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e-Tax (国税電子申告・納税システム) [PC]

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電子申告をした。昨年はじめてやって、今年は2回目である。
昨年は、公式認証取得や初期登録などはじめての作業があって、しんどかったことを想いだした。たしか2、3日かかったような気がする。終わるともう見るのもいやで書類やカードリーダーなど丸めてしまいこんでしまった。
今年はこれを探すのからしてまず往生した。
結局、今年も何のことはない申告に丸一日を要した。一年前のことをすっかり忘れてしまっている。
単純な納税申告なのに、e-Taxは老人には難儀である。
まず、2年目はどこから始めればよいのかで迷う。e-Taxソフトもここから始めるという案内がないなど、ユーザーオリエンティッドとはとても思えない。何度か壁にぶつかる。ちょうど日曜日の作業だったのでヘルプデスクはお休み。
入力方法もなかなか分かりにくい。ネット販売やホテルの予約などのほうが余程インプットしやすいと思うのは私だけか。最後に税務署に送信して受付確認したら夕方になっていてどっと疲れが出た。
電子証明の有効期限は3年とか。はやくも来年が思いやられる。
たぶん根気が続かず紙ベースに戻ってしまう予感がする。
いったいどのくらいの人がe-Taxを利用しているのだろうか。もっとわかりやすく単純な作業で申告できるように
しないと、とくに老人はやって見ようという気にならないのではないか。



タグ:電子納税
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iPad [PC]

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話題のiPadを買った。3Gのない16GB。おすすめは、32GB以上3Gつきと後で知った。
 無線LANのノートパソコンを使っているので、どうしても必要ということはなかったが、面白そうなのでつい買ってしまった。
 アップルのネットショップですぐ買えたが、ご多分にもれず、まず無線LAN・WiFi接続で苦労した。また、メールアカウントをつくるのでもプロバイダーの方で最近接続方法を変えたとかで難渋する。
 Mac製品は、はじめてでiPodやiPhoneを使っていないのでタッチパネルに慣れていないのはやむを得ないとして,ユーザーズガイドがWEB上にしかないのは、年寄りにはちょっとつらい。

 一番興味のあった電子書籍iBooksは、日本語のものがまだないので今すぐの利用価値はないが、プリインストールされていたプーさん(Winnie-The-Pooh)は、たまたま紀ノ国屋で買った原書が家にあったのではからずも本と電子ブックの違いを体験した。分からない単語は、英英辞典がすぐ出せるのが良い。確かに日本語版が簡単にしかも安価に買えるようになったら、すごいことになりそうな予感がする。
 iTunesがついているのでPCから同期して音楽を楽しんでいる。一番利用しているのは写真である。自分の描いた水彩画をデジカメで撮って、それを取り込んで眺めたり、絵の題材を写真に撮り、絵を描く参考に見たりしている。また、猫の写真を撮りまくり多彩な表情の猫をスライドショーで見たりして楽しんでいる。
 まだ、使いこなせていないし、3Gつきではないので評価はできないが、かつて使ったことがあって、その後販売取りやめになり使用をやめざるを得なかったPDF携帯端末のソニーのクリエに似ている。ただ、クリエの方が使い勝手が良かったように思う。画面は小さいが持ち運びに適当なサイズだったことと、ペン入力のせいかもしれない。いまや、外でモバイルを使うことがないので比較してもあまり意味は無いかもしれないが。

 iPadでマクドナルドの店にあるBBポイントを使ってSafariがつながったときはわけもなく嬉しかったのはいったいなんだったのだろう。
 さて、iPadを使ってみて日本のメーカーや出版社はよほど頑張らないと、電子書籍などでますます遅れをとるだろうという気がする。

 携帯電話にしてもこれらの電子機器の進化は、やたらと早い。もはや老人には手に負えなくなりつつあるとしみじみ思う。iPadは、さすがに老人にも扱えるような工夫がされてはいるが、それでも使うこちらの方は退化するばかりなので難儀なことである。

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10,000ヒット [PC]

 
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HPを開設してこの9月で10年になる。8月にアクセス数が1万になった。
 ほぼ、1日3回という静かなHPだ。このうち、おそらく2分の一くらいは、自分で見たものだろうと思う。更新に苦労してばかりいるので、その都度自分がアクセスすることになり、カウント数が増えるのだ。
 もとより、多くの人に見て貰うために作ったものではないが、それにしても閑散としたものではある。
 10年前に開設したとき、パソコンを始めたばかりで、HPでも作れば少しはパソコンが分かるのではないかと、自分の周辺の日常些事を書くことにしたので、ほかの人が見てもなんの面白みもないものになった。本来HPは何らかの目的があって、多くの人に読んで貰うためにつくるもの。主張や社会性もなく、話題性もなくもちろんPRもほとんどしないのでこんなものだろう。もっとも、内容がたとえ、日常のありふれたことだけであっても構成やキャッチフレーズなど見て読んで楽しければネットサーファーの目にもとまることがあるかもしれないが。スキルも幼稚なのでそれもない。

 自分にとっては、たしかにパソコンが少しわかったし、時折投げ出したくなったりしながらも、なんとか長く続いたことで自分のこの10年間の生活記録にはなったような気がする。これからどうなるか分らないが、なんとなくこのまま続けられたらいいなと思っている。
 しかし、このごろのITの進化の速さと、わが能力の差は開くばかりだと痛感しているのでHp自体が、良くなることは望むべくもないなとしみじみ思う。
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IT格差 [PC]

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 昔平成7,8年ごろ、自分が勤めていた会社でも仕事にパソコンが使われ始めた。業種間、会社間でもその導入時期や導入スピードは当然異なる。同じ会社のなかでもすぐ飛びつくタイプとそうでない人、すぐ、マシーンマニアまでいくひと、いろんなソフトを漁り始める者、これまた多様であった。
 同じ若い人でも関心度は大きな差がある。まして頭の固くなっている部長クラス以上は、静かに見ている方が多く、使ってみようとするものは少数派だったように思う。

 ユビキタスとか言ってこれだけITが職場に普及した今日では、どうなのだろうか。なじめなくて取り残されているビジネスマンはいないのだろうかと心配になる。

 グローバル化が進み、規制緩和などいくつかの箍の外れた結果として発生している最近のあらゆる場での格差は大きくなるばかりで、こんなIT格差などより論ずべき格差はほかににも山ほどある。それも深刻なものばかりだ。
 しかし、長い目でみればこのIT格差はボディブローのようにビジネスに、経済にひいては社会全体にに影響していくような気がする。
 ITといっても所詮いまのところはツールに過ぎないのだが、これは今後どう進化するのか全く分からぬしろものである。どんな展開になるにせよ、最終的には、個人のIT能力にかかることになろう。格差を広げず均質な社会全体のIT能力の向上が必須要件であり、小さいときからのITリテラシー教育がますます重要な時代に入りつつあるように思える。
 老人のIT格差は、ご愛嬌以外の何物でもなく、もはやどうでもよいことではあるが。
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ネットショッピング [PC]


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 一名、巣ごもり買い物ともいうとか。
 これが、現れたのは何時頃だったのか、もうかなりの時が経つ。
昔からカタログ通販というのがあったが、最近ネット通販に駆逐されているのか、あの分厚いカタログをあまり見ない。
 相対の買い物やセルフショッピングでも必ず人がいてお金と品物のやりとりがあるが、これにはない。
 煩わしくないが、何となくわびしい気もする。

 しかし、最近のネットショッピングの進化は著しい。その売上高も相当なものになっているのではないか。
 店まで出かける面倒と交通費がかからぬ。とくに今年のような暑い日が続くと年寄りにはありがたい。買うものが重くて運ぶのが大変なもの、我が家でいえば、小麦粉などパンの材料とかを買うのには助かる。
 品物が豊富なのと欲しいものを見つける絞り込みが容易になっている。しかも、CPのソフト、音楽や書籍のダウンロード購入もあってますます便利になる。
 さらに、購入価格の比較サイトがあるのが消費者にはありがたい。
 決済も多様な選択ができる。とくにコンビニでの決済が便利だ。宅急便のおかげで配達も早い。 
 どういう仕掛けになっているのか定かでないが、送料無料あるいは一定金額以上は無料というのが助かる。
 一体このコストはどういうスキームで誰が負担しているのか怪しむ。

 本、コンビニ商品、PC用消耗品、画材などいく種類かのサイトをブックマークに入れているが、ユーザーIDと
パスワードの管理が大変。また、いらないものを注文してしまったりして、返品の必要が生じたときのトラブルが面倒という、デメリットもある。が、やはり最大の難点は、売り手と買い手の何とも言えぬやりとりの楽しみがないことだろう。ひとつおまけとか、ダンピングとかがない。

 ショッピングによる気分転換や衝動買いの楽しみなどは無いけれど、買う品ものによっては、忙しい人や年寄りにとって、これからもありがたいものになっていくに違いない。

 きっと、このネットショッピングはもう後戻りすることは無いだろうと、しみじみ思う。
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ITはしみじみ生活の敵か味方か? [PC]

いうまでもなく、仕事を持っている人には、ITは強力な味方である。
  英語能力もだが、リテラシー能力が有ると無しでは仕事の質と量に雲泥の差が生ずるだろうということは、いま、ビジネスに携わっていなくとも、容易に想像できる。
 むかしは、たとえば、ものを企画するのにもデータ集めやそれをスタッフが共有するためにどれほどの時間と労力を取られたかを考えればすぐにわかろうというもの。
 ときどきかたくなに万年筆と原稿用紙でないとね、とか言うひとがおられる。もちろん気持ちも分るが、失っているものも多いのになぁ、と思う。

 さて、iPadにかかわっているととめどがなくなる。
iPadを例にあげたが、他意はない。PCはと言い換えても良い。次々と先へ先へと進む。その原動力は「欲望」。 もともとITの進化の原動力は、効率化という欲望なのだから仕方ないという気もする。
 何か先に楽しいものは無いかより効率的なものは無いかと探すのだ。
 しかもITの進化が速すぎるうえIT能力がないので、前へ進まずぐるぐる回っていることが多い。

 この間、「しみじみ」は吹っ飛ぶ。
 しみじみは自然の中でさわやかな風を頬に受けながら、海、山や星空を眺めて樹木、花と対話してより深く味わうことのできる感覚である。そして一方で大事なのは、人とのつながりであろう。 あわただしいコンクリートの都市生活では、なかなか味わえない世界なのである。

 ましてや、PCにかまけているとそれは遠ざかって行くように思える。
 iPadでクラシック音楽を聴き、著作権の切れた古典に類する本をせいぜい読んでしみじみしなければと思うが、そこに至るまでが一苦労である。
 敵としてでなく上手に使いたいとしみじみ思うが、いまのところ、まだ残念ながら味方につけるところまでいっていないのが情けない。
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万年筆とワープロ [PC]

 
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万年筆で書く文章とパソコンのキイで書く文章では、出来あがるものが違うのではないか、と時々思う。

 作家で万年筆でないとよう書けないという人がいるのは、ペンで書きながら考え、考えながら文章を作っているのだろう。挿入や削除などをペン先でしながら脳が動き、文章を練り上げるのだ。カット、コピーしてペーストするワープロでもやることはまったく同じだが、ペンと指先と紙による共同作業は脳に独特の刺激を与えるのに違いない。この場合指先も重要な働きをしているのだろう。ペンが走っているリズムが、出来あがる文章に影響を与えずにおかないのはそのせいだ。かくてその作家独特の文体が出来上がるのだ。

 ワープロでも同じことだが、間というか、入力のリズムと脳の働き具合というか、それはきっと万年筆の場合と違うだろうと思う。もちろんどちらが良いということでなく、人によるのだろう。

 さて、同じワープロ入力でも、ブラインドタッチで入力するのと一本指で入力するのでは、頭に浮かぶ次の文章がおのずから違ってくるように思う。ローマ字入力と日本語直接入力でも微妙な違いがあるような気がする。英語の場合はタイプライターを使っていたころもそうだろうが、話すように文章化しているに違いないので途中でやめて文章を考えるということは少ないのだろうか。入力が単純だから、日本語の文章作成とまた違ったものがあるかも知れぬ。

 英語で考えるのと日本語で考えるのでは違うのと同じように、ペンで文章を書くのとワープロで打つのでは違うようだが、自分はこのごろペンで文章を書くのは、面倒である。
 ワープロの方が慣れると楽だ。そのせいで考えが浅く出来あがる文章も面白くないのかも知れないとこの頃思いはじめた。おのずと文章も平板になっている。かといって今から万年筆で原稿用紙に戻るのは億劫である。

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自炊 [PC]

 
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今年の9月、わがHPは開設10周年となった。その記念に掲載した俳句、短歌、川柳、連句、エッセイをそれぞれに雑文をつけ本を4冊作った。俳句は、「俳句帖はっくしょん」、短歌と川柳はまとめて「腰折れかわやなぎ」、連句は「連句帖ほんのいっときの愉しみ」、エッセイは「風」と題した。それぞれを一冊ずつだけ自分のために製本して、天上天下唯我読本だと洒落た。

 7月にiPadを買ったときから、なんとかこれを電子本として取り込めないものかと考えていたが、試行錯誤を繰り返したうえ、ついに先日やっと実現した。

 本を電子書籍化するのには、裁断機で本をばらし、スキャナーで取り込むのだがそれを「自炊」と言うそうだ。あまり、的確なネーミングとも思えないが、流行語になっているとか。これをするには多額の投資がいる。裁断機もスキャナーも高価なのである。一冊だけのためにそんなことをするつもりはない。加えてせっかくの本をギロチンのようなものでバッサリ裁断するのはあまり感心しない。

 本はワードで作っているのでPDFファイルにしてアプリのDropBoxを使いGoodReader、Cloudreaders,i文庫HDなどで読めるようにした。自分にはめくる感じや扱いは、i文庫HDが一番具合が良く気に入っている。
 調子に乗って5冊目の水彩画集を作り楽しんでいる。e個展と称してもう一つのサイトをつくり、水彩画をアップロードしているのだが、これがアッパーの10MBに届きそうなのである。
 そこで古い順から取り外すことにして記録のために本の形式にしたのをiPadに取り込み残すことにしたのだ。今回のは、印刷と製本の過程が無い。いよいよペーパーレスだ。

 電子書籍のようなものを自分で作ってみて、電子書籍というのは今後色々な可能性を秘めているのではないかとしみじみ思う。なにしろ、小さなタブレットに収納できるデータの量が凄いことを体感した。

タグ:Dropbox
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お絵描きソフト・指で描く絵 [PC]

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 パソコンソフトにはゲームのほかにペイントというおまけソフトがプリインストールされていることが多い。
 誰でも最初いたずら描きをしてすぐ忘れるものだが。
 まさにアクセサリーである。

 お絵かきソフトはほかにもいろいろ売られているが、マウスで画を書くのはなかなかどうしてうまくいかない。
 できても、せいぜい年賀状どまりである。
 フォトショップやコーレルなどプロは上手に使いこなすのだろうが素人、まして老人には操作が複雑で重すぎる。
 3年ほど前にワコムのインティオス3というペンタブレットを買い求めた。ソフトはコーレルペインターエッセンシャル3である。なるほどマウスで描くよりはペンなので、少し具合が良いがそれでもなかなか使いこなせず今は放りだして使っていない。

 しかし、パソコンのお絵かきソフトはデジカメ写真を使って、色々加工して楽しむには適している。
 紙に描いた絵を写真に撮り、加工すると元の絵とは全く別の絵が出来たりして面白い。

 最近はPCから送った絵や写真などをもとにiPadで指を使って絵を描くソフト・アプリを愉しんでいる。
 これは、人の指の感触と動きの特徴をうまくとらえており、なかなかのスグレモノである。

色は透明、不透明を調整できるし、ぼかし、にじみなども選択可能、鉛筆、筆、の感触も硬軟多彩である。
 書き直し、やり直しもほぼ無制限に出来る。まだ使いこなせないで苦しんでいるが、レイヤーもある。
 筆・ブラッシュの種類も豊富、線の太さも自在だ。何より文字、テキストも簡単に入るのが楽しい。

 スタイラスペンを使うと細い線も描けるというので欲しいと思っているが、まだ入手していない。さらに筆圧が変えられたら最高だろう。

 パソコンに同期してピクチャーギャラリーに保存もできる。メールでエヴァノートに送信したり、ブログ、ツイッターにも利用できるようになっていて至れり尽くせりである。

 なにより、年寄りには指だけ動かせばよいので、絵具や紙を用意したり、水を使ったり材料を準備をしたりしなくて済むのが良い。手も汚れない。この技術はこれから更に進歩するような気がする。

いまのところ紙に描いたクロッキーにソフトで彩色をして愉しんでいるが、ほかにも何か良い遊び方があるような気がする。
 例えば外に持ち出し、スケッチに使ってみるとか。誰か面白い使い方を教えてくれる人がいるとありがたいのだが。

 鉛筆画、油彩、水彩画のほかエッチング、版画とも違った新しいジャンルの絵になり得るのかどうか知らないが、何となく可能性を想像したりして楽しくなる。

 これで遊んでいると、最近のテレビや映画におけるコンピーターグラフィックの進歩が実感できる。あれが出来るまでには、膨大な作業が必要なのだろうがCGと映画の映像をマッチさせリアリティーのあるどんなシーンでも作り出せるのだ。
これからは、アニメの進化と3D技術の進歩がこれに加わり、これまでにない映像を楽しめることになる。

 しかしながら、面白いことにお絵かきソフトでいたずらしていながら、一方であらためて本物の水彩画や油彩をみるとやはりこれは好いものだと再認識する。新しい技術の到来も凄いが、何千年と続いてきた人間の手で描く絵の魅力の強さにもしみじみと思いを馳せているこの頃である。


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ブログ製本 [PC]

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平成22年、HPに掲載してきた俳句、連句、短歌、川柳、エッセイなど( みんな「・・・もどき」 であるが) を材料にして、天上天下唯我独本と洒落れ、自分だけのこの世に一冊だけしかない究極の愛蔵本を4冊作った。それぞれ「 俳句帖 はっくしょん」 、「 連句帖 ほんのいっときの愉しみ」、「腰折れ川柳」、「 エッセイ・風」 と題した。

この経験を活かし昨年、平成23年1月から3月にかけて、このブログ「 しみじみ e 生活」をワードを使い本を作ろうと思い立った。
添付した絵や写真映像もそのまま入れ、まずPDF化して電子書籍をつくる。このとき文章や見出し、絵、画像の配置をどうするかを考えるところが一番面白い。推敲アプリでじっくり推敲を重ねる。この作業はPCでなくiPadだから電車内でも、寝転びながらでも出来るので助かる。
見出しと題名はゴシック体、文章は明朝体が良いと元出版社勤務の経験のある息子が教えてくれた。その通りにしたら何やら様になってきたような気がする。目次、奥付けも付ける。出版社名は、前回に同じく杜白書房。著者略歴も「東京市向島区生れ、サラリーマンを経て現在無職、xx区在住」とだけ入れた。乱丁乱本はお取り替え致し兼ねます、とも。
用紙はA5版、マット紙。70記事がそれぞれ57ページと59ページの2分冊となった。
さて、印刷が大変。時間がかかるのと両面印刷なのでうっかりすると奇数、偶数ページにチェックを入れ忘れたりして、しくじりおしゃかができるのが辛い。プリンタのインクが紙面に汚れをつけるのでヘッドクリーニングが欠かせない。さくさくと印刷が進むとまことに気分がよい。プリンタの良いのがつくづく欲しくなった。 印刷部数は自分用なので一冊のみ。自分だけが読むのだから電子書籍があれば事足りるのであるが、本にして手にとって見たいと思うのはアナログ人間の証拠か。ずっしりと手に重い本には何とも言えない趣き、味がある。 丸善の製本キットを買って来て製本する。表紙、裏表紙、背表紙は写真用光沢紙を奮発し装幀の真似事を楽しんだ。

大地震と大津波が来たのは最後の70番目の記事を書いてアップロードした直後だった。1分冊目はもう出来ていて2分冊目は地震のあとに作業をした。大震災と原発事故のあとに世の中が大きく変わるだろうと誰もが感じたのではないか。自分も「しみじみ e 生活」というのがなんとなくしっくりこなくなっていた。製本は良い区切りになるだろうと思った。ブログを始めたとき、しみじみ e 生活を妨げるものそれは「戦争」と「病」と書き、「天災」ましてそれに伴う原発事故とは書かなかったことを羞じた。そんなこともあって、出来上がったブログ本もあまり読まず放って置いたが、また最近取り出して眺めている。
本の出来は、決して立派なものとは言えないが一人用としては十分なものだろう。業者に依頼すればもっときれいに製本してくれるに違いない。

ところで、自分で本を作ってみると世に溢れている本が如何に良く出来ているかがよくわかった。図書館で本を借りてきても本を読む楽しみだけでなく、製本、装幀の出来具合いを見る楽しみが加わった。実に丁寧に作られている本も多い。
世に愛蔵版、愛蔵本という言葉があるが、自分のものとして大事に持っていたいという気持ちが良くわかる。本はそれだけ魅力的なものだ。
いま、また次の天上天下唯我独本を作りたいと計画している。

はじめてパソコンを買った頃の話 [PC]

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PCを最初に買ったのは1996年(平成8年)、大阪で勤務していたときで56歳であった。機種はノート型で「アキア」、OSはWinndows95である。すでに仕事は事務担当から離れていたが、興味はパーソナルな機器としてどこまで仕事に使えるようになるかということにあった。自分で買えば、いやになってもすぐに投げ出したりしないだろうという思惑もあった。
早くからPCに興味を持ち、購入して活用していた若い同僚の一人に相談すると、今買うならNEC、東芝FMV、もしくはアキアと教えてくれた。アキアは当時工場を持たず「アッセンブリー組み立て」をするベンチャー企業の話題の製品であった。何故、自分がその時アキアを選んだのかは覚えていない。

当時NECのPC-9821シリーズ(1992年から)、東芝のPC/AT互換機FMV(1993年から)など次々と新製品が発売されていた。新聞やTVのニュース番組で大きく取り上げられたので新規のパソコンユーザーが急増した時だった。大阪にも専門の量販店が出現していた。
1991年にWindows 3.0が発売され、Windows 95の発売が開始されたのは1995年だから、わがはじめてのPCのOSは発売されて間もない製品だったことになる。

CPは歴史的にみると、先進国アメリカで1970年代に個人で使える情報処理装置としてIBM やヒューレット・パッカードから卓上型のコンピューターが発売されていたが、高価で個人はもちろん大企業でも限られた部門で購入できたに過ぎなかった。
アップルコンピュータを興した、かの高名なスティーブ・ジョブズが1976年に、ワンボードマイコンのAppleを発売 、大成功して同社の今日の基礎を作った。同時に米国をはじめとして、パーソナルコンピューターの普及を急速に進めた。
1990年代にはパーソナルコンピュータのネットワーク機能が充実し、フル機能のUNIXが登場するようになってワークステーションとパーソナルコンピュータの違いは小さくなっていた。

翻って我が国では、1981年に日本製初の16ビットパソコンが三菱電機から発表されるが、コンシューマー向けに意図されたものではなく、一般にはほとんど普及することはなかった。
この頃、パーソナル・コンピュータは略称で「パソコン」と呼ばれるようになる。「オフコン」、「ファミコン」は、死語になりつつあるが「パソコン」はその後、一般的な代名詞になり、今でもそのまま使用されているのは「パーソナル」が定着した証左であろう。

上記の通り、わが国で個人向けPCが普及し始めたのは、1990年代以降である。企業では大型CPUからダウンサイジングへの流れの変化の時期と期をいつにしていたと思う。それは仕事で一時大型コンピューターを中心とするコンピューターセンター、バックアップセンター建設に関わる仕事をした経験からくる自分の実感である。CPUの大型化かダウンサイジングを配慮すべきかの議論をした覚えがある。

マイPCをはじめて購入した1996年は、一般的に言って早かった方でもないが、、多くの企業でも一人一台とまで普及していない時期だから、それほど遅かったわけでもない。
この頃のPCは、MSオフィスプロをインストールして主にワードプロセッサ、表計算ソフト、データベースなどのいわゆる「オフィスアプリケーションを利用するツール」として普及しつつあった。

メールやインターネットのほかは、仕事に役立ちそうな面白いアプリケーションソフトの情報交換を若い同僚たちとしてPCに馴染もうとした。しかし、残念ながら頭が既に固くなってきていることは歴然とした事実で、ソフト、ハードともに、若い人について行くのは大変になってきていたことも、しばしば思い知らされた。頭はまだまだ柔らかいと強がりを言っていたが、事実は事実として認めざるを得ない。

その後、わがアキアが期待に反しすぐ壊れ、携帯型を含めてバイオノートを3台潰し、いまは東芝のダイナブックを5台目の愛機としている。OSはWindows Vista、7は評判必ずしも良くはないのでグレードアップを控えている。98からXPなどを飛ばしてVistaになったのは、ながいこと98に振り回されたことを物語っている。この間なんと16年が経過したことになる。
最初に相談した若い同僚には、平成12年のリタイア後もいろいろ教えて貰い大いに感謝している。しかし、自分の場合は側に息子がいて、助けてくれたことが長く続いた最大の理由だ。
セキュリティやバックアップ、最近ではWiFi接続、アプリケーションソフトのフォトショップなどの使い方に至るまで、タオルを投げて救って貰ったことは数度どころではない。多分そばにすぐ聞ける人がいなければ意志薄弱の徒は挫折必至、PCをとうに投げ出していただろうことは明らかである。

初めてPCを買った頃を思い出し、ながなが「マイPC16年史」を辿ったのは、古希を過ぎたる自分の年齢層でPCを玩具にしているのは、たぶん少数派ではないかと思うのであるが、これからの高齢化社会ではPCのはたす役割は、老人にとっても大きいのではないか、という点に興味があるからだ。

当時の自分も、面倒だし、道具と考えればなにも自分が操作しなくともという気もしたから、多分同世代の皆んなもだいたい同じ考えだったのではないかと思う。ゴルフを楽しんだ方がよほどましだ、と考えた年齢である。勿論なかには例外もいただろうが、これもハード好きなどマニアックな一握りだったに違いない。
だから同世代のリタイア組に聞いてみれば、PCなどよりもゴルフ、農業、読書、海外旅行などを老後の楽しみにあげる人の方が圧倒的に多い。
「PC?、あれはむやみと時間をとられる。眼も疲れる、運動不足にもなる、第一ハード、ソフトとも進歩が速すぎて利用が追いつかないだろう?、年寄りの冷や水だね、敬遠にしかずだ」という人の方が多いのである。
自分は今、PCで遊んでいるだけだから、偉そうなことは言えないが、たしかにPCの恐るべき能力のほんの一部を使用しているだけであろうということは実感している。また眼も疲れるなどいちいちその通りではある。

今思うと自分がPC嫌いにならず、曲がりなりにも楽しんでいる一番大きな理由は、最初にa、s、d、f…とブラインドタッチの練習をしたことによるような気がする。これは前にも何処かで書いたような気もするが、これから始めてみようかと思っている高齢者もいるだろうから、その参考になるやも知れぬのでまた書く。
あれをしなければ今頃「PCなど時間ばかりとられ、やるのはアホだ」などと嘯く側にいただろうという確信のようなものがある。
むろんiPadで証明されるように、いまや一本指でも十分であり、ブラインドタッチの必要性は限りなく小さくなっているから状況は一変しているが。

さて、いまは1年9ヶ月前にiPadを買い、CPとセットで遊んでいる。おかげで退屈ということがない。尤もやっていることと言えば、ホームページとブログと習っている水彩画を描いている途中のものを含めて写真に撮り、絵の出来具合を見たりするくらいのもので文字通り趣味の域を出ない。ネットショップ、e-Tax、電子書籍(製本)などにも時折り使っているが、まだまだ近年のPC技術の進歩を考えれば、勿体無いような使い方であろう。

しかし、自分より10歳くらい下、その前後の人たち、つまり団塊の世代で、まさに今定年世代真っ只中である人たちにとっては、これらの事情がおおいに異なるだろうと容易に推察できる。
団塊高齢者群はPCを持って、老後の生活に入ると云っても差し支えない。多分それはわが国でも、「高齢化社会における新しい時代の未知の経験」に違いない。趣味に生きようとする者、社会活動に進もうとする人も、第二の職場で活躍する人も皆等しく事情は同じだろう。
現役の時に散々苦労したからこの際さっぱりと、ITもPCも捨てて新生活に入るという人もいるだろうが、好むと好まざるとにかかわらず、多くの人はCPを抱えて新しい第二の人生を歩み始めるのではないかと想像する。

これからの人間(とくに老人)と機械(とくに情報機器)の接点となるインターフェイスの技術の急速な進歩は、新時代の老人のPC活用、駆使におおいに寄与するに違いない。
老人でも使いやすいiPadの出現は(オールド)マン・マシーン・インターフェイス進歩の良い一例であると思う。軽い、画面(字)が大きく鮮やか、起動が速い、寝転がっても操作可能等々の扱い易さである。これで眼が疲れなければもっと良いのだが。
iPadに限らず携帯型情報端末機、スマートフォンの進化もあり、老人であっても仕事に、趣味に、社会活動にその活用の場は広範囲にあり、それが活躍するシーンはこれからも増え続けるだろう。

わが国のメーカーはこのことをもっと重要視すべきである。米国などに遅れをとったと思うのは自分だけではなかろう。パソコンと情報端末の分離、つまり老人はパソコンは持たず専門家に委ね、基地として利用出来るようにするなどの新しい発想も必要ではないか。いまのクラウド、セキュリティ技術をもってすれば実現可能性ありと思う。PC不要は老人には朗報だ。
またわがささやかな経験からすると、老人向けのお助けマン、ヘルプデスクが気軽に利用出来る仕組み、操作や活用法のついてのラーニングというか研修システム、そういったものがあると助かる。そのための若いボランティアの組織化なども即効性があり役に立ちそうだ。

こういうサポートのシステム化は行政のなすべきことかもしれぬが、行政は増え続ける介護の仕事で手一杯 なのである。噫。

ジィブロ [PC]

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ブログ(blog)は、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と呼ばれて、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになったという。
ブログは2002年(平成14年)頃から急速に普及し、2006年(平成18年)3月末の時点においては日本国内でのブログ利用者数が2,539万人に達していることが総務省から発表された。また、2005年(平成17年)から翌年にかけての利用者数の増加が特に顕著であり、この間に2倍以上に増加したことによって2,000万人を超えたという調査報道もあるという。

まさにブログは浜の真砂のようにあって、なお日々増殖している感がある。これだけ増えるのには理由があるのだろうが、その理由は一つや二つではなかろう。また、一過性のものか今後も増え続けるのか予想も難しそうだ。

自分がふと思い立って、ブログを始めたのは平成20年7月である。ブログテーマを日記、雑感として「しみじみ e 生活」と題した。しみじみしたいい生活をおくりたいというのが夢なのである。
始めた時の齢(よわい)68歳、ジィブロ(爺blog)である。はたから見れば、いい歳をして、年甲斐も無くというところであろう。ブロガー名Simizimi-ziと自称している。
途中体調を崩し1年4ヶ月休んで再開、実質2年半弱で記事数は24年4月12日現在106になった。
シニアブログなど物好きなと言われそうだが、流石に、その後流行り出したTwitterやFacebookなどには、まだ手を染めていない。

ジィブロがあればバァブロもあって良い道理だが彼女等は、役にも立たぬ無駄なことはまずやらない。時間の浪費と断じているのであろう。ジィブロも多くは無いだろうが、こちらはとんとお目にかからぬ。あるいは自分が知らないだけ、実は沢山あるのかもしれないが。
魅力的な随筆をものす女流エッセイストは多いのに、少ないとすれば不思議だ。以下に説明する「ブログは随筆に似ている」とするわが説が少し怪しくなる。

ブログは何に似ているかと言えば、人によって答えは異なるだろうがやはり随筆、エッセイのような気がする。これは自分でやってみての実感でもある。政治家や人気稼業の芸能人のブログのように自己主張やファンサービスなどちゃんとした目的があるものは別としてだが、カテゴリーが雑感、随想ともなればどうしても随筆風となる。他の人のブログは殆んど見ないが、時々検索などしていて目に入るものを読んでも随筆に近いものが多いような気がする。
また、寺田寅彦や内田百間など好きで良く随筆を読むが、あ、これブログ風だなと思ったりすることも多い。

あるブログを見ていたら、震災後の日本のことをオーストラリア国立大学の某教授が次のように言っていた、と書いていた。
「あの悲劇のあと、日本が“不死鳥”のように甦るのではないか、と言う意見と、これで日本は壊滅的な打撃を受けて立ち直れないのではないか、という2つの意見があった。私は、そのどちらも極端な意見だと思う。
日本という国は、文学のジャンルで日本人がもっとも得意とする「随筆」のような国ではないか。筆の赴くままに、方向感なく・ランダムに、具体性を欠き、何を書きたいかのメッセージがあまり明確でない、―それをよしとする国ではないだろうか--」
某教授が言いたい本論ではなく本論に入る前の導入部の言であるが、後段の「日本という国は--随筆のような国」以下に瞠目した。
日本人は文学でいえば小説、詩などは得意ではない、とした上でもっとも得意なのは随筆であるが、日本はその随筆のような国である。その随筆とは「筆の赴くままに、方向感なく・ランダムに、具体性を欠き、何を書きたいかのメッセージがあまり明確でない」ものだという。
随筆だから「方向感なく・ランダム」なのは止むを得ないが、随筆だとて「具体性を欠き、何を書きたいかのメッセージがあまり明確でない」ものばかりとも言えまい。
方向感があり、具体的かつ明確なメッセージを持つ小説や詩のような国というのは某教授のオーストラリアあるいはアメリカ、フランス、中国のような国を思い浮かべれば良いのだろうかなどと皮肉の一つも言いたくなる。

いずれにしてもあまり良い喩えではないような気がするが、基本的に随筆が小説や詩などより軽くて価値が小さいというのが、先にあるのは如何なものかと思う。
随筆にも人の心をうつものがある。小説や詩が随筆より優れていると決めつけるのは偏見というものであろう。
ブログは色々あってむろんすべて随筆そのものではないが、その随想や雑感が人の心を打つこともあると信じたいものである。文学とは、辞書によれば「思想や感情を言語で表した芸術作品、詩歌、小説、戯曲、随筆、評論など 」とある。
などの中にブログをいれるのは、言語による「芸術作品」とあるからしてやや気も引けるけれども、人の心に響くものという意味では小説も詩も随筆もそしてブログも変わりはないと思いたいものだ。

さて、我がブログは自分で製本してゆっくりと、読み返して見ると確かに「何を書きたいかのメッセージがあまり明確でない」傾向があるのは否めぬようだ。文字通り気儘な雑感、随想だから人の心に響くようなものをなどと、だいそれたことは微塵も考えていないけれど、少なくとも「随筆風」を目指すからには心しなければならないことである。

コピペカッペ・ゴールドフィンガー [PC]


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PCを駆使している若い人には、いまさらと笑れそうだが、かねてからパソコンソフトの基本的な機能のひとつのコピー(カット)アンドペイストに感心してきた。
略して「コピペ」「カッペ」、カッペ略の方は余り使わないようだが。

自分は、理屈もよく分からず使っているPCの機能が沢山あるが、これもその一つである。
範囲を選びコピーしてクリップボードにいったん移動し、別のところに貼り付けるのだが、マウス、スタイラスペン、最近はタッチパネルで指でも操作できるようになって、何の不思議もなく活用されている。
周知のように、クリップボードは一時的にデータを保存できる共有のメモリ領域のことで、複数の異なるプログラムからアクセス可能だから、ひとつのアプリケーションだけでなく異なったアプリケーション間のデータの受け渡しにも、使用出来る機能をもった優れものである。コピペはこれを利用しているという。

コピペは、GUIシステム 、つまりグラフィカルユーザインタフェース と言うそうだが、タッチパネルのiPhoneやiPadではいまや指が主役である。操作性もマウスクリックに劣らず快適だ。

タップ、ドラッグ、フリック、ピンチイン、ピンチアウトつまり「なでる」「たたく」「はじく」「つまむ」でたいていのことが出来てしまう。まさにゴールドフィンガーだ。
しかし、老人には2本指まで、三本使えと言われるともうきつい。

指はもともと繊細で敏感なもの。職人や音楽家のゆび捌きを見れば歴然としている。

馴れれば、範囲指定も比較的容易である。コピーかカットかも聞いてきてくれるので老人には有難い。移動したい範囲を目で見て、指で選び、移動したい先の選定も指で触ればカーソルが示されて「ペースト」の文字が出てくるので間違える心配はない。感覚的、直感的に操作できるから、便利この上もない。文字だけでなく画像も同じなので、すこぶる結構な機能である。

文章の推敲などに使っているが、何と言ってもデータの移動、保存には威力を発揮する。例えば作ったドキュメントをエヴァーノートにコピペし、同期してPCに移して保存する時などである。この時「全選択」というのが出来るのが凄い。量、スピードとも呆れるばかりだ。
時々、範囲指定する時に間違ってペーストを押し、前にコピーしていたものが突然貼り付けられて仰天したりすることもないではないが、今まではご愛嬌のうちで済んでいる。

最近雑談していて、PCをあまり扱ったことのない80歳前後の人から、PCで何が便利かと聞かれたことがある。
色々あるけれど、アナログ人間にはインターネットの検索機能とこのコピペ機能ですねと答えた。その結果口頭で使い方を説明するはめになり、試みたが、二つともどうしても分かって貰えなかった。聞く側が悪いのでなく、説明側が言葉だけでは上手に説明出来なかったのである。

その時、PCのユーザーインターフェースというのは、PCをまったく知らない人にも説明も無しに使って貰えないと駄目だとつくづく思った。
携帯電話などはその典型だが、IC家電、IC自動車なども目指すところはそこであろう。見ただけで、直感で、感覚で操作がわかる。これが理想だ。特に老人に理屈を言ってもマニュアルを示しても無駄である。
その点iPadもそうだが分厚いユーザーズガイドが付いていないのは正解である。

それにしてもiPadは、マウスを捨て、よくも指に着目したものだと感心せざるを得ない。指先の器用な日本人やヴェトナム人は、何故これに気づかなかったのか考えてみる必要がありそうだ。
買った時から、iPadもPC不要ならもっと良いのだがと思っていたが、どうやらそれも考えているようだ。結構なことである。素人考えでもiCloudを活用すれば、いくつかの問題も解決できそうに思う。頑張れアップル。PCが売れないと困るなどと言ってはいけない。

iPadになぜ人は惹きつけられるのか、人間の指は脳と密接な関係がある。指と言わず人間の身体は脳が命令して動くのだから、PCが脳と同じ機能・システムを持つとすれば、マシーンインターフェースを考える時、脳と身体の関係を研究するのは初歩的なことなのであろう。

どうもiPadはそれを十分承知して、先をみて開発しているのではないかと素人でも思う。

自分がiPadを愛好する理由は、液晶が綺麗、画面が大きい、字が大きく出来る、など沢山あるが、操作が簡単ということもあるから、きっと人間工学研究が製品開発のベースにあるに違いない。

日本のメーカーも日本人得意の分野である。もっと頑張れと言いたい。

人間が老人になり、脳梗塞など脳が機能を低下すれば、身体、なかでも指などはうまく使えなくなる。脳が弱り、指が思うように使えなくても、音声、呼吸、まばたきなどで意思表示や文章活動が出来ることまで研究してくれると有難いのだが。この領域はもう医療の領域だが、別のところでもう研究されているだろう。
前から思っているのだが、オールドマン・マシーンインターフェースの進歩は、娯楽や生活の便宜だけでなく、老人医療分野でも役大いに役立ちそうな気がする。

今は幸いiPadくらいは操作できるので、文字通り手遊び、指遊びでコピペ・カッペを愉しんでいるが、老人はいつ指が使えなくなるかも分からない。
白洲正子風に言えば、「老人は危うきに遊んでいる」のだなとしみじみと思う。

やつあたりプリンター [PC]


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プリンターは、便利であるが、なかなか厄介な機器だ。

はじめてのパーソナルプリンターは、まだ会社勤めの頃で、ヒューレットパッカード社の製品だった。
主として、はがき、手紙類とくに年賀状、写真印刷などのために使う程度であり、どうしても無ければ困るというほどの物ではないが、面白いおもちゃの感覚で買ったようなものである。だがすぐに具合が悪くなって買い換えることになった。
まことにむだな話だ。だが購入時にキャンペーン応募葉書を出し、そのことをすっかり忘れていたが、ある時大きい荷物が家に届いてびっくりした。なんと「当選発表は発送をもって代えます」というやつで、懸賞の何等かに抽選で当選したのである。賞品はシマノのマウンテンバイク2台。暫く楽しんで使った。
昔、釣りをしていた頃このメーカーのリールを愛用していたが自転車メーカーでもあったとは知らなかった。
プリンターは、すぐに壊れたが代わりにマウンテンバイクで家人とふたり楽しんだから、HP社製品の悪口はあまり言っていない。

2台目は国産品。これも購入したはなから印刷汚れがひどくて、往生した挙句修理に出す。保証期間中なので修理は無料であったが、手続きやら荷作りやら時間と手間がかかりうんざりである。
修理した後も、印刷前に何度か ノズルチェック をしないと、すぐ黒いインク汚れがついたり細い線が何本も入ったりする。
リタイアしてから水彩画を始めたので、絵を撮影し画集やポストカードを作ったりする。これまでよりプリンターの使用頻度が高まったが、用紙は巻き込むし、PCドライバソフトウェアとの折り合いも悪くしょっちゅう再インストールしないと、動かなくなる。昔のようにインストールにCDこそ不要になったものの面倒なことには変わりない。
お助けマン、ヘルプデスクに何回も電話しては対処方法を聞く、これも大変。電話が離れたところにあるので携帯電話料金も嵩む。
最近は、製本を始めたが、両面印刷が出来ないので奇数、偶数ページと分けて印刷することになる。老化により頭が悪くなっているため、いきおい失敗が多くお釈迦が出ては、沢山用紙を無駄にする。戦前生まれには、紙も勿体ない。

業を煮やして買い換えることにした。散々迷った結果、同じメーカーのものに決める。機種選択の決め手は、使い慣れたものの方が楽だという情けなさ。何の事はない老化による後ろ向きな意思決定である。新しいものに挑戦する元気が失せてきたのだろうか。
さて、買い換えを決めたが、買ったインクがたくさん残っていて勿体ない。使っているうちに印刷途中でインクが切れ、また買う。こんなことを繰り返していては埒があかないので、まだインクがあって使えるのに、新機種購入すべく新宿の量販店へ出かけた。我ながらバカな話だ。
単機能スキャナーが壊れたこと、コンビニへコピーしに行くのが億劫だとかの口実をつけ、自らの背中を押したのだが、最近のプリンター機能がよくなっていて、さくさくと印刷が出来るだろうという期待が最大の理由だった。

FAXは電話についているので、コピー、スキャナー機能付き無線LAN搭載機を買うことにした。保証期間を5年に延長した。5年も持つだろうかという気もするのだが。我や先プリンターや先。唖々。

両面印刷機能が出来るアタッチメントも、この際奮発して追加購入。
iPadのアプリを使っても印刷可能なのはありがたい。また、PCとの間のコードレスも机が少しはすっきりしてすこぶる結構である。

しかし、使ってみるとまだ黒いインクしみがつく。ペーパートレイも貧弱で、操作中壊れそうなくらい華奢。用紙を変えるときも、怖いくらいである。何やら長持ちしそうもない予感がする。
両面印刷も途中でやめられないなど、まだまだ十分とは言えない。
また、インクも相変わらず高価である。インクこそがメーカーとしては、プリンター部門の収益の柱のひとつと聞いたことがあるが、さもあろうという値段である。競合商品は印刷の質を落とし、機器の寿命にも影響するとかで買えない。まさか意図的に、そうしているのではないと思うが。機器は新製品が出ると値下げがあるが、インクの値下げはないのではないかと疑う。純正品をお使いくださいというのはメーカーの常套手段だが、薬さえジェネリックの時代だ。もう少しユーザー志向にならないものか。
また、プリンターに限らないが古い機器の処分も頭が痛い。今度こそインクが終わったら不要になるので、無料にて、無料にて引き取りますと回ってくる回収業者を捕まえるつもりだが、此の頃は有料と言われることもあるので厄介だ。その時は粗大ごみで出すしかないだろう。せめて新製品を買ったら、メーカーか、量販店か知らないが古いのは引き取ってくれると良いのだが、と思うのは昨今甘い考えか。

八つ当たり的に文句をつけたけれど、家庭用プリンターは、便利で優れた楽しいPC周辺機器のひとつであるとは思うので、楽しく使えるようになることを願っているからである。しかし、まだまだ改良の余地多いにあるというのが、今回買い換えた実感である。
とくに楽しく使うためには、扱いやすさ、オールドマン・インタフェースはもっと研究されるべきだと思う。
まあ、どのメーカーであれ、ターゲットは老人でないことは先刻承知ながら、老人であっても、それが八つ当たり的であっても苦情、嘆きは宝の山 、ぼやきの中にも「売れるプリンター」開発のヒントはあると思うのだが如何だろうか。





ツイッター [PC]

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この頃ミヤコに流行るもののひとつに、ツイッターなるものがある。
140字以内でつぶやくのだそうだが、クチコミによる情報伝達の速さ、広さが話題になっている。つぶやきをフォローし、フォローされ自ずと価値観の似たもの同志、あるいは似ていないものを巻き込みグループが形成されるようだ。
 人が書いたものを読んだことはあるが、どんな仕組みなのかは具体的には知らない。

     毎年よ彼岸の入りに寒いのは

 この句は正岡子規の母上のつぶやきを子規がそのまま俳句になるとして作られた句だという。まさにつぶや句だ。ことほどさように俳句は、ツイッターには合いそうだ。なにせ、140字もいらぬ、17文字である。なかでも  小林一茶の句にはつぶや句が多いような気がする。久保田万太郎などもいいつぶやきがある。俳句はため息文学とも言われるが、つぶやき文学でもあるように見える。
 俳句だけでなく、短歌や川柳もツイッターにはなじみそうな気がする。
俳句のなかでも、「咳をしてもひとり」とか「墓の後ろへまわってみる」など、山頭火や放哉などの自由律詩はつぶやきそのものが多いのではないかと思う。

 連句などは、つぶやきに呼応してつぶやくようなもの。これもなじみそうだ。
 
 関連はあるけれど、脈絡がないと言われそうだが、某元プロ野球監督の「ぼやき」などは、「つぶやき」であろう。ツイッターに合いそうである。こちらもつぶやきといいながらも、しっかり自己主張というか、自己PRも含めて情報を発信しているところが良く似ている。これに応ずるシステムはなさそうだが。

 それにしても、携帯のメール、HPの掲示板、ブログ、ミクシィなども双方向、多方向の違いはあれど情報伝達ツールである。 考えてみれば、みなツイッターのようなものだが、この行きつく先が140字という短文のツイッターなのか、それとも、ツイッターだけは、何らかの展開可能性をもった独自の情報伝達ツールなのか。

 ひとのすなるツイッターなるものを年寄りがやったらどうなるだろうかと少し興味がある。

平成24年10月4日追記
災害時に役立ちそうと聞いて家族6人加入した。結構ツイートもフォローも難しい。若者はそうではなさそうだが。実際に災害が起きた時、携帯で操作が出来る自信はゼロ。何度か練習が必要と分かっているが、災害時に携帯電話自体使えなくなる可能性ありと聞くとその気も萎える。
やはり、平和時のソーシャルメディアだなと思う。しかし、まだ試験的につぶやいた1回だけである。やはり若者向ツールか。デモ参加の呼びかけなどでは効果ありとのことだが、不特定他者への語りかけというのは、さみしい老人たちにも馴染みそうに思う一方、まず使えこなせまいとも思う。
その点ではフェイスブックの方が良いかもしれないが、これはこれで付き合いの煩わしさがついて回るのだろう。こちらはまだ未体験なので皆目見当がつかない。


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縦書きと横書き [PC]


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 もうだいぶ前のことだが、HPに連句を掲載しようとしたとき、せっかくだから縦書きでと思った。ところが、インターネットは縦書きが出来ないとそのとき改めて思い知らされた。
 ワードなどでは、縦書きが可能なので当然ネットでも出来ると思い込んでいたのだが、甘かった。
縦書きソフトというのがあって、やっと何句かは掲載したがこれが大変な作業で面倒この上もないので、それっきりで後やめてしまった。掲載する俳句なども横書きのままである。

 インターネットエクスプローラーやサファリは、あちら側の開発になるものだから、無理もないし理系には便利なのだが、詩歌などを含めて我が国伝統の縦書き文章には、残念だがなじまないのだ。中国語も同じだろうが、決定的な不便はないと見えて改良された話は聞かない。かの国は超簡略化の漢字を多用していることにもみられるように、合理的なら新しいものを受け容れる懐の深さがあるようだ。
 インターネットの一部でもあるメールも横書き、手紙は昔から縦書きなのに文句を言う人はいない。自然と受け入れられている。不思議である。

 連句でいえば、昔は、手紙による韻文だったが、今やメール韻文というぶざま。味気ないといえば味気ない。当然ブログもツイッターも縦書きを見たことがない。

 電子書籍のビューワーなどは、縦横自在に変えられるのにインターネットだけは相変わらずである。
これは、考えようによってはたいへんなことかも知れない。どう大変なのかは分からないが。
 たとえば、インターネットに縦書き書類を保管しておいてモバイル端末に取り戻すときに上手く縦書きで取り込めることができるのだろうか。iPadで挑戦してみたが縦書きワードが横書きで戻り、挿入した絵も位置がずれて、上手くいかない。PDF文書にすれば可能なので、それを利用するしか思いつかぬ。
 写真だけなら上手くいくのだが。わが、クラウド活用はいまだ覚束ない。

タグ:クラウド
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われやさき、PCやさき、猫やさき [PC]

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2013年6月下旬ノートパソコンがダウン、黒い帳を落として起動しなくなった。F2を連打したりするもヘルプデスクは、ハイ、これまで、です、初期化するしかありませんと冷ややかなご託宣。
一瞬、使わぬソフトを含め何でもかんでもインストールした罰だと、頭の中が真白になった。が、外付けHDDへ毎月バックアップしており5月末も実施していることを想起してまぁ、しゃあないかと腹を括る。
愛機は2007年秋モデルだから、6年弱使っている。何回か起動しなくなったこともあったが、これまでは何とか復旧して使ってきた。

初期化してから、今一か月以上が過ぎた。悪夢の一か月であった。MSOfficeの再インストール、メール、インターネットの設定は直ぐ出来たもののアップグレードで苦労する。無線LANは人まかせだったので大難儀。HPのFTPツール設定でも泣かされる。体力もだが、一番根気が続かないのがこたえる。

肝心の外付けHDDのバックアップが用をなさない。バックアップソフトでの復元は追記分を上書き消してしまうというから、一番最初にやらなければならなかった作業だったのである。
そして何よりバックアップしたファイルが開けない。プロパティを見ると0バイト。サポートデスクは、ファイルの所有権を変更すれば何とかなるかもというので、実行したがこれが8、9時間かかった。やっと開けはしたが満足なものは少ない。しばしば「エラー」を無視して「続行」ボタンを押し続けたのだから仕方がないのだが。
それにしてもバックアップソフトとは、実際に役に立たないということが判明した。原因はどうやらPCソフトの自動プログラム更新にあるようだ。バックアップソフトは昔のママだから適応拒否の様子。
つぎは、セキュリティーソフト。再インストールするも、使用不可。これもOSのグレードアップが必要と分かるまで長時間を要した。
OSやOfficeのことはMicrosoftに訊けとPCメーカーはすぐ言う。Officeはアプリケーションでプレインストールでしょうに、というが耳を貸さぬ。
直近のデータで一番訳に立ったのは 、別途CD、SD、USBメモリーに保存していたデータとiPadの音楽、写真(水彩画)、アプリ内のデータ。他にエヴァーノートのごみ箱。クラウド時代のデータ保存やバックアップを、もっと勉強しておくべきだった、と反省する。後悔先に立たず。

iPadのデータは同期すれば、簡単にPCに保存出来ると思っていた。念のためサポートセンターに聞くとそんなに甘くはなかった。同期するとデータが消えるという。
iPadのデータをPCに移すのが大変な作業。幸いに良いシニアアドバイザーに恵まれ、ほぼ満足なデータ確保が出来た。運が良かったとしか言いようがない。苦しく辛い時の親切は身にしみる。アフターケアーは難しいが、上手くいけば確実に固定客を掴める。よって経営者は、客のクレームや相談は企業にとって宝の山などと気安く言う。しかしながら、現場のサポートセンターで活躍する人たちのご苦労は並ではないな、とつくづく考えさせられた。高い情報処理技術を持つのみならず、加えて人格者でないと、半知半解、頑迷な我儘者を相手に一分とつとまらない。

1カ月を過ぎて、急場は凌いだがまだ旧に復していない。さらにこれからバックアップをどうするかの方針も立っていない。どうやらデータだけを外付けHDDに適時とっておくだけというのが実際的なような気もするが、答えを出した訳でもない。

さらにこの先、ヴィスタからセブン、エイト搭載の新型機を買うとどうなるかを考えると気が遠くなる。年寄りは車の運転と同じで、もうPCライフもあきらめろということか。ネットショッピングやインターネットバンキングなど年寄りにこそ便利なのだが。この際同じ苦労するならMacにという手もあるが、当方に適応力が残っていないだろう。

それにしても、日頃から我やさき、PCやさき、はたまた猫やさきと思っていたところ、PCが先となったのだから、ありがたいと感謝せねばなるまい。
しかし、我を含め人と猫は初期化が出来ないが、PCは初期化なるものが出来るところはあらためて凄いと思う。しかも、最近のPCは自動的にプログラムを更新して自力(?)で成長するようにまでなっている。今回これに苦しまされつつ、そのことをたっぷり教えて貰ったのは、はたして収穫と言えるのか。

パソコン不具合始末記 [PC]

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使っている本人もへたっているが、このところPCの具合が悪かった。
起動が遅い。時折フリーズする。なんと、pcがおかしいから早急に手当てしないとウイルスにやられるなどという怪しげな広告がするすると画面下から現れ、いちいちバッテンをクリックして閉じなけれならない。
OSのプログラム更新(アップデート)をしようとすると再起動の際にフリーズして前に進まない。
ゴウを煮やしてメーカーのサポートデスクに電話をすると、どうも初期化が必要らしいから修理に出せと勧める。販売店の5年延長保証があと5日で切れるというタイミングだったので、それを奇貨として修理に出した。
診断は初期化が必要、他にもふたの開閉部分に損傷が見られ、先々悪くなる要因になるおそれありという。初期化は保障対象だが後者は自然故障でないから保障対象外。PCは5年が寿命と聞いていたので修理代を考えると新品を買った方が良さそうと即断して蓋の方はやめた。
自分でも初期化は出来るが、せっかくなので専門家にやってもらい、PCが戻ってきたのがおよそ2週間後。
その間アイパッドとアイフォーンで何の不自由もない。PCはアイチューンズと筆まめ、hpビルダーさえ使わなければ無用の長物だと分かる。
いずれはPCは地上から消える日が来るだろう。
さて、戻ってきてから元の状態に復する作業が大変。
リカバリーメディアを作るのは、容易に出来た。が、ウインドウズ8.0で戻ってきたので、8.1にグレードアップするのに半日以上かかった。更新プログラムというのが厄介なのである。10にするのをやめてよかった。Office,セキュリティなどソフトのインストール、LAN設定、外付HDからのデータコピーなど時間と手間がかかる。
結局11月後半いっぱいこの作業にとられた。
五年前、新pcを買う前も初期化をしたので、要領は分かるのだが年をとったせいかあちこちで壁にぶつかる。幸い今回はアイパッドがあるので検索しながら解決出来たことも多く助かった。
ヘルプデスクは1時間待ちはザラだが、ソフト会社のチャットによる相談は、速くてなかなかよろしい。
ただ、もう初期化復元はしたくない。いつも思うのだが、アプリケーションを含めて簡単にまるごと復元が出来たら助かる。しかしPCそのものが不要になったら意味はないが。
歳をとるに従ってpc生活はしんどくなっていく。我々の世代で言えば80歳を超えるとやめる人が多いのが、現実ではないかという気がする。
もとよりPC生活はPCに時間をとられることが多く、その時間は全く無駄というもの。時間の無い年寄りには勿体なさすぎる。
しみじみとした時間を少しでも長く過ごしたい老人には、余計なものだ。
自分もいつまでこんなことをするのか、出来るのかなどと考える。

e-Tax、インターネットショッピング、インターネットバンキングの便利さなどはアイパッドなどの情報端末があれば事足りる。
今回のpc故障でそのことを痛感した。繰り返しだがスマホの少し大きいやつ、WiFi +セルラー機能の付いたアイパッドプロみたいなもの、が老人向きだと思う。自分にはペンシルで絵を描く楽しみもある。
故障したら修理して貰うか、買い換えるだけというのもスマホ並み。
PC(iTunes)なしのバックアップ、復元はどうするのか気にはなるが、iCloud を使えばやりようはあるだろう。

もうひとつ。1990年代半ば、ウインドウズとマックの選択で前者を選択したが水彩を始めた頃(2004)、画質の良いマックに変えようと考えたことがあった。アイパッドがこんなに使い易いのが分かっていれば、転向した方が良かったのだがもう遅いだろう。
今回のウインドウズの初期化では、MacやiPadを気にしながらの作業だったのでこのことを改めて思い出したのである。後悔先に立たずである。

とまれ、今我がPCは蘇生してサクサクと動いている。まずはめでたいというべきだが、いつまで持つか。PCや先、我や先という状態が続く。

絵は水彩とアプリのStudy。アップルペンシルを使っている。水彩はストラスモアF6。
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