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山峡(やまかい) [詩歌]

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栃木県那須烏山市の横枕(よこまくら)はわが亡母の生地、わが疎開地、3歳から高校まで育った故郷でもある。
今や市になっているが、当時は那須郡境村(後に烏山町)横枕であった。疎開先となったくらいだから、東京までは当時一日がかりだった。僻地といっても良い。昔から山の中の代名詞として「大木須・小木須・横枕(おおぎす・こぎす・よこまくら)」といわれてきた。なかでもわが横枕は茨城県境に近い八溝山系にあり山の中の集落である。

いまグーグルマップで検索すると、東京の我が家から東北本線(新幹線利用)宇都宮で烏山線に乗り換え終点烏山駅まで2時間39分。そこからはバスで30分くらいだろうから、今でもおよそ3時間余かかるのである。東京から新大阪までの新幹線の時間がちょうど2時間半だ。車だと東北道利用で2時間48分とある。

小中高と一緒に通った幼馴染の友人がいる。彼は、香港・イタリア、アメリカなど駐在を含めアパレル商社で長年活躍した。リタイヤしたあと山の中で暮らしたいと、故郷那須烏山市に戻って17年になる。
この友人が親切で、幹事を引き受けることが多いこともあって、自分は小中高のクラス会があると出かけていき、宇都宮から先は全面的に彼の世話になる。

その彼から昨年11月「山峡(やまかい)」と題した一冊の歌集が送られてきた。友人は奥様ともどもテニス好きで、シニアで何度も地区優勝し韓国大会あたりまで出かける。またリタイア後、車によるアメリカ横断旅行を5回もした行動派のつわものだが、歌は詠まない。
歌集は友人の生家の向かいに住む方が自費出版したものという。たぶん君も懐かしく読むのではないかと思って、と親切にも送ってくれたのである。
中学生か高校生だったか定かでないが、山峡(やまかい)という言葉を知ってわが横枕にぴったりの言葉だと思ったことを、直ぐに思い出した。
歌人は山峡の農家を継いで稲作、肥育牛など農業を営む八十路の老爺である。五十四歳から短歌誌に参加して歌を読み始めたという。
自分はもとより短歌を勉強したこともないので、本当の良さは理解出来ないと思うが、良い歌(佳什)が数多く収録された素晴らしい歌集である。
友人が自分を思い出してくれたとおり、懐かしくわが幼少時代の田舎の生活を思い出した歌が沢山ある。


この歌集には歌人の喜寿の時に詠まれた歌もあって、それに刺激された訳ではないが、昨年平成29年6月、古里の近く馬頭町の温泉「東家」で開催された境中学クラス会、喜寿の会に出席した時のことを詠んだ腰折れ一首を作った。

喜寿の会六十年の再会に面差し残る人一人いて

馬頭町は小川町と合併して那珂川町となった。財政が裕福で那須烏山市とは隣接するも、一緒にならなかったと友人が教えてくれた。この辺り出身の高校の時の友達がたくさんいた。
前記の通り短歌も習ったことはない。時折りいたずらで作るが、いつも狂歌のようになる。また説明調になる。我ながら歌になっていないし、詩情もない。三十一文字だけというしろものである。よって自嘲的に腰折れと呼ぶ。
「山峡」の歌人の歌は言うに及ばず、新聞記事で歌会始の歌などをみると、すらすらと歌うように流れ、中身はまさに詩になっている。こうでなければと分かっているが、自分がやるとなかなかうまくいかない。
このうたも「面影残る人数多(あまた)いて」(事実に近い)とした方が良いのか、「面差し残る人一人いて」(ドラマチックだ)とした方が良いのか迷った。果ては会津八一にならって、すべてひらがなにした方が感じが出はしないか、と疑がったりする。

きじゅのかいろくじゅうねんのさいかいに おもざしのこるひとひとりいて

リタイヤしてからでも「山峡(やまかい)」の歌人のようにちゃんと勉強すれば良かったと(遅きに失しているが)反省することしきりである。


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