So-net無料ブログ作成

鳥海青児の水彩画 [絵]

鳥海青児(ちょうかい せいじ1902 - 1972)は、神奈川県平塚市生まれの洋画家。画号の由来は知らない。本名は正夫。
鳥海は岸田劉生(1891-1929)や萬鉄五郎(1885-1927)の感化を受け画家として出発したという。しかし、後年になって、彼らとは違って新聞紙で油分を抜き光沢を抑えた重厚なマチエール(絵肌)と抽象に近い単純な構図という独自の画風を確立した。
すなわち、構図も対象も単純化して、茶色を基調とした渋い色調の油絵具を砂を混ぜて厚く塗り重ねてはノミとカナヅチで削る、という独特の技法により土壁のようなマチエールの作品を制作したのである。沈んだ茶色の色とともに日本的な油彩画のひとつの典型と評する人もいる。

代表作は、いずれも油彩の「黄色い人」(1956)、「ピカドール」(1958)、「昼寝するメキシコ人」(1964)など。「うづら」(1929油彩)宮城県立美術館(洲之内コレクション)も絵の好きなひとにはよく知られている。

1928 (昭和3)年、26歳のとき札幌で三岸好太郎 (1903-1934)鳥海青児 吉田節子(1905-1999)展覧会をひらいている。3人は年も近い。彼も独立美術協会に属した。

1930年渡欧。その後もアフリカ、中南米、インド、中国など海外に旅行している。旅の画家でもあった。同時代の多くの画家は、三岸好太郎、松本竣介、萬鉄五郎など若くして亡くなったが、鳥海青児は戦後を通じて活躍し、昭和47年70歳で没した。

鳥海青児の水彩も少ない。当然のことながら、彼の水彩もあのざらざらした絵肌の油彩とは対照的に淡白なものである。しかし、色調は黒、茶、グリーンを使い油彩と共通するところがあるような気もする。



「沖縄風景」(1939 s14グヮッシュ )18.4 ×29.8cm。首里城址でなく沖縄独特のお墓のようだ。少ない黒い線が緑を生かして効果的。
「風景 」(制作年不詳 水彩 )20.8 ×35.3cm。抽象的にも見えるがまさしく水彩のかろやかさ。
水彩画が少ないので、他を。
「北海道風景」( 1943 S18 油彩)戦時中の作品。暗い。
「石だたみ 」(1961 S36油彩)インド旅行の風景。
「狸穴風景 」(1954 S29油彩 ) 赤い屋根が目立つ。戦後絵が明るくなったと言われる。がざらざらしたマチエールは変わらない。
「ピカドール 」(制作年不詳 パステル) 29×23cm。ピカドールは騎乗の闘牛士。やりで刺す。マタドールは剣でとどめを刺す闘牛士。バンデリリェロは銛(もり)打ち。それぞれ役割があるとか。トレアドールは何かわからぬ。パンツが有名だが。
鳥海が好んで描いた題材のひとつ。
「北京天壇 」(1939s14油彩)鳥海にしては明るいが、梅原龍三郎などとは対照的に沈んだ色調の空。

例によって余談。鳥海青児が小説家・美川きよ(みかわ きよ1900-1987本名鳥海清子87歳で没)と結婚したのは昭和14年。鳥海37歳、美川38歳。美川きよは作家小島政二郎(1894-1994 百歳で没)の愛人としてよく知られていた。作品に「夜のノートルダム 鳥海青児と私」(中央公論1978)がある。鳥海、美川、A(小島)の愛を書いた。題名は、美川が鳥海から買った昭和8年の作品、「夜のノートルダム」から。今回初めて通読してみた。さすが作家である妻の書いたもの、鳥海青児の人と絵を知るには好著である。
夫人がよく夫の画業を支えたことがよく分かる。71歳で死別したあと87歳で亡くなった。

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

トマト畑

よろしくお願いします。
by トマト畑 (2014-03-30 15:50) 

wakizaka

トマト畑さま
コメントありがとうございました。
by wakizaka (2014-04-13 19:02) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。