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村上春樹を読む(その8) 「走ることについて語るときに僕の語ること」など [本]

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村上春樹がボストンマラソンなどを走るマラソンランナーであることはよく知られている。
玉子が美味しければ鳥など見なくても良いというのはどこに書いてあったか、メモしそこなったので分からないのだが、村上春樹の言ではなかったかと思う。また、同じ作家が贔屓のヤクルトの選手の活躍を知れば彼の生い立ちや周辺の事を知りたくなるのは自然だともどこかで読んだような気もする。これは全く正反対である。
小説とプロ野球を同列にするわけにいかないが、長編小説の事を知るのに書いた作家の人柄や周辺のことを知ろうとするのは間違っているのかどうか自分には分かりかねるが、うまい卵を産む鶏がどんな種類か、どんな餌を食べ、どんなファームで暮らしているかがすぐ気になる方である。よって随筆や短編集インタビューなどをせっせと読むことになる。

「走ることについて語るときに僕の語ること」(2007 文藝春秋)
著者はエッセイでなく自分史に近い「メモワール」だという。メモワールはフランス語で「記憶」「思い出」を意味する。英語でも主に「回想録」「自伝」を指す言葉として使われる。ここでは「英・仏」合わせたものか。
村上春樹の場合、小説の作法が長距離ランニングと同じようなものと言うのは、よく理解できる。武道家の評論家がいるようにジョガーの小説書きがいるのは、数は少ないがありうることだ。三島由紀夫みたいな例も(やや中途半端にも見えるが)ある。
しかし、スイム、バイク、ランのトライアスロンをやり、大学で教えながら海外生活をする作家は少ないことは確かで、それが小説に反映しないとはとても思えない。
しかし、そう聞いて(年寄りはとくに)だれでも思うだろう。身体能力の低い老いた作家は、遅かれ早かれ小説が書けなくなるに違いないと。もっとも、武術やランニングをしない作家でも歳をとれば書けなくなるのは同じでもある。物語を作り出すと言うのは力技だというのは、容易に想像出来る。
ピカソ、北斎などをみれば画家は幾分違うかも知れない。油彩は力技にも見えるのだが、80歳を過ぎても傑作を残した巨匠は少なくない。
表題は相変わらず巧みなアイキャッチだが、著者の敬愛する作家レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトルが原型という。そのタイトルとは、
"What We Talk About When We Talk About Love" うん、なるほど。

「神の子どもたちはみな踊る」(2000 新潮社)
表題のほか5篇の短編小説が収録されている。初出し、連作「地震のあとで」その1~その6。
1995年の阪神大震災がテーマになっているが、地震そのものを取り上げている物語はない。地震は物語の背景だったりストーリー展開のきっかけとしてあつかわれている。
大災害でも当事者以外は外から被災を見ているわけで、神戸であれば北海道の人、東北の災害であれば大分の人はそれぞれ同情はすれど、また自分の日常に戻るのだからこういう扱いもありだろう。地震をめぐる全く別の物語をいくつか書くというのは俳句、短歌の連作あるいは連句、連詩のようで一種の趣がある。
表題が代表作なのだろうが、(そして大方の人と異なるかも知れないが)自分は「蜂蜜パイ」が一番好きだ。村上春樹の小説の原型みたいで読んでいて楽しい。ハッピーエンドなのも老人には有難い。
ところでこの短編集を読みながら、村上春樹は東日本大震災、福島原発事故についてどんな発言をしていたかが気になり出した。何処かにあったのだろうが、あらためて探して見ねばなるまい。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011」(2012文藝春秋)
村上春樹の小説作法、執筆姿勢がよく分かる。例は適切では無いがギリギリ自らを憑依状態に追い込んで物語を作り出すという感じを受けた。プロットなし、シュール、闇、夢、井戸、壁、異界など作品の特異性から見て、そういう状況に耐えられる精神力と体力が必要だと解釈したが、的を射ているか否か自信は勿論無い。少なくともマラソンやトライアスロンで体を鍛え規則正しい日常を、作家が心がけるのはこのためかと思う。

「海辺のカフカ」、「スプートニクの恋人」など個々の作品への応答もあるので素人読者(自分のことだ)には大いに助かる。
特に海外メディアのインタビューにおける作家の説明が、率直にして分かり易くて良い。

村上春樹 はこの時60歳だが、小説家の老いについてこう触れている。
「あれほど才能を持った人(カポーティ、チャンドラー、サリンジャーら)たちが、老境を迎える前に思うように現実に書けなくなってしまうというのは、本当に惜しいことだし、切ないことだと思うんです。反面教師といったらそれまでだっけれど、僕はどこまでやれるか挑戦して見たいです。」「るつぼのような小説を書きたい 1Q84前夜」(2009)。
身体を鍛えているからか自信がありそう。ふと、「韃靼疾風録」(1987)を最後に63歳で長編をやめ、晩年は「街道をゆく(1971-1996)」などを書いた司馬遼太郎(1923-1996 、73歳没)を想起した。

ところで、作家は神戸の震災やサリン事件に強い関心を寄せてはいるが、2011年の福島原発事故についてはどうだったかと前から気になっていた。
2011年6月のカタルーニャ国際賞受賞インタビューにおけるインタビュワーの紹介の中で村上春樹の東日本大震災、福島原発事故についての言及を見つけた。(インタビューの応答ではなく作家の言だとして紹介されている)
「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。それが広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。」

「レキシントンの幽霊」(1996 文藝春秋)表題を含む7編の短編集。いずれも怖い話だがそれぞれに怖い中味は違う。読む人によって怖さは異なるだろう。自分はいじめの「沈黙」より、妻が洋服を買い漁りはてに交通事故で死んでしまう「トニー滝谷」の孤独が異様に怖かった。

「スプートニクの恋人」(1997 講談社)
「僕」が恋した女性すみれは、年上の女性ミュウと恋に落ちたが、うまくいかず忽然とこの世界から消えてしまう。僕はミュウに頼まれギリシャまで探しに行くが見つからない。
レズビアン、性をめぐって展開する中編小説。単線型小説に属するのだろうと思う。
ミュウの髪を一瞬に白髪にした不思議な経験も性にまつわる。オープンエンドであり、女をなくした男など村上春樹特有の展開。「ノルウェイの森」もこれに似た雰囲気の小説だが、こちらは表題の「スプートニクの恋人」がもう一つ分かりにくいというか、テーマとの付きが離れている感じ。スプートニクはロシア語でみちづれ、人工衛星の軌道はすれ違っても会うことはない。恋愛とはこれに似ているというのだろうが。「象徴と記号」の違いは「片思いと相思相愛」の違いだという方が分かりやすいが表題には向かないだろう。Symbol やSign(Codeなど)をどう使ってもたぶん「The Sputnik Sweetheart 」には敵わない。


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村上春樹を読む(その9) ・「アンダーグラウンド」など [本]


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「アンダーグラウンド」(1997 講談社)
1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者(本人および家族62人)から聞き出した体験談のインタビュー記録。後記の「約束された場所で underground 2」とともに村上春樹には、珍しくノンフィクションである。

サリン事件の起きる2ヶ月前、1995年1月には阪神淡路大震災が起きた。我が職場の神戸にも事務所があり、崩壊したので自分は本社にいたが、東京にも直ちに対策本部が設置された。
自分はその後間も無く7月に復興中の関西(大阪支店)に赴任した。55歳であった。前任者の芦屋の社宅は傾き入居不可能となり、豊中市の新しく借り上げた戸建ての社宅で1年間暮らした。

3月20日にサリン事件が起きた時は、東西線で高田馬場から大手町まで行き日比谷線に乗り換え日比谷駅まで通勤していたことになるが、その朝のことはよく覚えていない。通勤時間帯が自分の方が早かったのだろうか。後から職場のテレビで霞ヶ関駅辺りの映像を見た様な気がする。
今にして思えば、相次いで起きたこの二つの大事件は、自分の身近かで相次いで炸裂したのである。まかり間違えば自分が遭遇していたかもしれない、というのがまさしく実感である。

自分は「アンダーグラウンド」を講談社文庫で読んだが、731ページに及ぶ大作である。しかもインタビュー部分は全て上下段。本は当然ながら分厚くて手に重く、内容からしても、 寝ころがって読むには難がある。
アンダーグラウンドは言うまでもなく地下鉄を指すが、また「心の闇」である人間の内なる影の部分をもイメージしている。村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」に登場する「やみくろ」の世界である。
それは我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実とから排除し続けている真っ暗闇であり、そこに光を当てると言うのが作家の狙いだ。確かに加害者でなく被害者の声を先ず聞く、というのはユニークなアプローチである。

当然ながら個々の被害の状況は似ているが、被害者それぞれは家族を含めた周囲の状況は異なる。いずれも同時代に生きるひとの言葉だけに迫るものがある。
自分も、西武新宿線の立川近くから勤務地大手町に1時間半余りかかる長距離通勤に音を上げた。少し近くになる中野に引っ越したが、引き続き東西線の満員電車を経験していた自分には、事件に遭遇した人の話を読んでいて身につまされて、しばしば胸が苦しくなった。そして当時の自らの追想に誘発されつつ、多くのことを考えささられることになった。

ところで、巻末の「目じるしのない悪夢 ・私たちはどこに向かおうとしているのだろう」によれば、事件を知ることだけでなく作家は、海外から帰り日本をももっと知りたいという動機もあったと説明している。

自分などは、被害者に聞くのならオウムサリン事件より東日本大震災による福島原発事故の方が日本を知るのに好材料だと思う。しかし、原発事故はオウム事件の16年後に起きたのだから、比較しても詮無きことではあるが。
この二つはどこが異なるのか、考えさせられる。原発事故は地上(Terrene)で起きたこと、サリン事件は地下(Underground)で起きた違いがある。小説家は地下の方が惹かれるかも知れないが、起きた場所が事件の本質に差異をもたらすことでは無かろう。
被害者が普通の生活者だというのは同じである。原因ではかたや宗教(らしきもの)、片や自然現象に併発した原発事故と明らかに異なる。

心の救済を求めて生活者であることを放棄し教祖に全てを委ね安寧を得た者が、無差別殺人に加担するというのは常軌を逸している。しかし、現実に起きた。
電力確保のための原発建設は生活者の為ではあるが、それだけなら代替手段がないわけではない。使用済核燃料処理が出来ない中での原子力産業は、いったい誰のものかも問われねばならない。原子力村か過疎にあえぐ地域住民か。こちらは経済が直接絡む。
オウムの方は、信者の出家に見られるように経済からは一見して遊離しているように見えるが、どうだろうか。
原発事故で強制的、自主的を問わず避難した被災者にインタビューしたら…経済、家計、家族など日本の何かが見えてくるのではないかと思う。
そうは言っても、政府、国家、核兵器開発、政治など解明出来ぬ怪物がずるずる出てくるだろうから余ほどの覚悟が必要だろうが。
また、オウムについて作家は「内なるアンダーグラウンド」と言って、誰もが持っていて意識的に避けていることについて語るが、原発についても同じこと、つまり「内なる原発」が言えるのではないかと強く思った。

「約束された場所で underground 2」(1998 文藝春秋)
オウム事件の被害者へのインタビューのあとに加害者たちへ同じことを行い、彼らの生の声なり、正直な思いなりを、そのままの形で紹介したいと思うようになったと作者は言う。それもまた、先の場合と同様に、「明確な多くの視座を作り出すのに必要な<材料>を作り出す」という目的のもとで。こうして同じかたちで書かれたのがこの本である。
こちらは、マスコミなどで詳しく世に知らされたことが多いのだが、オウム側のことについては、いくら聞いても理解し難いことがある。なぜ、こんな教祖に全生活を投げ打ち、全身を捧げることが出来るのか。
自分が読んだのは、「村上春樹全作品 1990~2000 [2]-7 約束された場所で 村上春樹、河合隼雄に会いにいく」である。「ー会いに行く」も再読した。
「約束された場所で」にも巻末に河合隼雄との対談がついている。
河合隼雄は、村上春樹とのこの対談で教祖について「あれだけ純粋なものが内側にしっかり集まっていると、外側に殺してもいいようなすごい悪い奴がいないと、うまくバランスがとれません」といっているが、そうしたメカニズムが反社会的な行為に走っていくところは、ヒットラーのナチズムとよく似ているという。そしてオウムの幹部とBC戦犯も似ていると。たしかにあなた任せの思考停止、誰もが責任を取らぬ曖昧さはサリン事件、原発事故、太平洋戦争に通奏低音のように鳴り響いている。

また、オウムに走った者の発想(宗教の追求)と作家の物語をつくる精神の類似性、共通点についてあるいは異なる点についての心理学者と小説家のやり取りは大変興味のあるものだった。

なおこの本の題名「約束された場所で」は、アメリカの現代詩人マーク・ストランド(Mark Strand)の詩からとったものだという。その部分を、村上自身が次のように訳している。 
ここは、私が眠りについたときに
約束された場所だ
目覚めているときには奪い去られていた場所だ

このノンフィクションは、村上春樹の「悪」についての考え方に近づく一つの手がかりになるのかも知れないが、まだ自分には作家の問題意識そのものが分かりかねる感じもしてもどかしい。
悪とは何か。閉じられた世界の悪はその世界の住民にとり悪ではない。開かれた世界の善も閉じられた側から見れば悪の場合もある。
一人ひとりの心の闇にある小さな我欲が集積、増加すると量が質に変化するように大きな悪(例えば戦争)になるのか。我欲には小さな安穏な生活、家族の安寧願望も含まれる。
人間の暴力、自然の暴力。人が損なわれるとはどういう事か。
脳裡に作家の言、自分の考えなどが交錯しつつ靄のように来ては去り、去っては来てまとまらない。
これでは村上春樹の良き読者には、まだなれそうもないなとしみじみと思う。


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村上春樹を読む(その10) ・「辺境・近境」など [本]


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「辺境・近境」(1998 新潮社)は、ロード・エッセイと称する8編が収録されている。
「辺境」のなかでは「ノモンハンの鉄の墓場」が印象に残る。
「近境」では「讃岐・超ディープうどん紀行」が面白かったが、これはどこか別のところで読んだような気もする。
同じく「近境」では、やはり1997年5月の「神戸まで」(書き下ろし)が出色。
前のブログに取り上げた「アンダーグラウンド」を書き上げた後だという興味と、自分が当時作家が歩いたそこに住んでいたので、懐かしい記憶を呼び覚まされながら面白く読んだ。
自分は1995年から1997年7月までの2年間、大阪支店勤務だった。前半1年は、豊中市の一戸建て社宅に住んだ。前任者が住んでいた社宅は芦屋のマンションだったが、地震で損壊して住めなくなったのである。1年後修復されたので戻って、後半1年間は芦屋から大阪は御堂筋の淡路町まで車で通勤した。
マンションは芦屋川の西側に山に沿って建てられ、エレベーターが登山電車のように斜めに昇降する頑丈だが変わった建物。前任者は1月17日定例会議のため上京していて、辛くも難を逃れたのである。
部屋が9階なのでベランダからの夜景は、六甲ランド、ポートアイランドの灯も見えて夜も見事な眺めだった。
前の芦屋川の河原では猪の親子が、時々数頭しきりに餌を求めて徘徊していた。
神戸の事務所は2階建てで一階が潰れ、壊滅的な被害を受け金庫の重要書類などを取り出すことを含め難儀したが、人的災害を免れたのが何よりであった。

大阪支店は兵庫、和歌山、滋賀、京都府の支店、事務所を所管していたが、神戸には取引先も多くて、挨拶と言う名の営業でせっせと通った。西宮、伊丹、灘の清酒メーカー、六甲ランド、ポートアイランド立地の企業などなど。転勤では静岡、新潟、大分、福岡で暮らしたことがあるが、関西は初めてで、しかも初めての単身赴任生活だったので毎日が新鮮な感じだった。

芦屋に住み高校まで育った作家は、2日かけて西宮から神戸までを散歩する。いわばセンチメンタルジャーニー、故郷紀行だが、震災(とサリン事件)の後だからただのそれではない。

神戸を襲った大震災は2年前の1995年1月17日である。その2ヶ月後にサリン事件が起きたとき、アメリカにいた作家は帰国して被害者にインタビューしてノンフィクション「アンダーグラウンド」と(のちにオウム信者へのインタビュー集「約束された場所で」も)を上梓する。
「僕がこの本で書きたかったのは、我々の足下に潜んでいるはずの暴力性についてであった。」と言う。そして、地下鉄サリン事件と阪神大震災は別々のものじゃない、二つは心的で物理的なもの、だという。このあたりは我々読者が正しく理解するには努力が必要かもしれない。
しかし、それとは別にせよ、起きてしまった二つのことに何が出来るかを考えても、自分(作家)にもまだ答えはないともいう。答えを得るまでに時間がかかるが、間に合うだろうか?と危惧するとも。
突然起きた理不尽なカタストロフに対して自分が何が出来るかという問い、これは我々と同じ普通の人の感覚であろう。作家と言えど特別な人間ではないのだから少しもおかしい事ではない。
なお、神戸の震災については直接テーマにした著作は無いが、短編小説集「神の子供達はみなおどる」という地震にまつわる連作があることは前に触れた。

「ノモンハンの鉄の墓場」は、「うずまき鳥クロニクル」を理解するために得るところがあった。
「うずまき鳥クロニクル」では、ノモンハン事件(実質的戦争を「事件」というのは、最近やたらと多い「言い換え」である)の生き残りが重要な語り手で登場するが、暴力は物理的なものでかつ心的なもので別物じゃないのだという作者の意識を思えば、ノモンハン事件が時・空を超えてエピソードとして挿入されている意味も分かるというもの。時を超えてということをクロニクルという言葉で表したのか。
作家のこの小説で書きたかった一つに暴力(性)があり、これは作家の持つ大きなテーマの一つであるが、なかなかどうして分かりにくい。

作家のノモンハンへの旅が小説を書く前でなく後であったということは面白いし、訪ねる前に書いた現地の様子は現実もそのとおりであったと、どこかで書いていたのも面白い。さすがであるが、人は心に浮かばないものは見えないという怖れもないわけではない。

作家は戦跡を歩いた日の深夜2時過ぎ、得体の知れない地震のような激しい揺れを経験することになる。それが大地の揺れでなく作家自身の心の揺れだと知覚する。
「暴力」が物理的かつ心的なもので、過ぎた時間に関係ないという証であろう。村上春樹の小説が少しわかるような気がして、これも収穫のひとつだった。

「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)
紀行文というのは、近々その地を訪ねるといった目的意識なく読み始めるとよほど好奇心が強いひとでないと、無理やり旅の道連れにされたようなもので、文章が面白くなければ最後まで読み通せない。まぁ、埒もない読後感想の「辺境ブログ」文よりはもちろんましだが。
この旅行記では、トルコ東部高地ヴァン湖の泳ぐヴァン猫の話が面白かった。作家が絨毯屋とグルのホテルマンの誘いに乗り、猫を見たさに絨毯屋に案内される。幸い世にも珍しいヴァン猫にも会えたが、絨毯を買うことにもなるのが面白い。自分だったら、きっと同じようなことをしたに違いないと思う。
ネットによればヴァン猫は、世界に1000匹ほどしかいない希少種という。可愛らしい顔をして、瞳が青もしくは琥珀色、または片方が青で、もう片方が琥珀色というのもいるというのだからすごい。しかも写真で見ると上品な猫である。
水を怖がらずに泳ぐ猫としても知られる。トルコのヴァン県原産。(写真はネットから拝借した)




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村上春樹を読む(その11) ・「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」など [本]


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村上春樹の随筆などをランダムに読んでいる。

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」(1999 平凡社)
陽子夫人の撮影した写真が掲載されたスコットランド、アイルランドのウイスキー紀行文。
ウイスキーは、アイルランドで生まれアイラ島を経てスコットランドに渡ったという。
この紀行文を読む前には、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という表題はアイラ島のシングル・モルト・ウイスキーとアイリッシュウイスキーにしても、言葉で良さを人に伝えるより飲めば分かるということかと思ったが、それにしては言いまわしが少し変である。やはりそう単純でもないようだ。
ウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に「共有」して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたらしい。つまり、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろうか、という作家としての思いがこもっているのである。むろん言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉はウィスキーでなく言葉に過ぎないからだ。それでもなお作家は「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢を見続けるのだと次のように書く。作家が伝えたいのは何もウイスキーのうまさだけでは無い。
「でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、ぼくらのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは(少なくとも僕はということだけれども)いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ」
言葉を扱う作家としての希望、姿勢を示した表題なのだ。直球でなくカーブかナックルボールの言いまわしで、人の目を惹くところは相変わらずである。

1999年2月、仕事でスコットランドはインバネスのモルツメーカー・トマーチンデイストラリーを訪ねて見学させて貰った旅を懐かしく思い出した。
ここのウイスキーのブランドは「LANG」だった。lang は辞書によればlanguage の省略形だとある。とすれば村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と偶然ながら呼応するような気もする。

少なくとも作家の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という夢想とトマーチンディストラリーが、そこで蒸溜して作ったウイスキーにLANG(language・言葉)とネーミングしたココロには似たものがあるかも知れない。

自分がインバネスに行った1999年は平凡社からこの本が出版された年だが、作家は1997年に「サントリークオータリー」にこの文を書いているので、旅の時期は自分よりかなり前になるようだ

作家は「うまい酒は旅をしない」とも言う。舌では分からないが雰囲気は少し分かる。灘の清酒メーカーの人から清酒は野菜や魚と同じで新鮮が一番と教えられた。地酒が美味しいのはそのせいだという。ウィスキーはどうなのだろう。都会の薄暗いバーで飲むより、荒涼としてうそ寒いインバネスで飲んだ方がうまいと思ったかどうか、今となると思い出せない。
ディストラリーの側を流れていた小川の水は、ピートが混ざっているのか茶色く濁っていたのだけいやに記憶に残っている。


「村上朝日堂 はいほー!」(1989 文化出版社)
「ハイファッション」なる服飾雑誌(眼にしたことはないが)に連載していたエッセイ集。
作家はかなり気楽に自分自身の生い立ち、性格や生活態度、趣味や夫婦仲などを書いている。自分の夫婦仲のことをこだわりなく披瀝するというのは、なかなか出来る事ではない。作家は意外とまじめな性格のよう。村上朝日堂というのは朝日新聞社専売ではなさそうだし、例により「ハイホー!」の説明はなかった(のではないか)と思うが、訳が分からないエッセイの表題ではある。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」(1997 朝日新聞社)
サリン事件被害者インタヴューを一年間かけて文章化していた同時期に、週刊朝日に連載していた気楽なコラム。著者は「アンダーグラウンド」(1997 講談社)とのバランスをとっていたという。シリアスなものと気楽なものとの。

「村上ラヂオ」(2001 講談社)
「anan」連載のコラム集。短くて気楽ながら丁寧で好ましいエッセイ集。読者を20歳前後の女性と決めつけず書いているのが良いのか、1話が(文庫本で)1ページ半ほどの短文なのが良いのか、理由は分からないが好感度が高いと思う。
中でも気に入ったひとつ。
「パスタでも茹でてな!」
イタリアの車の運転モラルが低い話。車の窓をあけてドライバーが「シニョーラ、運転なんかしないで、うちでパスタでも茹でてな!と怒鳴る。」という話からパスタの話になり、「国境をまたいで超えただけで、パスタが突然信じられないくらいまずくなる。国境って変なものだ。それでイタリアに戻ってくると、そのたびに「おお、イタリアってパスタがおいしいんだなあ」とあらためてしみじみ実感する。思うんだけど、そういう「あらためてしみじみ」がひとつひとつ、僕らの人生の骨格をかたちづくっていくみたいですね。」としめる。
思うんだけどという転じ方がすこぶる良い。そして後に続く文章がまたすこぶる結構。わがブログ「しみじみ e 生活」のテーマそのものだ。

「村上ラヂオ2 おおきなかぶ、むずかしいアボガド」(2011 マガジンハウス)
「アボガドはむずかしい」
作家は難しいのは食べどきのことを言っているのだが、自分の経験では、アボガドの難しさは傷んでいるのに外からは分からないことだ。これで何度泣かされたことか。
食べどきなら、キウイの方がよほど難しい。かつて「採り時を教へぬキウイの硬さかな」という駄句を作ったことがある。
紹介されている村上夫妻のたのしむタマネギときゅうりとアボガドのサラダ、ショウガドレッシングが美味しいとの由。一度試してみたい気がした。

「村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン」(2012 マガジンハウス)
「ブルテリアしか見たことがない」
ブルテリアは犬の種類。これしか飼ったことのない人に犬は分からない。一度しか結婚していない人に女を分かったと言えない。
各文最後の「今週の村上」がくだらないけれど面白い。特にダジャレ。フリーダイアルと不倫ダイアル、洗剤意識と潜在意識、何回止まっても一時停止など。わが記憶力が急低下しているのに、覚えているのがいくつかある。ダジャレや言葉遊びの好きな人は好きである。回文だが、「またたび浴びたたま」という著書がある。

「またたび浴びたタマ」(2000 文藝春秋)
うーむ。自分も「伊丹の酒今朝飲みたい」など言葉遊びは好きだが、一冊の本にするほどのことかなとも思う。回文に怪文が添えられているが、読んでいて「定型」は物語を作りやすいのではないかとふと感じた。5・7・5調が俳句、短歌を、韻が詩を、折句が追悼句を、作りやすいように回文は怪文を生みやすい。

「意味がなければスイングはない」(2005 文藝春秋)
かねて作家が音楽(ジャズやクラシック)についてじっくり書いて見たいとして実現したエッセイ。
相変わらず上手いアイキャッチの表題について作者は「あとがき」でデュークエリントンの名曲「スウイングがなければ意味はない」のもじりと明かしている。名言はそのままひっくり返しても意味がある場合があるものだと知る。
本文では、「シューベルトピアノソナタ17番ニ長調D850 ソフトな混沌の今日性」、「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」
の二章だけが少し理解できたような気がするが、あとのジャズやロックの話は殆どが理解の外にあった。


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