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高浜虚子の句 [詩歌]

高浜虚子は1874年生まれ、1959年85歳で没した。
正岡子規に兄事、後に俳誌ホトトギスを主宰する。一族は星野立子、稲畑汀子など俳人が多い。
生涯に20万句を超える俳句を詠んだとされるが、現在活字として確認出来る句数は約2万2千句という。
虚子の作品は2009年12月31日に著作権が消滅し、2010年1月1日からパブリックドメイン(公有)に入っているから青空文庫で読むことが出来る。
500句、550句 600句などの虚子句集を青空文庫で読んでみた。

花鳥諷詠と客観写生を主唱した虚子の代表句は、例えばウキペディアでは次の通りである。

遠山に日の当たりたる枯野かな
春風や闘志抱きて丘に立つ
去年今年貫く棒の如きもの
波音の由井ガ濱より初電車
吾も亦紅なりとひそやかに
子規逝くや 十七日の 月明に
流れ行く大根の葉の早さかな

たしかにほぼ花鳥諷詠であり、花鳥は季語と同義語だがいずれの句にもそれが読み込まれている。また全てが客観と言えないような気もするが、写生句である。
季語がない、観念の句はもはや俳句ではないとして、伝統的な17音に徹した虚子の短詩芸術における本当の狙いは、奈辺にあったのか素人には分かるよしもない。
しかし結果から見るとこの二つは、俳句の大衆化に大きく寄与した。俳誌、俳句結社というビジネスモデルにおいて子規から受け継いだ写生、しかも誰が見ても同じの「客観写生」と誰が読んでも同じような感覚を呼び起こす「花鳥(季語)」を句に必ず読み込むべしとしたことは、俳句を詠む素人、趣味人の区別なく大きな支えになったことは疑う余地が無い。
大衆化に貢献した「新聞俳壇」も同じことだろう。
「ホトトギス」の長命、虚子一族の俳句ファミリーツリーの大きさはそれを如実に示す。虚子の客観写生と花鳥諷詠は営業戦略と揶揄する人すらいるくらいである。

ところで虚子の句をあらためて見ると、たしかに季語のない句は極端に少ない。無理やり入れている感じがするほどだ。
一方で客観写生の方は、主観写生もかなりあるように見える。もとより写生に客観と主観に明確な線が引ける訳もないのだが。
花鳥とは自然であり、自然には人間も含まれるとする虚子の俳句は、季語と人の心の動きをぶつけているだけのものが多いように思う。その意味で月並みに限りなく近い句が多いようにも思えるのだが、中にはどこか人の心に残るものもある。
これだけ多く詠めばどんな人にも感慨を引き起こすものが、必ず一つや二つあるだろうと言ったら虚子ファンに叱られるか。句は分かりやすいが、どうももうひとつ親しみが持てないのはどうしてか分からない。どこか俳句界の成功者というイメージが邪魔をするのか。かといって碧梧桐や放哉、山頭火は親しめるというわけではないのだが。

今回自分が拾い出した句は以下のとおりである。

鎌倉を 驚かしたる 余寒あり
代表句にも挙げられる。鎌倉中の人がびっくりしたのであれば「客観」写生か。
蓑虫の 父よと鳴きて 母もなし
枕草子の「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く」を踏まえているのだろう。
白牡丹といふといへども紅ほのか
確かによく見れば花芯の周りはほんのり赤い。とすれば客観写生句。
もとよりも恋は曲ものの懸想文
これは数少ない季語がない句。連句で言えば雑(ぞう)の句。もとよりも、のもが曲者、もとよりは、では月並み。
初空や大悪人虚子の頭上に
44歳の時のもの。大を入れて破調。字余りが効果的。さすが悪人。
一切の行蔵寒にある思ひ
昔この句に強く惹かれたことがあってよく覚えている。行蔵は出処進退のこと。
虚子の漢語好きは特別でなく、この時代の知識人は皆漢語、漢詩好き。俳句に漢語を使いたい気持ちはよく分かるが、読む方は辛いものがある。特に知らぬ漢語が入っているとしらける。
青空文庫は辞書が付いているので便利だ。
春雪の繽紛として舞ふを見よ
春眠や靉靆として白きもの
繽紛、靉靆など今使う人は無かろう。
福引に一国を引当てんかな
なんとなくおかしい。
敵といふもの今は無し秋の月
71歳、太平洋戦争終了の時の句。
出御今紀元二千六百年天高し
昭和15年の式典に出席したようだ。虚子の大戦への対処は、鴎外のそれに似て面従腹背と言えば一番近いが、酷だろうか。面従は、腹背であっても結果的には、服従だから。

この年は自分の生誕の年。翌年太平洋戦争勃発。

新俳句に走った俳人は早世する者が多かったが、伝統俳句に徹した虚子は長生きして膨大な沢山の句を詠んで昭和59年まで生きた。まるで花鳥諷詠と客観写生に守られたように。そして今なお俳句界の巨星として輝いている。



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心臓で肝冷やしけり年の暮れ [健康]

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昨年のことになるが、クリスマスや暮れも近い12月17日のこと。家人が、胸のあたり少し具合が悪いと近くの内科医院に行き、ついでだからと心電図をとってもらったら異常な波形で狭心症や心筋梗塞の疑いがあると言われた、と帰ってきた。大病院の紹介状を書いてもらったのですぐに行くと言う。

さればと車のキーを手にしたあと、携帯を持とうとしたらこれがない。余程慌てていたと見え、家人が病院から帰る直前に携帯で銀行振込をしてから、間違ってハードトークンと一緒にスマホを引き出しに入れてしまっていたのに気づかない。
固定電話から携帯に電話すると、マナーモードながら音がどこかでするのだがその場所が分からぬ。やっと振込をしていたことを思い出すと、続けてトークンをいつもしまう場所だと連想して、やっと見つかった。肝心な時にヘマをする。

こんな時は車の事故を起こしかねないと、言い聞かせながら阿佐ヶ谷まで走る。予想した通り病院の駐車場はいっぱい。
家人を病院の前でおろし、一番近くのタイムズが一つ空いていたのでそこに入れる。

家人は総合外来の待合室で血圧を測ってもらうと170以上あったと言う。普段は高くても140前後だから、急なことで動揺したせいだろう。
緊急対応ながら、たまたま循環器科の先生が診てくれることになったのは、僥倖以外のなにものでもない。
紹介状に同封されていた心電図を一目見た医師は、こんな波形では貴女はここに来れないはず、とおっしゃる。直ぐに心電図をとりなおすと、なぜか異常なしの波形。何かの間違いだとは思うが、念のためにレントゲンと超音波(エコー)を撮りますと言われ、脱力するも少しホッとする。
これらも異常なく狭心症の心配はないが念のため、明日CTスキャンで心臓の大動脈を調べるとのこと。
12月21日にCT検査の結果を聞きに循環器科に行くと、医師は心臓の画像を示しながら主要な3本の大動脈も綺麗で問題ありませんと言われる。
さらにパルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度(SpO2)を測定すると、99とアッパーに近い数値なのでこれも問題ないでしょうとのこと。

帰ってからネットで調べると酸素飽和度(SpO2)とは、心臓から全身に運ばれる血液(動脈血)の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているか、皮膚を通して(経皮的に)調べる値で96未満は要注意とある。

なにやら分からぬ心電図の乱れた波形で、肝を潰した一週間であったが、何はともあれ心配ないでしょうの医師の見立てに胸をなで下ろす。

これで今年の年末もクリスマスが出来、正月を迎えることも出来よう。すべての「おはすもの」への感謝の気持ちがふつふつと湧いて来た。

彼女の心臓のCT画像はCGであろうが、華やかな色彩が施され美しく、かつ、けなげに見えた。

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睡眠口座の話 [雑感]

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片付けをしていたら20年ほど前のJAの古い総合口座通帳とキャッシュカードが出てきた。残高が少しあるので駄目モトで電話をすると、この種の扱いはT支店に集中しているので、そこに電話されたしという。

預金者は銀行に対して債権(預金を返してもらう権利)をもっているが、この権利は5~10年間行使しないと時効が成立し、権利が消滅する。権利の上に眠るものは…というやつ。
しかし、全国銀行協会では自主ルールとして、10年、20年経過した預金であっても払戻しに応じることになっている。つまり、いったん休眠(睡眠)扱いになった預金でも、引き出すことができるのだ。
小生の通帳は、最終引き出し日が平成11年(1999.6.22)だから、20年近く眠っていたのでこのルールが適用される。
この年は37年あまり勤めた第一の職場を離れ、第二の職場に転籍した年だったが、この口座を開設した理由や経緯が思い出せない。たった20年されども20年、耄碌寸前、往時茫々である。

なお、ごく最近(2018年1月)になって、「休眠預金等活用法」が施行され、「2009年1月1日から10年以上取引がない普通預金、定期預金、貯金、定期積立を『休眠預金』とする」と制定された。
つまり2019年1月から、休眠預金となった預金は預金保険機構に移管され、民間公益活動のために有効活用されることが決定している。自分の場合、これにも該当するだろう。
しかし、この場合も、名乗り出れば、口座のある銀行で引き出すことができる。ただ、2007年9月の民営化前に預けた郵便貯金は唯一例外なので要注意である。

JAのT支店はいつも車で近くを走るところなので、行ってみることにした。窓口嬢は、通帳を見て、確認処理などに時間がかかるから電話をするので、後日出直せと言う。
JAなので経済課の店舗に立ち寄る。鎌や地下たびなどとともに食品も店頭に並んでいる。同道してくれた家人は普段はスーパーで栃木や千葉県産こしひかりなどしか買わないがたまには食べようと、南魚沼産こしひかりを買うという。あわせておしるこ用の餡、煎餅などを買い込んで帰る。

2週間ほどしてJAのT支店から電話があり、印鑑、通帳本人確認出来るものを持参して来店せよとの連絡。印鑑はどれだったか覚えがないと言うと、ではこれと思うものがあればそれを、なければ新しいものをと仰る。
2度目も車で行った。今度は20分ほどで解約処理を含め全てが終了する。窓口嬢の感じがすこぶる良いので、口座を復活しようかとも思ったが、銀行口座は整理したいくらいなので思いとどまる。

それにつけても時間の経つのは早い。とくに老人には10年は須臾の間である。10年で休眠口座とはちと早すぎないか。休眠預金は、年間約900億円(例えば2011年3月期は約882億円)に及ぶというから活用したいというのは解るが、民間公益活動って何だろう。
窓口嬢によれば法改正後この種の問い合わせが増えているとか。皆没収されるのではないかとおそれてのことのようだが、これは誤解によるものだ。上手に普通預金を動かす方法なども含め、顧客に良く説明する親切を銀行には求めたい。

本題から逸れる。インターネットバンキングの急速な普及など、世の変化の中でメガバンクや地銀を含め今後の銀行経営は容易ならざる感がある。が、かたやJAは金融、経済、共済の複合経営の強みを持っているし、加えて営農のコンサルも出来る。さればどんな時代になっても、対応していけるのではないか。

暫くぶりでJAを訪れ、窓口嬢の笑顔に接してしみじみそう思った。

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アップルペンシル [絵]

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今年の5月、アップルペンシルが6世代アイパッドでも使えるようになったと知って、アイパッドを買い換えた。本来はメモを取るのに便利なものなのだろうが、自分にはもっぱら絵を描くためである。昔ワコムのタブレットIntuosを買って、使いこなせず投げ出したが、性懲りもないとはこのこと。
いくつかのお絵かきアプリを試して半年ばかりになるが、なかなか難しく上達しない。
水彩の鉛筆下がきを取り込んで、どんな背景の色にしようかと試し塗りをするのには役立つ。アプリ絵も水彩と同じで、いじっているうちに汚くなる傾向がある。
水彩画と違って、紙や絵の具もいらず水も用意する必要がないので老人にはありがたいが、なにせ操作が慣れるまで面倒だ。レイヤーや手順も意外と複雑で、絵の仕上がりとそれに要する時間の長短にもろに影響する。
出来上がった自分のアプリ絵は、我ながら迫力には乏しい気がする。
ネットなどでも良い絵と思うのは少ない。しかしながら、中には素晴らしいものもある。素晴らしいアプリ絵を描く方は、水彩や油彩でも良い絵を描かれる。してみるとアプリ絵もひとつの画材なのかとも思う。
今の自分にはとてもCGなどというには、ほど遠いが水彩の独習には役に立つような気がするし、水彩の道具の出し入れが本当に面倒になったときに、水彩に似た感触を愉しめそうな気がしている。
アップルペンシルは、その意味ではありがたくこころ強い味方ではある。

絵はアプリ絵の練習作、「安曇野の柿」。
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パソコン不具合始末記 [PC]

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使っている本人もへたっているが、このところPCの具合が悪かった。
起動が遅い。時折フリーズする。なんと、pcがおかしいから早急に手当てしないとウイルスにやられるなどという怪しげな広告がするすると画面下から現れ、いちいちバッテンをクリックして閉じなけれならない。
OSのプログラム更新(アップデート)をしようとすると再起動の際にフリーズして前に進まない。
ゴウを煮やしてメーカーのサポートデスクに電話をすると、どうも初期化が必要らしいから修理に出せと勧める。販売店の5年延長保証があと5日で切れるというタイミングだったので、それを奇貨として修理に出した。
診断は初期化が必要、他にもふたの開閉部分に損傷が見られ、先々悪くなる要因になるおそれありという。初期化は保障対象だが後者は自然故障でないから保障対象外。PCは5年が寿命と聞いていたので修理代を考えると新品を買った方が良さそうと即断して蓋の方はやめた。
自分でも初期化は出来るが、せっかくなので専門家にやってもらい、PCが戻ってきたのがおよそ2週間後。
その間アイパッドとアイフォーンで何の不自由もない。PCはアイチューンズと筆まめ、hpビルダーさえ使わなければ無用の長物だと分かる。
いずれはPCは地上から消える日が来るだろう。
さて、戻ってきてから元の状態に復する作業が大変。
リカバリーメディアを作るのは、容易に出来た。が、ウインドウズ8.0で戻ってきたので、8.1にグレードアップするのに半日以上かかった。更新プログラムというのが厄介なのである。10にするのをやめてよかった。Office,セキュリティなどソフトのインストール、LAN設定、外付HDからのデータコピーなど時間と手間がかかる。
結局11月後半いっぱいこの作業にとられた。
五年前、新pcを買う前も初期化をしたので、要領は分かるのだが年をとったせいかあちこちで壁にぶつかる。幸い今回はアイパッドがあるので検索しながら解決出来たことも多く助かった。
ヘルプデスクは1時間待ちはザラだが、ソフト会社のチャットによる相談は、速くてなかなかよろしい。
ただ、もう初期化復元はしたくない。いつも思うのだが、アプリケーションを含めて簡単にまるごと復元が出来たら助かる。しかしPCそのものが不要になったら意味はないが。
歳をとるに従ってpc生活はしんどくなっていく。我々の世代で言えば80歳を超えるとやめる人が多いのが、現実ではないかという気がする。
もとよりPC生活はPCに時間をとられることが多く、その時間は全く無駄というもの。時間の無い年寄りには勿体なさすぎる。
しみじみとした時間を少しでも長く過ごしたい老人には、余計なものだ。
自分もいつまでこんなことをするのか、出来るのかなどと考える。

e-Tax、インターネットショッピング、インターネットバンキングの便利さなどはアイパッドなどの情報端末があれば事足りる。
今回のpc故障でそのことを痛感した。繰り返しだがスマホの少し大きいやつ、WiFi +セルラー機能の付いたアイパッドプロみたいなもの、が老人向きだと思う。自分にはペンシルで絵を描く楽しみもある。
故障したら修理して貰うか、買い換えるだけというのもスマホ並み。
PC(iTunes)なしのバックアップ、復元はどうするのか気にはなるが、iCloud を使えばやりようはあるだろう。

もうひとつ。1990年代半ば、ウインドウズとマックの選択で前者を選択したが水彩を始めた頃(2004)、画質の良いマックに変えようと考えたことがあった。アイパッドがこんなに使い易いのが分かっていれば、転向した方が良かったのだがもう遅いだろう。
今回のウインドウズの初期化では、MacやiPadを気にしながらの作業だったのでこのことを改めて思い出したのである。後悔先に立たずである。

とまれ、今我がPCは蘇生してサクサクと動いている。まずはめでたいというべきだが、いつまで持つか。PCや先、我や先という状態が続く。

絵は水彩とアプリのStudy。アップルペンシルを使っている。水彩はストラスモアF6。
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シャコバサボテン [自然]

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暫くへたっていたが、家人の介護で復活したサボテン。
これはシャコバサボテンかカニバサボテンか?
蝦蛄か蟹か?
葉に突起があること、11月、12月に咲いたことからみてどうやらシャコバサボテンのよう。
別名クリスマスカクタスとか。

昔、大分の佐伯湾で蝦蛄の子を餌に手のひら大の小鯛釣りをしたことを思い出した。シャコの子は全身クリーム色一色だった。が、寿司で食べる成魚?は紫色っぽい。このサボテンの緑色の葉からシャコを連想し難いが、確かに棘は生えている。しかし蟹にも突起はある。はて?

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今年のかぼす [自然]

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昨年のかぼすは、沢山なったが、今年は裏年というのか数が4、50個と少なかった。昨年は300個はなった。そのかわり、今年のはサイズが大きい。沢山なっても摘果すれば大玉になるのだろうか。

全部取り尽くしたと思ったら、黄色く色づくとよく見えるようになり、いくつか残っていた。青いうちは葉の陰にあって見つからず、人の眼というのはあてにならないものと知らされる。

かぼすは大分県の名産だが、大分では熟したものを「黄色いかぼす」と言ってバカにしていた。かぼすも四国のスダチ(酢橘)と同じく、ふぐ刺しなどにかけて、まだ青い未熟の香りを楽しむ。大きくなったものはジューシーだが、夏みかんより酸っぱくてそのままでは食用とならない。

絞って秋刀魚にかけるか、ポン酢などを作るときの酢の代用品にするしかない。

それにしても、我が家のかぼすの木は樹齢が40年以上になると思うと、ただただ、ときの流れを感じるのみだ。


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解体パワーショベル [随想]

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このところ、ご近所は家の解体、新築が立て続けに数カ所あった。子供が独立して巣立ってしまい、老夫婦が住んでいたが、高齢化とともに戸建て管理が大変になったというのが多いようだ。更地にして売却したあとに、数件の新所帯向けの小さな家が建つ。自分たちは、その一角に住む方もおられる。世代の代わりでやむなしといえども、古屋の解体は見ていてものがなしい。壊される途中で二階の押入れなどが見えると、あそこで生活していたのだなと、人のことなれどなにやら妙な気になったりする。

しかし、やがて古い家が、庭木ともども跡形もなく消えると、そこにどんな家があったか思い出せなくなる。

解体に使われるパワーショベルは強力である。昭和に建てられた木造家屋などあっという間に壊される。

パワーショベルが動き出す前に合掌しているように見えた。

秋晴れや 解体ショベル 合掌す
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巨人ヤクルト戦 [健康]

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巨人ヤクルト戦
通っているフィットネスのキャンペーンに応募したら、巨人ヤクルトのペア観戦券が当選したので、家人を誘っていそいそと出かけた。いちおう幼児の頃より巨人大鵬ナントカである。
かつてジャイアンツの黄金時代・V9 (1965〜1973 )のあと、第一次長嶋監督時代(1975-1980)の頃に、何度か後楽園球場に巨人戦を観に行ったことがある。1976-79 年に営業部で仕事をしていたので、取引先との付き合いだが、むろん勤務時間外である。いまから40年前のことになる。
取引先は中堅中小企業に特化した営業。担当地区が日本橋、銀座地区で和菓子や和服卸など老舗が多かった。丁度非専従の中執委員長をやらされたのが1978年だったから、仕事とかけもちで多忙な日々をおくっていたので、その頃のことはよく記憶に残っている。

調べてみると、ダイエーの王監督とのON対決のあった2次長嶋監督時代は1993〜2001年である。この頃は多忙に加え、第二の職場への転職騒ぎでそれどころではなかった。
ともあれ当時のジャイアンツは、ピッカピカで今のジャイアンツには考えられぬ勢いであった。
東京ドームは1988年開業だから、当時は勿論屋外球場でナイターのビールもすこぶる結構だった。

今回東京ドーム球場は初めてだが(シートは一塁側内野席だった)、立派な割にはこの閉塞感は野球になじまないというのが個人的感想。雨が降っても野球ができるというが、雨が降ったら野球はしなくてよい。
BIGEGGは収容能力46千人という。この日も4万人が入場したらしい。
2位ヤクルトのクライマックスは固いにしても、DeNaとリーグ3〜4位を争っているジャイアンツとの対戦にしては驚くべき人気である。もちろんジャイアンツファンが圧倒的で、傘振りは少ない。不思議としか言えない。

それにつけても、最近のジャイアンツの低迷は眼を覆いたくなる。
いまや、ジャイアンツというよりプロ野球への関心そのものが薄れているので、監督は高橋由伸と知っているが、選手で知っているのは、坂本の他に阿部慎之介しかいない。
随分長いことテレビでも野球は見ていない。同じくサッカーも観ないが。

ところで、試合は5-0でジャイアンツが勝ち、ラッキーセブンに坂本のソロホームランも見ることが出来た。目出度い。

同じドーム関連で、1997年開業の大阪ドームに行ったことを思い出した。野球ではなく、1997年ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ダイアナ・ロスらが出演したガラコンサート(Super Concert in Osaka Dome)だった。
ただ、ここはその後ドーム命名権を売りに出し京セラドームになった。東京ドームはまだそういう話は聞かない。東京ドームシティは経営的にはうまくいっているのだろう。

後楽園球場に巨人戦をさかんに観に行っていた頃、所沢の西武球場にもよく行った。こちらはバックネット裏のレストランがお目当て。
同じく時は流れて西武球場も1999年ドーム化し西武ドームになり、いまメットライフ生命保険が命名権を買い、メットライフドームになっていることを知っている人は少ないのではないか。むろん西武ファンを除いてであるが。

はじめこそ興味ありげに観ていた家人も、飽きてきた様子。一番搾りも覚めて疲れてきたので7回終了後で家路についた。

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丸谷才一「笹まくら」 [本]

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この「笹まくら」は、最近読んだ米原万里の著書「打ちのめされるようなすごい本」で紹介されている。彼女はどんなことに打ちのめされたのだろうか。
題名の「笹まくら」は鎌倉時代の歌人の「これもまたかりそめ臥しのささ枕一夜の夢の契りばかりに」という和歌から来ている。
著者は1925年生まれ、2012年87歳で没。この小説は昭和41年(1966)刊行だから作者が41歳の時のもの。自分の41歳の時のことを思い、こんな小説が書けたかと考えるとたしかに打ちのめさたような気分になる。
「歳の残り」、「たった一人の反乱」、「輝く日の宮」、「裏声でうたへ君が代」などと並ぶ代表作であるが、この作品を一番に押す人が多いという。
物語は、昭和15年晩秋(主人公、浜田庄吉が徴兵され入営を迎える前日)に、出征壮行会の準備をしている実家から「床屋に行く」と行って出かけ、そのまま逃亡生活へと入る場面で終わるという変わった構成に驚かされる。それまで語られた全ての出発点にいきなり立たされた読者は一瞬名状しがたい気分になる仕掛け。
また読者は、戦後のサラリーマンとなった主人公の生活と戦争忌避者として逃亡生活を交互に語られる展開に、抵抗感なく引き込まれる筆力にも驚かされる。
これらの小説手法は村上春樹の作品に多く見られるなと、ふと思う。複数の物語の同時進行、二つの世界の行き来などだ。村上春樹のデビューを丸谷才一が評価したというのも頷ける。そういえば性描写なども共通点があるようにも思う。品格に少し差があるが。
それにしても戦争忌避、逃亡者をテーマにしたことは戦後の日本の歩みを考えると意味は何重にも深い。
漱石の「草枕」もやはり戦争とは無縁ではないという。丸谷才一は後に「徴兵忌避者としての夏目漱石」という評論を書いているが、自分はまだ読んでいない。
図書館でついでに借りたのは「たった一人の反乱 」「七十句 八十八句」どちらも面白い。
なかでも後者(古希に編んだ七十句、米寿記念の八十八句)に収録された岡野弘彦、長谷川櫂との三吟歌仙(連句)は楽しめる。氏(俳号玩亭)の付けは分かりやすくて面白く、久しぶりに堪能した。
もともと自分は著者を連句から読み始めたのである。長い小説より、五七五 七七の方が良いのはあながち歳をとったせいばかりでもなさそうだ。
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「ターナー 風景の詩」を観る [絵]

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西新宿スカートビルの42階にある損保ジャパン日本興亜美術館へ「ターナー 風景の詩」を観に行った。
この美術館は東郷青児記念として知られる。家からはアクセスが良いが、たいていは何かのついでに寄ることが多い。
今回も都庁へ免許更新のために行き帰りに寄ったのだが、この主目的の方がひどいチョンボで用が済まずひどい目にあった。もとより迂闊な方だが今回はひどい。
免許更新は誕生日の1ヶ月前後の間しか出来ないのに、1ヶ月前より10日前に行ってしまったのである。免許更新センターの受付の方は白髪の年寄りめいた人だったが、「旦那さん、10日早いですネ。」気の毒そうににこっとした。バカバカと言う。もちろん受け付けの方にではない。
1ヶ月前後の間(2ヶ月間)というのは承知していながら、全く念頭にのぼらず、ノホホンと出かけた。逆走とか、免許返納といった言葉が一瞬頭をかすめる。前ならいつでもいいのでは、と無意識のうちに行動した感じでもある。事故はこんな思い込み、不注意で起こす。
新宿駅から都庁へ行く歩く歩道が無くなっていた。また都庁のバカでかさは老人の衰えた足にきつい。八つ当たりだ。

展覧会は油彩、水彩画のほかにエッチングなどが多いが、70点あまり。相当な枚数である。1時過ぎまで1時間ほどターナーに酔う。終わるとへろへろになった。
1番良かったのは「ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山」1842年頃 (Watercolour and Scratching-out on paper )21.6×17.9cm。ターナーはルツェルン湖風景を好んで描いた。かつてこの湖に行ったことがあるけれど、周囲の山は目に入らなかったらしく覚えがない。

ほかに、美術館HP情報であるが、展覧された両陛下も見入っておられたという「セント・オールバンズ・ヘッド沖」(1822 水彩)もなるほど素晴らしい。

アランによるターナーの絵と「コールトン・ヒルから見たエディンバラ」
(1819年頃 水彩、鉛筆、グワッシュ、スクレイピングアウト)をあしらったフォトスポットが訪れた人のために用意されていた。インスタ映えの風潮に呼応したのか。気恥ずかしいので自撮りは遠慮した。

相変わらずターナーの水彩は良い。地誌的風景、海景、山岳などに分類して展示されている。みな150年も前のものだという気がしない。スクラッチングアウト(引っ掻く)、やスクレイピングアウト(掻き出す)を具体的にはどうしたのか知る由も無いが、紙の白さを出して光や靄などを表現しているのにあらためて感心する。しかもターナーにはこんな工夫はほんの一部のことに過ぎないのだから、その技巧追求心に驚愕するしかない。

この美術館はゴッホのひまわりなどが常設展示されているが、東郷青児(1897-1978)の作品ももちろんある。資生堂風の油彩はそう好きではないが、今回は鉛筆淡彩によるスケッチ、デッサンが何点か展示されていて目をひいた。画伯70歳代のものが特に良い。
ターナーを観た後のせいか、意外に新鮮な感じがしてへえと思った。

次回の「巨匠たちのクレパス画展」(7月14日〜)も観たいが、もう都庁での脱力感はご免こうむりたいものだ。
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箱根山のつつじ [風流]

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今年は花が早く咲き急いでいる感じがする。桜も近所を散歩したとき見ただけでどこも出かけず終わってしまった。
つつじもじっくり見ずに終わってしまうのは、あまりに情けないと家人が嘆く。あじさいの季節がくるとすぐ夏になって花は終わる。
そのつつじが都立戸山公園(新宿区)の箱根山では満開という東京新聞の記事を見ていた家人が、ゴールデンウィーク前で人が少なくて良いかもしれないと言うので4月末日出かけた。
箱根山は標高44・6メートルあり山手線内最高峰だそう。

記事によれば4月22日、戸山公園で初めての「つつじまつり」が開かれ、都内や千葉、埼玉、群馬などから約四百六十人が登頂、江戸時代に尾張徳川家の下屋敷の庭園に築かれた箱根山の歴史を偲び、山肌で見頃のツツジの花を楽しんだとある。

戸山公園へは家からは阿佐ヶ谷ー大久保経由で40分ほど。近いのにこの公園には(・・記憶の限り)今まで行った覚えがない。
明治6年に陸軍戸山学校が出来、太平洋戦争後にその跡地に公園や都立住宅団地が開かれた。周辺は都心に近いのに閑静な住宅地である。

暑いくらいであるが、湿度が低いのか、風が少しあってもからりとした晴天で、緑陰が気持ちが良い日である。
箱根山は思ったほどの高さではないが、築山としては千駄ヶ谷富士(6メートル)に比べればそうとう高い。函谷関もももならずという難所箱根と言うには羊腸の小径も苔も生えていないが、江戸時代にはバーチャルリアリティとしてそれなりのものだったのであろう。
確かにつつじも咲いていたが、最近植栽されたものらしく本数は少ない。同じように東京新聞を見て来たと言う、高齢のご婦人もちょっと期待はずれという面持ちだった。

昨年は千駄ヶ谷の鳩森神社にある富士山に登ったことを思い出した。遠出はほとんどせず、すっかり新宿周辺を徘徊するだけになってしまったが、行く先もミニュチュアの富士山や箱根では冴えないことと呆れてしまう。

千駄ヶ谷で富士登山
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2017-04-04

つつじといえば大分九重連山のミヤマキリシマ(正確にはキリシマツツジというのか)の美しかったことが忘れられない。あのときは尋常じゃない光景を眼にしたと思った。
全国にツツジの名所は多い。

蛇足 。どうでも良いことながら「躑躅」は難読でありかつ、難書き漢字の最たるもののひとつ。音読みは「てきちゃく、てきちょく」とか。羊が足を踏み、走って散るさまという。ツツジの語源には諸説あるようだが、羊に関係する説は足へんがつくところから有力説のような気がする。

躑躅生けてその陰に干鱈割く女
岩躑躅 染むる涙や ほととぎ朱 芭蕉

写真は公園にあった栃の木。花が咲いていた。
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ふたたび認知機能検査 [車]

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早いもので免許更新から3年が経ってしまい、今年2月通知が来て認知症機能検査に行ってきた。75歳からは更新が3年ごとになり、認知症機能検査を受けなければならないので、2回目となる。
2回目ともなると慣れたもので、日頃の物忘れのひどさで心配したが、我ながら好成績でパス。
検査は16の絵を見てあとでいくつ思い出せるかというのが柱だが、この検査でも90点は超えたのではないかと思う。

ちなみに採点は、総合点をA1.15+B1.94+C2.97で計算する。Aは検査当日の日時を答えさせる問題の点数、Bが16の絵を思い出させるもの、Cは時計を書かせる問題である。Bで自分が正確にいくつ思い出せたのか不明だが、まあそこそこか。
総合点76点以上が記憶力、判断力に問題なし、49点未満はそれが低下しているので警察から連絡があると医師の診断を受けなければならない。
一緒に受検した隣の方はあまり絵を思い出せなかったようで苦労していた。あとで係の方から呼び出されていたが、どうなったか他人事ながら身につまされて心配である。
自分より2歳下の立派な紳士風だった。人みなそれぞれだが、単純に免許証を返上出来ない事情をもつひともいるのだ。

高齢者になっての免許更新(74歳までは講習のみで認知機能検査はない)は今回が3度目になる。
たぶんこれが最後になるだろうと思いつつ、高齢者運転講習を予約(6月11日)してとりあえず今日のところは無事終了した。

高齢者運転免許更新
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2011-12-27-3

認知機能検査
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-06-21
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 [絵]

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すずきはよく知られているように出世魚である。家人が買ってきたのは、計らなかったが30cmほど、フッコかセイゴといったところか。
白身魚で味は淡白、フランス料理でもムニエルやカルパッチョなど良く使われる食材。旬は冬かと思っていたが、魚やさんによれば意外にも春だとのこと。
すずきのえら返し(えら洗いとも)と呼ばれるほど引きが強いので釣り人に人気がある。
英名Japanese sea bass 。

絵は透明水彩で。アルシュ 31×41cm。

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マスキングを剥がしたところを写真に取り込んで、色の練習になるかとアプリでも描いて見た。初めて使ったアプリなのであまりうまくいかなかった。青みがかった黒が出ない。

我々は、一尾を刺身、もう一尾はポワレで食べた。すこぶる結構な味であった。
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米原万里を読む⑵終「オリガ・モリソヴナの反語法」など [本]

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「不実な美女か貞淑な醜女か」(1994 新潮社)読売文学賞。
通訳にまつわるあれこれ。通訳者を志ざす者にとっては得難い教科書、参考書であることは間違いなかろう。たぶん翻訳者にとっても。しかし、一読すれば、単なる教科書、入門書でないことはすぐに分かる。読んでいると、むかし仕事では通訳のお世話になったことが多く色々思い出した。中国語や英語で露語ではないが、書かれていることは似たようなものだろう。
一番印象的だったのは、ムーディ社やスタンダード&プア社から格付けを取るときにお願いした通訳者の博識、彼女たちも必死で金融知識を予習していたのだろう。トンチンカンな専門用語など一言も使わなかった。

「ロシアは今日も荒れ模様」(1998 日本経済新聞社)
チャーチルは「ロシアは謎の謎、そして謎の中の謎」と言ったとあるが、確かに不思議な国らしい。この本ではその謎が少しは解けるだけでなく、翻って日本のことも解ってくるのが可笑しい。例えば「日本は資本主義国ではない。理想的な社会主義に一番近い国だ。ロシアはそれに向いていない」とロシア人がのたまう。すぐ皆が一方方向に走る、戦後の銀行の護送船団方式や最近の忖度世相を見ると、そうだなと思わずうなづく。
解説者袴田茂樹は米原ブシは独特のノリで誇張にわかに信じがたいようなところもあるが、一種の照れ隠しだと言う。そのようだ。

「オリガ・モリソヴナの反語法」(2002 集英社文庫 ) Bunkamura ドゥマゴ文学賞。
スターリン時代の暗黒、ソヴィエト崩壊後のロシア、1960年代のプラハを舞台に展開する老舞踏家の行方を追う長編小説。文庫本で493ページに及ぶ大作である。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と同じく、著者のプラハにおけるソヴィエト学校の経験がその核になっている。がこちらの方が少しフィクション色が濃い。だれでもロシア語に翻訳したら、彼の国の文学愛好者にどう受け止められるだろうかという興味が湧くだろう。
しかし、遠く離れた日本に住む自分にも、当時の社会主義国家の激動が感じられて面白く読了した。執筆に際し読んだという参考文献の量に驚く。

「旅行者の食卓」(2002 文藝春秋)
健啖家、胃丈夫(偉丈婦?)の著者の食べ物にまつわるエッセイ集。解説東海林さだを。
ウオッカのアルコール度は39、41度でもなく40度だとか、不味い「旅行者の朝食」という缶詰があったらしいとか、面白い話が音楽演奏会仕立てで纏められていて楽しい。

「わたし猫語がわかるのよ」日本ペンクラブ(2004 光文社)
題名を見て全部が米原万里の猫随筆かと勘違いしたが、米原万里は「白ネクタイのノワ」と題する一編を載せているのみ。他の作家やエッセイストたちの猫随筆を集めたものだった。ときどきこういう失敗をする。猫随筆もたくさん読むと、皆同じようになってきてつまらなくなる。
浅田次郎の私は猫であるという書き出しで始まる「百匹の猫」だけが面白かった。ペンクラブ会長だけに(ー関係ないが)とぼけた味わいがある。

「パンツの面目 ふんどしの沽券」(2005 筑摩書房)
ちくまに連載されたものを修正、加筆中に病気になる。少女の時の素朴な疑問、通訳者としての難問(固有の文化の言葉をどう伝えるのかなど)を解き明かそうとした「力作」と言えよう。単にシモネッタなどと思うと間違う。パンツの歴史は古く、騎馬民族などは最近のものらしい。論考は多岐にわたり、しかも微細に及ぶのでこれを読み通すには、ふんどしを締めてかかる必要がある。傍線が引かれていて助かる。

「必笑小咄のテクニック」(2005 集英社)
雑誌に連載した小咄の創り方を加筆修正したもの。著者が類い稀なユーモア感覚を持ち、いかにそれを大事なものと思っているかが分かる。苦しい時こそこれが大事と。この本も刊行直前に著者を病魔が襲う。
翻って我がことを思えば、著者の反対のところにいる感じか。大事だと分かるが笑いのセンスに乏しい。それでも俳句、連句、戯れ歌などに興味はあるのだが。
情けないが自分が本当に苦しいとき、彼女のように「ユーモア」に思いが至るか全く自信はない。
この小咄のテクニックは、お笑い芸人にはもってこいの教科書になるだろうというのが読後感とは情けない。

「偉くない「私」が一番自由」佐藤 優編 (2006文藝春秋)
佐藤優編によるロシア料理仕立ての著作集。佐藤は元外交官、作家、大学教授。外務省情報分析官のとき北方領土返還交渉に関わり代議士鈴木宗男逮捕事件に連座、背任等で逮捕、有罪。著書の「国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて」が話題となる。ついでにこれも読んだ。米原とはロシア繋がりであろう知人の間柄。佐藤の方が10歳若い。
なお、編集はロシア料理のコース仕立てになっている。ロシア料理を知っていれば、個々のエッセイがより味わいも深いものになるのだろうが残念。
米原の文章に「日本の古本屋」で古本をネットで買えると初めて教えられた。便利そうなので早速登録をしてみた。まだ試してはいない。

「打ちのめされるようなすごい本」(2006 文藝春秋)週刊誌などに掲載された書評集。
読書量の膨大なことに驚く。丸谷才一を高く評価している。「笹まくら 」「輝く日の宮」などが「ーようなすごい小説」。その丸谷才一が解説。その解説者も言っているが米原の書評は褒め方が上手い。
書評と無関係だが、文章の中に「猫の脳はヒトの脳と相似形、前頭葉が無いだけ」という記述に会い「前頭葉」をネットで調べてみた。
「前頭葉の持つ実行機能(executive function) と呼ばれる能力は、現在の行動によって生じる未来における結果の認知や、より良い行動の選択、許容され難い社会的応答の無効化と抑圧、物事の類似点や相違点の判断に関する能力と関係している」とある。
どうも猫の表情しぐさは人に近いなと最近強く思うので興味を持ったのだが、こんな実行機能の説明ではさっぱり要領を得ない。

「発明マニア」(2010 文藝春秋)
この本は米原万里が2003年から2006年まで雑誌に掲載したものを、没後収録刊行したもの。文庫本で579ページに達する大作。発明マニアの名に恥じぬ、数多の奇天烈な発明に名を借りた世相、文化評論である。
最後の「国際化時代に最も不向きな対立回避症克服法」は2006.5.21の日付になっているが、米原万里の死去は2006.5.25である。まさに絶筆だが畏れ入るばかりだ。
そもそも日本はアメリカの属領だから外務省はアクセサリーに過ぎないと持論を展開し、アメリカに丁寧なのに反比例して米国以外の国へ発言の不用意なこと、無礼、物騒なことと嘆く。自らのガンのことなど一切書かない。
新井八代なるペンネームで著者が大量の挿絵を描いている。絵は自己流というが、独特の味がある。習わなくとも、もう少し描いたらいっぱしのイラストレーターになっただろう。
米原万里は、もう少し長く生きたら、良い文章と絵をもっと残したに違いない。池田晶子(とその早世)を知った時と同じ気持ちになった。佳人薄命だとしみじみ思う。


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米原万里を読む⑴ 「ガセネッタ&シモネッタ」など [本]


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「多田富雄対談集 懐かしい日々の対話」を読んでいたら、米原万里との対談の中に彼女の著書「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)が出て来て興味を惹かれた。この人の本は読んだ覚えがない。色々なエッセイ集に載っているようだから、正確に言えば、読んだ筈だが記憶にない、ということになろう。(例えば 木炭日和 - '99年版ベスト・エッセイ集、日本エッセイストクラブ・編などに掲載されているようだ)

米原万里は1950年4月生まれ。自分より10歳下になる。残念なことに 2006年5月に56歳の若さで亡くなっている(卵巣がん)。東京外語大卒、ロシア語同時通訳・エッセイスト・ノンフィクション作家・小説家である。 父親が共産党幹部の故米原昶(いたる)、妹が井上ひさし夫人ユリ氏、料理研究家。

早速図書館で「ガセネッタ&シモネッタ」(2000 文藝春秋)、「終生ヒトのオスは飼わず」(2007文藝春秋)、「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」(2001 角川書店)を借りてくる。
米原万里の本は、大きく分けて①ロシア語通訳とロシアの話、②猫の話、③チェコのソビエト学校の話、④その他になるがそれぞれに面白い。その他にはがん闘病の話が含まれるがこれは辛い。
「ガセネッタ&シモネッタ」は①通訳の話だが、翻訳の話から言語学、文化比較論などに及び読ませるエッセイ。ロシア語で「こんにちは」は、ズドラーストヴィチェだが発音は「ズロース一丁」に似ているととぼける。
自分が知っている露語はあとスパシーバ(ありがとう)、とダスヴィダーニャ(さようなら)しかないが、こちらも何かと似ているか。
かつて、新潟に住んでいた時、新潟港に寄港碇泊していたロシア材木運搬船に乗せて貰い、お茶(たぶんクワス)と黒パンをご馳走になったことを思い出した。
貨物船には女性の乗組員が多勢いて、2歳の息子をしきりに可愛いがってくれた。
船室の食卓の足は床に固定され、椅子は鎖で床に繋がれていた。日本海は荒れるのだ。

「終生ヒトのオスは飼わず」は②の猫の話だが、この人の猫好きはやや並外れのようだ。
常時5、6匹の猫と暮らし犬も飼っていた。どの随筆だったか覚えがないが、ロシアから仔猫(ロシアンブルー)を二匹買って、空港の動物検疫を済ますまでのハラハラを書いていたが、その猫好きが相当なものだと分かって微笑ましい。
表題のほか「ヒトのオスは飼わないの?」も収録されている。米原万里は生涯独身を通した。
やはり若くして亡くなった哲学的エッセイスト池田晶子(1960年生まれ、2007年逝去、46歳)の犬好きを想い起こした。
 彼女は「犬とは犬の服を着た魂である。そして、人間とは、人間の服を着た魂である。」とまで書いていた。二人にはヒトのオスを飼わなかったことのほか、いくつか共通点がある。美人で頭が良く筆が立つこと、ファザコンらしいこと、など。ただ、相違点もある。
米原万里は脳の言語中枢部が、池田は哲学中枢部(そんなところがあればだが)が発達しているところ。米原はユーモア、シモネタ、ダジャレ好き、食いしん坊。池田は私生活は詳らかではなく、一見「真面目」といったことなど。

「米原万里ベストエッセイⅠ・Ⅱ 」は、池澤夏樹がⅠを、斎藤美奈子がⅡを、解説している。随筆集はあちこちに発表したものを集めるので、あ、これは読んだと気がつくものとそうでないものとある。読む者のその時の興味次第のよう。関心がなければ読んでも内容は100%覚えていない。

「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は、親しかったチェコのソビエト学校時代のクラスメート3人、リッツァ(ギリシャ人)、アーニャ(ルーマニア人)、ヤースナ(ボスニア)を訪ね探し歩き、消息を確かめた記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。NHKの「世界・わが心の旅 - プラハ 4つの国の同級生 」(NHK衛星第2、1996年2月3日放送)の取材紀行が下敷きになっているらしい。

米原万里は1959年、父の仕事の関係で一家で渡欧した。チェコのプラハで9歳から14歳まで暮らす。この間ソヴィエト大使館付属ソヴィエト学校で学び、帰国して東京外語大露学科を卒業。ソヴィエト崩壊、ロシア新体制移行時にゴルバチョフ、エリツインの通訳者としても活躍した。このあたりのことは、知らぬことが多いし関心がある。
もう少し米原万里の本を読んでみようかと思う。


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喜寿の歌五首 [詩歌]

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2015年、後期高齢者になったとき、狂歌に限りなく近い「戯れ歌 後期高齢15首」を詠んだ。
その中の三首目に
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
というのがある。

そして昨年の夏、「極楽とんぼ」はめでたくも喜寿を迎えた。
体調も良くないこともあるせいか、気持ちのノリが悪いというか、今回はなかなか戯れ句、戯れ歌でもつくろうという気になれない。はなはだ冴えない。
この歳2017年は、身内のほか学生時代世話になった方や会社の先輩などの急逝・訃報に接したことも多分に影響している。
しかし、単に老齢化による感受性の鈍麻と語彙の忘却が進行して歌など浮かぶどころではなくなりつつあるだけのことのようだ。
人に読んで貰えるようなしろものではないが、生活の備忘録として喜寿の歌5首。

喜寿の会 六十年の再会に 面影浮かぶ人 一人いて
九十歳 何がめでたい 喜寿なれど 喜こばずや 蒲柳の我は
「TENQOO・(天空)」に 祝いし喜寿の 目の下の 「東京ビル」に 新人がいた
いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病
喜寿の年 9年ぶりの 内視鏡 画面の大腸 朱き雉の目

一首目 2017年6月、那須烏山市那珂川町の馬頭温泉郷 「東家」で故郷境中学の同窓会に出席した。
二首目 佐藤女史の「90歳で何が目出度い」という気持ちも分からぬわけではないが、当方は身体が丈夫な方ではないので喜寿でも素直に嬉しい。
三首目 7月東京駅の高層ビルにあるレストランに子供達、孫、姉が集まって喜寿を祝ってくれたとき、東京駅全体と周辺が真下に見えた。郵便局の近くに自分が社会人1年生としてスタートした職場のあったビルが眼に飛び込んで来た。一瞬にして当時のことを想起した。
四首目 この歌のことは、既にブログに書いたので省略。
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2018-01-08
五首目 11月区民検診で便潜血が陽性と出た。大腸の内視鏡検査は、前回は2008年だから9年ぶり。済生会中央病院で3つのポリープを取ってもらい組織検査もして貰った。
医者が問題ないとの検査結果を説明してくれた時のモニター画面。そこに現れた我が大腸の写真は、赤くて雉の目のように見えた。喜寿の目。オキーフの描く花にも似ていた。

喜寿の感慨を詠んだものではないが、他にこの年に作った歌五首。上記喜寿の歌に劣らず 、出来が悪くてわれながら情け無い。

二つ上 病みし兄の 乾く喉 姪の飲ませし 水に微笑む(1月蘇我にて)
一つ上 頭上がらぬ 先輩の 訃報に悲し 「WAKITYAN!」の声(1月柳井さん逝く)
籾蒔いて水やるだけの三ヶ月 ワインバケツに稲の花咲く(5月バケツ稲づくり挑戦)
アイフォーン 冥土のみやげと買い替えて ユーチューブにて裏技磨く(5月鷺宮ドコモ)
教え子の 兄の手紙を 読む前に 母なる人の 訃報とぞ知る(6月長男敏博君が喪主)


冒頭に記したように、後期高齢者になったときは、狂歌に限りなく近い「戯れ歌 後期高齢15首」を詠んだ。喜寿の歌と比べて見たくて再掲。

滑稽を腰折れうたに詠み込みて明晰頭脳ボケのはじまる
真実を吐けばすべてが狂歌(うた)になる白髪頭の蜀山人か
二年後に喜寿祝わんと願いけり幾つになっても極楽とんぼ
鰻食ふ茂吉あやかり喰べているスーパー目玉さんま蒲焼
歩くより車が楽と言い訳し逆走怖いが免許更新
たびぐつと暖パンはきて渋谷まで破廉恥爺に怖いもの無し
光陰は新幹線と思いしが乗ることは無いリニアのごとし
妻や子に悪態をつくかたわらで憎まれ爺は猫に優しき
ヴァーチャルに遊ぶ老人のアイパッド白煙のぼる玉手箱かな
億劫と鬱は紙のうらおもて思い知らさる老懶(ろうらん)の春
億劫はそも人の世の常なれど無洗入浴老痩躯かな
バロックの通奏低音聴いてゐてイヤホンはずし 難聴を知る
朝ドラの祖母を演じる女優こそわが青春のアイドル愛(かな)し
愛しあい罵りあいて偕老の洞穴入りて半世紀過ぐ
めでたくも金婚式と重なりぬ蒲柳の夫婦(めおと)感謝あるのみ

ついでに古希を迎えた時、七福神にかけて思いのたけを七句の戯れ句に込めたのを再掲。
       
        古希なれば鏡のうぬは布袋腹
        古希なれど足るを知らない福・禄・寿
        古希なりて我が夢のゆめ寿老人(じゅろうじん)
        古希迎え弁財天とサファイア婚
        古希ならば無理してつくれ恵比須顔
        古希老に小槌貸してや大黒天
        今ぞ古希毘沙門天のご加護あれ

後期高齢15首
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2015-02-21

歳をとるにつれ歌や俳句は上手くなるのではないかと思っていたのは、幻想(でなければ錯覚)に過ぎなかったとしみじみと思う。

絵は本文とまったく関係ない。「Vサイン」Watercolor (Arches 28.5×38.0cm)

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猫ドック [猫]


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昨年末、ねこの目やにがなかなか治らず、近所にある行きつけの動物病院に家人と二人がかりで連れて行った。このように黒い目やには心配ありません、ほうっておけば治ります、黄色いのは要注意ですが、との診断。ホッと一安心。
なるほど、しばらくしてそのとおりに消えてしまった。

その時、昨年からお願いしている猫ドック(健康診断)は、当院では年明けにキャンペーンを予定している、と言うので年明けになった。7歳以上は「かつおコース」、若い猫はいわしコースになる。我が家は「かつお」。
人間ドックに魚コース名を付けるなら「さよりコース」(細身で左寄り、左傾タイプ)か「河豚コース(丸型で美味しそうなタイプ)」などか。

猫ドックの当日、院長先生が目、耳、のどなどを診察、体のあちこちを触診し、少しメタボ(5.4kg)だが、総じて異常なしとのご託宣。血液を採取し感染症のワクチンを打ってもらい終了。
院長先生は、息子の中学校のクラスメートなので安心して診て貰っている。血液検査結果は1週間後。聞いて来た家人によれば、全項目ほぼ健康猫の基準範囲内に数値がおさまっているとのこと。項目の多さにも感心するが、ともかく成績優良である。中性脂肪やコレステロールの高い飼い主の方がよほど分が悪い。

我が家の猫は出自がノラだが、交通事故と猫同士の喧嘩が怖いので、ほぼ100パーセント(たまさか、うっかり戸を閉め忘れたとき外出するが30分もすれば戻る)の家猫である。
だから猫病院へ行くときはキャリーに入れるのも大騒ぎだ。おとなしくしてもらうためのまたたびは欠かせない。
診察台で押さえられても逃げようとして暴れる。看護師(?)さんもたいへんだ。

それにしても、世に飢えた人が大勢いるというのに、飼い犬にジャケットなど着せて何たることか、と憤慨していた十年前と最近の自分の変わりように驚くばかりである。同じ人間とはとても思えない。今は犬にも猫にも情があり魂があると信じている。
人は変わるものだと分かっているものの、我ながら自分の変わりようにはついていけぬ。不思議なことである。


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ショパン マズルカ・ポロネーズ [音楽]

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平原綾香がクラシックの入門解説を東京新聞に連載している。それを時折り読む。このほどそれをまとめて「平原綾香と開くクラシックの扉 」(2017 東京新聞)が刊行された。新聞連載で読み落としたものもあるだろうと、図書館で借りて来た。
音楽に疎い自分には、まさしくうってつけの入門書である。
面白い記事がいくつかあったが、そのなかで芥川賞作家平野啓一郎(1975-)のショパン話に惹かれた。早速平野著「葬送」(新潮社2001)と「エッセー集ショパンを嗜む」(音楽之友社2013)を図書館のインターネットで借りる。近作の「マチネの終わりに」(毎日新聞出版2016)は予約順120番という人気で借りられなかった。

「葬送」は、19世紀のパリを舞台にショパン、ドラクロワ、ジョルジュ・サンドらの織り成す人間模様を描いた長編小説。「エッセー集ショパンを嗜む」はその取材紀行を主にした随筆集。
ドラクロワ(1798-1863)には良い水彩画がある。このブログでも取り上げたが、「Jewish Bride ユダヤの花嫁 」(1832 水彩 ルーブル美術館所蔵288 ×237mm)は自分が水彩画を始めたとき、こんな絵を描きたいものだと思った好きな絵の一つだ。

2013.8「ウジェーヌ・ドラクロワの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11

なお、ドラクロワには油彩だが、ショパンと愛人ジョルジュサンドの肖像画もある。もともと一枚の絵だったが、2枚に切り離されたという説がある。この小説を読むとそんな説が出てくるのも、あながち突飛なことでもないなと納得する。
小説はショパンとドラクロワが主人公で音楽と絵画論が続く。ジョルジュ・サンドはどちらかといえばサブだがその割に長女との母娘葛藤、確執が延々と続く。そのことがショパンとの距離を拡げたのはわかるが、他にも書くべきことはありそうなものだと思ってしまう。小説の出来は分からないが27歳の若さで死にゆく者の孤独、男女の愛(時代といえ何と不倫の多いことか)、音楽、美術など芸術論をかくもすらすらと書けるものかと驚くばかりである。
ジョルジュ・サンドは、小説にもちらと出てくるが水彩画を描く。それも独自に考案した水彩技法(ダンドリッド)だったと以前別の本で読んだ記憶がある。このへんを絡めて書いてくれたら最高なのだがと、勝手なことを考える。とまれ、小説家であり政治活動家もあった男装の麗人とショパンの関係を主にした方が、個人的には良かったのではないかと思う。
小説後半に出てくるショパンのラストコンサート(1848年2月)の様子は演奏された曲目とともに音楽をよく知らないものにも楽しめる描写だ。
エッセイの方は、作家が傾倒し造詣に深いだけあって、ショパンとその音楽について勉強になる。内容はともかく題名の「嗜む」は、理由は分からないが、個人的には好きになれぬ。「バッハを嗜む」と言う人はいるのだろうか。

これまでピアノ協奏曲1.2番だけアイポッドに入れてたまに聞いていたが、これを機会に、ソナタ(葬送)、ノクターン、バラード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどをアマゾンミュージックで聴くようになった。
なかでもマズルカとポロネーズが気に入って、CDを借りアイポッドに入れた。マズルカはショパンの故国ポーランドの民謡舞曲の影響が濃厚だという。ポロネーズはフランス語でポーランド風とか。
フランスで活動したショパンは最後まで故国ポーランドに帰れなかった。ショパンの音楽に望郷の思いが強く影響しないわけはない。
音楽の分からぬ自分にはショパンのピアノはみなマズルカ、ポロネーズのように聞こえる。1810年生まれのショパンが生きたのは、ナポレオン戦争と大国ロシアに蹂躙されたポーランドの時代だから、むろん百年後の第2次大戦を知らない(1849年没、39歳) が、周知のようにアウシュビッツはポーランド南部にある。
ポーランド人にとっての近代や現代は、ロシア、ドイツなどの外国人による反ポーランド主義運動と、その屈辱に耐え続けた歴史だが、マズルカやポロネーズには民衆の哀しみが流れているのだとしみじみと思う。


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山峡(やまかい) [詩歌]

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栃木県那須烏山市の横枕(よこまくら)はわが亡母の生地、わが疎開地、3歳から高校まで育った故郷でもある。
今や市になっているが、当時は那須郡境村(後に烏山町)横枕であった。疎開先となったくらいだから、東京までは当時一日がかりだった。僻地といっても良い。昔から山の中の代名詞として「大木須・小木須・横枕(おおぎす・こぎす・よこまくら)」といわれてきた。なかでもわが横枕は茨城県境に近い八溝山系にあり山の中の集落である。

いまグーグルマップで検索すると、東京の我が家から東北本線(新幹線利用)宇都宮で烏山線に乗り換え終点烏山駅まで2時間39分。そこからはバスで30分くらいだろうから、今でもおよそ3時間余かかるのである。東京から新大阪までの新幹線の時間がちょうど2時間半だ。車だと東北道利用で2時間48分とある。

小中高と一緒に通った幼馴染の友人がいる。彼は、香港・イタリア、アメリカなど駐在を含めアパレル商社で長年活躍した。リタイヤしたあと山の中で暮らしたいと、故郷那須烏山市に戻って17年になる。
この友人が親切で、幹事を引き受けることが多いこともあって、自分は小中高のクラス会があると出かけていき、宇都宮から先は全面的に彼の世話になる。

その彼から昨年11月「山峡(やまかい)」と題した一冊の歌集が送られてきた。友人は奥様ともどもテニス好きで、シニアで何度も地区優勝し韓国大会あたりまで出かける。またリタイア後、車によるアメリカ横断旅行を5回もした行動派のつわものだが、歌は詠まない。
歌集は友人の生家の向かいに住む方が自費出版したものという。たぶん君も懐かしく読むのではないかと思って、と親切にも送ってくれたのである。
中学生か高校生だったか定かでないが、山峡(やまかい)という言葉を知ってわが横枕にぴったりの言葉だと思ったことを、直ぐに思い出した。
歌人は山峡の農家を継いで稲作、肥育牛など農業を営む八十路の老爺である。五十四歳から短歌誌に参加して歌を読み始めたという。
自分はもとより短歌を勉強したこともないので、本当の良さは理解出来ないと思うが、良い歌(佳什)が数多く収録された素晴らしい歌集である。
友人が自分を思い出してくれたとおり、懐かしくわが幼少時代の田舎の生活を思い出した歌が沢山ある。


この歌集には歌人の喜寿の時に詠まれた歌もあって、それに刺激された訳ではないが、昨年平成29年6月、古里の近く馬頭町の温泉「東家」で開催された境中学クラス会、喜寿の会に出席した時のことを詠んだ腰折れ一首を作った。

喜寿の会六十年の再会に面差し残る人一人いて

馬頭町は小川町と合併して那珂川町となった。財政が裕福で那須烏山市とは隣接するも、一緒にならなかったと友人が教えてくれた。この辺り出身の高校の時の友達がたくさんいた。
前記の通り短歌も習ったことはない。時折りいたずらで作るが、いつも狂歌のようになる。また説明調になる。我ながら歌になっていないし、詩情もない。三十一文字だけというしろものである。よって自嘲的に腰折れと呼ぶ。
「山峡」の歌人の歌は言うに及ばず、新聞記事で歌会始の歌などをみると、すらすらと歌うように流れ、中身はまさに詩になっている。こうでなければと分かっているが、自分がやるとなかなかうまくいかない。
このうたも「面影残る人数多(あまた)いて」(事実に近い)とした方が良いのか、「面差し残る人一人いて」(ドラマチックだ)とした方が良いのか迷った。果ては会津八一にならって、すべてひらがなにした方が感じが出はしないか、と疑がったりする。

きじゅのかいろくじゅうねんのさいかいに おもざしのこるひとひとりいて

リタイヤしてからでも「山峡(やまかい)」の歌人のようにちゃんと勉強すれば良かったと(遅きに失しているが)反省することしきりである。


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いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病 [音楽]

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中二病なる言葉がある。
ネットで調べると「中二病(ちゅうにびょう)とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。
別名「他人とは違う俺カッコイイ病」。厨ニ病、厨弐病とも。(何故に厨なのかは不明。台所に籠る訳ではなかろうが。)
「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。」とある。
洋楽を聴き始めたり、旨くもないコーヒーを飲み始め、世界への怯えや、その裏返しの、暴力への興味、そしておとなの嘘っぱちを暴く態度をとるようになるという。

中学二年生といえば、14歳。
哲学的エッセイスト池田晶子の「14歳からの哲学 考えるための教科書」を思い出したが、14歳は生老病死、神、などあらゆることを考える年齢だと彼女は強調していた。
我が身にっ振り返ってみると、中二の頃は何も考えていなかったように思う。奥手だったと見える。ただこれだけ年をとると、当時のことをすっかり忘れているだけなのかも知れない。

余り関係無いが、マッカーサーは日本人12歳論を唱えた。同じ敗戦国でもアングロサクソンのドイツ人は45歳。日本人は子供だから、(戦争をしても)仕方がなかったのか、その代わり未来があるーだったのか、その真意はよく分からないが、まだ中二病になる前の小学6年生ということになる。

また大江健三郎を批判してピュアな幼児性、というか男子中学生っぽさだ。永遠の中学生なのだ。というのも想起した。いずれもいまどきのネットスラングという中二病とは関係無い。

さて、この中二病をテーマにしたというCDがある。

 思春期の少年の心理に訴えかけるクラシック音楽を集めたアルバム「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。〜「春の祭典」初演100周年記念アルバム」〜」。
クラシック音楽レーベルのナクソス・ジャパンがリリースしたもの。

ハルサイとは「春の祭典」(はるのさいてん、原題:Le sacre du printemps, :The rite of spring )のこと。ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽。1913年に完成し、同年5月に初演された。20世紀の近代音楽の傑作に挙げられる作品であり、複雑なリズムのクラスター(群れ)、ポリフォニー(多声音楽)、不協和音に満ちていて、初演当時怪我人も出る大騒動となったことで知られる。

 CDは、ニーチェの哲学書を元にした「ツァラトゥストラはかく語りき」など、孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆などのイメージを持つクラシック音楽を収録。「現代により近い、もしくは時代が離れていても何らかの今日性を感じさせる作品」をセレクトしているという。ちょっと長いがPR文を引用させてもらうと。

「おまえ、いっつもなに聴いてんの?」

「ん…まあ、ちょっとした(100年前の)洋楽」

”神は死んだ”という言葉で知られるニーチェの哲学書を元にした
「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス)

トランペットが木管楽器に“存在の永遠”を問いかける
「答えのない問い」(チャールズ・アイヴズ)

改造楽器の一種であるプリペアド・ピアノのために書かれた
「危険な夜」(ジョン・ケージ)

そして、

あまりに過激な音楽とダンスゆえ、初演時に炎上騒ぎを巻き起こした
「春の祭典」(イーゴリ・ストラヴィンスキー)

孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆。
思春期の男子の“中二病心理”をくすぐる曲は
パンクやヒップホップだけじゃなかった

ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」(通称ハルサイ)初演100周年記念。
音楽史という名の“青春の黒歴史”に捧げる、恥ずかしくも愛しい音楽の詰まったアルバム。

CDに収録された曲を備忘のために記すと末尾のとおりである。

最近、平原綾香のクラシックをカヴァーしたCDや、村上春樹らしき?「僕と小説とクラシック」(CD)を聴いている自分が知っているのは、このうちいくつも無い。バッハのシャコンヌ、リヒャルトシュトラウス・ツァラトゥストラはかく語りき、ストラヴィンスキー・春の祭典、メシアン・トゥーランガリラ交響曲くらい。それもよく聴いたのはヴァイオリンパルティータ・シャコンヌくらいであとは知っている程度だ。音楽に疎い自分と比較しても余り意味は無いけれど、いまどきの14歳は凄いなと感心するばかりだ。そこで腰折れ一首。

いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病

我は喜寿病か?、な。

①edit. Alfonso X: Cantiga de Santa Maria No.77/119~アルフォンソ10世の編纂によるカンティガ集 第77/119番 アンサンブル・ユニコーン/ミヒャエル・ポッシュ(指揮)
②J.S.Bach: Violin Partita No.2 - Ciaccona~シャコンヌ イリヤ・カーラー(ヴァイオリン)
③R.Strauss: Also sprach Zarathustra~ツァラトゥストラはかく語りき スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団/ズデニェク・コシュラー(指揮)
④E.Satie: Vexation~厭がらせ クラーラ・ケルメンディ(ピアノ)
⑤C.Ives: The Unanswered Question~答えのない問い ノーザン・シンフォニア/ジェイムス・シンクレア(指揮)/アルチョム・デルウォード(ギター)
⑥I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第1部 大地の礼賛 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑦I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第2部 生贄の儀式 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑧C.Orff: Carmina Burana~カルミナ・ブラーナ - 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) ボーンマス交響合唱団/ボーンマス交響楽団/マリン・オールソップ(指揮)
⑨J.Cage: The Perilous Night~危険な夜 - VI.(プリペアド・ピアノによる) ボリス・ベルマン(ピアノ)
⑩O.Messiaen: La Turangalila-Symphonie~トゥーランガリラ交響曲 - 第3楽章 トマ・ブロシュ(オンド・マルトノ)/ポーランド国立放送交響楽団/アントニ・ヴィト(指揮)
(11)P.Glass: Violin Concerto~ヴァイオリン協奏曲 - 第3楽章 アデレ・アンソニー(ヴァイオリン)/アルスター管弦楽団/湯浅卓雄(指揮)
(12 )L.Vierne: Carillon de Westminster~ウエストミンスターの鐘 アンドリュー・ルーカス(オルガン)

絵は「我が家のふて猫」 アルシュ 28.5×38cm 文と関係無い。
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共通テーマ:日記・雑感

「晩年様式集 イン・レイト・スタイル 」を読む [本]

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大江健三郎。1935年1月生まれの82歳。1959年東大卒。1960年友人伊丹十三の妹ゆかりと結婚。1963年長男光誕生などといった説明はいまさら不要だろう。
ノーベル文学賞受賞作家と並べるのは流石に気がひけるが、自分は1963年卒。1965年結婚。1967年長男誕生。ー同世代の作家だということを言いたかった。
若い頃はよく読んだが、仕事が忙しくなってからはあまり読まなくなっていたのは、サラリーマンの話題とするには適当ではなかったからだろうか。

「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」の表題は友人サイードの言「晩年の仕事レイト・ワーク」からというが、相変わらずうまい。「芽むしり仔撃ち」、「遅れてきた青年」、「洪水はわが魂に及び」 、「万延元年のフットボール」など初期作品名がすぐ浮かぶ。
2013年に刊行(講談社)されたこの本を書いたのは、刊行の一年くらい前だろうからたぶん77歳の頃と思われる。今の自分と同じだ。大作家が同じ年の頃にどんなことを考え、書いたか、どんな健康状態か興味が湧くのは自然のことである。まして書かれているのは2011年「3.11」の直後にあたる。
ただ、この本の主題は、作家の小説手法など別のところにありそうだ。残念ながら自分はよく理解できなかった。それほど最近の(晩年の)著作を読んでいないし、良き読者でも無いのだから無理もないと思う。

自分が日々感じている老いや心の変化などでは、作家の言葉に共感するところが多い。
作家は自宅の階段踊り場であの大震災から百日ほど経ったある夜半ふいに涕泣する。
「この放射性物質に汚染された地面を(少なくとも私らが生きている間は…実際にはそういうノンビリした話じゃなく、それよりはるかに長い期間)人はもとに戻すことができない。」と。

あの地震、津波、原発事故の時、自分は何も考えることも出来ず、呆けたように日を過ごした。作家は77歳で当方は作家の5歳下だから、72歳だったということになる。なにげに比べることになる。この時の打撃は作家ほどでないにしても、すべての日本中の人が強烈な衝撃を受けた。これまでの秩序や規範がガラガラと崩れていく、未来への不安が頭を覆う…。

さて、ネットの解説によれば、作家の1999年以降の創作活動は、「宙返り(1999)」、「取り替え子チェンジリング(2000)」、「さようなら私の本よ!(2005)」、「水死(2009)」などで作家自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と表現しているという。

「後期の仕事」は、ほとんどが作家自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語ばかりであるという。
「作家自身をめぐる物語に虚構の騒動を交えて自身の思考を語りなおす、という手法が踏襲されている。(この形式には大江自身も自覚的であり、「水死」の作中にも「老作家のあいも変わらぬ自己模倣」などといった韜晦のような表現がある)。また、全編にわたって先行する文学・芸術などからの放縦な引用に加えて、過去の自作の引用・再話・換骨奪胎・再構築が行われている。」とある。

自分はこれらの著作をほとんどを読んでいないので、言うべき言葉はない。リタイア後読んだ「静かな生活(1990)」と「恢復する家族(1995)」 「ゆるやかな絆(1996)」ーこの2冊はいずれも妻大江ゆかりとの共著ーなどは「後期の仕事」以前のものだ。
よって「後期の仕事をテーマ」にしたこの「晩年様式集」についても語る資格もない。
読みながら、身体的な老いと戦いつつ九条を守る会、原発反対集会などに参加する姿に首を垂れるのみだ。

作家は、「晩年様式集」のなかで、これまで毎年ひとつずつ年齢を重ねている、としか自覚していなかったーが、「僕の年齢認識の変化は、こうなんだ。僕は間近に迫っている八十歳を基準にする。定点とする。ともかく自分の定点から逆算して、あと三年、二年と生きている今をとらえるということです。」と変わってきたという。
自分はかなり前からそうだが、定点は父の死の79歳だ。今やあと二年弱という年になっている。

また、作家は「四年ほど前の、視界が片隅からザーッと崩れる症状(それ以来、二度、三度と再来するので大眩暈と呼んで来た)に襲われた。」と言い、MRI,CT検査の結果、アルコール離脱症状だったと告白している。アルコール依存は原発事故禍、反対運動の疲労、自分の老い、知的障がい者の長男の行く末など悩み事からの酒への逃避の結果だという。
自分は幸にもいままでに大眩暈のような経験がないが、いつかどこかで何らかのカタストロフィが来ると懸念している。この恐怖感は大作家であろうが、凡夫の自分であろうが変わりは無いだろう。
作家は原発などのカタストロフィを語るとき、自らのカタストロフィも重ねているだろうことは何となく感じさせられる。

巻末の詩の最後はそれを感じつつ読んだ。

「ー私のなかで
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
小さなものらに、老人は答えたい。
私は生き直すことはできない、しかし
私らは生き直すことができる。」

暮から正月にかけて、「後期の仕事」を少しずつ読んでみようかという気になっている。
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老眼・老耳・老歯 [健康]

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家人はめがねがずり落ちてきて気になると言う。
ずり落ちるのは随分前からのことで、鼻眼鏡になっていたのだが、あまりこれまで気にならなかったのに、と嘆いて眼鏡店に行くと決めたらしい。例によって散歩代わりにとついて行くことにした。
そういえば、だいぶ前に駄句を作ったことを思い出した。

秋の夜半 アガサ読む妻 鼻眼鏡
妻籠俳句(めろうはいく)である。

眼鏡屋さんは、奥さんこれすぐ直りますよ、と鼻にあたる部品を取り替えてくれた。一件落着。ついでに自分のも替えてもらう。二人で1200円。

店頭に並ぶ補聴器を見ていたら、鴨ネギと見られたらしく、ご興味があれば検査しますよと言ってプリントしてくれた結果は次の通りであった。
平均聴力レベル 右 53dHBL 左58dHBL
語音弁別能 右85% 左80%
健聴は20デシベル以下であり、しっかり「中等度難聴」という。
たしかにずっと電話や会話が聞き取れず困ることが多い。テレビドラマもほとんど会話が理解不能で、ついに「字幕」に切り替えた。フィットネスのインストラクターの声もマイクを使っていないとほとんど聞こえない。人間ドックでは聴覚はいつも成績不良である。

家人は自分より軽度だが、耳鼻科で診察してもらい、左耳にすっぽり入る小さな補聴器を購入して使い始めた。一方で表参道の眼鏡店に行き、赤と白のフチのフランス製眼鏡を買って来た。お洒落してどこかに出かけたいなどと言っている。

自分は都合の悪いことは聞かなくとも良い、と頑なに補聴器は使わないと嘯いているが、いつまでやせ我慢していられるか心許ない。
強度の近視で小学4年生十歳の時から眼鏡は体の一部になっているが、近眼のせいか「老眼(ろうがん)」というのは実感したことがない。だから遠近両用というのはかけたことがない。
老眼ならぬ「老耳(ろうじ)」という言葉は聞いたことがないが、最近は難聴が認知症の原因にもなっているのだと指摘されて話題になっているという。たしかに人と話すのが億劫で「引き籠り→認知症」の遠因には違いない。
眼鏡も補聴器も「身体障害者」から免れる大事な道具だが、いずれも高価で保険の適用外なのが難点である。眼鏡店の店主によれば、補聴器は片耳20万前後のものでないと煩わしくて辛いし、両耳とも使用するのがお薦めという。アイパッドが4台買える。

ついでながら、歯の方は幼少時砂糖の無い時代に育っただからと、虫歯がないと自慢していたのに、手入れも悪いこともあって早々に悪くなった。親知らず以外の歯を2本抜いてブリッジがひとつ入っているが歯医者通いはかかせず情けない。

ふと、自分より年上の画友(女性)が、雑談していたとき「私たちは眼、耳、歯などを順次神様にお返ししていくのよ」、と言っていたことを思い出す。
まさしく眼鏡も補聴器も入れ歯もそれまでの、はかないアンチエイジングだが。さはさりながら。
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極楽湯につかる [雑感]

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今年の11月は、後半に何日か小春日和があった。年寄りにはたいへんありがたいことである。
北米ではインディアンサンマー、ヨーロッパでは貴婦人の夏と呼ばれる似た気候があるというが、なぜかあちらでは夏。我が国は旧暦10月の異称が小春なので春となる。
このところ、すっかり引き籠りっきりになっているが、切符を頂いたので和光市にある「極楽湯」に行くことにした。
家人によれば、近くに銀杏並木通りのきれいな光ヶ丘公園もあるとのことなので、帰りに寄って見ようということになる。
「極楽湯」は全国各地にあるが(直営23店舗)、我が家から一番近いのが和光市にある。環八に出て北へ走ると自宅から17分とアイフォーンのマップにある。
これをカーナビ代わりに走ると、練馬区「清水山の憩いの森」のある土支田の近くとすぐ分かった。和光市は練馬のすぐ北隣りなのである。「清水山憩いの森」はカタクリの自生地で有名なので、それをバスを乗り継いで見に行ったのである。2015年4月のことだった。

さて、われらが極楽湯に行ったその日は祝日で風呂は混んでいた。駐車場もほぼ満車状態。
休憩室も人でいっぱい。家族揃って食事もできて、ノンビリ過ごせるこのての施設は人気があると見える。
温泉も茶色い湯でそれらしいが、何せ人が多く子どももいて老人には落ち着かない。
温泉に入って思わず出る「あぁ、ゴクラク、ゴクラク! 」、「♪い~湯だナ アハハッ」とまではいかなかったのは残念ながら、温泉なのだから気分が悪いはずはない。
料金は家人に聞くと1000円くらいらしい。

早々に風呂を出てすぐ近くの光ヶ丘公園に行く。
駐車場に車を停め、お腹が空いたので売店でたこ焼きを食べる。タコは一つずつしっかり入っていたものの冷めていた。アツアツでないのは致命的。
大阪でよく食べたので、タコ踊りの幟りなどを見ると時々食べたくなるのだ。たこ焼きは大阪発祥とされるが、優れてアジア的な食べ物だといつも思う。汁につけて食べる兵庫の明石焼きの方がルーツとする人もいる。
銀杏の並木通りは何処ですかと売店の人に尋ねると、すぐ隣がそうですがあいにくもうほとんど散ってしまいましたと言う。
今年は黄葉も遅いのではないかと思っていたのに、この辺りは暖かいのだろうかと訝る。
それでも園内にはまだ散っていない銀杏もあって、午後の日を浴びて黄色に輝いていた。
雨上がりの陽に輝く銀杏の葉の黄色ほど、素晴らしい黄色は他にそうはない。

小春日和の風呂上がりに、いっとき秋色を楽しんだ午後であった。
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村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」 [本]

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「パン屋再襲撃」( 1986 文藝春秋)
表題は1985年作(下記の絵本「パン屋を襲う」で触れたい)。あと「象の消滅」、「ファミリー・アフェア」、「双子と沈んだ大陸」の短編。ほかに2篇、計6篇が収められている。
いずれも面白く読める。「ファミリー・アフェア」は「家庭の事情」とでも訳すのか。60~70年代に活躍したアメリカのファンクバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲名「Family Affair」と同じだと指摘する人も。
主人公の妹の婚約者の名前が渡辺昇、安西水丸の本名だ。「ノルウェイの森」ほか、あちこちに出てくるのが可笑しい。この短編集「パン屋再襲撃」では主人公僕の共同経営者、「象の消滅」では象の飼育係、「双子と沈んだ太陽」ではやはり共同経営者として、渡辺昇が俳優のごとく出てくる。皆別人ながら短編集に通した横串と見るのはうがち過ぎか。
ほか2篇のうちの「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(1986)は、後の長編の冒頭の書き出しでほぼそのまま使われた。失踪猫の名はノボル・ワタナベで「クロニクル」のわたやのぼるにほぼ同じ。
「ねじまき鳥クロニクル」の刊行は、1994年だから、この短編が書かれてから9年が過ぎていることになる。

「パン屋を襲う 」(2013 新潮社)
「パン屋を襲う」「 再びパン屋を襲う」の2編の短編を収録。それぞれ「パン屋襲撃(1981)」、「パン屋再襲撃(1985)」を改題、絵本に仕立てたもの。
絵はカット・メンシック(独イラストレーター)なる女性が描いている。絵は好みだから評価は人によるだろう。自分は嫌いではない。
「パン屋を襲う」は若い男の二人連れがパン屋に押し入ってパンを強奪しようするが、パン屋の主人からワグナーを一緒に聞けば、パンをやると持ちかけられ、襲撃が頓挫する話。
「再びパン屋を襲う(旧題パン屋再襲撃)」は、結婚したばかりの若い男女が、猛烈な空腹に耐えかねてパン屋を襲う話である。かつてパン屋を襲った経験のある男の方が妻と再びパン屋(実際にはハンバーガーのマグドナルド)を襲う。物語はいわば独立しており、読者は二つの物語の関連性はそれぞれ考えろ、とつき放されることになる。いつものことだが、なぜワグナーなのか(「パン屋を襲う」の方)も含めて不分明、謎めかせて読者を惹きつける魂胆と見た。

「波の絵、波の話」(1984 写真 稲越功一 文村上春樹 文藝春秋)Pictures of Wave,Tales of Wave英題名。
波の絵は絵画かと誤解しかねないが、Photograph の方。マンハッタン、パリ、ロングアイランド、ハワイなどの波の写真と歌詞、短編レイモンド・カーヴァー村上春樹訳など。
手元に置いて、ウイスキーでもやりながら時折眺めるには大判で重過ぎると思う。

「The scrap 懐かしの一九八〇年代」(1987 文藝春秋)
スポーツ・グラフィック・ナンバー誌に掲載(1982~1986)された。
「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」がとぼけていて読ませる。

「地球のはぐれ方 東京するめクラブ」(2008 文春文庫)
海外はハワイ、サハリンのみ。日本のはぐれ方である。名古屋、熱海、江ノ島、清里などであまりはぐれたくない。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問」  (2000 朝日新聞社)
村上朝日堂のHPの掲示板での作家と読者とのやりとりを収録したもの。村上春樹の答えは丁寧で辛抱強い。大方は共感する、あるいはそういう考えもあろうと思うものが多い。
個人的に言えば、一人が好きで一人でいたいので走ったり、音楽を聞いたり小説を書くことに没頭するのだ、というあたりは、やや誇張もあろうが、同感するところもある。

ただ一つだけ違和感を覚えたのは、なぜ選挙に行かないかという28歳の主婦からの問いへの回答。政治性において極端に個人的であるとして、選挙に行かないのは、人それぞれだから、とやかくいう筋合いではないのかも知れない。しかし、自分は決して非政治的な人間ではないというからには、質問者にはどうすべきかを言うべきではないかと思う。そうでないと、村上春樹でさえ行かないのだから、と若い人たちが安易に思ってしまうような気がする。著名人の発言力は本人が思う以上に強いのだ。もっと言えば、行くべきだと言って欲しい気さえするのだが、余計なことだと叱られそう。

「村上さんのところ」  (2015新潮社)
上記「村上さんに聞いてみよう」から15年後になされた読者との対話。
17週119日間にわたり37万7465通(うち外国語14カ国2530通 )の質問があり3716通に答えたという。うち473通のやりとりを収録。驚くべきタフネス。
二つ気になった応答がある。
村上春樹の小説は主人公に主体性がなく草食男子が多い、と言うの住職(ドイツ人僧侶)に対する答え。
一面的な見方だ。世界の変化を認識し自分の世界観を調整しようとしている のであって、新しいモデルを物語からこしらえたいと書いている。受動的ではないと、作家はやや気色ばんで答えている感じ。
もう一つは、50代主婦の「1Q84」における薬物・sexシーンは必要だったのかという問い。たしか主人公が父を見舞いに行って世話になった看護婦とのエピソードだったと、自分も覚えている。
大麻は、日本では禁止されているがアメリカの幾つかの州では合法。フィクションの中での話 だ。物語の中では殺人でも解せないということになる。ナーヴァスな自主規制の方が怖いのではないか。
必要かという問いへの答えとしては行違いがあるような。

なお、蛇足ながら質問者の最高齢84歳とか。作家より高齢な読者は少なそうだし、ましてメールをうって作家にコードネームを欲しがるような人は少なかったとみえる。

「みみずくは黄昏に飛び立つ 川上未映子インタビュー村上春樹」(2017 新潮社)
「職業としての小説家」「 騎士団長殺し」をめぐるインタビュー 。自分は主題の2冊とも読んでいないので特に感想も書けない。

さて、ここ5ヶ月ほどに村上春樹の著書をほぼ一読(最近作「騎士団長殺し」を除き)したが、読む前に持っていたイメージとそんなに大きく違っていたかというと、そんな感じはあまりしない。
多くのファンが村上春樹に魅かれるのは、第一に読みやすい文体にあり、第二に不分明なテーマと展開、第三に著者の読者への親切心などであろう。
第一の文体は分かりやすくリズミカル。もちろん推敲され磨き上げられたものだからでもある。二番目の「不分明な」というのは我ながら適切ではないと思うのだが、いまのところ良いことばが見つからない。謎めくオープンエンド、敢えて余白の多い絵のように読み手にも想像させる。三つ目の読者に対する親切心については、日常生活の描写にしても、無意識下の異界の物語にしても随所にそれが溢れているから多くの説明は不要だろう。
「村上春樹の読み方」や解説本が沢山あるのは初めて知ったが、これも上記の3点と関係がありそうだ。
自分はといえば、総じて違和感より共感が上回ってきたとまでは言い切れないが、これだけの量の本を通読することになったのは意外であった。もっとも、美味しい卵を産む鶏を知りたいという好奇心で読んだ本も多かったが。

蛇足ながら、この5ヶ月ほど著書に出てくる音楽を聴きたくなりアマゾンミュージックで探し、アイポッドやアイフォーンで聴いている。音楽と小説の関係は、今なお不分明で情けないが。
もとより音楽の鑑賞能力は極端に低い。ただ、常日頃少しでも音楽に親しめればと思っているので、良いとっかかりになったことは最大の収穫かも知れない。
同じようなファンもいるらしくニーズに対応して「僕と小説とクラシック」というCD(巡礼の年篇、泥棒かささぎ篇、シンフォニエッタ篇の3アルバム)があってアイフォーンで時折り聴いている。リストの「巡礼の年」、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、プッチーニ「泥棒かささぎ」などが収録されている。いまどきはなんでも用意されていると感心するが、「僕」とは誰かなどと詮索すると面倒な気もしないでは無い。不分明なままの方がよさそうだ。
そのうち、僕と小説とビール、ワイン、料理レシピでも現れるのだろうか。

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アイスペールで稲づくり [雑感]

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今年の春5月、新宿駅近くで買い物のあと散歩していると、JA東京のアグリパーク(農業情報発信拠点)を宣伝する店舗がオープンフェアを開催していた。
商品を買ったら福引きが出来て4等賞品「バケツで稲づくり」のキットが当たった。
種籾と肥料と稲づくりマニュアルがセットになっている。平成元年から28年まで小学生など960万人が参加した実績があるとパンフにある。教材として人気があるのだろう。

適当なポリバケツがなかったので、使っていないアイスペール(ワインクーラー)でチャレンジする。
土は家人が培養土をスーパーで買ってきてくれた。園芸用腐葉土なのでやや有機質が多いのが気になったがそのまま使用した。
マニュアルを後でよく読むと、土についてはかなり詳細につくり方が書いてあったが、無視した。これは稲の成長、米の品質に影響があったと思われるが、具体的にはどんな影響を及ぼしたかは分からない。

収穫は10月予想だから栽培期間はほぼ6ヶ月かかるが、やることは基本的には水を切らさないことだけである。ただ、分けつ、中干し、水落ちなどのタイミングが難しい。いつそれをやるかだが、忘れるとまずいことになる。

分けつ(苗の移し替え)で失敗した。芽がでてから葉が4、5本になったところで苗を植え植え替える(たぶんこれが田植えだ)のだが、余分な苗をもったいなくて捨てられず側に植えたのである。小さなアイスペールには苗が多すぎることになり、その後の稲の生育に悪影響を及ぼしたようだ。ケチは駄目と思い知った。

懸念したとおり苗全体に勢いが弱く下の方の葉も枯れてきたものもあり、なかなか穂が出てこない。もうダメかなと焦ってきた8月18日にやっと1、2本穂が出て、白い花がこぼれてきたのを見つけたときはホッとした。近くで見ると稲の花はきれいである。
米づくりは八十八も手がかかると言う。キットは病気、虫、嵐、田の水の管理などが無いので楽だが、実際には農家はもっと大変だろうと思う。
実際の手間もそうだが、いっときも気が抜けないだろうことは容易に想像できる。

米は水田で栽培されるが、極めてシンプルなもので優れた装置であることが良く分かる。
しかも連作が可能であり、保水の機能も持ち合わせている田んぼというのは食糧生産だけでなく環境保全にも優れたシステムだ。バケツ稲作りはそれをよく教えてくれる。

10月5日稲刈り。束ねて干す。穂から籾を落としてから(脱穀)、玄米にするためすり鉢で籾を剥がそうとしてもうまくいかない。籾殻(もみがら)をはずす作業を脱稃(だっぷ)と呼ぶそうだが、こんな言葉は知らなかった。
乾燥不足かと思って暫く放っておく。JAのネットでは軟式野球ボールで摺りあげると良いというのだが。軟式も公式も野球ボールなど無い。
これでは、「稲は出来たが米は出来なかった」になってしまう。
ジムで頂いた筋膜リリースのボールを代用して小さなすり鉢でやってみるが、なかなか籾殻が剥がれない。長時間かけてやっと玄米らしくなった。次は精米。
なお、この段階で計ってみたら22g。これではご飯茶わん一杯にも足りないだろう。ふうっ、疲れた。
いつもスーパーで買う米は、決して高価とはいえない気がしてきた。


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村上春樹を読む(その12)・「日出ずる国の工場」ほかノーベル文学賞のこと、など [本]

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「日出ずる国の工場」(1987 平凡社)
安西水丸との工場見学記。前書きで次のように言う。
日本人は愛おしいくらいよく働く人種で…仕事そのものの中に楽しみや哲学や誇りや慰めを見出そうと努めている…取材を続けているうちに日本とか日本人の概念が徐々に膨らみタイトルを変更した…。(当初「村上朝日工場」あるいは「メン・アット・ワーク」にしようと考えたのだと述懐する)
現場を見ての作家の気持ちの変化が良く分かる文章である。作家は正直である。
自称「ノン・ノンフィクション作家」が選んだ取材先は①京都科学標本(人体模型)、②アデランス、③CD工場、④コム・デ・ギャルソン、⑤松戸・玉姫殿(結婚式場)、⑥消しゴム工場、⑦小岩井牧場(経済動物たちの午後)である。
アデランスは「ねじまき鳥クロニクル」で主人公が笠原メイと「髪の毛調査」をするアルバイトのシーンに登場する。作家はいやに細かいことまで知っていると思いながら読んだ覚えがある。作家のいう引き出しの一つだろう。

自分はこの中で小岩井牧場だけは昔仕事で訪ねたことがある。
思い立って「愛おしいくらいよく働く人」であった自分は、どのくらい牧場や工場を見学しただろうと、記憶を呼び覚まして辿ってみた。
牧場は、酪農場、養豚場(黒豚、無菌豚、種豚)、肥育牛(乳雄牛、黒毛和牛、短角牛)、養鶏(採卵鶏、ブロイラー)、種競馬など畜産関係が多い。15、6くらいは見学している。他に養殖場(養鰻、養鱒、養鼈、鰤、鯛、鮑)などもあった。
工場は、食品工場(製パン、清酒、ビール、ウイスキー、ワイン、ジュース、製糖、味噌、醤油、ハムソーセージ、ジャム)が多く、機械工場(農機、自動車ハーネス、)、製紙、製缶、縫製、段ボール工場など30近くをすぐに列挙できた。
他に思い出せないものもあるに違いない。引き出しとしては充分過ぎるほどだが、引き出しても使いようが無いのは残念。

「遠い太鼓」(1990 講談社)1986年から89年の3年間ギリシャ、イタリアなどで暮らした作家の滞在記、旅行記。作家は37~40歳。
表題はトルコ民謡ー遠い太鼓に惹かれて旅に出るーという古謡からとのこと。旅行記なのに短編集の表題かと思ってしまう。この海外で暮らした時期に作家は「ノルウエイの森」、「ダンス、ダンス、ダンス」を書いたという。
この種の旅行記、滞在記を村上春樹はスケッチと呼ぶ。これらは小説を書くときに、頭の中の引き出しから時々引っ張り出すのだともいう。
このあと、アメリカ東部で暮らし「ねじまき鳥クロニクル」などを書くのだが、加納クレタなどいくつかギリシャ関連のことどもが引出しから出てくることになる。

読んでいていくつか感想があるが、二つだけ。
一つは作家の妻のこと。当然のことながら、ほとんど夫婦揃っての海外暮らしなのでいつも一緒であるから、記述の多くは「僕らはー」が多い。しかし夫婦の会話は、時々出てくるもののきわめて少ない。
読む方は、いつも表に出なくともこのとき奥さんはどうしているのか、なんと言っているのかなどと妙に気になる。作家は夫婦の性格の違い、二人の距離感、衝突した時の対処の仕方なども時折書いているが、若いのにまぁ我慢強いなと感心する。勿論片方だけでは無く、二人ともである。どこかで作家は、妻が最初の読者で意見を貰うと書いてあったように思うが、日常生活、作家生活とも好感の持てる二人三脚のようだ。勿論読者に推し量れ無い事情もあるのだろうが。
もう一つは、この時期の自分が送っていたわがサラリーマン生活との違い。自由とはこういうものかと再認識する。作家の支払う代償の大きさとその代わりに手にする自由が光り輝いて見え、改めて驚く。支払うものが小さい代わりに、心身の安寧を得て暮らしていた自分を顧りみて、人の一生はかくも異なるのだという感慨を覚える。

「雨天炎天 GREECE アトスー神様のリアルワールド」(1990 新潮社)
村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島にショート・トリップを行った。なお、そのあとトルコへ行った紀行文も「雨天炎天」である。「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)は、このブログ記事「その10」ですでに書いた。
今回のこちらがアトス半島の旅。アトス半島は、ネットによれば、マケドニア南部テッサロニケの東南に突き出た三つの半島のうち一番東側の細長い半島。独特の宗教共同体の自治で知られているという。ギリシャ正教の修道院が二十、そのもとに粗末な建物が立ち並ぶ。住人のほとんどは男子聖職者であって、彼らはここで修行をし、宗教的な生活を送って一生を過ごすという。ミャンマーやチベットの僧などを思い起こすが、日本にはこれほど厳しい生活をする修行僧はいるのだろうか。

「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集」(2015 文藝春秋)
作家がかつて住んだギリシャ、イタリア、アメリカ再訪記など。再訪記よりイタリア・トスカーナ州のワイナリー訪問記が面白くて印象に残った。キャンティといえば藁苞の瓶も有名で水彩画でもよく題材で描いたことがあるが、本格的なキャンティ・クラシコの方を飲んで見たいものだ。(黒い鶏のエンブレムが目印らしいが。)
トスカーナは粘土と石灰石の混じった土壌が美味い葡萄を育てるという。昔訪ねてワインテイスティングをさせて貰ったブルゴーニュも、地底にある石灰石に葡萄の根が届くとワインが美味しくなるのだと聞いた。ワインの味を決めるのは石灰石か。

ちなみに題名はラオスに行った時にヴェトナム人に聞かれた言葉という。何があるか分かっている旅は旅とはいえぬという作家の持論。それはそうだ。再訪はその地の変わりようを見る旅だし。

「蛍・ 納屋を焼く・その他短編」(1984 新潮社)
帯にリリックな7つの短編 とある。「叙情的」というように流れるような文章だが、例により書かれない部分があるので分かりにくくもある。(書かれぬ余白が味を出しているのだろうとは思うが。)
表題の2編と「踊る小人」、「めくらやなぎと眠る女」、「三つのドイツ幻想(冬の博物館としてのポルノグラフィー、ヘルマン・ゲーリング要塞1983)」、「ヘルWの空中庭園」)が収められている。
長編「羊をめぐる冒険」(1982)と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(1985)との間に書かれた初期の短編集。
「蛍」はノルウェイの森の原形のようだ。他の短編も村上春樹の長編小説のシーンや登場する女性などと似た所があるのは面白いし、村上春樹の小説を理解するヒントがあるかも知れない。

「シドニー!」(2001 文藝春秋)
2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。スポーツ情報誌「ナンバー」に掲載された。
観戦記よりオーストラリア事情、歴史などの方が力が入っている感じ。マラソンやトライアスロンを除いてだが。
女子マラソン金メダルの高橋尚子より、有森裕子のインタビューに力が入っているのも村上春樹らしい気もする。理由はよく分からないが。
アボリジニーの女性が金メダリストとなった女子400mの決勝レースは読ませる。原住民と侵略者の歴史は何処でも奥が深いものがあるとあらためて考えさせられる。アメリカインディアン、アイヌ、マヤ・アステカしかり。

終始五輪は退屈だと言いつつ膨大な観戦記(409ページ!)を書いた作家は、後半で次のように総括的に呟く。このつぶやき末尾の「長い結婚生活の薄暗い側面」という意味は何か良く分からないし、ここに相応しい喩えなのかどうかとも思うが。
「シドニー・オリンピックは、とことん退屈ではあったが、それを補ってあまりあるくらい~あるいはやっとこさ補うくらいには~価値あるものだったということができる。長く続いた結婚生活の、ある種の薄暗い側面と同じように」

この文章を書いていた時にカズオ・イシグロ(1954長崎生まれ)のノーベル文学賞受賞のニュースが伝えられた。彼の「日の名残り」はこのブログでも取り上げたが、「記憶」が主たるテーマとは読んでいなかった。とても立派な小説読みとは言えないなと反省。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-07-22
カズオ・イシグロ「日の残り」ーマナーハウスとカントリーハウスのことなど

イギリス国籍の日本人であるカズオ・イシグロは、村上春樹より5歳ほど下、二人は友人でもある。受賞理由は「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」という。

村上春樹はいつも有力候補に挙げられながら受賞を逸していて、その理由を何かで読んだことがある。
たしかに村上春樹の書くなかにノーベル賞となじまないものもあるようには思う。例えば暴力(性)などもその一つであろう。選考委員会がどんな基準を持っているのか知る由も無いが、それが何か危険なものに結びつく怖れを懸念することは考えられる。
しかしもっと小説を書く者、読む者を信頼しても良いという気持ちもある。
何れにしても受賞と小説の良さは別物であろう。世の中にはいろんな書き手といろんな読み手がいるのだから、良し悪しは人によるのだ。









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へびうり、柱サボテンなど ーびっくりご近所の庭木 [自然]

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近所を散歩していると、よその家ながらついつい庭木や花に目がいく。
日本は公園は少ないけれど、個人の家の庭は一つ一つは小さいが、集積するとかなりの面積になるのだと聞いたことがある。小さな庭を集積した大きな面積に、いかほどの意味があるのかよく分からないが。
庭のあるじはみなそれぞれ手をかけ楽しんでいる。一方自分を含めて道行く人、散歩をする人もまたその成果を楽しみ恩恵を受ける。
なんの変哲も無い平凡な花、百日草、ペチュニアなどを植えている家もある(我が家がまさにそうだ)が、一見して高価そうな鉢に植えた華麗な花木を、季節に応じて変えている家、一年かけて世話をして見事な花を咲かせる薔薇屋敷など様々である。

しかし中には庭の前の道を覆うほどの鬱金桜の見事な木があって、花の時期に見つけうわぁとびっくりすることもある。びっくりといっても他の人もびっくりするかどうかは知らない。人は皆違うことに驚くような気がするからである。自分でさえその時の気分のありようで、びっくりしたりしなかったりする。だから人によりびっくりするものが異なるのはなんの不思議もない。

びっくりした一例をあげると、蛇瓜。インド原産。カラスウリ科の蛇瓜(へびうり)。別名毛烏瓜とも。自転車に乗って走りながら、数本ぶら下がっているのを見たときは、えーっと驚いた。
英名は、Snake gourd 。れっきとした野菜であり、イタリヤ料理、カレー料理などにも使うとか。見たところあまり美味しそうではない。率直に言って気味が悪い。

最近では山法師。ヤマボウシ(山法師、山帽子、学名 Cornus kousa)はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。これは、花水木のあとしばらくして咲くが、庭木として最近では特段珍しくはない。驚いたのは栽培種なのか亜種なのか、普通は木のてっぺんに花をつけるのだが、側面にびっしりと花をつけているのを見つけたときである。

また、近くの普段歩かない路地で見つけたサボテン。家の二階にまで届き、更に上に伸び続けている背の高いのを見つけたときは驚いた。壁に釘を打ち丈夫そうな紐でサボテンを家が抱え込んでいる。ネットで調べてみると柱サボテンというものらしい。正確かどうかは自信がないけれど、サボテン科 ケレウス属 の鬼面角というのに一番似ている。南米産で6-8月に花もつけるという。こんなに大きくなるんだと初めて知る。

近所の方が育てている鉈豆。刀豆(トウズ )ともいう。マメ亜科 ナタマメ属 で血行促進や免疫や力の向上に資するという。古くから良薬として珍重されたらしい。そういえば、新聞広告で何かに効くというサプリがこの写真入りで掲載されていたのを見た覚えがある。驚くのはそのさやの大きさである。たぶん中の豆もさぞかし大きいのだろう。食用にもなるが、食べたことはないので、味はどうか知らない。

話は逸れるが、青梅街道を車で走ると「びっくりドンキー」というハンバーグレストランがあって、壁や屋根にトタンなどを張り付けいかにも廃屋の雰囲気を出していた。中に入るとどんなびっくりが用意されているのかとずっと思っていたが、とうとう入る機会がなかった。
最近リフォームして小綺麗なデザインに変わってしまったのである。あの佇まいも味があったのにと残念がっている。たぶんびっくりは外装だけで普通のファミレスだったのであろう。

加齢とともにか引きこもりがちなこともあって、最近ここにあげた類のびっくりがとみに少なくなっているような気がする。

原発再稼働、政治混乱、自然災害、人災などにはびっくりさせられてばかりいるのに、片手落ちだ。
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村上春樹を読む(その11) ・「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」など [本]


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村上春樹の随筆などをランダムに読んでいる。

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」(1999 平凡社)
陽子夫人の撮影した写真が掲載されたスコットランド、アイルランドのウイスキー紀行文。
ウイスキーは、アイルランドで生まれアイラ島を経てスコットランドに渡ったという。
この紀行文を読む前には、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という表題はアイラ島のシングル・モルト・ウイスキーとアイリッシュウイスキーにしても、言葉で良さを人に伝えるより飲めば分かるということかと思ったが、それにしては言いまわしが少し変である。やはりそう単純でもないようだ。
ウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に「共有」して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたらしい。つまり、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろうか、という作家としての思いがこもっているのである。むろん言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉はウィスキーでなく言葉に過ぎないからだ。それでもなお作家は「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢を見続けるのだと次のように書く。作家が伝えたいのは何もウイスキーのうまさだけでは無い。
「でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、ぼくらのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは(少なくとも僕はということだけれども)いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ」
言葉を扱う作家としての希望、姿勢を示した表題なのだ。直球でなくカーブかナックルボールの言いまわしで、人の目を惹くところは相変わらずである。

1999年2月、仕事でスコットランドはインバネスのモルツメーカー・トマーチンデイストラリーを訪ねて見学させて貰った旅を懐かしく思い出した。
ここのウイスキーのブランドは「LANG」だった。lang は辞書によればlanguage の省略形だとある。とすれば村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と偶然ながら呼応するような気もする。

少なくとも作家の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という夢想とトマーチンディストラリーが、そこで蒸溜して作ったウイスキーにLANG(language・言葉)とネーミングしたココロには似たものがあるかも知れない。

自分がインバネスに行った1999年は平凡社からこの本が出版された年だが、作家は1997年に「サントリークオータリー」にこの文を書いているので、旅の時期は自分よりかなり前になるようだ

作家は「うまい酒は旅をしない」とも言う。舌では分からないが雰囲気は少し分かる。灘の清酒メーカーの人から清酒は野菜や魚と同じで新鮮が一番と教えられた。地酒が美味しいのはそのせいだという。ウィスキーはどうなのだろう。都会の薄暗いバーで飲むより、荒涼としてうそ寒いインバネスで飲んだ方がうまいと思ったかどうか、今となると思い出せない。
ディストラリーの側を流れていた小川の水は、ピートが混ざっているのか茶色く濁っていたのだけいやに記憶に残っている。


「村上朝日堂 はいほー!」(1989 文化出版社)
「ハイファッション」なる服飾雑誌(眼にしたことはないが)に連載していたエッセイ集。
作家はかなり気楽に自分自身の生い立ち、性格や生活態度、趣味や夫婦仲などを書いている。自分の夫婦仲のことをこだわりなく披瀝するというのは、なかなか出来る事ではない。作家は意外とまじめな性格のよう。村上朝日堂というのは朝日新聞社専売ではなさそうだし、例により「ハイホー!」の説明はなかった(のではないか)と思うが、訳が分からないエッセイの表題ではある。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」(1997 朝日新聞社)
サリン事件被害者インタヴューを一年間かけて文章化していた同時期に、週刊朝日に連載していた気楽なコラム。著者は「アンダーグラウンド」(1997 講談社)とのバランスをとっていたという。シリアスなものと気楽なものとの。

「村上ラヂオ」(2001 講談社)
「anan」連載のコラム集。短くて気楽ながら丁寧で好ましいエッセイ集。読者を20歳前後の女性と決めつけず書いているのが良いのか、1話が(文庫本で)1ページ半ほどの短文なのが良いのか、理由は分からないが好感度が高いと思う。
中でも気に入ったひとつ。
「パスタでも茹でてな!」
イタリアの車の運転モラルが低い話。車の窓をあけてドライバーが「シニョーラ、運転なんかしないで、うちでパスタでも茹でてな!と怒鳴る。」という話からパスタの話になり、「国境をまたいで超えただけで、パスタが突然信じられないくらいまずくなる。国境って変なものだ。それでイタリアに戻ってくると、そのたびに「おお、イタリアってパスタがおいしいんだなあ」とあらためてしみじみ実感する。思うんだけど、そういう「あらためてしみじみ」がひとつひとつ、僕らの人生の骨格をかたちづくっていくみたいですね。」としめる。
思うんだけどという転じ方がすこぶる良い。そして後に続く文章がまたすこぶる結構。わがブログ「しみじみ e 生活」のテーマそのものだ。

「村上ラヂオ2 おおきなかぶ、むずかしいアボガド」(2011 マガジンハウス)
「アボガドはむずかしい」
作家は難しいのは食べどきのことを言っているのだが、自分の経験では、アボガドの難しさは傷んでいるのに外からは分からないことだ。これで何度泣かされたことか。
食べどきなら、キウイの方がよほど難しい。かつて「採り時を教へぬキウイの硬さかな」という駄句を作ったことがある。
紹介されている村上夫妻のたのしむタマネギときゅうりとアボガドのサラダ、ショウガドレッシングが美味しいとの由。一度試してみたい気がした。

「村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン」(2012 マガジンハウス)
「ブルテリアしか見たことがない」
ブルテリアは犬の種類。これしか飼ったことのない人に犬は分からない。一度しか結婚していない人に女を分かったと言えない。
各文最後の「今週の村上」がくだらないけれど面白い。特にダジャレ。フリーダイアルと不倫ダイアル、洗剤意識と潜在意識、何回止まっても一時停止など。わが記憶力が急低下しているのに、覚えているのがいくつかある。ダジャレや言葉遊びの好きな人は好きである。回文だが、「またたび浴びたたま」という著書がある。

「またたび浴びたタマ」(2000 文藝春秋)
うーむ。自分も「伊丹の酒今朝飲みたい」など言葉遊びは好きだが、一冊の本にするほどのことかなとも思う。回文に怪文が添えられているが、読んでいて「定型」は物語を作りやすいのではないかとふと感じた。5・7・5調が俳句、短歌を、韻が詩を、折句が追悼句を、作りやすいように回文は怪文を生みやすい。

「意味がなければスイングはない」(2005 文藝春秋)
かねて作家が音楽(ジャズやクラシック)についてじっくり書いて見たいとして実現したエッセイ。
相変わらず上手いアイキャッチの表題について作者は「あとがき」でデュークエリントンの名曲「スウイングがなければ意味はない」のもじりと明かしている。名言はそのままひっくり返しても意味がある場合があるものだと知る。
本文では、「シューベルトピアノソナタ17番ニ長調D850 ソフトな混沌の今日性」、「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」
の二章だけが少し理解できたような気がするが、あとのジャズやロックの話は殆どが理解の外にあった。


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村上春樹を読む(その10) ・「辺境・近境」など [本]


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「辺境・近境」(1998 新潮社)は、ロード・エッセイと称する8編が収録されている。
「辺境」のなかでは「ノモンハンの鉄の墓場」が印象に残る。
「近境」では「讃岐・超ディープうどん紀行」が面白かったが、これはどこか別のところで読んだような気もする。
同じく「近境」では、やはり1997年5月の「神戸まで」(書き下ろし)が出色。
前のブログに取り上げた「アンダーグラウンド」を書き上げた後だという興味と、自分が当時作家が歩いたそこに住んでいたので、懐かしい記憶を呼び覚まされながら面白く読んだ。
自分は1995年から1997年7月までの2年間、大阪支店勤務だった。前半1年は、豊中市の一戸建て社宅に住んだ。前任者が住んでいた社宅は芦屋のマンションだったが、地震で損壊して住めなくなったのである。1年後修復されたので戻って、後半1年間は芦屋から大阪は御堂筋の淡路町まで車で通勤した。
マンションは芦屋川の西側に山に沿って建てられ、エレベーターが登山電車のように斜めに昇降する頑丈だが変わった建物。前任者は1月17日定例会議のため上京していて、辛くも難を逃れたのである。
部屋が9階なのでベランダからの夜景は、六甲ランド、ポートアイランドの灯も見えて夜も見事な眺めだった。
前の芦屋川の河原では猪の親子が、時々数頭しきりに餌を求めて徘徊していた。
神戸の事務所は2階建てで一階が潰れ、壊滅的な被害を受け金庫の重要書類などを取り出すことを含め難儀したが、人的災害を免れたのが何よりであった。

大阪支店は兵庫、和歌山、滋賀、京都府の支店、事務所を所管していたが、神戸には取引先も多くて、挨拶と言う名の営業でせっせと通った。西宮、伊丹、灘の清酒メーカー、六甲ランド、ポートアイランド立地の企業などなど。転勤では静岡、新潟、大分、福岡で暮らしたことがあるが、関西は初めてで、しかも初めての単身赴任生活だったので毎日が新鮮な感じだった。

芦屋に住み高校まで育った作家は、2日かけて西宮から神戸までを散歩する。いわばセンチメンタルジャーニー、故郷紀行だが、震災(とサリン事件)の後だからただのそれではない。

神戸を襲った大震災は2年前の1995年1月17日である。その2ヶ月後にサリン事件が起きたとき、アメリカにいた作家は帰国して被害者にインタビューしてノンフィクション「アンダーグラウンド」と(のちにオウム信者へのインタビュー集「約束された場所で」も)を上梓する。
「僕がこの本で書きたかったのは、我々の足下に潜んでいるはずの暴力性についてであった。」と言う。そして、地下鉄サリン事件と阪神大震災は別々のものじゃない、二つは心的で物理的なもの、だという。このあたりは我々読者が正しく理解するには努力が必要かもしれない。
しかし、それとは別にせよ、起きてしまった二つのことに何が出来るかを考えても、自分(作家)にもまだ答えはないともいう。答えを得るまでに時間がかかるが、間に合うだろうか?と危惧するとも。
突然起きた理不尽なカタストロフに対して自分が何が出来るかという問い、これは我々と同じ普通の人の感覚であろう。作家と言えど特別な人間ではないのだから少しもおかしい事ではない。
なお、神戸の震災については直接テーマにした著作は無いが、短編小説集「神の子供達はみなおどる」という地震にまつわる連作があることは前に触れた。

「ノモンハンの鉄の墓場」は、「うずまき鳥クロニクル」を理解するために得るところがあった。
「うずまき鳥クロニクル」では、ノモンハン事件(実質的戦争を「事件」というのは、最近やたらと多い「言い換え」である)の生き残りが重要な語り手で登場するが、暴力は物理的なものでかつ心的なもので別物じゃないのだという作者の意識を思えば、ノモンハン事件が時・空を超えてエピソードとして挿入されている意味も分かるというもの。時を超えてということをクロニクルという言葉で表したのか。
作家のこの小説で書きたかった一つに暴力(性)があり、これは作家の持つ大きなテーマの一つであるが、なかなかどうして分かりにくい。

作家のノモンハンへの旅が小説を書く前でなく後であったということは面白いし、訪ねる前に書いた現地の様子は現実もそのとおりであったと、どこかで書いていたのも面白い。さすがであるが、人は心に浮かばないものは見えないという怖れもないわけではない。

作家は戦跡を歩いた日の深夜2時過ぎ、得体の知れない地震のような激しい揺れを経験することになる。それが大地の揺れでなく作家自身の心の揺れだと知覚する。
「暴力」が物理的かつ心的なもので、過ぎた時間に関係ないという証であろう。村上春樹の小説が少しわかるような気がして、これも収穫のひとつだった。

「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)
紀行文というのは、近々その地を訪ねるといった目的意識なく読み始めるとよほど好奇心が強いひとでないと、無理やり旅の道連れにされたようなもので、文章が面白くなければ最後まで読み通せない。まぁ、埒もない読後感想の「辺境ブログ」文よりはもちろんましだが。
この旅行記では、トルコ東部高地ヴァン湖の泳ぐヴァン猫の話が面白かった。作家が絨毯屋とグルのホテルマンの誘いに乗り、猫を見たさに絨毯屋に案内される。幸い世にも珍しいヴァン猫にも会えたが、絨毯を買うことにもなるのが面白い。自分だったら、きっと同じようなことをしたに違いないと思う。
ネットによればヴァン猫は、世界に1000匹ほどしかいない希少種という。可愛らしい顔をして、瞳が青もしくは琥珀色、または片方が青で、もう片方が琥珀色というのもいるというのだからすごい。しかも写真で見ると上品な猫である。
水を怖がらずに泳ぐ猫としても知られる。トルコのヴァン県原産。(写真はネットから拝借した)




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