民との距離を小さくしたいとか、親しまれたいとか、それだけの現象なら目くじらを立てるほどのことはないのだが。
もちろん愛らしいものもあるが、中にはどうか思うような風体のものもあって気になるのだ。
クマのプーさん、ミッキーマウス、ミッフィーらとゆるキャラは、似て非なるもので、その差は大きいような気もする。


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ポール・セザンヌ展 [絵]

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見たいと思いながら、まだまだ大丈夫と思っているうちに何時の間にか期限が来てしまい、ホゾを噛んだ展覧会が何度もある。最近ではロートレック展。思い出しては悔やむ。
過ちを繰り返すまいと、国立新美術館へポール・セザンヌ(1839-1906)展「パリとプロヴァンス」へ出かけた。6月11日までの開催である。
家人が心配して一緒に付き合ってくれる。要付き添いとは情けないが、ありがたい。
国立新美術館は大江戸線六本木駅から徒歩5分、家を9時15分前に出ると10時の開館にゆっくり間に合う。
昔々、パリのオルセー美術館で見た絵も何枚かあった。
本当の良さなどは分かりもしないくせに、セザンヌの絵は好きである。画家たちが、絵を描き始めるときに「さあ、セザンヌしようぜ」と言ってから始めたと、何かで読んだ覚えがある。画家の中の画家であったのだろう。
やはり、静物画では「りんごとオレンジ」(1899年頃)、肖像画では「赤い肘掛け椅子のセザンヌ夫人」(1877年頃)、風景画では、晩年の「サント ヴィクトワール山」(1902年頃)などは、強烈に人を引きつけるものがある。
セザンヌの油彩は、線の使い方に他の画家と違う特徴があることに、今回は気がついた。今度画集を見るとき、気をつけて見ようと思う。

お目当ての水彩画もあった。セザンヌの画集を見ると、画家は沢山の水彩画も描いているのだが、残念ながら、今回は小さな数点しか展示されていない。

展示の最後のコーナーに、サント ヴィクトワールが一望出来たというレ ・ローブの丘の麓にあった、セザンヌのアトリエが再現展示されていた。絵のモチーフにもなった画家ゆかりのオブジェ、プラスター(石膏)、テーブルや椅子、水差し、瓶などが置いてあって面白い。

国立新美術館5周年の企画展にしては、全体としてやや規模が小さいような感じがした。他の美術館だったと思うが、いつか見たマチス展のスケールの方が大きくて迫力があったように思う。自分だけの気のせいかも知れないが。
それにしても美術展は、久方ぶりのような気がする。せっかく東京にいる便宜性を、享受しないのは勿体ない。なるべく出かけるようにしたいものだと、改めて思った。国立新美術館では、並行して7月16日までエルミタージュ美術館展を開催中である。期限までまだ当分あるーと、思ってはいけない。

帰りに、これも5周年という東京ミッドタウンのガレリアで、とんかつランチを食べた。一階にセザンヌ展協賛メニューの看板があったが、ここのとんかつ店は三階なので対象メニューかどうかはウェイトレスに尋ね損ねた。自分は金華豚、つれあいは三元豚のロース。山形は酒田市の平田牧場の産である。とんかつを外食で食べるのは、めったにない珍しいことだ。
金華豚は、世界三大ハムの金華ハムの原料となる希少種。頭と尻が黒いので両頭烏(リャントウウー)ともいう。
三元豚は、美味しい安定した豚肉を生産するためにランドレース種、ヨークシャー種、デュロック種など3種類の品種を掛け合わせた雑種豚という意味。

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セザンヌに満足し、金華豚に満腹して1時にはもう帰宅した。

今日も、自分には楽しい小半日であった。

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大江ゆかりの水彩画 [絵]



ノーベル賞作家の大江健三郎は、1935年生まれ、自分より5歳だけ上だから同世代である。同世代だから気になるのは自然の成り行きで、若い時からよく読んだ。
難しいテーマが多い上に、自分には難解な文章でもあるので、充分に理解した良い読者とはとても言えない。ただオキナワやヒロシマについても変わらぬ発言をし続けており、3.11後の原発問題にしても、高齢にかかわらず行動していることには、感服せざるを得ない。

しかし今回は大江健三郎のことではない。夫人の絵の話である。
大江ゆかりさんは、大江健三郎夫人。父は映画監督伊丹万作、映画監督で俳優の伊丹十三の妹さんであることはよく知られているが、いつもそう紹介されたりするのは本人にしてみると、きっといやな時もあるだろうなと思う。もちろん作家を支える内助や2男1女の母親としての仕事もありますが、私は私と。

ゆかり夫人は良い水彩画を描く。次の大江健三郎の本や共著に挿画を描いているので見ることが出来る。
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「恢復する家族」(大江ゆかり画)講談社、1995年
「ゆるやかな絆」(大江ゆかり画)講談社、1996年
「自分の木」の下で(大江ゆかり画)朝日新聞社、2001年
「新しい人」の方へ(大江ゆかり画)朝日新聞社、2003年

優しい線と色調の絵である。本人は、文中、自己流と謙遜するが、ファンも多いと見た。

彼女の猫の絵が良い。気に入っていて時々眺める。
自分は水彩画の練習をしているので、飼っている猫をモデルにその可愛さを表現できないかと良くチャレンジするが、なかなかうまくいかない。
写実的に描こうとすると、猫は目が幾分つり上がっているので、どうしても怖い顔になる。何よりじっとしていないので、時間をかける写生はもとより無理である。寝ている時の姿を写生するしかない。すると皆同じような眠り猫になってしまう。
山ほどの枚数のデジカメ写真を撮影して、それを見て描いているが生き生きとした絵にならない。
可愛さを強調しようとすれば漫画の猫のようになってしまう。

大江ゆかりの猫は、よく見て描いているなと感心する。猫が好きなのであろう。多分自宅で飼い、その猫を毎日見ている絵だと思う。たしかに猫はこういう仕草をする。しかし、なかなかこうは描けないものであることは、やって見るとよくわかる。

大江ゆかりに限らず、とくに猫好きはよく猫を描く。何やら超俗した目つきや、謎めいたふるまいが魅力的で絵になりそうに思うのである。
藤田嗣治の猫は、あまりも有名。そして、長谷川潾二郎の6年をかけて描いたという猫も。

立派な絵でなくともいいのだが、部屋に飾って眺めたいような絵が描ける時が、果たしていつの日か来るだろうかと思うと心許無い。


漫画と水彩画 [絵]

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手塚治虫は、漫画は記号であるという。例えば丸を書き中に二つの黒い点を書けば、誰でも人の顔とわかると説明している。さらにその下に横戦を書き込み上に曲げれば笑顔、下向きに曲げれば泣き顔となる。雫のような涙も、走る人の脚の後ろの煙も、セリフの吹き出しも記号だという。だから、絵を学ばなくともストーリーがあれば誰にでも漫画は描けるという。本人も小さい時から漫画ばかり描き、デッサンなどを学んだことは無いだろうから実感に違いない。
たしかに子供でも漫画は描ける。漫画の大衆性や国際性は、このことと関係があるのだろう。

そこで考えるのは、絵と漫画はどう違うのかということであり、絵とは何かということである。漫画、イラストと絵の違いは何か。イラストも漫画に似て記号のようなものだが、水彩画、油彩画に記号はないのか。写真はどうか。
風景画に点景として例えば人を入れる、後ろ向きであったり、ベンチに座っていたりすると何やら記号のように意味を発信する。絵は記号でもある。
ピカソやムンクには、記号にあふれた名画がある。モジリアニの首の長い女の絵やロートレックのポスターも漫画的だ。
ロイ・リキテンスタインの「ヘヤ リボンの女」などは、「漫画みたいな絵に6億円も出して」と物議を醸した。あれは絵か漫画か。
浮世絵も線で描かれ、漫画やイラストに近いとも言える。デフォルメした似顔絵などは漫画か絵か。また挿絵でも、写実的なものもあるが、村上豊のように漫画に近いようなものもある。
かたや漫画の方は、コマがあり吹き出しにセリフがあるの特徴だが、セリフの無い一コマ漫画もある。新聞の政治戯評などに多いが、あれはかなり絵に近いのではと思う。
そういえば漫画アニメの背景などは、それだけ取り出してみると、まさに絵だ。

自分はカルチャーで絵を習っている。「淡彩スケッチ」という水彩画であって、漫画を習っているのではない。
しかし我が水彩画はどうも漫画の雰囲気があるような気がしてならない。鉛筆淡彩やペン淡彩は特に漫画的である。子供の時から漫画を読み、ときには真似て漫画のいたずら書きをしたことが影響しているのではないかと訝る。
水彩画を習い8年が過ぎようとしているが、いっこうに上達しないのは、どうもこのことと関係がありそうな気がする。
「絵を学ばなくとも漫画は描ける」というときの、「絵を学ぶ」ということは一体何か。
水彩画教室ではデッサン、遠近法、明暗、色相などを学ぶが、これは間違いなく油絵はもちろんのこと漫画を描く場合でも、役に立つことではある。

解りやすい記号を持った絵が漫画で、やや解りにくい記号を持った絵が絵(?)か。抽象画は人により解釈の異なる記号(?)を持った絵か。

写真、絵、漫画、絵本、絵物語は表現型式が異なるだけで、皆何かしらの記号を持っていて何かを発信しているように思える。絵か漫画かなどとこだわるのがおかしいのか。どうも絵も漫画も、まだ良く解っていないことだけは確かである。

筆をおくとき [絵]


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どんな絵にするのかを最初に考えるのか、描いていてこれで良いと思ったらやめるのか。これが水彩画のお稽古をはじめたときからの疑問である。先生にうかがうと後者であるとの答えだったが、人によってレベルによって、あるいは異なるのかも知れない。絵を描いているといつか来るという「これで良いという瞬間」とはどういうときか、そんな時がはたしてやってくるのか。その時が来ないうちに厚塗りして潰してしまうことが多い。筆をおく時、つまりやめどきは、いつになっても変わらぬ難問である。

好きこそ物の上手なれ [絵]

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他のことは知らず絵の場合、俚諺の「好きこそ物の上手なれ」とは嘘である。というより誰にでも当てはまるわけでは無いと言ったら良いか。また、沢山描いたから、長いことやっているから、上手になるわけでもないことも確かである。持って生まれた才能というものもあろう。
一方で、絵は上手でなければならないということは無い。人の心を打つ良い絵は上手、下手とは関係無いようである。 基本的技術というものはあろうとカルチャー教室に通っているが、それもなにやらおぼつかない。人の心を捉えるなどとだいそれたことを考えなくとも、描いている本人が楽しければそれで良い、という方が納得感がある。人がどう見るか、見て何と言うかは率直に言って気にはなる。
しかし、それもどれほどのことも無い。
不思議なのは、知人に自分の絵を見てもらうのは、何とも恥ずかしく、照れ臭いが、知らない人に見られるのは平気なことだ。
絵の上手な先輩に、多くの人に見てもらって批評してもらわないと上達しないよ、とたしなめられたことがあり、そのとおりだと思うのだが、生来、きっと狭量なのだ。

窯変? 原画と写真画像 [絵]


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デジカメ写真で水彩画を撮り、HPにアップしたり、ポストカードを作ったり、iPadで眺めたりしている。
最近のカメラ、液晶、印刷技術の進歩の恩恵に浴しているなとつくづく思う。安いし、扱いが簡単なのが何よりである。携帯情報端末とPC間のデータのやり取りも、メモリーカードなど記憶媒体の精密化小型化に加えて、クラウドの出現もあって昔に比べれば嘘のように、複数の機器間の共有が楽になった。

しかし、絵を描く者にとって気になるのは原画とその写真画像との違いである。
画像処理技術の進歩で明度や色合いなどをかなり変えることが出来るので、原画と似てもつかぬ素晴らしい画像になったりする。しかも写真は原画より小さいので縮小の結果、絵の技術の小さなアラが目だたなくなる。 四隅の画鋲が写っていても、多少の汚れがあっても修正ブラシで消し取れる。トリミングも自在とくれば、総じて画像の方が原画より奇麗になり、へぇ、こんなにワシは上手いのかと錯覚しかねない。
きっと油絵や水墨画などと比べると、水彩画の方が光と陰がストレートに絵の良し悪しに影響するので、明度を調整すると「窯変」とまでではないが、良く見えるのだろう。印刷した絵も同じことである。
油絵の絵本は少なく、水彩の絵本が多いのはこのことによるのに違いない。
画家の岩崎ちひろは、それを早くから見抜き水彩の道を選んだと、何かで読んだ記憶がある。液晶や印刷技術の進歩した今、その慧眼には驚くべきものがある。
油彩は、原画を手元におくか美術館でないとその良さを十分楽しめない。 が、水彩画は絵本や画集でもそれなりに、気軽に楽しめるという利点はありそうだ。
大衆的、庶民的という言葉は使いたくないが、つまりたくさんの人が絵の愉しみを味あうことが出来るというものだ。
だからといって、水彩画は写真画像の方が原画より素晴らしいというわけではない。むろん原画に勝るものなどありはしない。

自画自賛 [絵]


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画友の中には、絵など描いたこともないが、リタイアして何でも良いから新しいことをやって見たくて、カルチャー教室へ来ましたと言う、豪の者、いや少し変わった人もいて吃驚したことがある。が、自分の場合は、自分が少しは上手いと思わなければ、 きっと絵など描かないだろうと思う。むろん他人と比べてでは無く、自分の他の能力、例えば音楽とか運動・体操とかに比してという感覚であるが。
しかし、実際に描いて見て、こりゃだめだと思うのは、自分の理想と実力の差を思い知らされるからだ。なに練習すればもっと上手くなる筈だ、と思うのは単に自惚れか、自分の能力、可能性を分かっていないからではないかと疑い始める。
自分の絵に満足出来ないのは、あくなき向上心からくるものである、と言えば聞こえがよいが、単に我欲だけかもしれないとこの頃思う。
これが実力、これで良いのだ、なかなかいいところもあるではないか、となぜ思わないのか。そう思い自画自賛すれば、描いていても楽しいに違いない。みっともない「ぼやき」もおおいに減るというものだ。
絵を描き続けるモチベーションは一体奈辺にあるのか。形でなく美を、色でなく光を捉えることだと考えれば、自画自賛していては駄目かもしれない。が、手遊び(てすさび)のアマチュアにはとっては、知足、つまり分相応 のところで満足するというのは、投げ出さないためにも大事なことなのかもしれない。

水彩の特質と良さ [絵]


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水彩画の特徴といえば、何といってもその透明感にあるのは誰もが認めるだろう。
だから、出来ればさわやかな絵を描きたいと願っている。ある先輩は、水彩に限ったことではないが、「清明感のある絵」を目指していると言っておられた。
ところが、水彩画にはもうひとつの特質に、言葉として非可逆性が正しいのか、不可逆性が正しいのか定かでないが、描いている途中で「もとの状態に戻り得ることが出来ないという性質」あるいは戻るのが難しいという性質がある。
これが、描く者にとっては厄介である。油彩やパステルなどは、ある程度途中で修正しつつ続けることが出来る。平たく言えばやり直しがきく。ところが、水彩は墨絵などとも似ていると思われるが、後戻りが出来ない。一発勝負。時々、PCのお絵かきソフトの無限に近い「redo(やりなおし)」が羨ましくなることがある。
修正しようとして色を重ねると、暗くなるし透明感がなくなる。さわやかさや、清明感とはほど遠いものになってしまいがちである。
どこでやめるかとも関係があるが、短時間にさらりと描くというのが良いようだ。しかし、言うほど簡単ではない。そういえば、水彩画は美を<短時間>で捉えるというのが特徴であり、良さでもあると誰かがどこかで書いていたように思う。


クロッキーのこと [絵]

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我が教室において一枚のクロッキーを描く時間は、はじめは15分から、あと10分になり最後に5分になる。4、5回目となるのにまだ全くついていけない場合があり、15枚程度のうち書き損じが1、2枚でてしまう。
早書きが勉強になるのかどうか、やっていてもあまり自信はない。
ただ、じっくり時間をかけて描いたからといって、たしかに良い絵になるとも言えないのは経験上良く分かる。また、短時間で美を捉えるのが特質である水彩画では、基礎的な技術として必須科目かも知れない気はするので、このカリキュラムは比較的まじめに取り組んでいる。

クロッキーというのをあらためて調べて見た。
「クロッキーCroquis (フランス語)とは速写画といい、対象を素早く描画すること、またはそうして描かれた絵そのものを指す。スケッチ(写生)とも言うが、特に短時間(10分程度)で描かれたものをクロッキーと称する。
主に動物や人体などの動きのあるものを素早く捉える訓練として行われる。またタブロー(完成品)へ昇華させるための習作として行われる場合もある」とあった。
なるほど、なるほどまさしく「訓練」なのだ。

クロッキーといわず、いつも紙と鉛筆を持っていて、何でもさっと書く習慣をつけると、絵は上達すると聞いたことがある。しかし、そんなことができるのは画学生かプロかいずれにしても少数派だろう。
ただ、沢山描いている人はやはり、何と言うかデッサン力、筆力が違うような気がする。クロッキーをやっていても、また道遥かの思いしきりである。

佐藤忠良と香月泰男の水彩画 [絵]



佐藤忠良(1912-2011年)は、日本を代表する彫刻家のひとり。平成23年(2011年)98歳で
歿した。美術の教科書にも載った「帽子・夏」。「群馬の人」などで広く知られる。絵本「大きなかぶ」の挿画も有名。
彫刻も難しいので自分にはよく分からないが、この人の水彩画は、分かりやすくて大好きである。何よりデッサンが素晴らしいと思う。さっとつけた水彩の色もさわやか。透明水彩とクレヨンを併せて使っているものもあって、いいなあと思う。こんな絵が描けたら、どんなに良いだろうと。
高齢になってしきりに描いたという木のデッサンも、人の眼を惹きつけずにおかないものがある。
最近「つぶれた帽子 佐藤忠良自伝」( 中公文庫)を読む。自選画集も借りてきて、今回ゆっくり眺めた。以前「 願いは普通」 (佐藤忠良と 安野光雅の対談、 文化出版局)を興味深く読んだ覚えがある。
自伝の中に、ヘンリー ムーアに褒められたというヌードデッサンが出てくる。自分には、他のヌードデッサンには感心するのだが、こちらの方はどこがすばらしいのか分からなかった。どうも見る目が違うのは、あたりまえとはいえ、すっかりしょげてしまった。
昭和49年、62歳で亡くなった香月泰男(1911-1974)もそうだが、シベリア抑留の苛酷な経験が佐藤忠良の作品に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。
絵や彫刻に深みがあるというのは、こういうことなのであろう。
香月泰男は、佐藤忠良の1歳歳上だが同世代。シベリアシリーズで有名だが、油彩画家で、水彩画はあまり残っていないようだ。この人の絵が好きだという人も多い。


代々木公園の鴉 [絵]

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10月5日、金曜日、代々木公園へカルチャーの写生会に出かけて、噴水のある池のそばで水彩画を2枚描いた。快晴で気持ちが良い日だった。風景はG5というF2大の横長ミューズケナフとF4のアルシュ。いずれも未完。

疲れて池に突き出たウオーキングボードというのか、板のデッキで休んでいると鴉が数羽やって来た。この公園も鴉が多い。ぼんやり見ていると側に乳母車に赤ン坊を乗せた若いお母さんがくつろいでいて、そこへ鴉が近づこうとしている気配。鴉はそばで見ると吃驚するほど大きくて怖いくらいだ。危険な感じがしたので、写真を撮ろうとすれば逃げるだろうと2、3度シャッターを押すが動じない。「しっしっ」というとやっとぴょんぴょんはね歩いてから、ばさばさと大きな羽根音を残し飛び去った。お母さんの方は、あまり怖がってもいなかった。
鴉の濡れ羽色というくらいだから青味がかった黒い羽根毛はなるほど美しいが、ハシブトカラスというだけあって太い嘴はいかにも獰猛な感じがする。しかも眼も黒くてどこにあるかも分からず、表情も読めぬ(?)だけに人には不気味な感じを与える。
実際には利口だというから(2012.8.21「からす」http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-08-18参照)、意外と愛嬌もあるのかもしれないのだが。

帰ってから、写真を見ながら初めて烏の絵を描いた。
蕪村の「鳶鴉図」(2012.5.7「蕪村老は天才大雅を追い越したか」http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-05-09参照)を思い出す。とてもそれに及ぶべくもなく難しいことだけが良く分かった。

長沢 節の水彩画 [絵]



長沢 節(ながさわ せつ、本名昇はのぼる。1917年会津若松生まれで1999年、82歳で歿)は、イラストレーター、水彩画家、デザイナー、エッセイスト、ファッション評論家、映画評論家。日本のファッション・イラストレーターの草分けである。

「わたしの水彩 」(水彩画家のエッセイと技法 新技法シリーズ 長沢 節/著 美術出版社)によると
「なんといっても、いちばん長くやってきたのは絵なのだから絵描きの節さんといってほしいのだが……。こちらが有名なデザイナーの長沢節さんです、などと紹介されるのが多いのである」と本人が嘆いているように本業の水彩画よりスタイル画家としての方が有名である。
自分も、ごたぶんにもれず、この本を読むまでそう思っていた。
今までこのブログで水彩画の感想めいたことを書いたのは、あれ、この人も水彩を描かれるのか、といった人のものが多い。司馬遼太郎http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2010-11-15や大江ゆかりさん(大江健三郎夫人http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-05-29)などである。本業と知ると迂闊なことは言えない。もっともこちらが批評本業でもないのだから余計な心配ではある。

氏は1954年、節スタイル画教室をサロン・ド・シャポー内の一室で始める。有名なセツ・モードセミナーの創設者である。

脇道に逸れるが、サロン・ド・シャポー学院は1951年、西塚庫男氏が千駄ヶ谷に創立した制帽教室。今でもご子息敏博氏が代表取締役で運営されている。HPは
http://www.chapeau.co.jp/

なぜ詳しいかといえば、学院創立者西塚庫男氏夫妻が我々夫婦の月下氷人なのである。長男敏博氏でなく、次男坊の家庭教師が学生時代の自分、というご縁である。
庫男氏は亡くなられたが、奥様はご健在。ご夫妻にはひとかたならぬお世話になった。(24.1.24「頼まれ仲人・月下氷人」http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-01-24
むろん、この長沢節氏の水彩画の話とは無関係の話であるが。

長沢 節は戦後の日本ファッション界に当時としては刺激的なスタイル画で一世を風靡する。プレタポルテ運動のため本邦ではじめてのファッションショーを開いたことでも知られる。
また、水彩連盟にスタイル画(現・キッシュアート)部門を創設した。

官立の東京芸大でなく文化学院を卒業したからというわけではないだろうが、この人の芸術論、水彩画論も独特である。上掲「わたしの水彩」は読みごたえがある。

なぜ油絵でなく水彩なのか という理由が面白い。油絵を描く面倒臭さがたまらないというのだ。わかる、わかる。
「ライブな水彩写生などに見せるそのシャープなタッチやモダンな色使いなどの方にだけ、一方的に引き寄せられていったのである。」とも。

透明な水彩絵具で白い紙の上に絵を描くのなら、ホワイトは不要のはずだとされるのに反して、「水の中間色とホワイトの中間色では色が歴然と違うのである。」という。グワッシュ、不透明水彩の白いを含めそれを多用する。
今でもカルチャー教室などで白絵の具はなるべく使わず、紙の白を活かせなどと教えているが、そんなことに頓着せずよければ何でも良いというのだ。

イラストレーションデザインと絵画の違いをこう言う。「立体感や質感の表現、描写がうまいなどということは、絵画では何の役にもたたないのだ。」
デッサンは線、タブローは色とも。

絵画は 立体からの開放や 虚構 が大事。絵も文学と同様嘘が無ければならぬ。「嘘のように、絵のように美しい 」ということがないといけない。

色はつねに(単色でなく二色以上の)関係(色のコンポジッション、コーディネーション、レイアウト)だけが美しい、とか色つけデッサン的水彩画が圧倒的に多いのが嘆かわしいとか言う。


色感というものはもともと体質的なものだから、一概に勉強や努力だけでよくなるというものでもない、とも。これはこたえる。
(絵の)勝負は書き出しのほんの5、6分で決まる。これは、長沢節は、最初から直接色で描くのだからそうであろうが、水彩画全般に共通することかもしれぬ。

「水彩という顔料はとても敏感な材料だからそんな偽善をすぐあばいてくれるところがいい。自由にのびのびと使われることをいつも望んでいるような材料なのだ。(くたばれ!クソ・リアリズム)」さも自然崇拝、自然は偉大だーなどといって風景画を描くのは偽善、むしろ自然冒涜だ。むしろ描かずに黙って自然と対話する方がよほどましだと仰言る。

さて、一番参考になったのが構図の話だ。本当のところが理解できたかは全く自信はないが、少し分かるような気がするのだ。
「絵画という枠の中で美を物語るのは、デッサンではなく、色の構成だということについて説明しなければならないが、構図くらい人に説明しにくいものはない」
構図の本質 は色のありよう。「一言でいってしまえば、構図とは平たい画面の中に、いったい色がどんな風に並べられたか?つまり構図とは色のありようのことである」

学生にはこう言う。「画面の空間は色によるマッスの構成が決め手。デッサン力ではない。色彩芸術としての絵画に対して、無色の立体芸術としてのデッサンや彫刻。
鉛筆で下描きはしないこと。もし、しっかりデッサンをしてその上から色をつけるようなことをしたら、それは色つきデッサンになるだけで、そんなのは絶対に絵とはいわないんだ。モチーフをどのように自分の四角なカンバスの中に持ち込むかというとき、モデルの形よりも、四角の中のモデルによって仕切られた残りのマッスの方が大切だということを忘れないように。四角い空間をモデルも含めて、どんなマッスの構成にするか?それは鉛筆の線なんかでは絶対に不可能だから最初から色で塗って行くこと、細かい関係は後からいくらでもその上に塗っていけばいいのだから」

自分はカルチャーでスケッチ淡彩という水彩画のお稽古をしてきたが、オケイコであってもちろん本格的な勉強ではない。しかし、鉛筆の線をどうしたら良いのか、色で消すのか、生かすのか、着色すると汚れるのをどうするかなど素朴な疑問がいつも頭にあって解決しない。
長沢節の水彩画技法はひとつのやり方であろう。最近水彩画のブログで、線は「色の案内役」だから重視せず着彩したら消えてもらっても良い、というのを見つけた。これは長沢説に近いのだろう。

水彩も人によって千差万別、どれが正しいということは無いに違いない。鉛筆やペンを活かす着彩というのも、またあるのかもしれない。

長沢節は、生涯独身を通した。理由のひとつに修業時代に料理が上達したことがあるかもしれぬ、というのが面白い。わかる、わかる。

自由で上品な美しさというセツ美学を持った水彩画家だったとされる。
水彩画も素晴らしいが、彼の売れに売れたスタイル画も嫌いではない。
もう一冊「淡い色が好き」を図書館で借りて読んでみようか。


何だか変だぞわが水彩画 [絵]

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水彩画カルチャー歴8年余になる。
いっこうに上達しない。鉛筆の線はどうするのかという基本的な問題もいまだ解決していない。「何だか変だぞ、わが水彩」という気持が8年余拭い去らないのだ。

最近、参考になるかなと、ユーチューブで海外の水彩画家によるデモンストレーションを見ている。( Dusan Djukaric, Fabio Cembranelli、Alvaro Castagnet、Omer Muz、Joseph Zbukvic、 Direk Kingnok、Emil Noldeなど)

彼らの水彩画は、殆ど鉛筆をあたりをつけるくらいにしか使わないのが多いようだ。輪郭線は、むしろそれに引きずられるとして、最小限に抑える。まさに水と透明水彩絵具が主役。にじみ、ぼかし、垂らしこみ、マスキング、スパッタリングなどを多用する。手法もポジィテブペインティングよりネガティブ(薄く描いたあと濃く描く)が基本。
線は、仕上げるころ細い筆や平筆(!)を巧みに使う。光と影を描くことを目指すのに違いはないけれど、空間、空気を重視し余白を大事にする。
何より楽しげに描いているのは、皆共通している。
どちらかといえば、感覚的に水墨画や南画に近いのだろう。実際、中国やベトナムの画家も良い水彩画を描いている。

わが国では、これまでどちらかといえば「線画に淡彩」が主流だったと思う。
鉛筆は使うなとした長沢節などは少数派ではなかったか。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-11-17
わがカルチャーで教えるのも、鉛筆でデッサンしその上に彩色する。長沢節の嫌った色付きデッサンである。
時々自分の絵を「ぬりえ」だなと、我ながら思うことがあるが、あれだ。
いつから水彩画が「線画淡彩」となったか。鉛筆淡彩の代表格の安野光雅(1926-)の絵が、鉛筆の線をあまり強調しない、いわさきちひろ(1918-1974)の絵より人気が出てきた頃か。
油彩が中心であり、水彩はその下描きスケッチ用だとする風潮も影響しているだろう。いずれにしても線画で淡彩の時代が長く続いてきたように思う。
むろん水彩画展などにいくと、油彩かと見まごうほど描き込んだ絵もあるから、そう単純なものでなく、自分の理解は間違っているかもしれないが。

ネットで水彩画家のブログなどを見ていると、最近わが国でも海外の水彩画の影響を受けたのか、線画淡彩から脱却しようとする動きが顕著のようだ。
画家が変わろうとしていることもあるが、背景には、鑑賞者がそれを欲しているからだろう。
女性に圧倒的な人気の永山裕子氏(1963-)の絵を見るとそれがよく分かる。線は色の案内役で重きをおかず、最初から出来上がりのイメージを持ち たっぷりと水を使って描いている。もちろん途中偶然が作ってくれる思わぬ効果も愉しみつつ。
確かにデッサンという輪郭は強烈であり、淡彩をほどこしただけでは水彩の良さが出ず、自由な絵から程遠いものに終わってしまう気もする。

さて、大家のあとに自分の絵のことを書くのは、なにやら烏滸がましく恥ずかしいが、自分の絵は、どちらかといえば「線画淡彩」である。それも鉛筆などで強い線でしっかりと描きあげてから、色をつける。着彩後さらに鉛筆で輪郭をなぞることさえある。先生もそれを容認される。
鉛筆の代わりに水性のペンを使い、その上から着彩することも多い。これも典型的な線画淡彩であろう。先生は本業油彩だが、水彩はほとんどこのペン淡彩である。
なにせわがカルチャーは「淡彩スケッチ」というのが講座名である。
自分はこの線画淡彩をやっているから、固定観念にとらわれて、なかなか上達しないのかもしれぬという気もする。

自分の絵は、線画淡彩だから当然海外を含めて、最近の水彩画とは大きく異なる。二つは、別物と言って良いくらいだ。
しかし、今から自分の絵を変えることは、きっと不可能であろう。
マラソンランナーが短距離選手に、なろうとするようなものだろう。あるいはサッカー選手が野球選手になるようなものか。自分の絵を100%否定しないと出来ないような気がする。さすれば、70歳を過ぎた頑迷固陋の生徒には、無理というものである。

とはいうものの、習い始めた時から鉛筆の線の処理が気になっていたので、海外の水彩や最近の水彩画の流れはよく理解できる。確かに漫画やイラストではないのだから、「輪郭線」にこだわることはないのだとも思うからである。
だから、一度は挑戦してみたい気はする。やってみると8年余になるカルチャーで培ったものがすべて消滅し、自分らしさが無くなる、つまり自分の絵を見失うことになるかもしれないという懸念もある。いっぽうでだめでもともとだ、とも思う。
これで今ゆらゆら揺れている。
なお、掲載の絵は、この夏、鉛筆を使わずに描いてみたものである。新宿御苑の葉桜。



日本の水彩画は世界から50年遅れた? [絵]

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風邪をひいて絵を描く元気が出ないので、ブログを見ていたら、今の日本の水彩画は世界の水彩画から50年遅れている、という記事があってびっくりした。

日本の水彩画は、従来から鉛筆でデッサンしその上から着色するいわゆる「線画淡彩」中心で、しかも、まじめな絵が多いから一見して分かる。それは、輪郭線にとらわれ自由闊達さを失っているからだ、という。
「まじめ」とは、あたりさわりのない言い方だが、むしろ「ちまちま」した絵と言った方が当たっているかもしれぬ。なるほど、自分の水彩画も、まじめでかつ、ちまちまとしている。デッサンの鉛筆の線に捉われている。ほんとうにその通りだなと納得感がある指摘だ。

ちまちまと言えば日頃思うことだが、カルチャーではどちらかと言えば男の絵の方がちまちまとした絵を描いて、女性の方がダイナミックでおおらかな絵を描くというのはどうしてだろうか。これも男の方が何かに捉われているからのように思えてならない。特に会社を定年で辞めて、趣味で絵を描き始めた男に多い。卒業したつもりの、かつての本業の何かがそうさせるのか。我が水彩画はその典型的な例だ。

鉛筆やペンでデッサンし、その線の上に水彩絵具を淡く着色するというのが、自分が持っている水彩画のイメージであるし、そう思って描いてきた。
カルチャーに8年余り通っているが、輪郭線にこだわるせいか一向に上達しない。壁にぶち当たり、「なんだか変だぞ 我が水彩」という今日この頃なのである。

水彩画の展覧会に行くと、鉛筆の線が消えるまで水彩絵具を重ねて着色して、一見すると油彩のように見える絵もある。とくに大作はこれが多いから、必ずしも線画淡彩が日本で中心というのも当たらないかもしれないが、鉛筆の線をどう処理すれば良いのか、未だに分からないで迷走しているのは、我ながら情けない。

それにしても、水彩画は昔から人により描き方は実に多様だ。外国の場合でもポール・セザンヌ、アンドリュース・ワイエスの水彩画、本邦では長沢節と安野光雅の水彩画を比べただけでも分かるように、描く人によって出来上がった絵は千差万別である。

YouTubeで最近の海外の水彩画家のデモンストレーションを見ていると、鉛筆は最小限に使い、水彩絵具の特徴を生かした筆使いで自由なというより、奔放なと言って良いくらいだ。偶然生まれる水と絵の具が創り出すにじみ、ぼかしの美しさを楽しみながら描いているのが多い。つまり乾いてから色を重ねるだけでなく、濡れているうちに紙の上でも混色するウエットインウェット重視、ポジティブペインティングよりもネガティブペインティングが主流のようだ。
それは、たしかに線画淡彩とは全く別物である。

水彩画は手軽で短時間で描けるので油彩や彫刻のための下描きスケッチ、小説の挿絵、子供の絵本、ガラス絵などによく使われた。典型的なのは、撮影禁止内の裁判所内を報道するときの新聞の絵であろう。
タブローであっても小さいものが多く、部屋の壁に飾られても油彩画のように重厚さも余りない。
そんなせいか、絵としてのジャンルがもう一つ確立しているかというと覚束ない。もっとも銅版画(エッチング)、木版画、パステル画なども似たようなものだが。

それでも、水彩画はやってみると奥が深くて面白い。毎週一回の8年余りは長かったという気がしない。
上述の如くもともと水彩画は多様である。だから、いま海外で隆盛のこのような水彩画が日本になかったかと言えばそれは違うだろう。たとえば、いわさきちひろ。彼女の水彩画は線画淡彩もあるが、水彩絵具の持つ独特の色や水を巧みに使った技法を重視したものもたくさんある。つまり、にじみ、ぼかし、グラデーションや余白の美しさを追求したものも多い。ここでは輪郭線に全く捉われていない。

だから日本の水彩画が遅れている、進んでいるというのはちょっと違和感がある。
むしろ、描く人がその時代にどんな絵を好んで描くか、あるいは鑑賞者がどんな絵を好んで観るかによるのではないか。

絵に限らず芸術は、時代によっていわば流行があるのは紛れもない事実だ。
水彩でも淡白な線画淡彩が好きな人もいれば、油彩のような重厚な水彩が好きという人もいる。水と絵の具をたっぷり紙に吸わせ、自然が偶然に創り出す様々なものを好むか人もいる。
そして、時代により世に受け入れられる水彩画、余り好まれない水彩画というものもあるかも知れない。絵が進んでいる、遅れているなどとは一概に言えないのではないかと思うのである。

ただ自分の感覚からいえば、輪郭線に捉われてその結果、絵が「停滞」していると言うのは身にしみて分かる気がする。
しかし、これは個人的な次元の話であり、日本の水彩画が輪郭線に捉われて「遅れ」ているのではないかといった類の話とは違う。

ここまで書いて、美術評論家でもなく水彩画の専門家でもなくアマチュアだから、偉そうなことを言っても滑稽なばかりだな、要は水彩を愉しめばよいのだ、と気づいた。
何とか鉛筆に捉われないで、水彩を描く技法を習得したいものである。
「鉛筆はあたりを取るだけにすれば良い」、「線は色の案内役」などと理屈は分かるのだが、手が追いつかないのが難儀である。






ヘルマン・ヘッセの水彩画 [絵]

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ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)は、1877年ドイツ南部黒い森の地方の古い町カルブで生まれた。 主に詩と小説によって知られる20世紀前半のドイツ文学を代表する文学者であることは、あらためて説明を要しない。南ドイツの風物のなかでの穏やかな人間の生き方を画いた作品群の他に、ヘッセの絵を添えた詩文集は、今でも絶大な人気がある。代表作は「車輪の下」。学校の教科書にも載っていたので広く知られているが、残念ながら良く覚えていない。1946年に『ガラス玉演戯』などの作品でノーベル文学賞を受賞した。

著述の傍らに、風景や蝶々などの水彩画もよくしたことも良く知られている。趣味の域を超えた素晴らしい水彩画を沢山描いて半生を過ごした。
また庭仕事と蝶をこよなく愛した。著書に「庭仕事の愉しみ」Freude am Garten (V.ミフェルス編、岡田朝雄訳)がある。これは今回読んでみたが、ガーデニングの愛好者には堪らなく「愉しい」本であろう。
このブログの本題は水彩画なので、横道にそれるが、この中にヘッセの愛した二匹の猫が出てくる。
1933年夏ゲオルク・フリング宛ての手紙「ひまな時間は庭ですごします…私たちは如雨露と鋤をもって身をかがめ、汗をかきます。そして二匹の小猫がこの土地の主で、遊びたわむれ、彼らの小作人である私たちを満足そうに眺めています。」
猫の名は獅子レーヴェと虎ティーガーちゃんという。「獅子レーヴェの嘆き」という詩もある。短い詩だが、本題に入る前なので途中省略して引用する。(岡田朝雄訳)

さみしくぼくは立ちつくす ぼくは途方にくれている…
虎ティーガーちゃん 遊び友達よ 弟よ……
きみがいないと どんなに美しいものも
塵芥 鼠の尻尾ほどの価値もない……
ただひとりぼっちでおき去りにだけはしないでおくれ……
弟よ 愛する弟よ 帰ってきておくれ!

まるで内田百閒だ。しかし、人のことは言えない。自分も寄る年とともに、我が家の猫にメロメロになってきている。偏愛、溺愛、惑溺。

閑話休題。
ヘッセは、人生の後半を庭仕事やスケッチで過ごしたこのスイス南部モンタニョーラで1962年、85歳の生涯を終えた。

ヘッセの水彩画については、平凡社のコロナブックス「ヘッセの水彩画」(2004年)がある。掲載された絵はどれも明るく鮮やかな色遣いだ。ペン水彩もあるが、多くは色彩が溢れるばかり、線画水彩、色付きデッサン淡彩、ではないのが特徴とみた。

この本の中に、日本では余り知られていないが、としてヘッセの「クリングゾクの最後の夏」(高橋健二訳)の抄訳が紹介されている。 自分もその知らなかったうちのひとり、この本の存在を初めて教えて貰った。
主人公クリングゾクは42歳で生涯を終えようとする画家が主人公である。だからヘッセの絵に対する思いなどが彼を通じて語られており非常に興味深い。
いわばヘッセの絵画への憧憬、東洋への思いなどが綴られた小編といえよう。
小説のテーマはむろん絵とは別にあってヨーロッパ近代の没落を書いているものという。
舞台はヘッセが住んでいたスイスのモンタニョーラ、たカーサ・カムッツィの部屋とその周辺の村。抄訳から、絵に関するところを引用してみる。
「絵をかくことは楽しかった。絵をかくことはおとなしい子どもにとって楽しい愛らしい戯れだった。星を指揮し、自分の血の拍手を、自分の網膜の色彩圏を世界の中へ移し、自分の魂の振動夜の風の中に飛躍させるのは、また別なこと、もっと大きなこと、もっと力のこもったことだった」
「彼のパレットがそのころ示したのは、ごくわずかであるが強烈に輝くばかりの色彩ばかりであった。たとえば、黄と赤のカドミウム、ヴェロナ緑、エメラルド、コバルト、コバルト紫、フランス朱、ジェラニウム・ラックなどだった」
後段の絵の具の色などは、実作をするヘッセの面目躍如というところ。黄と赤のカドミウムは、自分も良く使うカドミウムイエローとカドミウムレッド、残されているヘッセの絵にも確かに多用されているようだ。ヴェロナ緑、フランス朱というのはどんなグリーンとオレンジなのだろうか。

ヘッセが本格的に水彩画を始めたのは40歳を過ぎた頃で、85歳の生涯の半分を過ぎてからだが、自分の詩に小さな素描や水彩画はもっと早く第一次大戦勃発の頃から、幾つもの挿絵入り詩集を刊行しているという。

平凡社編輯の「ヘッセの水彩画」の中に「色彩の魔術」と題した次の詩がある。
詩を解釈し、評する力はもとより無いけれど、ヘッセの絵を見ながら読むと
何やら光と色の世界と神とを歌い上げていると感じる。

神の息吹は吹きかよう
天上へ 天下へ
光は幾千の歌を歌い
神は多彩華麗な世界となる

白は黒に 暖は冷に
たえず惹かれあうのを感じ
永遠に混沌とした混濁の中から
新たに壮麗な虹が立つ

こうして私たちの心の中で幾千回も
苦しみとなり歓びとなって
神の光は 創造し 行為する
私たちは神を太陽として讃える(岡田朝雄訳)

他に詩「画家の歓び」があるというが、これは探しているが見つからずまだ読んでいない。

ヘッセは親友ゲオルク・ラインハルトへの手紙でこう書いている。
「絵を描くようになってからのこの数年、文学とは徐々に距離をおくようになっています。絵を描くということがなかったならば作家としてここまでこられなかったでしょう」
また、1930年 ドゥイスブルクのある女子大生に宛てた手紙にも、
「あなたからのお便りのご返事に、ここに最近描いたささやかな絵をお送りします。というのもデッサンをしたり絵を描いたりは私なりの休息だからで す。この小さな絵があなたに、自然の無垢が、幾つかの色の響きが、たとえ苦しく問題を孕んだ人生の真っ只中にあっても、どんな時にも再びわれわれの中に信 仰と自由とをもたらすことができることを示してくれるよう願っています。」 とある。(
ヘルマン・ヘッセ「色彩の魔術―テッスィーンの水彩画」v・ミヒェルス編 )

モンタニョーラの豊かな自然のなかで若き職業画家の友ベンター・ベーマーとともに絵を描いていた生活、ヘッセが愛した色彩を育んだ大好きな庭仕事の日々は、著述の疲れの癒しとなっただけではなく、二つともヘッセの文学に大きな影響を与えたであろうことは容易に想像できる。のみならず、誰かのいうように「絵をかくことは彼にとって、人生の危機をのりきり、魂の安息を得るための積極的な瞑想法となったのだ。まさに絵は「魂の響き、色彩のハーモニー」そのものだったのである。

本格的な水彩画を描いた詩人の村の生活はわが憧れでもある。あまりに偉人であり過ぎて、わが平々凡々の生活と比べても詮無いことではあるが。
ヘッセが生まれたのは1877年(明治18年)、死去したのは、1962年(昭和37年)自分が大学4年の時ということになる。自分の父は1902年(明治35年)生まれで昭和56年(1981 年)79歳で亡くなっているから、ヘッセはいわば同時代の人といえ、かなり前の人となる。
しかし、文豪、大詩人ではあっても、同じ水彩画が好きというだけで少し身近に感ずるのが可笑しい。自分が、このブログで著名人の水彩画に興味があって、良く取り上げるのはその心理であろうと思うが、書いているとさまざまなことに思いを馳せ、色々なことを始めて知ることが多いのはたしかのようだ。

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ウィリアム・ブレイクの水彩画 [絵]

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最近、西脇順三郎の「野原をゆく」(毎日新聞社)という随筆で日本と西洋の芸術の違いが書いてあって面白く読んだ。とくに俳句の形式は一つが多くを象徴するという段に本当にそうだなと感心した。少しばかり長いが引用したい。

「日本の芸術は部分が全体を含むという幾何的には理論的ではないかも知れないが、そこに芸術の美があるのであろう。換言すれば部分が全体を象徴している。一つの中に多くが含まれている。換言すれば一つが多くを象徴している。一つが多くと調和されている。そこに日本の美の理論がある。曲がった枝先をみても永遠を感んじる。俳句の形式はそれである。有限の中に無限を象徴する理論である。一つの中に多くを象徴する。ブレイクという絵かきで詩人であった男がそういうようなことをいっている。しかしこれは一般西洋人のやりかたでない。彼らの芸術は全体から部分を表す。これは論理的で機械的であるが決して美妙ではない。
一を知って十を悟るというと道学者の言葉であるが、日本の芸術は恐らく一を感じて絶大を感ずることであろう。(四季の唄)」

さて、本題は芸術論でなく、ここに出てくるウィリアム・ブレイクの水彩画のことである。

ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757年ー1827年)は、イギリスの画家、詩人、銅版画職人。
「幻視者」(Visionary)の異名を持ち、「四人のゾアたち」「ミルトン」「エルサレム」などの「預言書」と呼ばれる作品群において独自の象徴的神話体系を構築する。詩の中では詩集「無垢と経験の歌」(The Songs of Innocence and of Experience)に収められた、「虎よ! 虎よ!」(Tyger Tyger)で始まる「虎」(The Tyger)がよく知られている。
晩年にはダンテに傾倒、病床で約100枚にのぼる『神曲』の挿画(未完成)を水彩で描いたという。

ブレイクは日本においては、明治に紹介され大正、昭和の詩や小説に大きな影響を与えた。
現代でも、若き日の大江健三郎がブレイクに傾倒し、その小説はブレイクから影響を受けたことがよく知られている。
なかでも短編連作集「新しい人よ眼ざめよ」(1983年)はミルトンの序にインスピレーションを得たとされ、収録された短編のタイトルは次の通りだが、すべてブレイクの作品に由来している。
1 無垢の歌、経験の歌
2 怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって
3 落ちる、落ちる、叫びながら…
4 蚤の幽霊
5 魂が星のように降って、【アシ】骨のところへ
6 鎖につながれたる魂をして
7 新しい人よ眼ざめよ

ブレイクの詩の方は理解するのは難しそう。iPadでは青空文庫に詩が一つ収録されているので読むことが出来る。

笑いの歌 (ウィリアム・ブレイク William Blake吉田甲子太郎訳)
緑の森がよろこびの声で笑い
波だつ小川が笑いながら走ってゆく、
空気までが私たちの愉快な常談で笑い
緑の丘がその声で笑い出す。
牧場がいきいきした緑で笑い
きりぎりすが楽しい景色の中で笑う、
メアリとスーザンとエミリとが
可愛い口をまるくしてハ・ハ・ヒと歌う。
私たちが桜んぼとくるみの御馳走をならべると
その樹の蔭できれいな鳥が笑っている、
さぁ元気で愉快に手をつなぎましょう
うれしいハ・ハ・ヒを合唱しましょう。

さて、本題の水彩画である。ブレイクの水彩画は、2012年に渋谷の文化村ザ・ミュージアムで開催された「巨匠たちの英国水彩画展」にも展観されたようだが、行けずに見落としたのは昨年のわが痛恨事のひとつである。

iPadアプリで買った画集でブレイクの絵を探す。あるある。その数32枚。
もともと彼は銅版画職人、エッチングに水彩を使ったものが多いが、独特のテーマもさることながら、幻視者の異名を持つだけあって龍や怪人、怪獣?など描くものも怪異なものが多い。
しかし、色は優しいものが多く親しみやすいのもたくさんあるのには驚く。

代表的な絵は、
薄暗い海底で、ニュートンがコンパスを用いて科学的世界を解こうとしている不思議な絵(科学万能主義への痛烈な批判を描いたとされる)「ニュートン」(1795年)、
「日の老いたる者」(エッチングと水彩、1794年)、
「巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女」(The Great Red Dragon and the Woman Clothed in the Sun, 1803年 - 1805年頃) ブルックリン美術館蔵、
「最後の審判」(The Last Judgement, 1808年)、
ダンテ「神曲」の挿絵 (1824年 - 1827年)、
「無垢と経験のうた」のブレイク自身による彩飾本「虎」(The Tyger)(1794年)、などなどがある。

なかでも「巨大な赤い龍と太陽の衣をまとった女」がたいへん気に入った。ブルックリン美術館蔵やナショナルアートギャラリー美術館蔵にもあるようだ(注)が、良い絵だなと思う。
(注)ウィキペディアによれば、Blake's The Great Red Dragon and the Woman Clothed with Sun (1805) is one of a series of illustrations of Revelation 12. Watercolor


ヘルマン・ヘッセもそうだが、詩人の絵というのは、一見分かり易そうだが何やらを象徴しているようであり、その何やらまで理解しようとするのは、難儀である。自分にはとてもその力はないようだ。ヘッセの絵は表題がついていないものも多く、ついていても風景や花なので分かりやすいが、ブレイクのはとくに表題まで謎めく。
詩は易しい言葉なのに何かを象徴しており、難解だが、絵も目に入る形や色は解っても、何を表現しようとしているのか、考え込んでしまうものが多い。

よって、ああ、いいなと見とれ、気に入った絵を探すのみと、いう鑑賞の仕方になる。
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ヘルマン・ヘッセの水彩画その2 [絵]

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以前にヘッセの水彩画のことを書いたとき、「画家の歓び」という詩が見つからず、まだ読んでいなかった。ヘッセの絵を鑑賞するなら、この詩を是非読まねばならぬとずっと気になっていた。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-01-16

図書館で「色彩の魔術 ヘッセ画文集」(Magie der Farben 1920 V.ミフェルス編 岡田朝雄訳 岩波書店)を借りてきて読むと、その中にこの詩を見つけた。

画家のよろこび(Malerfreude)
畑は穀物を生みだすが金がかかる
牧草地の周囲には有刺鉄線がある
困窮と所有欲とが並立し
すべてが堕落し監禁されているようだ

しかし私の眼の中には
万物を統べるもうひとつの秩序が住んでいる
スミレ色は溶け真紅が王座につく
その色彩のけがれない歌を私は歌う

黄には黄が 赤にも黄が加わり
バラ色に染まった涼しい青空!
光と色は自然界から絵の世界へ揺れ伝わり
愛の大波となって高まり響いて消える

病めるものすべてを治癒する精神が支配し
緑が生まれたばかりの泉から響き始め
新たに意味深く世界は配分される
そして心は愉しく晴れやかになる

絵を描くと、心が晴れると高らかにその歓びを歌っている。
このほかに幾つか印象的な詩があったが、中でも「アトリエの老画家」という次の詩が自分に重なりすっかり気に入った。自分は、画家ではなくカルチャー教室の老画学生といった風情だが。

アトリエの老画家(Alter Maler in der Werkstatt)
大きな窓から12月の光が輝く

いろとりどりのアネモネと黄色いクレソンの花束が
その中央に坐って 制作に我を忘れて
老画伯が鏡の中に映し出された
自画像をかいている
おそらく孫のためにそれを始めたのであろう
遺言のつもりかそれとも己の
青春の痕跡を
鏡の中に映し探しているのか だが制作の動機は
とうに忘れられていた
絵をかく気分
ただそれだけが動機であった

彼がひたすら心を砕くのは
赤 茶 黄の均衡と
もろもろの色彩の相互作用の調和だけだ
それは創造の時間の光の中で
かつてなかったほど美しく光輝く
ーハンス ブルマン(画家)に友情をもって捧げるー

この「色彩の魔術」はヘッセの水彩画を理解するためには格好の本だ。随所に水彩画を描く詩人の心が記されており、自分なりにだが「うん、なるほどわかる、わかる」と合点しながら読み終えた。

私は白い画用紙に鉛筆でいくらかデッサンをし、パレットを取り出して 水を注ぎました。それからやおらたっぷりと水をふくませ、ネイプルズイエローを少しつけた筆で私の小品の最も明るい箇所に色を塗ります。(水彩画 Aquarell)

詩人がスケッチに出かけ、トルコ赤(とはアリザリンレッドのこと)がパレットにないのに気付いて、次のように書く。ヘッセは画家にも負けぬほど、沢山の枚数の絵を描いたと伝えられている。その彼が、芸術はひとえに技量、というと迫力がある。

トルコ赤なしでどうやってすばらしいスペイン瓦の屋根を描いたらよいのだろう!
「そこで私はアリザリンレッドの欠如をほかの色で補うことに着手した。私は朱色、バーミリオンを取り出して、それに赤紫色を少々混ぜた」が熱望した色にならなかった。
「人が何と言おうとも、芸術において決定的なものはひとえに技量、能力、あるいはそれで不都合なら僥倖であると言おう」(トルコ赤を使わずに Ohne Krapplack)

「私は帽子を椅子の上に投げだすやいなや、グラスに一杯の水をもってきて、水彩画のパレットを探し出し、すぐさま濡れた布切れで、色の鈍い、埃をかぶった絵具の塊を拭って元のように鮮明にし、クロムイエローが、ヴェロナグリーンが、アリザリンレッドが、ウルトラマリンが、濡れてとけながら輝き出すのを見た」
一モクレンを写生しようと志す不遜な企てに比べたら、一編のドン・キホーテや、一編のハムレットを書くことは一つの小事、一つの児戯ではなかったろうか?
(絵をかくよろこび 絵をかく苦労 Malfreude,Malsorgen)

「絵をかくよろこび」では、木蓮を写生する難しさを、不遜な企てと言い、ドン・キホーテやハムレットを書くことの方が「児戯」と言って嘆くところなどは、本当によくわかる。花は描いてみるとわかるが本当に難しい。ヘッセの絵は風景が多いが、モクレンの絵が何枚か残っている。良い絵だ。
編者が書いた、この本の序に、次のような文がある。

またロマン・ロランが1921年にヘッセに宛てた次のような手紙の一文もこれらの絵の心を言い当てている。「私はあなたの水彩画のアルバムに魅了されました。あなたの絵は果物のようにみずみずしく、花のように優雅です。これらを見ていると心がなごみます」
ロマン・ロランもこのモクレンの絵もきっと見ているに違いない。ヘッセの絵を見ていると心がなごむと言っていることに、これも自分なりにだが、深い共感を覚える。

ヘッセは40歳過ぎてから水彩画を始め、晩年まで絵を描いたと伝えられている。85歳で没するまでだから長い画歴だが、絵が精神的な危機を乗り越える助けになったというが、それだけでなく詩に小説に大きな影響を与えただろうことは、容易に推測される。
ただ、それが具体的にどんなことか良く理解できないが、ヘッセの水彩画は、どくとくの色調を持っているように思う。花などいくつかのペン水彩も優しい線だ。
「色彩の魔術」で詩人の絵に対する想いを読んでいると、画集の絵一枚一枚がいろいろ話しかけてくるような気がするのは、自分だけではないように思う。











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エミール・ノルデの水彩画 [絵]

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エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867年 - 1956年)は、ドイツの画家。本名はエミール・ハンセン(Emil Hansen)で、ノルデは出生地デンマークの北シュレースヴィヒ地方のブルカル (Burkal) にあるノルデで地名である。故郷の地名を名乗ったことになる。

ノルデの作品の特徴は絵を見れば明らかであるが、原色を多用した強烈な色彩にある。また単純化された形態もノルデの絵の特色だが、ともにゴッホの影響があるのでないかと言われている。
油彩のほか木版画や水彩画も描く。特に水彩は北ドイツの風景、草花などを題材にし、水彩という画材の持ち味を自在に生かし、にじみやぼかしを使って作るグラデーションが素晴らしい。紙と水と水彩絵具のハーモニーという感じだ。卓越した技術、技量をもっていたのであろう。

何と言っても水彩画の色の扱いが凄いと思う。強く激しい赤、ウルトラマリンかディープブルーか目も覚めるような青、藍、インディゴ。あくまでも明るく輝くような黄色。深いというしか表現のすべのない緑色。ときどき現れる紫色(ヴァイオレット)。
補色を大胆に配色するかと思えば、それぞれの色の濃いあるいは薄い色もふんだんに使う。見るものをしてその脈拍を高らしめるというもの。
どうしたらこんな色が出るのか、絵の具そのものの色すらこれを出すことは、それほど容易ではない。紙の白さを生かしながら塗らねばならない。
紙の上で、重ね塗りをして混ぜるとまず汚くなる。パレットの上で複数の色を混ぜて作る場合も、ノルデの色を出すのは至難であろう。ノルデしか作れない色だ。もしかするとノルデにも同じ色は二度と出せないのかもしれない。
水彩も焼き物と同じ偶然が作り出す色がある。この辺りはまさに技術、技量の世界だが、色彩感覚が生まれつき備わっているのか、後天的なものかノルデこそ水彩画における「色彩の魔術師」の称号がふさわしい。

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水彩は油彩に勝てないと思っている人は多い。たしかに鉛筆の線の上に淡い透明水彩絵具を塗って、穏やかに描いた水彩画はゆったりと落ち着いてはいるが、展覧会などでは、迫力においてはやや乏しいことは否めない。水彩は描くスピード、手軽さが短時間に美を捉えるには、格好の画材ではある。
しかし、勝つ、負けるというのは変だが、油彩のほうが力強いとは言えるだろう。
ノルデの絵はこの常識を覆す。水彩でも、油彩に劣らぬこれだけ強いものが描けるのだ。
しかし、図書館でノルでの画集(世界の巨匠シリーズ エミール・ノルデ 美術出版社 )を借り、見ると水彩画は殆どなく、油彩ばかりが収録されていたのにはびっくりした。ノルでの水彩を全く評価しないのか、何か編集方針があったのか知る由もないが、これだけ徹底すると唖然とするばかりである。

話が変わるが、日本の水彩画は、線画水彩に囚われ、世界の潮流から50年遅れをとっていると主張する人がいる。世界の潮流とは何か、絵に潮流があるのか首をかしげるが、線画水彩にも優れたものもあり、対極にあるかとも思うノルデの、色彩を紙の上にぶち撒いたような画もまた同じ水彩画だ。
描く人によって絵はまちまち、見る人の好みもまちまちである。時代の好みもあるからそれを潮流というのであれば分かるが、遅れるとか進んでいるというのは少し違うような気がする。

さて、ノルデの作風は20世紀のドイツ画家たち、カンディンスキー、キルヒナー、エゴンシーレなど、内にこもったものを表そうとする点で共通するものがあり、ドイツ表現主義(Expressionism)と呼ばれている。
表現主義は印象主義(Impressionism)に対する言葉であるが、不安・焦燥の感情など内的なものを表現するという意味である。
ドイツのドレスデンで1905年に絵画グループ「ブリュッケ(橋)」が旗上げし、いわゆるドイツ表現主義と言われる運動が始まる。
ほかに「青騎士」というグループもあるが、ノルデは孤独を好む性格で群れるのを嫌ったという。彼はクリスティアン・ロールフス らと同じく「北ドイツ」表現派に属するとされる。
たしかにノルデの水彩画は、美しいだけではなく内的な何ものかを表現しているように見える。歓びより、むしろ憂愁とか不安に近いように思える。絵が華麗だけに何かひとの胸に迫るものがある。

第一次世界大戦の敗戦で、彼の故郷ノルデはデンマークに割譲される。また彼は当時まだ弱小政党だったナチスの政策に共感して、1920年にはナチ党員となる。ナチのゲッベルスは彼の水彩の花の絵を好んだという。
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス(Paul Joseph Goebbels、1897年 - 1945年)は、国家社会主義ドイツ労働者党宣伝全国指導者、初代国民啓蒙・宣伝大臣であるが、「プロパガンダの天才」といわれ、アドルフ・ヒトラーの政権とナチス党支配下のドイツの体制維持に剛腕をふるって貢献する。ヒトラーによりドイツ国首相に任命されるが、その直後に家族とともに自死した。
そのゲッベルスは、1937年にナチ党政権が「退廃芸術」として批判した表現主義、抽象絵画の作品を集め、見せしめとしての「退廃芸術展覧会」を開催した。シャガール、クレー、キルヒナー、ノルデ、ゴッホ、ピカソ、ブラック、セザンヌなどの絵がみせしめとして展示された。キルヒナーは自分の作品を退廃芸術に指定されたことに強い衝撃を受け、自らの命を絶った。
ナチのやったことの中では小さなことだが、展覧会が芸術、文化に与えた影響は大きなものがあったのである。
ノルデの強烈な宗教画は、「宗教への冒涜」「退廃芸術」という批判を浴びていたからナチ党員でありながら、この展覧会の対象者となる。その果てにドイツ社会から非難を浴び、美術院からも除名され、絵画制作まで禁止されてしまう。

彼は戦時下を極小サイズの水彩画を世に隠れて描きながら、やり過ごしていた。戦後、これらの絵を描きなおす仕事を再開し、1956年に89歳の生涯を終える。
日照時間の短い北欧に生まれ、おそらく孤独癖のあったと思われる青年時代を経て、ナチに共鳴し、後にそのナチから頽廃画家の烙印を押され、戦時下に筆を隠して暮らしたノルデは戦後の10年余りの晩年、何を思いどんな絵を描いたのか。

ノルデの絵は鮮やかな色彩の抽象画のような単純化した風景画と花の絵があり、一方頽廃的とも見える人物画など、これが同一作家かと思われるようなタイプの異なった絵がある。前者は線が殆ど見られず、後者は線が目立つ。また油彩あり版画あり多様だ。
薔薇にエミール・ノルデという名を冠したものがある。鮮やかな黄色いバラである。画家の名に由来しているという。ノルデの絵の黄を指しているのか詳細は知らないが、ノルデの黄色もたしかに素晴らしい黄色だ。とくに隣にブルーが配された黄色は何とも言えぬ。バラの新品種は長時間かけて忍の一字で開発するといい、発現は宝くじ並の確率と聞く。
命名者は、開発中に思い描いていた色が、新しいバラが誕生した時、ノルデの鮮やかな黄色と似ているとおもったのだろうか。たぶん油彩でなく水彩の黄色とだと思うのだが。

水彩画のお稽古をしている自分には、ノルデの人物画よりも、やはり色彩感溢れる風景画や花の方に惹かれる。
こんな色をどうしたら描けるのだろうと、腕組みをしながらしみじみと眺めるのだ。



絵に描いたリンゴはなぜ本物よりいいんだろう? [絵]

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司馬遼太郎の水彩画には前から注目していた。このブログでも書いたことがある。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2010-11-15

安野光雅の近著「絵のある自伝」(文藝春秋 2012年)に次の文章を見つけた。
「また司馬さんの描く絵は、とても味わい深いもので、たとえば「アメリカ素描」(新潮社)の表紙などを見ると、わたしは気後れがするのである。
司馬さんは「絵に描いたリンゴと本物のリンゴとでは、どうして絵のほうがいいんだろう」と難題を持ちかける。いつか明快に答えようと思いながら、今日に至っている」
本職の画家が気後れするというのは相当なものだが、ここでは、司馬遼太郎の絵のことではなく、後段の「難題」のことを書きたい。
司馬遼太郎は座談、雑談の名手で作家の周りにはそれを愉しみにして、いつも人が集まったという。これもその雑談の中で出た話だそうなので、気楽な問いかけだったのであろう。
安野氏は、即答出来なかったようだが、杉本秀太郎「洛中生息」(筑摩書房)にそれの答えらしきものがあるけれど、長くなるから引用しない、とあるのであとで読んで見たいと思っている。
以下はまだそれを読む前に自分が思ったことである。

絵に描いたリンゴは嘘だから実物より良いのである。あるいはウソを含んでいるからと言った方が、より正しいのかもしれないが。嘘は人に楽しい夢を見させる効能があるらしい。
小説を例にすればわかりやすい。
小説も虚実ないまぜだから面白いのだ。司馬遼太郎でいえば、歴史小説は死んでしまった人が主人公だからどんな嘘でも自由に想像力で書ける。また、モデルに迷惑もかけることもない。だから自分は、現代小説でなく、歴史小説を書くのだと言っていたのをどこかで読んだように記憶している。
安野氏に問いかける時、司馬遼太郎は自分の答えを持っていながら、にこにこ顔で問いかけたのではないかという気さえする。
現実を題材にして、ウソをまぶし真実と違ったものを作り上げ、読む者に快感を覚えさせるのが小説である。快感を引き起こすホルモンか脳内分泌物かをたくさん出さしめるのが傑作小説だ。つまり想像力によって、現実より素晴らしい世界を創造して読者に提供するのが文学というもの。

真実や現実は多くの場合、醜く辛い。もともと人は、この真実の醜悪なもの(ストレス)から目を逸らして身を守りたいという本能のようなものがある。
つまり不快を避けて、快感をもたらすホルモンか脳内分泌物かを出すのだ。そして個体維持をはかるのである。個体維持の目的は、むろん種族保存のためだ。
小説や絵画美術はこのことが基底にある。

絵も現実を写生しようとするが、写真と違い無意識のうちに美化して描いている。巧まずして、嘘を描き込んでいる。一方それを見る人も、無意識のうちにさらに美化して見る。だから現実のリンゴより絵に描いたリンゴの方が良い、と感じるのである。これをなさしめるのは現実回避の本能(らしきもの)である。美術という芸術を成立させているのはこれに他ならない。
現実のリンゴはすっぱいかもしれない。あるいは虫が果肉を食べていたり、一部腐っているかもしれない。だが、絵のリンゴはいつも甘く美しい。柿でも同じだ。渋柿さえ絵になれば甘柿になる。
絵に描いた餅は空腹は満たさないが、無聊をいっときは慰める。

実際にはやってみると分かるが、リンゴを絵にするのはそう易しいことではない。写実的にせよ、デフォルメして描くにせよ、良いりんごを描こうとすれば、素人でも千や二千個以上練習のために描かねばならないと脅かされるくらいだ。もちろんテクニックもそれなりに必要だ。
それでもなお、素人、子どもであっても描いたリンゴの絵は、実物より味があることに変わりはない。むろん、安野画伯を含め画家の描いた絵はそれぞれに素晴らしい。

それなら、ムンクの叫びや怖い幽霊の絵などはどうかという問いもあろう。人間の精神、心象を表現する絵は、現実とどう関わっていると考えるのか。
司馬遼太郎の問いは、ごく原理的な、原初的な問いである。クレーの抽象画やピカソの絵、ダリなどシュールリアリズムのような極端なものは、もっと突っ込んだ特別な考察と論理的な説明が必要かもしれぬ。ポップアートなども然りだ。今の自分の手にあまる。しかし通底するものはあるに違いない。

音楽の良さも理由は絵や小説と同じである。
太古から火山の爆発音、雷鳴、嵐の風雨の音、恐竜の威嚇音や狼の遠吠えなど厳しい現実の自然の音は人類を長きにわたり苦しめてきた。
恐ろしい現実音や雑音、騒音は聴きたくない。美しい音楽を体(細胞)が、心(精神)が求めるのである。
音楽の三要素である旋律(メロディー)、和音(ハーモニー)、拍子(リズム)は、耳に心地よいが、三つをそなえたものなぞ現実にはない。人間が自分の快感のために作り出したのである。多分鳥の鳴き声、川のせせらぎや雨の音などがヒントになったのであろう。
音楽も現実にはないもの、つまりウソだから現実の音より良いのだ。

絵に描いたリンゴはなぜ本物より良いか、という問いの答えを書いてみたが、こんなことは誰でも最初に考えるだろう。すぐに、しかしそうではないのじゃないか、と否定されそうで確たる自信はない。

先に掲げた杉本秀太郎「洛中生息正・続」を読んだが、それらしきものが見つからなかった。急いだので斜め読みになり、見落としたかもしれない。
ただ一カ所だけ似た文章を見つけた。(「洛中生息・正」231ページ 「心象風景 紋章」)
「この運河にうかぶものの影は、その影を投げた実体よりもなぜ美しいのか。色彩はもっと活きいきとしているが、しかももっと完全な調和にとけこんでいる。遠い森が、やわらかな潤む色に内からひろがるさま、山の輪郭がそれを遮るさま、これは真実以上である。しかもゆがんでいる(シェリー「詩と恋愛」阿部知二訳)」

これが安野画伯の言われる、「答えらしきもの」ではなさそうだが、問いは少し似ている。答えもないが最後の「しかもゆがんでいる」が気に入った。

なお、パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley, 1792年- 1822年)は、イギリスのロマン派詩人。有名な「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーは彼の妻である。
メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley、1797年 - 1851年)は、イギリスの小説家。詩人も知らなかったが、夫人も知らなかった。フランケンシュタインは知っていたのに!。不勉強・蒙昧の謗りを免れない。








ラウル・デュフィの水彩画 [絵]

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ラウル・デュフィ(Raoul Dufy)は、北仏ノルマンディーのル・アーヴルの港町生まれで、歿年は1953年、75歳だった。
アンリ・マティス(Henri Matisse; 1869年-1954年)、アンドレ・ドラン(André Derain; 1880年-1954年)、モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck; 1876年-1958年)、ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault; 1871年-1958年)らとともに野獣派(フォーヴィスム)に分類される。フォーヴは野獣の檻という意味だそう、その中にいるような気持ちになる絵とはどんな絵か。
フォーヴィスムは、色彩はデッサンや構図より上位にあり、画家の主観的な感覚を表現するためのものとして、自在に使われるべきであるとする。ルネサンス以降の伝統である写実主義から脱して、目に見える色彩ではなく、精神が感じる色彩を表現する。19世紀末の絵画に見られる陰鬱な作風とは対照的に、輝くような強烈な色彩で自由な雰囲気を創り出した。

デュフィは19世紀末から20世紀前半のパリを代表するフランス近代絵画家であるが、彼もまた「色彩の魔術師」と呼ばれる。アンリ・マティスに影響を受け、彼らとともに野獣派とされるが、その作風は他の野獣派とは違った独特の世界を構築している。

「私の歳時記」(杉本 秀太郎著 弥生書房 1979年)に「デュフィ画集の礼状」(西武美術館発行 1978年)という一章があり、デュフィの絵を理解するのに格好のものだが、その作風についてこう記している。
「多数を単一に還元して、いわば集合名詞的に物を捉えることをして、そのときの目の働きそのものから、絵の恒常的な両面性、即ちdynamiqueなものとstatiqueなものとを巧妙に析出し、この両面の同時成立というところに、絵にもうひとつ完成に近いレベルでのdynamicを賭けているーデュフィの作風には、そんなところがあるようにおもいます」
残念ながら表現が難解だが、何となく言わんとしていることはわかるような気がする。ダイナミックは線、静的なものが色彩か。

教科書風に言い換えれば、デュフィの絵は陽気な透明感のある色彩と、リズム感のある線描が画面から音楽が聞こえるような感覚を人に与える絵と評される。特に水彩画においてこれが顕著だ。みずみずしいほどの色彩は水と白い紙の「自然」から生まれる。ウオーターカラーそのもの。油彩で表現するのはたぶん至難であろう。
画題が音楽や海、馬や花をモチーフとして演奏会、競馬場、ヨットのシーンなどを描いていることが一層それを強く感じさせる。

オルガン奏者だった父、ヴァイオリン奏者だった母という音楽好きの家に生まれたこともあって、音楽にまつわる絵に惹かれるものが多い。モーツアルトやドビュッシーの名前入りの絵、楽器、演奏風景など。絵に旋律(メロディー)、拍子(リズム)、和音(ハーモニー)の音楽要素が溢れる。
上掲の杉本秀太郎の一文でもこれらの絵について触れている。
「電線を流れる電流が電線の外見を少しも変えないように、音楽は絵に少しもあらわれていないけれども、絵の中を通過していたのでしょう。もぬけの殻を見せつけられているわれわれこそ言い面の皮です」そしてデュフィのこのようなイロニー(皮肉)が大好きだと微苦笑する。

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さらにこの一文で、デュフィは左手で画を描いたと知って驚いた。「もともとは右利き 少年時代すらすらと事の運ぶ右手をきらって、左手の不器用さを活用することを思いつき。以来、左手の能力を極力開発した」と教わりさらに仰天。たしかにぎこちない筆致の方が魅力的だというのは分かるが、だからと言って利き腕を放棄する人は聞いたことが無い。
字は右手で書いたというが、デュフィの絵の特徴であるあの踊るような、流れるような軽快な描線は左手から生まれていたとは。

自分の水彩画の関心事で言えば、デュフィに学ぶことは多い。
線画水彩と、線を極力少なくして色彩を主体にする水彩と、どちらを目指すべきか長いこと迷走しているが、そんなことはつまらぬことと言われているような気がする。
デュフィにおいては、「線による形」と「面による色彩」の両方が自在に描かれ、色付きデッサン、線画淡彩の呪縛から解放されて、水彩画の「自由」を獲得しているように見える。鉛筆の線が中途半端に残るのが良くないのだ。デュフィの線は黒い線でなく、たくさんの色で描かれている!

デュフィは、水彩と油彩だけでなく、木版画の名手でもある。また本の挿絵、舞台美術、多くの織物のテキスタイルデザイン、莫大な数の室内装飾用織物(タペストリー)、陶器の装飾、ファッション誌「VOGUE」の表紙など多岐にわたるジャンルで才能を発揮した多才な芸術家である。これらの独特のカラフルな多くの作品群は今でも魅力的だ。

アポリネール「動物物語集ーまたはオルフェの供衆」の挿絵は デュフィの木版飾り絵と紹介されていたので、図書館で検索して借りて来たら「アポリネール動物詩集 児童図書館・絵本の部屋」(評論社)で、挿絵は山本容子であった。残念。






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