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村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」 [本]

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「パン屋再襲撃」( 1986 文藝春秋)
表題は1985年作(下記の絵本「パン屋を襲う」で触れたい)。あと「象の消滅」、「ファミリー・アフェア」、「双子と沈んだ大陸」の短編。ほかに2篇、計6篇が収められている。
いずれも面白く読める。「ファミリー・アフェア」は「家庭の事情」とでも訳すのか。60~70年代に活躍したアメリカのファンクバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲名「Family Affair」と同じだと指摘する人も。
主人公の妹の婚約者の名前が渡辺昇、安西水丸の本名だ。「ノルウェイの森」ほか、あちこちに出てくるのが可笑しい。この短編集「パン屋再襲撃」では主人公僕の共同経営者、「象の消滅」では象の飼育係、「双子と沈んだ太陽」ではやはり共同経営者として、渡辺昇が俳優のごとく出てくる。皆別人ながら短編集に通した横串と見るのはうがち過ぎか。
ほか2篇のうちの「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(1986)は、後の長編の冒頭の書き出しでほぼそのまま使われた。失踪猫の名はノボル・ワタナベで「クロニクル」のわたやのぼるにほぼ同じ。
「ねじまき鳥クロニクル」の刊行は、1994年だから、この短編が書かれてから9年が過ぎていることになる。

「パン屋を襲う 」(2013 新潮社)
「パン屋を襲う」「 再びパン屋を襲う」の2編の短編を収録。それぞれ「パン屋襲撃(1981)」、「パン屋再襲撃(1985)」を改題、絵本に仕立てたもの。
絵はカット・メンシック(独イラストレーター)なる女性が描いている。絵は好みだから評価は人によるだろう。自分は嫌いではない。
「パン屋を襲う」は若い男の二人連れがパン屋に押し入ってパンを強奪しようするが、パン屋の主人からワグナーを一緒に聞けば、パンをやると持ちかけられ、襲撃が頓挫する話。
「再びパン屋を襲う(旧題パン屋再襲撃)」は、結婚したばかりの若い男女が、猛烈な空腹に耐えかねてパン屋を襲う話である。かつてパン屋を襲った経験のある男の方が妻と再びパン屋(実際にはハンバーガーのマグドナルド)を襲う。物語はいわば独立しており、読者は二つの物語の関連性はそれぞれ考えろ、とつき放されることになる。いつものことだが、なぜワグナーなのか(「パン屋を襲う」の方)も含めて不分明、謎めかせて読者を惹きつける魂胆と見た。

「波の絵、波の話」(1984 写真 稲越功一 文村上春樹 文藝春秋)Pictures of Wave,Tales of Wave英題名。
波の絵は絵画かと誤解しかねないが、Photograph の方。マンハッタン、パリ、ロングアイランド、ハワイなどの波の写真と歌詞、短編レイモンド・カーヴァー村上春樹訳など。
手元に置いて、ウイスキーでもやりながら時折眺めるには大判で重過ぎると思う。

「The scrap 懐かしの一九八〇年代」(1987 文藝春秋)
スポーツ・グラフィック・ナンバー誌に掲載(1982~1986)された。
「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」がとぼけていて読ませる。

「地球のはぐれ方 東京するめクラブ」(2008 文春文庫)
海外はハワイ、サハリンのみ。日本のはぐれ方である。名古屋、熱海、江ノ島、清里などであまりはぐれたくない。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問」  (2000 朝日新聞社)
村上朝日堂のHPの掲示板での作家と読者とのやりとりを収録したもの。村上春樹の答えは丁寧で辛抱強い。大方は共感する、あるいはそういう考えもあろうと思うものが多い。
個人的に言えば、一人が好きで一人でいたいので走ったり、音楽を聞いたり小説を書くことに没頭するのだ、というあたりは、やや誇張もあろうが、同感するところもある。

ただ一つだけ違和感を覚えたのは、なぜ選挙に行かないかという28歳の主婦からの問いへの回答。政治性において極端に個人的であるとして、選挙に行かないのは、人それぞれだから、とやかくいう筋合いではないのかも知れない。しかし、自分は決して非政治的な人間ではないというからには、質問者にはどうすべきかを言うべきではないかと思う。そうでないと、村上春樹でさえ行かないのだから、と若い人たちが安易に思ってしまうような気がする。著名人の発言力は本人が思う以上に強いのだ。もっと言えば、行くべきだと言って欲しい気さえするのだが、余計なことだと叱られそう。

「村上さんのところ」  (2015新潮社)
上記「村上さんに聞いてみよう」から15年後になされた読者との対話。
17週119日間にわたり37万7465通(うち外国語14カ国2530通 )の質問があり3716通に答えたという。うち473通のやりとりを収録。驚くべきタフネス。
二つ気になった応答がある。
村上春樹の小説は主人公に主体性がなく草食男子が多い、と言うの住職(ドイツ人僧侶)に対する答え。
一面的な見方だ。世界の変化を認識し自分の世界観を調整しようとしている のであって、新しいモデルを物語からこしらえたいと書いている。受動的ではないと、作家はやや気色ばんで答えている感じ。
もう一つは、50代主婦の「1Q84」における薬物・sexシーンは必要だったのかという問い。たしか主人公が父を見舞いに行って世話になった看護婦とのエピソードだったと、自分も覚えている。
大麻は、日本では禁止されているがアメリカの幾つかの州では合法。フィクションの中での話 だ。物語の中では殺人でも解せないということになる。ナーヴァスな自主規制の方が怖いのではないか。
必要かという問いへの答えとしては行違いがあるような。

なお、蛇足ながら質問者の最高齢84歳とか。作家より高齢な読者は少なそうだし、ましてメールをうって作家にコードネームを欲しがるような人は少なかったとみえる。

「みみずくは黄昏に飛び立つ 川上未映子インタビュー村上春樹」(2017 新潮社)
「職業としての小説家」「 騎士団長殺し」をめぐるインタビュー 。自分は主題の2冊とも読んでいないので特に感想も書けない。

さて、ここ5ヶ月ほどに村上春樹の著書をほぼ一読(最近作「騎士団長殺し」を除き)したが、読む前に持っていたイメージとそんなに大きく違っていたかというと、そんな感じはあまりしない。
多くのファンが村上春樹に魅かれるのは、第一に読みやすい文体にあり、第二に不分明なテーマと展開、第三に著者の読者への親切心などであろう。
第一の文体は分かりやすくリズミカル。もちろん推敲され磨き上げられたものだからでもある。二番目の「不分明な」というのは我ながら適切ではないと思うのだが、いまのところ良いことばが見つからない。謎めくオープンエンド、敢えて余白の多い絵のように読み手にも想像させる。三つ目の読者に対する親切心については、日常生活の描写にしても、無意識下の異界の物語にしても随所にそれが溢れているから多くの説明は不要だろう。
「村上春樹の読み方」や解説本が沢山あるのは初めて知ったが、これも上記の3点と関係がありそうだ。
自分はといえば、総じて違和感より共感が上回ってきたとまでは言い切れないが、これだけの量の本を通読することになったのは意外であった。もっとも、美味しい卵を産む鶏を知りたいという好奇心で読んだ本も多かったが。

蛇足ながら、この5ヶ月ほど著書に出てくる音楽を聴きたくなりアマゾンミュージックで探し、アイポッドやアイフォーンで聴いている。音楽と小説の関係は、今なお不分明で情けないが。
もとより音楽の鑑賞能力は極端に低い。ただ、常日頃少しでも音楽に親しめればと思っているので、良いとっかかりになったことは最大の収穫かも知れない。
同じようなファンもいるらしくニーズに対応して「僕と小説とクラシック」というCD(巡礼の年篇、泥棒かささぎ篇、シンフォニエッタ篇の3アルバム)があってアイフォーンで時折り聴いている。リストの「巡礼の年」、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、プッチーニ「泥棒かささぎ」などが収録されている。いまどきはなんでも用意されていると感心するが、「僕」とは誰かなどと詮索すると面倒な気もしないでは無い。不分明なままの方がよさそうだ。
そのうち、僕と小説とビール、ワイン、料理レシピでも現れるのだろうか。

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