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熱中症・病で死ぬ人を感ずる暑哉( 炭 太祇) [健康]

 病で死ぬ人を感ずる暑哉  やんでしぬひとをかんずるあつさかな

 江戸時代中期の俳人、炭 太祇(たん たいぎ)の句である。暑さを詠った俳句は数多いが、この句は何と大げさなとも思いながら、うん、わかるなぁという感じもあって以前から気になっていた句である。

 しかし、今年の夏の異常な猛暑で、すぐにこの句が頭に浮かんだ。江戸時代にも異常気象がなかったわけではないだろうが、この句はなにも異常な夏の暑さを詠ったわけではなく、ふつうの暑さの夏でも暑いのは「病んで死ぬ人を感じるくらいだ」と大仰に表現したのが、おかしみというか、俳風味あり、というくらいのところだろう。

 今年の夏の熱中症の猛威は、救急車の出動ひきも切らずというほど、すさまじい。室外も室内もなく、老人が多いといえ、若者も、牛や鶏など家畜もこれにやられる。なにしろ113年ぶりとかいう記録的猛暑だ。
昔は、熱射病と言った様な気がする。炭酸ガス中毒と同じで、頭がもうろうとして気がついたときは、もう遅いというから怖い。

 クーラーもないひと、体温調節機能の弱い老人、子供、ケージに入れられた家畜、天災も戦争も弱者によりひどくのしかかってくることをしみじみ感じるが、はやくこの暑さがおさまって欲しいと願うばかりだ。
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タグ:熱中症
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調剤薬局のフシギ [健康]

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世間知らずといえばそれまでだが、医薬分業とはどんな議論があって、どんな報道があったのか全く知らなかった。通院していた病院では、しばらく院内でも薬を受け取れたので暫く変化がなかったが、そのうちそれができなくなってはじめて調剤薬局なるもに病院の帰りに寄るようになって自分のことと気がついたのである。

 医薬分業は、医者の負担を軽減することと医者と違う第三者が別の面から、処方される薬をチェックするのがメリットだそうだ。デメリットは、医療費全体の増加と手間がかかることである。
 誰が便利になって、誰が得したのか。こうなった以上社会全体では効率的になっていると思いたいが。

 気がつくと何時のまにか街に調剤薬局が溢れている。いくらも離れていない目抜き通りの好立地に店を構えている。その数は中途半端なものではない。大きな店もあるが、小さな店も多い。客が来なかったらどうなるのかと他人ごとながら心配になる。病人は増え続け薬の必要性は大きくなるばかりなのだから、余計な心配か。

 調剤薬局では、すでに医者にさんざん聞かれ、答えてきたことをまた薬剤師に聞かれることもある。うんざりすることもある。まわりに人がいるときなど気になって、返事もむにゃむにゃになることが多い。
 お薬手帳や薬の明細などしきりに親切に勧めてくれ、情報提供として薬の説明や副作用の書いてある明細書を貰えるのは有り難いが、同じくすりでも毎度渡される。この場合、払う情報提供料はムダになる。

 一番困るのは、込んでいるときなどに薬を受け取るまで待たされることである。そうでなくとも、病院で十分過ぎるほど長い時間待たされ、持っていった本は読んでもうない、その挙句なのだ。かといって出直してくるのもたいへん。1,2時間待たされるのはざらだ。半病人でも辛いことこの上もない。
 システムというのはどんなものでも長短があり、変革はそれの選択になるが、当事者によってもメリットデメリットは異なるのは当然ながら、半病人にはいまのところ受益感は薄い様な気がする。


タグ:調剤薬局
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フィットネスクラブ [健康]

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 フィットネスクラブに行くようになって、早くも4年になる。週に2回程度しか通わずに、行っても1時間程度なので熱心とはとうてい言い難い。

 クラブでは、インストラクターのいる多くの教室(スタジオプログラム)があり、皆自分の体力にあわせて参加している。若い人には、エアロヴィックスなど有酸素運動に人気がある。若いといってもアラフォーらしき女性が多いようだが。

しかしこれは年寄りにはとても無理である。そこでスローヨガなどゆるいものに参加する。あとはストレッチ教室くらいである。筋力トレーニング、ウオーキングの器具も揃っているがきついので時折しか使わない。プールもあるが、利用したのは最初の頃だけだ。

 今や、平日のジムは年寄りの方が断然多い。しかも女性が圧倒的に多い。女性はここでも強いなぁとつくづく思う。おしゃべりも楽しみつつ、しっかりとアンチエイジングとばかりに鍛えている。ジムに行かないと身体の調子が悪いと言っている人が多いようだ。決しておしゃべりが目的で行っているのではないところが立派である。

 この女性たちが、嫌っているものに振袖(ふりそで)というものがある。はじめは何のことか分からなかったが、そのうち両腕の付け根の裏側が加齢と運動不足でたるむことだと知った。
 これを解消すべく頑張っているのだろうが、笑い飛ばしてしまうところがすごい。

 男の年寄りは少ない。何人かはいるが、概しておしゃべりをしていない。いつも顔を合わせている人同志でも言葉を交わすことなく、隅の方で黙々とやっている。女と男ではかくも違うかと思う。ここでも女の勝ちとしみじみ思うのだ。

タグ:振袖
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ゴルフ ごまめの歯ぎしり [健康]

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ゴルフはしみじみ生活の対極にある。

これほど面白いものはほかにそうはないが、これほど意のままにならぬものもない。
釣りを楽しむひとは、釣る前と釣っているときと、帰ってからと一回の釣りで3度楽しむというが、わがゴルフは、3回苦しむ。プレイの前のおののき、やっている最中の悪夢のような悪あがき、終わった後の悔しさと虚しさである。
 ゴルフ歴は長いわりに回数は少ない方である。むかし、仕事が主であるが、プライベートを含めて一年に50回を2年続けた年がある。平均が100以上だから全部で2万ストローク以上打ったことになる。ちょうど50肩のときで痛みどめを打ちながらのプレイであった。年50回というのは、ほぼ、週1回であり好きな人では珍しくもない回数だが、ダッファー(下手なゴルファーのこと)には苦行であった。
 同僚にも同類がいて二人でクラブを杖代わりにして、はぁ、はぁしながら上り坂のフエァウエイを歩きつつ「どこぞに、ゴルフのない国はないかねえ」とぼやいたことを思い出す。

 これも仕事で女子プロのツアーの前日に行われるプロアマ戦(一人のプロと3人のアマがラウンドする)というお遊びがあるが、それに何回か参加したことがあった。
 ある時、女子プロがスタンスの間違いを、開始早々すかさず指摘してくれた。「あぁ、自分はゴルフには向いていないな」とその時、つくづく思った。打つべき方向は、自分が正しいと思う方向と全く違っていたのである。
 ゴルフの物理学と自分の身体の動きの感覚がどうしても合わないことが多い。例えばクラブはゆっくり振れというが、スイングは早い方がボールは遠くへ飛ぶのではないかと考えるのである。ところが、クラブヘッドのスピードはどうも違うらしいのだ。
 加えて強度の近視である。落ちたボールが見えないので距離がよめない。これは、このあそびでは決定的に不利だ。

 往年のアマゴルフ界のチャンピオン中部銀次郎に「ゴルフは余計なことはしない、考えない、言わない」という名言がある。何やらゴルフ以外にも通じる名言であるが、ラウンドの最初から最後まで余計な動き、余計な妄想、嘆きばかりを言っている。上手くなる訳がない。

 だが下手に一つだけとりえがある。ゴルフ下手は、愚痴って、自嘲すれば次々と川柳だけはできる。
   越えられぬティーグランドのバカの壁
 一番ホールでは、たいていチョロする。練習もしないでコースに出るくせに欲と見栄のかたまりとなり、ガチガチになっているのだ。じぶんの力量をわきまえて肩の力を抜き自然体になればよいものを。

 ゴルフは激しい運動ではないので、老人になっても、定年後も続ける人は多い。何より適度な運動と美味しい空気をたっぷり吸い、極めて健康的な過ごし方である。雨の日は読書などすれば最高である。ゴルフ好きは長生きする。ただし、楽しく続けられるのはある程度上手い人だ。

 体調を崩しゴルフをやめてから2年余がすぎた。ゴルフバッグは物置に眠っている。下手は投げ出す。

 平地の少ない日本で少人数のために広大な土地を使用し、幾万といういきものを抹殺して、生物多様性を、自然を破壊しているゴルフなど、やつあたりと言われてもくたばれと叫びたい。
 これを負け犬の遠吠えまたはごまめの歯ぎしりという。のだなとしみじみ思う。

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痛みのこと [健康]

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 「さりながら死ぬのはいつも他人(マルセル・ディシャン)」という言い方に倣えば、「痛いのはいつも自分」である。しかし、自分の痛みが他人に分らないのも、他人も間違いなく痛むこともそれぞれ100%確実なことである。
 痛みというのは、本当に不思議なものである。

フィットネスでストレッチ教室のインストラクターが「痛気持(イタキモチ)いいところ」を探して、そこまで伸ばしてーなどとおっしゃる。「痛み」と「快い」は同一線上にあるように見える。その境目を探して伸縮し、血流を良くしなさいということらしい。また「痛痒い」ということばもある。痒いも過ぎると痛みに変わる。

体の防衛機能のひとつとされる「痛み」は不思議なもの、不可解なものである。
体を守るためというが、警戒警報だけではあるまい。痛みを消す、つまり治療しなければ、その部位の機能不全にいたるのだから防衛機能というのは理解できるが、持続する強度の痛みは生きる意欲を奪うという。痛みのもつ不快感はこれが原因ではないか。不可思議さ、不可解さもここにあるような気がする。
痛みの定義は「実際の、または潜在的な組織損傷を伴う不快な感覚的、精神的な経験」=国際疼痛研究学会(IASP)だと聞いても、神経細胞が刺激され脳が痛みを感じるのだという痛みのメカニズムを聞いてももうひとつ分からない。
これまで全身麻酔を数度経験している。麻酔から醒めた時に臨死体験とはこういうものかなど、的外れな、埒もないことを考えたことを良く覚えている。
麻酔は脳と神経の働きを一時的に止め、痛みを消す。神経が機能しなければ、痛みは感じない。脳も寝ていて機能しないのだから痛みは感じない。意識が戻れば、痛みも復活する。このことから痛みのメカニズム自体は麻酔を経験すると感覚的によくわかる。
しかし痛みは精神的なものなら意識か。痛覚というから感覚か。知覚?、不快感を伴うなら感情か?一体何だというのか。「不快な感覚的、精神的な経験」ではどうも納得感に乏しい。
痛みは体が何らかの障害を受けたときに生じる単なる刺激ではなく、心や感覚が伴った苦しみであることは確かであり、痛む組織の機能不全、ひいては生命を脅かすという怖れ、これが私たちの感じる「痛みの本質」ではないかという気がする。

痛みは非常に幅広く種類の多いのが特徴である。
まず、早い痛み(急性)と遅い痛み(慢性)がある。慢性とは3カ月から6カ月以上続くものという。一過性或いは間歇的なものとずっと持続する痛みといった方がしっくりする。
そして「遅い痛み」の正体はブラジキニンという発痛物質とか。電気信号とか。では早い痛みは何なのか。同じ電気信号ではないのか。

次に、痛み方は多様 であるのは何故なのか。生理痛、分娩痛は想像はしてもむろん知るよしもないが、それはそれは辛いと聞く。傷の痛み 、歯の痛み 、腹の痛み 、腰の痛み 肛門の痛み(痔) 、尿道の痛み 、頭痛。未経験の痛みももっともっとある。きっと挙げても際限が無いほどだろう。
しかも痛みの度合いは人によりさまざま。痛みの種類(痛み方)も刺すような、うずくようなとか言葉の難しさもあって医者泣かせである。
キリキリととかズキンズキンととかジンジンと痛むなど人により使うオノマトペも異なり、同じものでも同じ実態を表現しているという確証は無い。
部首により痛みの種類=痛み方が違うのは、壊れた細胞組織や神経細胞の太さや細さに関係があるのだろうとは想像できる。
体の表面が痛む「体性痛」と内側が痛む「内臓痛」がある。体性痛はさらに皮膚や粘膜の障害で起こる「体表痛(火傷や打撲など)」と、筋肉や骨の「深部痛(骨折など)」があるとのこと。痛みを分類してみても詮無いが、この辺は実感として理解出来る。
侵害受容性疼痛は器官や臓器が傷害されたときに、そこにある末梢神経から痛みが発せられるものでほとんどの痛みはこれだろう。
神経障害性疼痛は痛みを伝える神経そのものに問題が生じて起こる痛み。「心因性疼痛」は神経や体には問題があまりないのに発生する痛みであり、「中枢性疼痛」は神経の中心にある中枢神経そのものがやられてしまうことで起こる痛みという。

このうち「心因性疼痛」には心当たりがある。2年半以上続いている肋間神経の疼痛治療をペインクリニックで受けた時、先生が鎮痛剤カロナール、モービックのほかに抗鬱剤トリプタノールとガバペンを処方してくれた。先生は「最近は痛み止めと精神薬を併せて服用する」と言われた。ガバペンというのはてんかん発作を和らげる薬だという。傷の痛みに効くロキソニン処方とは性格が異なる、それは心因性だからとおっしゃる。逆に言えば痛みの本当の原因が分からないものであろう。この疼痛にはいまもって悩まされている。まさに「慢性疼痛」そのもの。
その後、末梢神経障害に有効とされるリリカカプセルに変更しても効かず、いまは新薬のトラムセットを朝と夕方服用しているがはかばかしくない。原因不明と医師は仰り、温め血流を良くして凌ぐしかないと。自分で考え出し、ヤクバンを貼ったり、筋肉痛用のインダシンクリームを塗ったりしている。気をまぎらしているだけに過ぎない。もう3年近くなる。
痛みは運動を避けるようになり、外出や旅も敬遠し閉じこもりがちで勢い生活の質低下をもたらす。それでも、痛みが強くならないで曲がりなりにも暮らしていることには感謝している。
毎月、ペインクリニックの女医に診察を受けるとき、鎮痛剤服用実績記録と一日の痛みを5段階に表記してエクセルで表を作りiPadでお見せする。これが長くつづいている。「5」は1番痛い痛みあるいは、我慢出来ない痛みとしているが、あくまでも主観的なもの。先生もよく心得ていらして、優しく年寄りの我儘をお聞きくださって有難い。この優しさが何よりのペインクリニック、ペインキラーだ。幸いこのところ寒いせいか「4」もあるが「3」が多いのは嬉しい。

さて、鎮痛剤(ちんつうざい)は、中枢神経系・末梢神経に様々な効用をもたらすもので、痛みを和らげたり取り除いたりする医薬品。鎮痛剤の種類は非常に幅広い。痛みが多種多様であるように鎮痛剤も多種多様である。英語ではPainkiller。文字通り「苦痛を殺すもの」である。
一般的には歯痛や頭痛に効くバッファリンが有名であるが、ややこしい場合は専門医に頼るしか無い。最近はどこの大病院でもペインクリニックが設置されている。
原因を除去する訳ではないので治療薬ではないけれども、痛みを和らげているうち原因が治ることをひたすら期待する。

ところで全然別の話となるが、痛みの不思議なもののひとつに「幻肢痛」というのがあるそうだ。痛みの記憶の一つと考えられているが、失った四肢など無い部位が痛むという。これは幸いなことに経験はない。似て非だろうけれど、古傷が痛むというのは経験がある。10年以上も前に、転んで鎖骨を折り手術をした後が、今になっても寒い日などに思い出したように痛むことがある。たいてい短い痛みである。これも痛みの記憶だろうか。痛みは忘れるのが救いなのだが。消えたはずの痛みがまた現れるとは。表現し難い不快感の伴う痛みである。

痛みというのは、不思議なものだ。よく「人の痛みがわからない」、とか「痛みを分け合う」とかいうが、痛むのはおのれだけではないことも厳然たる事実。その不思議をあらためて思う。痛みは「しみじみ e 生活」を妨げるものだが、生きているからには誰もそれから逃れることは出来ない。正岡子規の痛みの中での驚くべき意思の強さを考える今日このごろである。















下着センサー? [健康]

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エアコンの取り付け工事をお願いした。職人さんは、エアコンと室外機の間にパイプを繋ぐために、壁に穴をあける必要があるが、その場所を探すのが容易ではない。柱や斜交い棒を避けなければならないので、赤外線?かなにか、赤いライトの付いた道具を使っている。

つい先だって、大工の棟梁が壁の裏にある見えない柱を探すのに、針の付いた道具でブスブス刺して同じことをしていたので、なるほどこれは新兵器だなと思い「それは何という道具ですか?」と聞くと「したぎセンサー」との答え 。
「え?、下木センサー?、下着センサー?」。とおもわず吃驚して聞き返すとそばにいた家人が、「ぎ」じゃなくて、「じ」と言う。下着センサーなんかあったら大変でしょ。ひどい聞き間違い、と軽蔑的眼差し。暫くして、やっと「下地センサー」と分かる。

この頃、こんなことがしょっちゅうある。情けない。この程度の笑い話のうちは良いとしても、先が心配と家人。会話が成り立たなくなったら困るから、補聴器をと言う。
直近2月の簡易人間ドックの聴音検査では、高い音は健常者並だが低い音が聞き取りにくくなっているとのことだが、補聴器を使うほどではない、との診断であった。
しかし人間の耳は高低の問題だけではないらしいことは、この例で明らかである。テレビドラマでも意味不明のセリフが最近多い。 悲しいかな、実生活でもコミュニケーションも取りにくくなっている。

人は無意識に必要な音とそうでない音を選択しているが、補聴器はそれが出来ないから装着は辛いと聞く。考え込んでしまう。

なお、あとでアマゾンでDIY工具を調べたらちゃんと「下地センサー」という商品が見つかった。棟梁の持っていた針の付いたものも。「どこ太」というネーミングだった。コンクリート用のウオールスキャナーまである。こうなると非破壊検査機だ。アマゾンはすごい。

小平遊歩道 [健康]

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5月19日(土)、あまりに気持ち良いさわやな朝だったので、かねて家人お勧めの小平散歩道を歩こうと息子と三人で出かけた。
美味い武蔵野うどんを食べさせる店やレストランも何軒か途中にあるというひとことが、体調不良からくる最近の出不精というか老懶暮らしの背中を押した。我ながらいじましい。
そういえば昔になるが、この遊歩道を家人と歩いて、帰りにコーヒーを飲んだことを思い出した。家人はその後も友人と歩き、その時に食べた武蔵野うどんが美味しかったと言う。

西武新宿線の花小金井駅から小平駅までの2.5kmの散歩道である。ゆっくり歩いて40分程度か。
この遊歩道は、多摩湖から境浄水場(武蔵野市)まで全長20km余りある「多摩湖自転車道」のほんの一部になる。
この道路の下には大正12年につくられた水道施設があり、多摩湖から武蔵境にある境浄水場まで今も水が流れているという。
そのせいか一直線の道、真っ直ぐが特徴の珍しい遊歩道だ。広い道の両側には、木立があって適当な日陰を作ってくれているのがありがたい。自転車も走っているが、歩行者用の道も確保されているので問題はない。

花小金井駅までは電車で自宅から30分ほどである。南口で降り、直ぐそばがもう遊歩道である。
歩き始めるとすぐ「風のシンフォニー」というレストランがあった。いくらなんでもまだ朝食を済ませたばかりなので、ここは次回にしようと即決。

風光る「風のシンフォニー」遊歩道

「たけのこ公園」や「小平ふるさと村」、「旧小川町郵便局」などを見て歩く。
昔々小川さんという開拓者がいて、小平の小は小川氏の小からとったそうだ。
この辺りはまだかなり農地が残っていて、昔はさぞ、ゆったりした畑作農村地帯だったろうという雰囲気がある。
ところどころ農家の産直の売店がいくつか出店している。大きな新キャベツ150円。スーパーでは200円はする。ほかにきゅうり、きぬさや豆を買う。キャベツは重いので息子がぶら下げて歩くことになるが、自分が一番歩くのが遅いため、二人が時々振り返っては待っていてくれる。情けない。

産直の新玉キャベツ150円

半分くらい歩いたところで、お目当てのうどん屋があったが、時計をみるとまだ10時30分、お腹が空かない。ここも次回の楽しみにしてパス。知らなかったが、うどんやブルーベリーがこの辺りの特産物だそう。

武蔵野の武蔵野うどん武蔵振り

以前は無かったが、途中道の両側に彫刻像がかなり建っていた。猪や河馬、人物像などだが、残念ながら小さい。贅沢と言われそうだが、野外彫刻はやはり大きくないと周囲の景色に負けるように感じる。

土曜日なのに、朝のせいか歩いている人、自転車で走る人ともあまり多くはない。
終点の小平駅にそろそろ近いところまでまで来たと家人。「あじさい公園」がある。しかしあじさいの花は、もうしばらく先である。

あじさい公園のそばのレストラン 「カフェ ラグラス 」には11時到着。食事は11時30分からというので、コーヒーとケーキを注文し庭のテーブルで待つことにする。
家人の話では、この店のケーキは本物で一級品という。
庭のテーブルのまわりには、バラなど沢山の花が咲いている。えごの木が、いま白い花をびっしりつけていた。
食事はオーガニックのワンプレートランチ。黒米のご飯、味噌汁、鶏肉の唐揚げのサラダ、かぼちゃのマヨネーズ和え、お新香という献立。ヘルシーが売りである。野外での食事はすこぶる結構。吹く風が爽やかだ。

カフェテラス黒米ごはんえごの花

昨日、今日の午後に次男夫婦が家に遊びに来ると連絡があったので、小平駅でイチゴなど少し買い物をして、1時ごろにはもう帰宅。近いのが何よりの散歩コースである。

帰ってから小平市のHPをみると、「小平遊歩道」なるものは見当たらず、「小平グリーンロード」というのが出てくる。
小平グリーンロードは、玉川上水、野火止用水、さやま・さかい緑道、都立こがねい公園を結ぶ、小平をぐるりと一周する水と緑の散歩道。とある。

どうやら、市は小平グリーンロード全体を売り出したいらしい。我々が歩いた多摩湖自転車道、小平遊歩道は、狭山・境緑道のそのまた一部をなしているだけということが判明した。
つまり小平グリーンロードは、多摩湖自転車道(狭山・境緑道)ほか市内に設けられた玉川上水、野火止用水緑道と小金井公園を合わせたもののようで、説明によれば何やらそれぞれに魅力的ではある。こんど元気な時に残りも歩いて見たい気になった。しかし全長21kmというから健脚むきか。

そうなると、多摩湖自転車道路というのは、小平市だけでなくかなり広域に亘るということになる。
ならば全体の管理、維持は都かと調べてみると、正式名称は、「東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線」。やっぱり。「多摩湖自転車道」は通称であった。
これで小平市のHP に「小平遊歩道」ないしは「小平自転車道」が掲載されていない理由も納得出来る。

多摩湖自転車道は、多摩湖から武蔵境の境浄水場に至る水道管の上を走る自転車歩行者専用道路(狭山・境緑道)と、多摩湖を一周する自転車歩行者専用道路に大別されるという。多摩湖一周も入るとなると、全体の距離は不明だが相当長そうである。
通過する自治体は、西東京市 - 小平市 - 東村山市 - 東大和市 - 武蔵村山市 - 東大和市 - 東村山市の7市である。起点、終点では、武蔵野市、所沢市とも接している。
まさしく広域自転車道であった。

東京に長く住んでいても、近くのことでさえ、かくも知らないことが沢山あるものだと、つくづく感じいったが、ともかく久しぶりに健康的な楽しい小反日であった。付き合(添?)ってくれた家人と息子にひたすら感謝、感謝。

句は後で家でひねったもの。うどんの句は無季。ひゃくごじゅうえんは字余り、にひゃくえんだったら良かったが。冷や汗、駄句、駄句。

血圧のこと [健康]

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血圧が急に150位に上がって、これまでなかったことなので驚き、降圧剤を飲み出したのは昨年の2月だったから、もう1年3ヶ月にもなる。

その時の医者のみたては、老化によるものとのことで、薬を1日2錠を朝夕に服みなさいという指示と、食生活では塩分を摂り過ぎないようにしなさい、というご指導を頂いた。
血圧は服用後、1週間ほどで下がりはじめた。止めるとまた上がりますよ、とのことなのでずっと飲み続ける。朝夕2度血圧計で測定し、血圧管理手帳に記録してきた。
我が家の血圧計は健康保険組合から周年記念で頂いたもので、その名も「ファジイ」という商品名である。昔ファジイ理論というのがあったが、曖昧、「あいまい」理論である。測定器にそれを冠するのは如何なることであろうか。血圧測定というのは車のハンドルにある余裕、遊びみたいなものが要るのかも知れない。

時々140位になるときもあるが、1年ほどまずは無難に推移した。ところが1年ほどたった今年の初め頃、今度は100前後に低くなる日が続くようになる。低血圧のせいか、朝起きる時に何とも気分が悪い。身体もだるい。
血圧の低い人は寝起きが辛くて、ひどい人は午前中いっぱい調子が出ない 、ということを昔から良く聞いていた。100とか110だと血圧の高かったものにとっては、心地よい数字ではあるが、ときに100を切り、90代になると何やら不安だ。
そのうち気のせいか気分が落ち込み、ひどい時は厭世感みたいなものに捉われる時がある。むろん降圧剤のせいと決めつけられないのだが、一日一錠に減らして様子を見ると、少し良いような気がする。血圧もさほど上がらない。
自分の場合、血圧というのは、少し高めくらいが気分的には良くて元気も出るような気がする。

そのうち、なまけて血圧測定も家ではせず、フィットネスにある血圧計で、1週に2度ほど測定するだけになった。
試みにその一錠もやめたらどうかとやってみると、あまり変わらないような気がしてきた。しかし、そうは、うまくいかず、1週間ほどたつとまた150を越えたので、またあわてて飲んだりしている。
しばらくは血圧測定をしながら、130以下なら服用しないという方針で臨んでいるが、こんなファジイなやり方で良いのかどうか、心配ではある。

周知のように高血圧症は、高血糖値と高脂血症とともに肥満を加え「死の四重奏」などといわれる生活習慣病 、いわゆるメタボリックシンドロームだ。虚血性心不全、脳卒中、腎不全などの発症リスク要因とされている。
自分は肥満こそないが、コレステロール値、中性脂肪も高めなので、高血圧はあまり良い状態と言えない。
また、他にもたくさん薬を飲んでいるので、薬は身体にとって異物と承知しているから、なるべく減らしたいと思うのだが 、なかなか薬の種類も量も減らない。むしろ加齢とともに増えるばかりである。

血圧降下剤を服用している人は多い。話をすると、私も服んでいますという人が身近かに何人かいたことでも分かる。

何でも薬の中では一番売上高が大きく、9000億円規模と聞いたことがある。一兆円市場とはすごい。

一般的には、高い方の血圧すなわち収縮期血圧が、140(mmHg)以上または低い方、つまり拡張期血圧が90以上に保たれた状態が高血圧であるとされている。
しかし、血圧は高ければ高いだけ合併症のリスクが高まるので、収縮期血圧で120未満が生体の血管にとって負担が少ない血圧レベルとされているそうだ。

医者から貰った血圧管理手帳にはグラフが付けられるようになっているが、それでは高い方が135、低い方は85を越えると高血圧ということになっている。若干の幅はあっても、個体差もあるだろうから、曖昧ながら大体そんなところなのだろう。

ちなみに、日本高血圧学会の「家庭血圧測定条件設定の指針」には、測定の仕方とあわせ、要治療の範囲、正常血圧値が次の通り記されている。家庭血圧というからには、病院で計る血圧と自分が計るそれとは違うらしい。

①測定部位は、上腕が推奨。手首、指血圧計の使用は避ける。
②朝の場合は、起床後1時間以内、排尿後、服薬前、朝食前の安静時、座位1 - 2分後に測定。
③夜の場合は就床前の安静時、座位1 - 2分後に測定。
④朝夜の、任意の期間の平均値と標準偏差によって評価。
⑤家庭血圧は135/85 mmHg以上は治療対象、125/75 mmHg未満を正常血圧。

我が心臓は、70年以上の長きにわたりいっときも休むことなく収縮、拡張を繰り返し、血液を身体中に運び続けてくれているのだが、それも一定の範囲内の圧力に保ちながらだから、容易ならざることである。人間の身体の容易ならざる精密さはもちろん心臓だけに限ったことでは無いにしても、それが電気的な刺激でなされていると聞くと、まことに神秘的に感じられる。
医療では、血圧降下剤でそれを調整しようとするのだから、これまた難儀なことに違いない。

それにしても、いつかのあの気分の悪さは薬のせいなのであろうか、もしそうだとしたら副作用の項目に追加する必要があるのではないか。人によるのか。
いや薬のせいでないとしたら・・・。などととりとめもないことを考える。多分先生に伺っても、きっと分からないだろうという気がする。

さて、あるブログでアメリカの老人ホームでは、みんなが集まって話をする時には次のような約束事をしていると書いてあった。
①普段の会話では自分の病気の話しをしない(誰だって老人なりに問題を抱えているのだから)
②自分の孫の話は30秒以内
③他人の噂話をしない
に加えて、良くも悪くも、政治(家)への不平・不満・批判、悲惨な事件など、あまり暗い話題や悲憤慷慨の話題を取上げない。

みな、いかにもアメリカ人らしいことばかりだと、なるほどと思うが、日本人とてこういう取り決めが必要なのは、同じことであろう。しかし項目によっては、異論のある人もきっといるに違いない。
①の病気の話は、我々の老人仲間でも雑談している時、また病気の話ばかりしてなどと嫌う人も多いが、そう言うのはたいていは健康で元気な人だ。人に話して気が楽になったという人もいるだろう。
一方、確かに会話が病気の話ばかりして終わるのも、悔しいことではある。
ときに情報として役に立つ場合があることも事実だ。ただ、個人差があって情報がそのまま役に立つとは限らないとか、話してくれる相手にどう対応するか、などは確かに難しい問題ではあるが。

話は横に逸れるが、②の孫の話は面白い。話しても良いが、ちょっとにしましょうね、というところが、何やらけなげでかわいい。

閑話休題。血圧管理だけとってみても健康管理というものは、特に老人にとっては難しいものだとしみじみ思う。この1年数ヶ月のわが経験からの実感である。

たばこの思い出 [健康]

たばこというと、酒と並ぶ嗜好品の代表格であったが、いまや嫌われ者となり見る影もなく凋落の一途を辿る。行き着くところはどこか。しぶとく少数派として生き残ることがあっても往年の栄華に戻ることはなさそうである。
動くアクセサリーという言葉も死語となった。今日も元気だタバコがうまいというコピーが物議をかもしたこともあった。ベランダ族やパイプ族は、いまどうしているのだろうか。
正確な科学的根拠は知らないが、たしかに若い母親が喫煙しているのを見ると母子の健康に良くないなという気がする。吸う人吸わない人ともそう思うであろう。

タバコには、いくつかの思い出があるがそのうち二つだけを。
マッチやライターなど小道具にも、思い出はあるが別の機会にしよう。

ひとつは禁煙のこと。
たばこをやめたのは、昭和46年4月6 日(1971年 )31歳の時とはっきり覚えている。しかし、はて吸い始めたのは何時だったのかというと覚えていない。誰でもそうであろうが、なしくずしだったのだろう。学生でアルバイトをしていた頃だから、20歳は過ぎていたことはたしかだ。
少し大人になったように思いたかったのが動機だったのも、まあ人並か。
10年間ほど吸っていたことになるが、やめようと思った頃はチェーンスモーカーでハイライトであれば一日2箱40本ほどになっていた。

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とくに人とあって話の間を持たせる小道具であり、紫煙をくゆらせ沈思黙考していいアイディアをなどという高等なものではなかったように思う。
やめたいと思ったのは、とにかく食事が不味くてやめればきっと美味しいだろうということだった。やめれば体調が良くなるだろうと期待したということは、タバコが体調不良の原因だと思っていたに違いない。
やめると決意してから、ポケットにも煙草を入れて持ち歩き家にも煙草をおき、何時でも再開しても良いとして禁煙生活に入った。結果的には上手くいき意志薄弱を見透かされている家人には、あれだけは偉かったとあとあとまでほめられた。
しかし、やめて3年くらいは特に酒を飲んだ後に、欲しくなって往生した。夢で吸ってしまい、しまったと思って目が覚めたことも何度かある。
最近に始まったことではないが、煙草追放の嵐は激しい。愛煙家はさぞ大変であろうと思う。
その後、職場でも最初は吸煙器設置、分煙から始まったが、今はもっと徹底しているのであろう。都市では、路上を含めほぼ全面禁煙である。吸えるのは喫茶店やレストランなどの喫煙席くらいか。
ヘヴィスモーカーが肺癌になるとは限らないようだが、煙害として周りの人に影響を及ぼすとなるとこれはたしかに穏やかではない。
さて、禁煙をしてから、その後一本も吸っていない。わが性格からして一本でも吸えばあととめどもなく吸うに違いないと最初に思ったが、そのまま43年の歳月が流れた。
これほど煙草が目の敵とされる前に、自分の都合だけで禁煙を決意して、幸い成功したのはラッキーというもの。禁煙していた頃はあれは蛮人の風習だなどと嫌味を言っていたが、いまとなると煙草を吸う気分や味を知っているので、追いつめられる愛煙家に対しては同情を禁じ得ない。
などと格好をつけて心に余裕があるが、あのときやめることが出来なかったら、今頃はやみくもなキャンペーンは理不尽だなどと息巻いていたかも知れぬ。

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ふたつめは作物としてのたばこのことである。

いまもたばこは栽培されているようだが、まずほとんど見ることはない。
タバコ(たばこ、煙草、Nicotiana tabacum)はナス科タバコ属の一年草の亜熱帯性植物。葉の成分として有毒で習慣性の強いニコチンを含むので、それゆえに煙草の原料として古くから世界各地で栽培されて来た。
日本では九州、関東の畑作地などが多い。
疎開した母の実家のある那須烏山では、戦後葉タバコをどこの農家でも栽培していた。タバコも蕎麦と同じで土が肥沃でない狭い土地でも栽培される作物の代表選手と聞いたことがある。
たばこは苗床に種を播き、少し大きくなるとやや高い畝(うね)を作り移植して育てる。大人の背丈以上に成長するが、下の大きな葉から順に収穫する。葉は少しべたつき独特の匂いがした。タバコは大きくなると白いロート状の筒先にピンクの花をつける。葉の成熟のために摘芯し、脇芽もかいてしまうのでこの花はまず見ることはない。
農家にとって摘芯、摘芽は夏の暑いさなかの作業で重労働となる。
ニコチン含有量が上葉と下葉で異なるので収穫にも気を使い、結構一年中気の抜けない厄介な作物である。
収穫した葉は縄目に一枚ずつ挟み日に干して乾燥させる。縄は5Mくらいだったろうか。雨の時には家の中に取り込むし、乾燥が終わると陰干しが必要なので、納屋、乾燥場では足りずに農家の土間、居間、座敷まで天井が縄に吊るした煙草の葉だらけになる。
座敷で避暑とばかり、ラジオを聞きながら昼寝をしているとポトリと青虫が天井から落ちびっくりする。
冬は乾いた葉を縄から外して、一枚ずつ丁寧に皺を延ばして束ねて出来上がるが、これは「煙草のし」といって女子供でもできるので一家総出の夜なべ仕事となる。
さて、専売公社に煙草を納付する日は一年に一度農家のハレの日だ。男は一杯やり、女も笑顔がこぼれる。農家にとり数少ない文字通りの換金作物だから現金化される日だが、むろん支払いもこの日に集中する。
いつのまにかタバコの作付け面積も減少して、椎茸や野菜などが増えて来ていた。輸入たばこと煙草の消費量の減少によるものだろう。手間がかかるうえに重労働だから、農家の高齢化がそれに拍車をかける。自分が高校を卒業した昭和34年頃には、もうかなり少なくなっていたように思う。

ところで禁煙をした頃を思い出すと、必ず自分のしていたその頃の仕事が連れ出してくるのは不思議である。仕事の中身などは全く覚えていないのだが、その頃の仕事は為替のコルレスであったからか、禁煙と「コルレス」という語が一緒に出てくる。コルレス自体は金融機関同士の為替契約のことで、むろんのこと、たばことは全く関係がない。思い出というのはそういうものなのであろう。
ひたすら個人的なもので、聞く人にはおよそ埒もない話と分かる。

作物のたばこの方は、もっと古い子供の頃の話であり連れて思い出すことと言っても無いが、べたつく緑の葉の手ざわりやピンクの花、茶色に乾燥した葉の匂いなどをありありと思い出すことが出来る。これも不思議なことではある。

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二つとも古い思い出話であることに変わりがない。




神経ブロック体験記 [健康]

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ブログというものは、たった一人でも良いから、誰かの役に立つことがあらまほしきことには違いないが、およそ自分のブログはこのことから、かけ離れている。全くの一人遊びだ。

今回のこのテーマ。一つくらいはと慢性の肋間神経痛で悩む方の参考になればと思うが、痛みも人さまざまだから、きっと参考にはなるまいと、書く前から自信は無い。
ブロック注射というのも痛みの部位によって様々だそうだ。家人の話だと、腰痛でやった人もいて、聞いてみると結構多いらしく珍しくもないらしい。

3年前、肋間神経痛が辛くてペインクリニックに行った。(2012.1.19「痛みのこと」http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19
この程度なら薬治療法でいいでしょうという麻酔科医の言に従うことにした。
その際、神経ブロック注射の説明も受けたのだが、これはパスした。これをやるときは、万一だが、気胸を傷つけるなどもあり得るので事前承諾書に印がいります、という説明に怖れをなしたことも、見送った理由のひとつであった。肝小さく、気が弱い。

処方は、神経痛は脳と関係があるからと、抗鬱剤など神経症の薬と痛み止めの併せ飲みがよいという。ロキソニンなど身体の傷の痛み止めではダメ、とのこと。
最初はトリプタノールとモービック、追加してガパペンとカロナール。いずれも前者が神経症の薬で後者が鎮痛剤だ。
かれこれ年2ほど続けたが余り思わしくはない。この間、温めると良いというのでホッカイロ、経皮消炎剤ヤクバンテープなどを貼付したりするが、気休めの域を出ずさしたる効果はない。主治医は何とか凌ぐしかないという。文字通り「凌いでいる」だけである。
座っているだけなら痛まず、眠っているときもそれほど痛むことはない。不思議と車の運転は痛まぬ。長くパソコンをやったり、好きな絵では、描き終わる頃になると痛む。絵に没頭している間は痛みを忘れるのか。
とくに歩行時が痛む。いきおい散歩や運動がいやになり、外出も減る。
ある時、主治医がリリカカプセルを紹介してくれたので麻酔科医にも相談のうえ、試みたが効かずに1ヶ月足らずで止めた。また、これまでの抗鬱剤と鎮痛剤のコンビに戻す。
その後新薬トラムセットが出た、とペインクリニックの麻酔科医が奨めてくれたので、23年9月からこれにすると、少し楽なような気がして、これを続けている。始めてから1年余になる。
トラムセットという商品名は、鎮痛剤と麻薬とのセットという意味だそう。最初は1錠から始めたが、なるほど麻薬が麻痺させるのか、少しだが具合が良い。副作用も小さいというので、4錠まで増やす。つまり6時間間隔である。しかし薬が切れると痛む。根本治療でなく鎮痛剤だからこれはいたしかたない。新薬というのは、2週間しか処方されない。これはこれで結構大変である。

痛みを覚えてから、この間3年が経過した。いつも診てもらっている血液内科の先生に「痛みを凌ぐも、生活の質も落ちてきました」とぼやくと、自分の患者でブロックをやったら改善した人がいる、貴方のも効くような気がすると、万一のリスクは確かにあるがごく発生度は低いのだから、うちの麻酔科医を紹介するので相談してみたらと、その場で電話をしてくれた。
偶然その麻酔科医は、自分が通っている別の病院のペインクリニックの麻酔科医と知り合いだったこともあり、両方から診て貰えると思い、翌日決行することにした。
ブロック麻酔科医は、あなたの場合話を聞いてみると、激痛で歩けない、眠れないような人が治療の「目標とする状態」に達している状態のようだ。
従ってブロック注射が劇的に効くようなことはないだろうという。何度かやれば、少し良くなることがあるかもしれない。やって見る価値はあるだろうとのこと。
神経痛は何らかの原因で、電線でいえば、回りの被膜が傷み線が露出して痛むのだが、身体はそれを時間をかけて再生して治そうとしている。3、4年かかる人もざらにいるとも仰言る。いずれもわが感触と合う感じがする。
駄目でもともと、とやってみる決心がついた。

中央手術室の入口の近くにある簡易ベッドでアナペイン(麻酔薬)とデカベロン(ステロイド、消炎薬)を注射。トリガーポイントというとか。ちくりと少し痛い。麻酔は5、6時間、消炎剤は5、6日効いている筈という

肋間神経は肋骨ごとに一本あるので、今日は2本打ち1週間様子を見るとのこと。
当座楽な気がしたが、夜中布団の中で副作用らしきもの来る。強いいらいら感と不安感と咳、3時間程続く。ネットでステロイドの副作用を見ると似たものがある。
翌朝麻酔科医に電話で聞くと、ステロイドと言っても微量なのでそんな副作用など出るはずはない、とのこと。

トラムセットは一日1錠に減らす。ゼロにすると禁断症状?が出かけないのだ、とペインクリニックの麻酔科医が仰言る。疲れたような気がして、翌日のカルチャー教室は休む。

2週目は3本に増やすが、副作用は3分の一の感じになった。結局ステロイドのせいではなく、どこか神経が過敏に反応したのではないかとの診たて。
翌日カルチャー教室出席。2時間ほど絵を描いて帰る。あまり効いた気はしない。

3週目も3本。打った直後は一番楽な感じがしたので、帰りにひとつ用事をこなす。しかし、だいぶ歩いたので痛む。夜は副作用なし。いらいら症候群なく眠れた。
翌日カルチャー教室写生会で井の頭公園へスケッチ。描き終わると痛み、トラムセットを追加してのむ。
活動的になっているし、4錠のんでいたトラムセットを一日1錠にしているのだから、ブロックが効いていると思うと家人。自分も少しそういう気がしてきた。

4週目どうするか。3、4日ずらして予約したら、風邪を惹いて延期とした。麻酔科医は風邪を治してから、と仰言る。
とまれ風邪で一時休戦。


かぼす牛乳豆腐のつくり方 [健康]

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今年はかぼすがたくさん収獲できたので、秋刀魚や刺身にかけたり、焼酎に搾るだけでなく何か使い道はないかと考えていたところ、牛乳に搾ると凝固することを発見してはたと気付いた。テレビで酪農家の賄い料理として、搾りたての牛乳に酢を入れ牛乳豆腐を作っていたのを思いだしたのである。かぼすは酢だ。酢の代わりになり、香り高い牛乳豆腐が出来はしないか。健康にも良さそう。
しばらくアイディアをあたためていたが、家人の留守に挑戦して見た。かぼすは3個ほど。二つに切って使う。
牛乳を小鍋に入れ、細火で温めつつかぼすを搾り落として、ゆっくりかき混ぜる。ここまではうら覚え。なかなか固まらないので米酢を少し加えて見た。
心配になりここでネットで牛乳豆腐のレシピを検索する。こういう時iPadは便利である。あるある、牛乳は500ccで酢は大匙二杯半、牛乳豆腐80gが出来ると。レモン汁でも可とも書いてあって自信を深めた。レモンもかぼすも同じ香酸柑橘類である。

そのうち、少し固まってきたので、紅茶の茶漉しで水分を落として出来上がりだ。そのまま茶漉しを逆さまして皿にぽんと盛る。レシピではザルで漉すとある。
味は狙いどおりカボスの風味がしてすこぶる結構。見た目と口触りはカッティーズチーズ風。サラダに乗せても良さそう。レシピでは生姜醤油をちょっとつけてめしあがれとある。
酪農家の賄い料理は搾りたて牛乳でないと本当の味が出ないというが、それは望むべくもない。しかし、市販の牛乳でも十分にいける。
カボスマーマレードには、何度もチャレンジしては失敗を繰り返してきて、未だに成功していないが、こちらは易しい。

レシピはいろいろあるようだが、見たのはこれだけ。

http://www.meg-snow.com/fun/academy/gyunyu/milk-tofu.html

なお、漉した水分は捨ててしまったが、これはホエィwhey(乳清・乳槳)ではないのか。レシピでも言及していないが、捨ててしまって利用しないのはちょっともったいない気がする。

はじめてことだったが、あと1、2回作ればモノになりそうな気がしてきた。

デング熱 [健康]

熱帯性感染症デング熱にもう130人以上かかっている。我が国での発症が69年ぶりというのは、南太平洋戦地帰りの人々であったろう。
ニュースでは、かかった人はいずれも容態は安定していると言っているが、ネットで見ると結構怖い病気である。
代々木公園も新宿中央公園も何度かスケッチに行ったし、最近はもっぱら教室の写生会が新宿御苑なのでいやな感じがしていた。案の定次回は御苑だという。
大丈夫かなと思っていたら、やはり蚊のウイルス調査のために閉鎖され、写生は中止になってしまった。

急遽教室でのお稽古に変更になったので、一昨年の写生会の時に撮った写真をiPadに移して、それを見て2枚並行して描いた。(F6 ウオーターフォード ナチュラル 中目)
2枚とも筆数が多いばかりの絵。とても蚊のいる現地では描けないだろう。出来が悪いのは蚊のせいにあらず。温暖化、熱帯化のせいにもあらず。

それにしても、温暖化の影響は天変地異、農水産物への悪影響ばかりでなく熱帯性ウイルスにまで及んだかと思うと、エボラ出血熱すら身近に感じられて怖くなるニュースである。

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池田山公園の記憶 [健康]

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この夏も暑さに負けどこへも出かけず引きこもっていた。
その夏も疾く過ぎて紅葉の季節到来である。

家内が新聞の記事を見て「五反田の近くに池田山公園というのがあって何か良さそう」と言うのを聞き流していたが、友達を誘ったところ帯状疱疹でダメだったと嘆いている。

行ったことがあるかと聞くので、全く無いと答えたがこういう時はあなたと行っても面白くは無いが一緒に行くかと言う意味だ。
それじゃと付き合うことにした。

行き順を事前に調べたという家内のいうままについて行くと、五反田駅前に降りてから何となく嫌な感じがする。美智子妃殿下の「ねむの木の庭公園」と言う案内図を見てやっと気がついた。
…ここは以前スケッチで来たことがある!
すっかり池田山という地名が記憶からかき消えていた。
人は覚えていない地名は行ったことがあっても、そんな場所は無いのだ。
帰ってからファイルしていた絵の画像を見ると2011.4とある。東日本大震災の1カ月後であり、まだ5年半しか経過していない。
そのとき自分の描いた絵は良く覚えていた。画像ファイルを見て公園の佇まいは思い出したが、さて一緒に行った画友の顔は覚えていない。スケッチは10時半からだったはずだが、お昼はどこで食べたのだろうか。これらもなぜか記憶から完全に消えている。
当時の状況をあまり覚えていないのだが、肋間神経痛がひどく体調が悪かったことは確かで、スケッチや教室でも人より早く切り上げ早帰りをしていた。

池田山公園は岡山池田藩の屋敷跡 で池泉回遊式庭園(のぞき式)として名高いとか。一帯は五反田、目黒駅から近い高級住宅地である。行くと良く分かるが、高低差があってすり鉢の底に池がある感じの珍しい日本庭園である。

帰りは目黒駅まで歩き庭園美術館の庭を見たあと、恵比寿駅近くで開催されていたFBで知った先生の個展会場に寄る。
しばらくぶりで先生の素晴らしい絵と絵の話を楽しんでから帰ったが、池田山公園の記憶についてはずっと頭から離れない。
認知症はひどくなると、昔のことを忘れないが最近のことはなから忘れて行き覚えていないという。まことに池田山公園の記憶はそんな感じだ。

物忘れや昔の知人名を思い出せないといったことはしょっちゅうだが、自分が思う以上に認知症、あるいは認知症的な老化が進んでいるのかも知れない、と思わされた一日であった。わが「池田山騒動」などと言って面白がっていて良いのやら。


絵は上が最初の時現地で描いたもの。下は今回写真を見て。並べて見ると、描き方はずいぶん変わったように見える。

老眼・老耳・老歯 [健康]

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家人はめがねがずり落ちてきて気になると言う。
ずり落ちるのは随分前からのことで、鼻眼鏡になっていたのだが、あまりこれまで気にならなかったのに、と嘆いて眼鏡店に行くと決めたらしい。例によって散歩代わりにとついて行くことにした。
そういえば、だいぶ前に駄句を作ったことを思い出した。

秋の夜半 アガサ読む妻 鼻眼鏡
妻籠俳句(めろうはいく)である。

眼鏡屋さんは、奥さんこれすぐ直りますよ、と鼻にあたる部品を取り替えてくれた。一件落着。ついでに自分のも替えてもらう。二人で1200円。

店頭に並ぶ補聴器を見ていたら、鴨ネギと見られたらしく、ご興味があれば検査しますよと言ってプリントしてくれた結果は次の通りであった。
平均聴力レベル 右 53dHBL 左58dHBL
語音弁別能 右85% 左80%
健聴は20デシベル以下であり、しっかり「中等度難聴」という。
たしかにずっと電話や会話が聞き取れず困ることが多い。テレビドラマもほとんど会話が理解不能で、ついに「字幕」に切り替えた。フィットネスのインストラクターの声もマイクを使っていないとほとんど聞こえない。人間ドックでは聴覚はいつも成績不良である。

家人は自分より軽度だが、耳鼻科で診察してもらい、左耳にすっぽり入る小さな補聴器を購入して使い始めた。一方で表参道の眼鏡店に行き、赤と白のフチのフランス製眼鏡を買って来た。お洒落してどこかに出かけたいなどと言っている。

自分は都合の悪いことは聞かなくとも良い、と頑なに補聴器は使わないと嘯いているが、いつまでやせ我慢していられるか心許ない。
強度の近視で小学4年生十歳の時から眼鏡は体の一部になっているが、近眼のせいか「老眼(ろうがん)」というのは実感したことがない。だから遠近両用というのはかけたことがない。
老眼ならぬ「老耳(ろうじ)」という言葉は聞いたことがないが、最近は難聴が認知症の原因にもなっているのだと指摘されて話題になっているという。たしかに人と話すのが億劫で「引き籠り→認知症」の遠因には違いない。
眼鏡も補聴器も「身体障害者」から免れる大事な道具だが、いずれも高価で保険の適用外なのが難点である。眼鏡店の店主によれば、補聴器は片耳20万前後のものでないと煩わしくて辛いし、両耳とも使用するのがお薦めという。アイパッドが4台買える。

ついでながら、歯の方は幼少時砂糖の無い時代に育っただからと、虫歯がないと自慢していたのに、手入れも悪いこともあって早々に悪くなった。親知らず以外の歯を2本抜いてブリッジがひとつ入っているが歯医者通いはかかせず情けない。

ふと、自分より年上の画友(女性)が、雑談していたとき「私たちは眼、耳、歯などを順次神様にお返ししていくのよ」、と言っていたことを思い出す。
まさしく眼鏡も補聴器も入れ歯もそれまでの、はかないアンチエイジングだが。さはさりながら。
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巨人ヤクルト戦 [健康]

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巨人ヤクルト戦
通っているフィットネスのキャンペーンに応募したら、巨人ヤクルトのペア観戦券が当選したので、家人を誘っていそいそと出かけた。いちおう幼児の頃より巨人大鵬ナントカである。
かつてジャイアンツの黄金時代・V9 (1965〜1973 )のあと、第一次長嶋監督時代(1975-1980)の頃に、何度か後楽園球場に巨人戦を観に行ったことがある。1976-79 年に営業部で仕事をしていたので、取引先との付き合いだが、むろん勤務時間外である。いまから40年前のことになる。
取引先は中堅中小企業に特化した営業。担当地区が日本橋、銀座地区で和菓子や和服卸など老舗が多かった。丁度非専従の中執委員長をやらされたのが1978年だったから、仕事とかけもちで多忙な日々をおくっていたので、その頃のことはよく記憶に残っている。

調べてみると、ダイエーの王監督とのON対決のあった2次長嶋監督時代は1993〜2001年である。この頃は多忙に加え、第二の職場への転職騒ぎでそれどころではなかった。
ともあれ当時のジャイアンツは、ピッカピカで今のジャイアンツには考えられぬ勢いであった。
東京ドームは1988年開業だから、当時は勿論屋外球場でナイターのビールもすこぶる結構だった。

今回東京ドーム球場は初めてだが(シートは一塁側内野席だった)、立派な割にはこの閉塞感は野球になじまないというのが個人的感想。雨が降っても野球ができるというが、雨が降ったら野球はしなくてよい。
BIGEGGは収容能力46千人という。この日も4万人が入場したらしい。
2位ヤクルトのクライマックスは固いにしても、DeNaとリーグ3〜4位を争っているジャイアンツとの対戦にしては驚くべき人気である。もちろんジャイアンツファンが圧倒的で、傘振りは少ない。不思議としか言えない。

それにつけても、最近のジャイアンツの低迷は眼を覆いたくなる。
いまや、ジャイアンツというよりプロ野球への関心そのものが薄れているので、監督は高橋由伸と知っているが、選手で知っているのは、坂本の他に阿部慎之介しかいない。
随分長いことテレビでも野球は見ていない。同じくサッカーも観ないが。

ところで、試合は5-0でジャイアンツが勝ち、ラッキーセブンに坂本のソロホームランも見ることが出来た。目出度い。

同じドーム関連で、1997年開業の大阪ドームに行ったことを思い出した。野球ではなく、1997年ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ダイアナ・ロスらが出演したガラコンサート(Super Concert in Osaka Dome)だった。
ただ、ここはその後ドーム命名権を売りに出し京セラドームになった。東京ドームはまだそういう話は聞かない。東京ドームシティは経営的にはうまくいっているのだろう。

後楽園球場に巨人戦をさかんに観に行っていた頃、所沢の西武球場にもよく行った。こちらはバックネット裏のレストランがお目当て。
同じく時は流れて西武球場も1999年ドーム化し西武ドームになり、いまメットライフ生命保険が命名権を買い、メットライフドームになっていることを知っている人は少ないのではないか。むろん西武ファンを除いてであるが。

はじめこそ興味ありげに観ていた家人も、飽きてきた様子。一番搾りも覚めて疲れてきたので7回終了後で家路についた。

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心臓で肝冷やしけり年の暮れ [健康]

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昨年のことになるが、クリスマスや暮れも近い12月17日のこと。家人が、胸のあたり少し具合が悪いと近くの内科医院に行き、ついでだからと心電図をとってもらったら異常な波形で狭心症や心筋梗塞の疑いがあると言われた、と帰ってきた。大病院の紹介状を書いてもらったのですぐに行くと言う。

さればと車のキーを手にしたあと、携帯を持とうとしたらこれがない。余程慌てていたと見え、家人が病院から帰る直前に携帯で銀行振込をしてから、間違ってハードトークンと一緒にスマホを引き出しに入れてしまっていたのに気づかない。
固定電話から携帯に電話すると、マナーモードながら音がどこかでするのだがその場所が分からぬ。やっと振込をしていたことを思い出すと、続けてトークンをいつもしまう場所だと連想して、やっと見つかった。肝心な時にヘマをする。

こんな時は車の事故を起こしかねないと、言い聞かせながら阿佐ヶ谷まで走る。予想した通り病院の駐車場はいっぱい。
家人を病院の前でおろし、一番近くのタイムズが一つ空いていたのでそこに入れる。

家人は総合外来の待合室で血圧を測ってもらうと170以上あったと言う。普段は高くても140前後だから、急なことで動揺したせいだろう。
緊急対応ながら、たまたま循環器科の先生が診てくれることになったのは、僥倖以外のなにものでもない。
紹介状に同封されていた心電図を一目見た医師は、こんな波形では貴女はここに来れないはず、とおっしゃる。直ぐに心電図をとりなおすと、なぜか異常なしの波形。何かの間違いだとは思うが、念のためにレントゲンと超音波(エコー)を撮りますと言われ、脱力するも少しホッとする。
これらも異常なく狭心症の心配はないが念のため、明日CTスキャンで心臓の大動脈を調べるとのこと。
12月21日にCT検査の結果を聞きに循環器科に行くと、医師は心臓の画像を示しながら主要な3本の大動脈も綺麗で問題ありませんと言われる。
さらにパルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定すると、99とアッパーに近い数値なのでこれも問題ないでしょうとのこと。

帰ってからネットで調べると酸素飽和度(SpO2)とは、心臓から全身に運ばれる血液(動脈血)の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているか、皮膚を通して(経皮的に)調べる値で96未満は要注意とある。

なにやら分からぬ心電図の乱れた波形で、肝を潰した一週間であったが、何はともあれ心配ないでしょうの医師の見立てに胸をなで下ろす。

これで今年の年末もクリスマスが出来、正月を迎えることも出来よう。すべての「おはすもの」への感謝の気持ちがふつふつと湧いて来た。

彼女の心臓のCT画像はCGであろうが、華やかな色彩が施され美しく、かつ、けなげに見えた。

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