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たばこの思い出 [健康]

たばこというと、酒と並ぶ嗜好品の代表格であったが、いまや嫌われ者となり見る影もなく凋落の一途を辿る。行き着くところはどこか。しぶとく少数派として生き残ることがあっても往年の栄華に戻ることはなさそうである。
動くアクセサリーという言葉も死語となった。今日も元気だタバコがうまいというコピーが物議をかもしたこともあった。ベランダ族やパイプ族は、いまどうしているのだろうか。
正確な科学的根拠は知らないが、たしかに若い母親が喫煙しているのを見ると母子の健康に良くないなという気がする。吸う人吸わない人ともそう思うであろう。

タバコには、いくつかの思い出があるがそのうち二つだけを。
マッチやライターなど小道具にも、思い出はあるが別の機会にしよう。

ひとつは禁煙のこと。
たばこをやめたのは、昭和46年4月6 日(1971年 )31歳の時とはっきり覚えている。しかし、はて吸い始めたのは何時だったのかというと覚えていない。誰でもそうであろうが、なしくずしだったのだろう。学生でアルバイトをしていた頃だから、20歳は過ぎていたことはたしかだ。
少し大人になったように思いたかったのが動機だったのも、まあ人並か。
10年間ほど吸っていたことになるが、やめようと思った頃はチェーンスモーカーでハイライトであれば一日2箱40本ほどになっていた。

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とくに人とあって話の間を持たせる小道具であり、紫煙をくゆらせ沈思黙考していいアイディアをなどという高等なものではなかったように思う。
やめたいと思ったのは、とにかく食事が不味くてやめればきっと美味しいだろうということだった。やめれば体調が良くなるだろうと期待したということは、タバコが体調不良の原因だと思っていたに違いない。
やめると決意してから、ポケットにも煙草を入れて持ち歩き家にも煙草をおき、何時でも再開しても良いとして禁煙生活に入った。結果的には上手くいき意志薄弱を見透かされている家人には、あれだけは偉かったとあとあとまでほめられた。
しかし、やめて3年くらいは特に酒を飲んだ後に、欲しくなって往生した。夢で吸ってしまい、しまったと思って目が覚めたことも何度かある。
最近に始まったことではないが、煙草追放の嵐は激しい。愛煙家はさぞ大変であろうと思う。
その後、職場でも最初は吸煙器設置、分煙から始まったが、今はもっと徹底しているのであろう。都市では、路上を含めほぼ全面禁煙である。吸えるのは喫茶店やレストランなどの喫煙席くらいか。
ヘヴィスモーカーが肺癌になるとは限らないようだが、煙害として周りの人に影響を及ぼすとなるとこれはたしかに穏やかではない。
さて、禁煙をしてから、その後一本も吸っていない。わが性格からして一本でも吸えばあととめどもなく吸うに違いないと最初に思ったが、そのまま43年の歳月が流れた。
これほど煙草が目の敵とされる前に、自分の都合だけで禁煙を決意して、幸い成功したのはラッキーというもの。禁煙していた頃はあれは蛮人の風習だなどと嫌味を言っていたが、いまとなると煙草を吸う気分や味を知っているので、追いつめられる愛煙家に対しては同情を禁じ得ない。
などと格好をつけて心に余裕があるが、あのときやめることが出来なかったら、今頃はやみくもなキャンペーンは理不尽だなどと息巻いていたかも知れぬ。

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ふたつめは作物としてのたばこのことである。

いまもたばこは栽培されているようだが、まずほとんど見ることはない。
タバコ(たばこ、煙草、Nicotiana tabacum)はナス科タバコ属の一年草の亜熱帯性植物。葉の成分として有毒で習慣性の強いニコチンを含むので、それゆえに煙草の原料として古くから世界各地で栽培されて来た。
日本では九州、関東の畑作地などが多い。
疎開した母の実家のある那須烏山では、戦後葉タバコをどこの農家でも栽培していた。タバコも蕎麦と同じで土が肥沃でない狭い土地でも栽培される作物の代表選手と聞いたことがある。
たばこは苗床に種を播き、少し大きくなるとやや高い畝(うね)を作り移植して育てる。大人の背丈以上に成長するが、下の大きな葉から順に収穫する。葉は少しべたつき独特の匂いがした。タバコは大きくなると白いロート状の筒先にピンクの花をつける。葉の成熟のために摘芯し、脇芽もかいてしまうのでこの花はまず見ることはない。
農家にとって摘芯、摘芽は夏の暑いさなかの作業で重労働となる。
ニコチン含有量が上葉と下葉で異なるので収穫にも気を使い、結構一年中気の抜けない厄介な作物である。
収穫した葉は縄目に一枚ずつ挟み日に干して乾燥させる。縄は5Mくらいだったろうか。雨の時には家の中に取り込むし、乾燥が終わると陰干しが必要なので、納屋、乾燥場では足りずに農家の土間、居間、座敷まで天井が縄に吊るした煙草の葉だらけになる。
座敷で避暑とばかり、ラジオを聞きながら昼寝をしているとポトリと青虫が天井から落ちびっくりする。
冬は乾いた葉を縄から外して、一枚ずつ丁寧に皺を延ばして束ねて出来上がるが、これは「煙草のし」といって女子供でもできるので一家総出の夜なべ仕事となる。
さて、専売公社に煙草を納付する日は一年に一度農家のハレの日だ。男は一杯やり、女も笑顔がこぼれる。農家にとり数少ない文字通りの換金作物だから現金化される日だが、むろん支払いもこの日に集中する。
いつのまにかタバコの作付け面積も減少して、椎茸や野菜などが増えて来ていた。輸入たばこと煙草の消費量の減少によるものだろう。手間がかかるうえに重労働だから、農家の高齢化がそれに拍車をかける。自分が高校を卒業した昭和34年頃には、もうかなり少なくなっていたように思う。

ところで禁煙をした頃を思い出すと、必ず自分のしていたその頃の仕事が連れ出してくるのは不思議である。仕事の中身などは全く覚えていないのだが、その頃の仕事は為替のコルレスであったからか、禁煙と「コルレス」という語が一緒に出てくる。コルレス自体は金融機関同士の為替契約のことで、むろんのこと、たばことは全く関係がない。思い出というのはそういうものなのであろう。
ひたすら個人的なもので、聞く人にはおよそ埒もない話と分かる。

作物のたばこの方は、もっと古い子供の頃の話であり連れて思い出すことと言っても無いが、べたつく緑の葉の手ざわりやピンクの花、茶色に乾燥した葉の匂いなどをありありと思い出すことが出来る。これも不思議なことではある。

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二つとも古い思い出話であることに変わりがない。




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良い思い出を拝読しました、ありがとうございます。
by お名前(必須) (2018-07-16 22:31) 

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