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ショパン マズルカ・ポロネーズ [音楽]

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平原綾香がクラシックの入門解説を東京新聞に連載している。それを時折り読む。このほどそれをまとめて「平原綾香と開くクラシックの扉 」(2017 東京新聞)が刊行された。新聞連載で読み落としたものもあるだろうと、図書館で借りて来た。
音楽に疎い自分には、まさしくうってつけの入門書である。
面白い記事がいくつかあったが、そのなかで芥川賞作家平野啓一郎(1975-)のショパン話に惹かれた。早速平野著「葬送」(新潮社2001)と「エッセー集ショパンを嗜む」(音楽之友社2013)を図書館のインターネットで借りる。近作の「マチネの終わりに」(毎日新聞出版2016)は予約順120番という人気で借りられなかった。

「葬送」は、19世紀のパリを舞台にショパン、ドラクロワ、ジョルジュ・サンドらの織り成す人間模様を描いた長編小説。「エッセー集ショパンを嗜む」はその取材紀行を主にした随筆集。
ドラクロワ(1798-1863)には良い水彩画がある。このブログでも取り上げたが、「Jewish Bride ユダヤの花嫁 」(1832 水彩 ルーブル美術館所蔵288 ×237mm)は自分が水彩画を始めたとき、こんな絵を描きたいものだと思った好きな絵の一つだ。

2013.8「ウジェーヌ・ドラクロワの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11

なお、ドラクロワには油彩だが、ショパンと愛人ジョルジュサンドの肖像画もある。もともと一枚の絵だったが、2枚に切り離されたという説がある。この小説を読むとそんな説が出てくるのも、あながち突飛なことでもないなと納得する。
小説はショパンとドラクロワが主人公で音楽と絵画論が続く。ジョルジュ・サンドはどちらかといえばサブだがその割に長女との母娘葛藤、確執が延々と続く。そのことがショパンとの距離を拡げたのはわかるが、他にも書くべきことはありそうなものだと思ってしまう。小説の出来は分からないが27歳の若さで死にゆく者の孤独、男女の愛(時代といえ何と不倫の多いことか)、音楽、美術など芸術論をかくもすらすらと書けるものかと驚くばかりである。
ジョルジュ・サンドは、小説にもちらと出てくるが水彩画を描く。それも独自に考案した水彩技法(ダンドリッド)だったと以前別の本で読んだ記憶がある。このへんを絡めて書いてくれたら最高なのだがと、勝手なことを考える。とまれ、小説家であり政治活動家もあった男装の麗人とショパンの関係を主にした方が、個人的には良かったのではないかと思う。
小説後半に出てくるショパンのラストコンサート(1848年2月)の様子は演奏された曲目とともに音楽をよく知らないものにも楽しめる描写だ。
エッセイの方は、作家が傾倒し造詣に深いだけあって、ショパンとその音楽について勉強になる。内容はともかく題名の「嗜む」は、理由は分からないが、個人的には好きになれぬ。「バッハを嗜む」と言う人はいるのだろうか。

これまでピアノ協奏曲1.2番だけアイポッドに入れてたまに聞いていたが、これを機会に、ソナタ(葬送)、ノクターン、バラード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどをアマゾンミュージックで聴くようになった。
なかでもマズルカとポロネーズが気に入って、CDを借りアイポッドに入れた。マズルカはショパンの故国ポーランドの民謡舞曲の影響が濃厚だという。ポロネーズはフランス語でポーランド風とか。
フランスで活動したショパンは最後まで故国ポーランドに帰れなかった。ショパンの音楽に望郷の思いが強く影響しないわけはない。
音楽の分からぬ自分にはショパンのピアノはみなマズルカ、ポロネーズのように聞こえる。1810年生まれのショパンが生きたのは、ナポレオン戦争と大国ロシアに蹂躙されたポーランドの時代だから、むろん百年後の第2次大戦を知らない(1849年没、39歳) が、周知のようにアウシュビッツはポーランド南部にある。
ポーランド人にとっての近代や現代は、ロシア、ドイツなどの外国人による反ポーランド主義運動と、その屈辱に耐え続けた歴史だが、マズルカやポロネーズには民衆の哀しみが流れているのだとしみじみと思う。


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