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サンケイビルの赤いオブジェ [随想]

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東京に限らず全国至るところにパブリックアート、モニュメントはある。抽象的な芸術品、その地になにがしか縁のある具体的な彫刻、像などさまざまである。野外芸術を楽しむもの、何らかの顕彰、祈願、慰霊、鎮魂、オマージュ等を目的とするものなどモニュメントを造る動機もまた種々、さまざまだ。最近漫画の主人公などが町おこしの目的で立てられるの似たようなものだろう。歴史的には宗教や権力者によって、あるいは逆に市民運動の募金で出来たものなど多彩でもある。
人の行動範囲には限りがあるから、それらに接する数にもむろん限りがあるが、人はみなそれぞれに自分と親しいあるいは懐かしいかかわりを持っているパブリックアート、オブジェがモニュメントがある。

かつて通勤した大手町の職場近くのサンケイビル前の広場にある赤いオブジェは、自分にとって思い入れの強いものである。
1971年(昭和46年)、静岡に続く2度目の転勤先新潟から東京に戻り1996年(平成6年)、有楽町の新ビルに移転するまでの 25年間、このサンケイビルと日経ビルの間にある7階建てのビルがわが職場であった。そばに経団連、新大手町ビルなどがあり、前は逓信博物館であった。
もっとも、この間大分(2年間)、福岡(1年間)に転勤していた3年間を除くと正確には22年間になるが、それにしても長い時間だ。
2001年(平成11年)、移転した有楽町の新ビルで退職を迎え、その後茅場町の第二の職場を辞めたあと2003年(平成15年)、奇しくもまた同じ大手町の旧ビルがサラリーマン最後の職場になり、週に2回ほど通うようになった。
お隣の古いサンケイビルは装いも新たに建て替えられており、その名も「メトロスクエア」と呼ばれ、屋外のイベントスペース、飲食物販ゾーン、ホール貸し会議室を併設した都市型コミュニティスペースを提供する施設となっていた。広場の一角にこの赤いモニュメントがつくられていたのである。

高田馬場から東西線大手町駅で下車、このオブジェの前を歩いてビルの室に行く。
この2年間は長かった己のサラリーマン生活を振り返る時間ともなった。その思いと赤いモニュメントは重なっている。

モニュメントはアレクサンダー・リーバーマン(ロシアーアメリカ1912-1999)の
「イリアッド・ジャパン」1987年作 と台座に記されている。
台座の説明では、イリアッドとはトロイ戦争をうたった古代ギリシャの叙事詩(ホメロス作といわれる)という。造形が標題とどういう関連になるのかは、読んでもわが貧弱な頭では理解することが出来ない。
赤は作者の故郷ロシアを象徴するという人もいるが、どんなものか。

「イリアッド・ジャパン」は、以前から美ヶ原高原美術館で野外展示されている。総重量36tにも及ぶ鋼鉄の巨大彫刻である。直径2mを超す円筒とそれを切断した28個のパーツが縦横斜めに組み合わされて独特の雰囲気を醸しだしている。その大きさと赤色はたくさんある野外展示の彫刻のなかでも、ひときわ目立ち同美術館の目玉のひとつ。
昔この美術館を家族と訪れているので、その時に見ているはずだが残念ながら記憶に殘っていなかった。
サンケイビルのそれは高さ14mで美ケ原のは、5階だてビルの高さというのだから、同じものでなくそれを模して作られた別のものであろう。

さて、パブリックアートで気になることが二つある。
ひとつは、レベルの低い話になるけれど、公共性が高いこの種のモニュメントは巨額な設置と維持の費用がかかると思うが、その資金は誰が負担するのかということ。
サンケイビルのメトロスクウェアの例でいえば、営利を目的とする民間企業が事業主体である。余計な心配と言われそうだが全体の中での経済的計算はどう成り立つのだろうかと気になる。

規模の大きいビルの建設などでは、敷地内に一般に公開されたオープンスペースを作ることで容積率の割り増しや高さ制限の緩和が受けられるという公開空地(こうかいくうち)という制度があるそうだ。
公開空地(こうかいくうち)とは、オープンスペースの一種であり、建築基準法の総合設計制度で、開発プロジェクトの対象敷地に設けられた空地のうち、一般に開放され自由に通行または利用できる区域をいうとのこと。パブリックアートなどはここに設置されることが多い。

1970年以降、新宿副都心の都市開発にともない、超高層ビルが建設計画がなされ、高層ピルなどの高容積建築物の入ロ周辺は、出勤時に生じるピーク通行量人口の過密を処理するにたる緩衝空間としてのオ一プンスベースが必要であることから、ビルの足もとに行政指導による公開空地が生みだされ、空間としての憩いを演出していった。かの都市整備再生機構の「新宿アイランド」はこれであろうと思う。

前述したが、1996年(平成6年)に勤め先が有楽町のビルを建て替えたとき、古いビルが歴史的建造物であった。コスト高にはなるがその一部壁面などを保全してその代わりに割増容積率を得たことを思い出した。あれも似たようなものであったろう。

されば、サンケイビルもこの公開空地のマジック?適用によって資金の一部を捻出したと容易に推察できる。容積率移転というのもあるらしい。

もうひとつ気になることがある。時節柄地震対策である。モニュメントなどもみんなに親しまれて、手に触れることが出来るほど近くで見ることができることが理想だが、巨大なものである。不測の事態にどう備えるのか。自治体の管理から外れたりしてしないかと気になる。パブリックアートでなくとも全ての建物も同じ危険性を持つのだ、と言われればそれまでではあるが。

パブリックアートというのは考えて見れば不思議な存在である。なぜ作られるかと言えば見る人が楽しめるようにということであろう。美術館に行かなければ見られない芸術品、というより大きすぎて美術館には収蔵出来ないものが多いのも頷けるというものだ。しかし、楽しむといっても、見る者がその選定に関与することはない。美術館なら見たいものを選んで見ることができるが、こちらは一方的に日常生活の中で与えられるだけである。
設置されるのは公共施設が多いから否応なしに接することになる。うん、なんだあれは?と気になることはある。しかし見たくなければ、見なければ良い。実際興味がなければ見ない。見ないものはその人にとって無いと同じだ。人は関心があるものだけ見ているとはよく言ったものである。

我が経験によれば、無知、不勉強を棚にあげて何だと言われそうだが、たいてい誰の作品かその芸術的価値も知らぬものが多いような気がする。人に聞いたりして初めてそれを知ったりする。
それでいてパブリックアートが、あそこにあるなと何時の間にか受け容れてしまっていたりもする。変なものだなとしみじみと思う。

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