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猫ドック [猫]


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昨年末、ねこの目やにがなかなか治らず、近所にある行きつけの動物病院に家人と二人がかりで連れて行った。このように黒い目やには心配ありません、ほうっておけば治ります、黄色いのは要注意ですが、との診断。ホッと一安心。
なるほど、しばらくしてそのとおりに消えてしまった。

その時、昨年からお願いしている猫ドック(健康診断)は、当院では年明けにキャンペーンを予定している、と言うので年明けになった。7歳以上は「かつおコース」、若い猫はいわしコースになる。我が家は「かつお」。
人間ドックに魚コース名を付けるなら「さよりコース」(細身で左寄り、左傾タイプ)か「河豚コース(丸型で美味しそうなタイプ)」などか。

猫ドックの当日、院長先生が目、耳、のどなどを診察、体のあちこちを触診し、少しメタボ(5.4kg)だが、総じて異常なしとのご託宣。血液を採取し感染症のワクチンを打ってもらい終了。
院長先生は、息子の中学校のクラスメートなので安心して診て貰っている。血液検査結果は1週間後。聞いて来た家人によれば、全項目ほぼ健康猫の基準範囲内に数値がおさまっているとのこと。項目の多さにも感心するが、ともかく成績優良である。中性脂肪やコレステロールの高い飼い主の方がよほど分が悪い。

我が家の猫は出自がノラだが、交通事故と猫同士の喧嘩が怖いので、ほぼ100パーセント(たまさか、うっかり戸を閉め忘れたとき外出するが30分もすれば戻る)の家猫である。
だから猫病院へ行くときはキャリーに入れるのも大騒ぎだ。おとなしくしてもらうためのまたたびは欠かせない。
診察台で押さえられても逃げようとして暴れる。看護師(?)さんもたいへんだ。

それにしても、世に飢えた人が大勢いるというのに、飼い犬にジャケットなど着せて何たることか、と憤慨していた十年前と最近の自分の変わりように驚くばかりである。同じ人間とはとても思えない。今は犬にも猫にも情があり魂があると信じている。
人は変わるものだと分かっているものの、我ながら自分の変わりようにはついていけぬ。不思議なことである。


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ショパン マズルカ・ポロネーズ [音楽]

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平原綾香がクラシックの入門解説を東京新聞に連載している。それを時折り読む。このほどそれをまとめて「平原綾香と開くクラシックの扉 」(2017 東京新聞)が刊行された。新聞連載で読み落としたものもあるだろうと、図書館で借りて来た。
音楽に疎い自分には、まさしくうってつけの入門書である。
面白い記事がいくつかあったが、そのなかで芥川賞作家平野啓一郎(1975-)のショパン話に惹かれた。早速平野著「葬送」(新潮社2001)と「エッセー集ショパンを嗜む」(音楽之友社2013)を図書館のインターネットで借りる。近作の「マチネの終わりに」(毎日新聞出版2016)は予約順120番という人気で借りられなかった。

「葬送」は、19世紀のパリを舞台にショパン、ドラクロワ、ジョルジュ・サンドらの織り成す人間模様を描いた長編小説。「エッセー集ショパンを嗜む」はその取材紀行を主にした随筆集。
ドラクロワ(1798-1863)には良い水彩画がある。このブログでも取り上げたが、「Jewish Bride ユダヤの花嫁 」(1832 水彩 ルーブル美術館所蔵288 ×237mm)は自分が水彩画を始めたとき、こんな絵を描きたいものだと思った好きな絵の一つだ。

2013.8「ウジェーヌ・ドラクロワの水彩画
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2013-08-11

なお、ドラクロワには油彩だが、ショパンと愛人ジョルジュサンドの肖像画もある。もともと一枚の絵だったが、2枚に切り離されたという説がある。この小説を読むとそんな説が出てくるのも、あながち突飛なことでもないなと納得する。
小説はショパンとドラクロワが主人公で音楽と絵画論が続く。ジョルジュ・サンドはどちらかといえばサブだがその割に長女との母娘葛藤、確執が延々と続く。そのことがショパンとの距離を拡げたのはわかるが、他にも書くべきことはありそうなものだと思ってしまう。小説の出来は分からないが27歳の若さで死にゆく者の孤独、男女の愛(時代といえ何と不倫の多いことか)、音楽、美術など芸術論をかくもすらすらと書けるものかと驚くばかりである。
ジョルジュ・サンドは、小説にもちらと出てくるが水彩画を描く。それも独自に考案した水彩技法(ダンドリッド)だったと以前別の本で読んだ記憶がある。このへんを絡めて書いてくれたら最高なのだがと、勝手なことを考える。とまれ、小説家であり政治活動家もあった男装の麗人とショパンの関係を主にした方が、個人的には良かったのではないかと思う。
小説後半に出てくるショパンのラストコンサート(1848年2月)の様子は演奏された曲目とともに音楽をよく知らないものにも楽しめる描写だ。
エッセイの方は、作家が傾倒し造詣に深いだけあって、ショパンとその音楽について勉強になる。内容はともかく題名の「嗜む」は、理由は分からないが、個人的には好きになれぬ。「バッハを嗜む」と言う人はいるのだろうか。

これまでピアノ協奏曲1.2番だけアイポッドに入れてたまに聞いていたが、これを機会に、ソナタ(葬送)、ノクターン、バラード、ワルツ、マズルカ、ポロネーズなどをアマゾンミュージックで聴くようになった。
なかでもマズルカとポロネーズが気に入って、CDを借りアイポッドに入れた。マズルカはショパンの故国ポーランドの民謡舞曲の影響が濃厚だという。ポロネーズはフランス語でポーランド風とか。
フランスで活動したショパンは最後まで故国ポーランドに帰れなかった。ショパンの音楽に望郷の思いが強く影響しないわけはない。
音楽の分からぬ自分にはショパンのピアノはみなマズルカ、ポロネーズのように聞こえる。1810年生まれのショパンが生きたのは、ナポレオン戦争と大国ロシアに蹂躙されたポーランドの時代だから、むろん百年後の第2次大戦を知らない(1849年没、39歳) が、周知のようにアウシュビッツはポーランド南部にある。
ポーランド人にとっての近代や現代は、ロシア、ドイツなどの外国人による反ポーランド主義運動と、その屈辱に耐え続けた歴史だが、マズルカやポロネーズには民衆の哀しみが流れているのだとしみじみと思う。


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山峡(やまかい) [詩歌]

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栃木県那須烏山市の横枕(よこまくら)はわが亡母の生地、わが疎開地、3歳から高校まで育った故郷でもある。
今や市になっているが、当時は那須郡境村(後に烏山町)横枕であった。疎開先となったくらいだから、東京までは当時一日がかりだった。僻地といっても良い。昔から山の中の代名詞として「大木須・小木須・横枕(おおぎす・こぎす・よこまくら)」といわれてきた。なかでもわが横枕は茨城県境に近い八溝山系にあり山の中の集落である。

いまグーグルマップで検索すると、東京の我が家から東北本線(新幹線利用)宇都宮で烏山線に乗り換え終点烏山駅まで2時間39分。そこからはバスで30分くらいだろうから、今でもおよそ3時間余かかるのである。東京から新大阪までの新幹線の時間がちょうど2時間半だ。車だと東北道利用で2時間48分とある。

小中高と一緒に通った幼馴染の友人がいる。彼は、香港・イタリア、アメリカなど駐在を含めアパレル商社で長年活躍した。リタイヤしたあと山の中で暮らしたいと、故郷那須烏山市に戻って17年になる。
この友人が親切で、幹事を引き受けることが多いこともあって、自分は小中高のクラス会があると出かけていき、宇都宮から先は全面的に彼の世話になる。

その彼から昨年11月「山峡(やまかい)」と題した一冊の歌集が送られてきた。友人は奥様ともどもテニス好きで、シニアで何度も地区優勝し韓国大会あたりまで出かける。またリタイア後、車によるアメリカ横断旅行を5回もした行動派のつわものだが、歌は詠まない。
歌集は友人の生家の向かいに住む方が自費出版したものという。たぶん君も懐かしく読むのではないかと思って、と親切にも送ってくれたのである。
中学生か高校生だったか定かでないが、山峡(やまかい)という言葉を知ってわが横枕にぴったりの言葉だと思ったことを、直ぐに思い出した。
歌人は山峡の農家を継いで稲作、肥育牛など農業を営む八十路の老爺である。五十四歳から短歌誌に参加して歌を読み始めたという。
自分はもとより短歌を勉強したこともないので、本当の良さは理解出来ないと思うが、良い歌(佳什)が数多く収録された素晴らしい歌集である。
友人が自分を思い出してくれたとおり、懐かしくわが幼少時代の田舎の生活を思い出した歌が沢山ある。


この歌集には歌人の喜寿の時に詠まれた歌もあって、それに刺激された訳ではないが、昨年平成29年6月、古里の近く馬頭町の温泉「東家」で開催された境中学クラス会、喜寿の会に出席した時のことを詠んだ腰折れ一首を作った。

喜寿の会六十年の再会に面差し残る人一人いて

馬頭町は小川町と合併して那珂川町となった。財政が裕福で那須烏山市とは隣接するも、一緒にならなかったと友人が教えてくれた。この辺り出身の高校の時の友達がたくさんいた。
前記の通り短歌も習ったことはない。時折りいたずらで作るが、いつも狂歌のようになる。また説明調になる。我ながら歌になっていないし、詩情もない。三十一文字だけというしろものである。よって自嘲的に腰折れと呼ぶ。
「山峡」の歌人の歌は言うに及ばず、新聞記事で歌会始の歌などをみると、すらすらと歌うように流れ、中身はまさに詩になっている。こうでなければと分かっているが、自分がやるとなかなかうまくいかない。
このうたも「面影残る人数多(あまた)いて」(事実に近い)とした方が良いのか、「面差し残る人一人いて」(ドラマチックだ)とした方が良いのか迷った。果ては会津八一にならって、すべてひらがなにした方が感じが出はしないか、と疑がったりする。

きじゅのかいろくじゅうねんのさいかいに おもざしのこるひとひとりいて

リタイヤしてからでも「山峡(やまかい)」の歌人のようにちゃんと勉強すれば良かったと(遅きに失しているが)反省することしきりである。


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いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病 [音楽]

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中二病なる言葉がある。
ネットで調べると「中二病(ちゅうにびょう)とは、中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。
別名「他人とは違う俺カッコイイ病」。厨ニ病、厨弐病とも。(何故に厨なのかは不明。台所に籠る訳ではなかろうが。)
「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。」とある。
洋楽を聴き始めたり、旨くもないコーヒーを飲み始め、世界への怯えや、その裏返しの、暴力への興味、そしておとなの嘘っぱちを暴く態度をとるようになるという。

中学二年生といえば、14歳。
哲学的エッセイスト池田晶子の「14歳からの哲学 考えるための教科書」を思い出したが、14歳は生老病死、神、などあらゆることを考える年齢だと彼女は強調していた。
我が身にっ振り返ってみると、中二の頃は何も考えていなかったように思う。奥手だったと見える。ただこれだけ年をとると、当時のことをすっかり忘れているだけなのかも知れない。

余り関係無いが、マッカーサーは日本人12歳論を唱えた。同じ敗戦国でもアングロサクソンのドイツ人は45歳。日本人は子供だから、(戦争をしても)仕方がなかったのか、その代わり未来があるーだったのか、その真意はよく分からないが、まだ中二病になる前の小学6年生ということになる。

また大江健三郎を批判してピュアな幼児性、というか男子中学生っぽさだ。永遠の中学生なのだ。というのも想起した。いずれもいまどきのネットスラングという中二病とは関係無い。

さて、この中二病をテーマにしたというCDがある。

 思春期の少年の心理に訴えかけるクラシック音楽を集めたアルバム「ハルサイとか聴いてるヤバい奴はクラスで俺だけ。〜「春の祭典」初演100周年記念アルバム」〜」。
クラシック音楽レーベルのナクソス・ジャパンがリリースしたもの。

ハルサイとは「春の祭典」(はるのさいてん、原題:Le sacre du printemps, :The rite of spring )のこと。ロシアの作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ音楽。1913年に完成し、同年5月に初演された。20世紀の近代音楽の傑作に挙げられる作品であり、複雑なリズムのクラスター(群れ)、ポリフォニー(多声音楽)、不協和音に満ちていて、初演当時怪我人も出る大騒動となったことで知られる。

 CDは、ニーチェの哲学書を元にした「ツァラトゥストラはかく語りき」など、孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆などのイメージを持つクラシック音楽を収録。「現代により近い、もしくは時代が離れていても何らかの今日性を感じさせる作品」をセレクトしているという。ちょっと長いがPR文を引用させてもらうと。

「おまえ、いっつもなに聴いてんの?」

「ん…まあ、ちょっとした(100年前の)洋楽」

”神は死んだ”という言葉で知られるニーチェの哲学書を元にした
「ツァラトゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス)

トランペットが木管楽器に“存在の永遠”を問いかける
「答えのない問い」(チャールズ・アイヴズ)

改造楽器の一種であるプリペアド・ピアノのために書かれた
「危険な夜」(ジョン・ケージ)

そして、

あまりに過激な音楽とダンスゆえ、初演時に炎上騒ぎを巻き起こした
「春の祭典」(イーゴリ・ストラヴィンスキー)

孤独、自意識、宇宙、神、死、前衛、反逆。
思春期の男子の“中二病心理”をくすぐる曲は
パンクやヒップホップだけじゃなかった

ストラヴィンスキー作曲「春の祭典」(通称ハルサイ)初演100周年記念。
音楽史という名の“青春の黒歴史”に捧げる、恥ずかしくも愛しい音楽の詰まったアルバム。

CDに収録された曲を備忘のために記すと末尾のとおりである。

最近、平原綾香のクラシックをカヴァーしたCDや、村上春樹らしき?「僕と小説とクラシック」(CD)を聴いている自分が知っているのは、このうちいくつも無い。バッハのシャコンヌ、リヒャルトシュトラウス・ツァラトゥストラはかく語りき、ストラヴィンスキー・春の祭典、メシアン・トゥーランガリラ交響曲くらい。それもよく聴いたのはヴァイオリンパルティータ・シャコンヌくらいであとは知っている程度だ。音楽に疎い自分と比較しても余り意味は無いけれど、いまどきの14歳は凄いなと感心するばかりだ。そこで腰折れ一首。

いまどきは「ハルサイ」を聴く中二病 綾香聴く喜寿 我は何病

我は喜寿病か?、な。

①edit. Alfonso X: Cantiga de Santa Maria No.77/119~アルフォンソ10世の編纂によるカンティガ集 第77/119番 アンサンブル・ユニコーン/ミヒャエル・ポッシュ(指揮)
②J.S.Bach: Violin Partita No.2 - Ciaccona~シャコンヌ イリヤ・カーラー(ヴァイオリン)
③R.Strauss: Also sprach Zarathustra~ツァラトゥストラはかく語りき スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団/ズデニェク・コシュラー(指揮)
④E.Satie: Vexation~厭がらせ クラーラ・ケルメンディ(ピアノ)
⑤C.Ives: The Unanswered Question~答えのない問い ノーザン・シンフォニア/ジェイムス・シンクレア(指揮)/アルチョム・デルウォード(ギター)
⑥I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第1部 大地の礼賛 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑦I.Stravinsky: Le Sacre du Printemps~春の祭典(1913年版) - 第2部 生贄の儀式 ロンドン交響楽団/ロバート・クラフト(指揮)
⑧C.Orff: Carmina Burana~カルミナ・ブラーナ - 全世界の支配者なる運命の女神(フォルトゥナ) ボーンマス交響合唱団/ボーンマス交響楽団/マリン・オールソップ(指揮)
⑨J.Cage: The Perilous Night~危険な夜 - VI.(プリペアド・ピアノによる) ボリス・ベルマン(ピアノ)
⑩O.Messiaen: La Turangalila-Symphonie~トゥーランガリラ交響曲 - 第3楽章 トマ・ブロシュ(オンド・マルトノ)/ポーランド国立放送交響楽団/アントニ・ヴィト(指揮)
(11)P.Glass: Violin Concerto~ヴァイオリン協奏曲 - 第3楽章 アデレ・アンソニー(ヴァイオリン)/アルスター管弦楽団/湯浅卓雄(指揮)
(12 )L.Vierne: Carillon de Westminster~ウエストミンスターの鐘 アンドリュー・ルーカス(オルガン)

絵は「我が家のふて猫」 アルシュ 28.5×38cm 文と関係無い。
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「晩年様式集 イン・レイト・スタイル 」を読む [本]

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大江健三郎。1935年1月生まれの82歳。1959年東大卒。1960年友人伊丹十三の妹ゆかりと結婚。1963年長男光誕生などといった説明はいまさら不要だろう。
ノーベル文学賞受賞作家と並べるのは流石に気がひけるが、自分は1963年卒。1965年結婚。1967年長男誕生。ー同世代の作家だということを言いたかった。
若い頃はよく読んだが、仕事が忙しくなってからはあまり読まなくなっていたのは、サラリーマンの話題とするには適当ではなかったからだろうか。

「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」の表題は友人サイードの言「晩年の仕事レイト・ワーク」からというが、相変わらずうまい。「芽むしり仔撃ち」、「遅れてきた青年」、「洪水はわが魂に及び」 、「万延元年のフットボール」など初期作品名がすぐ浮かぶ。
2013年に刊行(講談社)されたこの本を書いたのは、刊行の一年くらい前だろうからたぶん77歳の頃と思われる。今の自分と同じだ。大作家が同じ年の頃にどんなことを考え、書いたか、どんな健康状態か興味が湧くのは自然のことである。まして書かれているのは2011年「3.11」の直後にあたる。
ただ、この本の主題は、作家の小説手法など別のところにありそうだ。残念ながら自分はよく理解できなかった。それほど最近の(晩年の)著作を読んでいないし、良き読者でも無いのだから無理もないと思う。

自分が日々感じている老いや心の変化などでは、作家の言葉に共感するところが多い。
作家は自宅の階段踊り場であの大震災から百日ほど経ったある夜半ふいに涕泣する。
「この放射性物質に汚染された地面を(少なくとも私らが生きている間は…実際にはそういうノンビリした話じゃなく、それよりはるかに長い期間)人はもとに戻すことができない。」と。

あの地震、津波、原発事故の時、自分は何も考えることも出来ず、呆けたように日を過ごした。作家は77歳で当方は作家の5歳下だから、72歳だったということになる。なにげに比べることになる。この時の打撃は作家ほどでないにしても、すべての日本中の人が強烈な衝撃を受けた。これまでの秩序や規範がガラガラと崩れていく、未来への不安が頭を覆う…。

さて、ネットの解説によれば、作家の1999年以降の創作活動は、「宙返り(1999)」、「取り替え子チェンジリング(2000)」、「さようなら私の本よ!(2005)」、「水死(2009)」などで作家自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と表現しているという。

「後期の仕事」は、ほとんどが作家自身を重ねあわせた小説家・長江古義人をめぐる虚実入り乱れた物語ばかりであるという。
「作家自身をめぐる物語に虚構の騒動を交えて自身の思考を語りなおす、という手法が踏襲されている。(この形式には大江自身も自覚的であり、「水死」の作中にも「老作家のあいも変わらぬ自己模倣」などといった韜晦のような表現がある)。また、全編にわたって先行する文学・芸術などからの放縦な引用に加えて、過去の自作の引用・再話・換骨奪胎・再構築が行われている。」とある。

自分はこれらの著作をほとんどを読んでいないので、言うべき言葉はない。リタイア後読んだ「静かな生活(1990)」と「恢復する家族(1995)」 「ゆるやかな絆(1996)」ーこの2冊はいずれも妻大江ゆかりとの共著ーなどは「後期の仕事」以前のものだ。
よって「後期の仕事をテーマ」にしたこの「晩年様式集」についても語る資格もない。
読みながら、身体的な老いと戦いつつ九条を守る会、原発反対集会などに参加する姿に首を垂れるのみだ。

作家は、「晩年様式集」のなかで、これまで毎年ひとつずつ年齢を重ねている、としか自覚していなかったーが、「僕の年齢認識の変化は、こうなんだ。僕は間近に迫っている八十歳を基準にする。定点とする。ともかく自分の定点から逆算して、あと三年、二年と生きている今をとらえるということです。」と変わってきたという。
自分はかなり前からそうだが、定点は父の死の79歳だ。今やあと二年弱という年になっている。

また、作家は「四年ほど前の、視界が片隅からザーッと崩れる症状(それ以来、二度、三度と再来するので大眩暈と呼んで来た)に襲われた。」と言い、MRI,CT検査の結果、アルコール離脱症状だったと告白している。アルコール依存は原発事故禍、反対運動の疲労、自分の老い、知的障がい者の長男の行く末など悩み事からの酒への逃避の結果だという。
自分は幸にもいままでに大眩暈のような経験がないが、いつかどこかで何らかのカタストロフィが来ると懸念している。この恐怖感は大作家であろうが、凡夫の自分であろうが変わりは無いだろう。
作家は原発などのカタストロフィを語るとき、自らのカタストロフィも重ねているだろうことは何となく感じさせられる。

巻末の詩の最後はそれを感じつつ読んだ。

「ー私のなかで
母親の言葉が、
はじめて 謎でなくなる。
小さなものらに、老人は答えたい。
私は生き直すことはできない、しかし
私らは生き直すことができる。」

暮から正月にかけて、「後期の仕事」を少しずつ読んでみようかという気になっている。
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老眼・老耳・老歯 [健康]

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家人はめがねがずり落ちてきて気になると言う。
ずり落ちるのは随分前からのことで、鼻眼鏡になっていたのだが、あまりこれまで気にならなかったのに、と嘆いて眼鏡店に行くと決めたらしい。例によって散歩代わりにとついて行くことにした。
そういえば、だいぶ前に駄句を作ったことを思い出した。

秋の夜半 アガサ読む妻 鼻眼鏡
妻籠俳句(めろうはいく)である。

眼鏡屋さんは、奥さんこれすぐ直りますよ、と鼻にあたる部品を取り替えてくれた。一件落着。ついでに自分のも替えてもらう。二人で1200円。

店頭に並ぶ補聴器を見ていたら、鴨ネギと見られたらしく、ご興味があれば検査しますよと言ってプリントしてくれた結果は次の通りであった。
平均聴力レベル 右 53dHBL 左58dHBL
語音弁別能 右85% 左80%
健聴は20デシベル以下であり、しっかり「中等度難聴」という。
たしかにずっと電話や会話が聞き取れず困ることが多い。テレビドラマもほとんど会話が理解不能で、ついに「字幕」に切り替えた。フィットネスのインストラクターの声もマイクを使っていないとほとんど聞こえない。人間ドックでは聴覚はいつも成績不良である。

家人は自分より軽度だが、耳鼻科で診察してもらい、左耳にすっぽり入る小さな補聴器を購入して使い始めた。一方で表参道の眼鏡店に行き、赤と白のフチのフランス製眼鏡を買って来た。お洒落してどこかに出かけたいなどと言っている。

自分は都合の悪いことは聞かなくとも良い、と頑なに補聴器は使わないと嘯いているが、いつまでやせ我慢していられるか心許ない。
強度の近視で小学4年生十歳の時から眼鏡は体の一部になっているが、近眼のせいか「老眼(ろうがん)」というのは実感したことがない。だから遠近両用というのはかけたことがない。
老眼ならぬ「老耳(ろうじ)」という言葉は聞いたことがないが、最近は難聴が認知症の原因にもなっているのだと指摘されて話題になっているという。たしかに人と話すのが億劫で「引き籠り→認知症」の遠因には違いない。
眼鏡も補聴器も「身体障害者」から免れる大事な道具だが、いずれも高価で保険の適用外なのが難点である。眼鏡店の店主によれば、補聴器は片耳20万前後のものでないと煩わしくて辛いし、両耳とも使用するのがお薦めという。アイパッドが4台買える。

ついでながら、歯の方は幼少時砂糖の無い時代に育っただからと、虫歯がないと自慢していたのに、手入れも悪いこともあって早々に悪くなった。親知らず以外の歯を2本抜いてブリッジがひとつ入っているが歯医者通いはかかせず情けない。

ふと、自分より年上の画友(女性)が、雑談していたとき「私たちは眼、耳、歯などを順次神様にお返ししていくのよ」、と言っていたことを思い出す。
まさしく眼鏡も補聴器も入れ歯もそれまでの、はかないアンチエイジングだが。さはさりながら。
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極楽湯につかる [雑感]

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今年の11月は、後半に何日か小春日和があった。年寄りにはたいへんありがたいことである。
北米ではインディアンサンマー、ヨーロッパでは貴婦人の夏と呼ばれる似た気候があるというが、なぜかあちらでは夏。我が国は旧暦10月の異称が小春なので春となる。
このところ、すっかり引き籠りっきりになっているが、切符を頂いたので和光市にある「極楽湯」に行くことにした。
家人によれば、近くに銀杏並木通りのきれいな光ヶ丘公園もあるとのことなので、帰りに寄って見ようということになる。
「極楽湯」は全国各地にあるが(直営23店舗)、我が家から一番近いのが和光市にある。環八に出て北へ走ると自宅から17分とアイフォーンのマップにある。
これをカーナビ代わりに走ると、練馬区「清水山の憩いの森」のある土支田の近くとすぐ分かった。和光市は練馬のすぐ北隣りなのである。「清水山憩いの森」はカタクリの自生地で有名なので、それをバスを乗り継いで見に行ったのである。2015年4月のことだった。

さて、われらが極楽湯に行ったその日は祝日で風呂は混んでいた。駐車場もほぼ満車状態。
休憩室も人でいっぱい。家族揃って食事もできて、ノンビリ過ごせるこのての施設は人気があると見える。
温泉も茶色い湯でそれらしいが、何せ人が多く子どももいて老人には落ち着かない。
温泉に入って思わず出る「あぁ、ゴクラク、ゴクラク! 」、「♪い~湯だナ アハハッ」とまではいかなかったのは残念ながら、温泉なのだから気分が悪いはずはない。
料金は家人に聞くと1000円くらいらしい。

早々に風呂を出てすぐ近くの光ヶ丘公園に行く。
駐車場に車を停め、お腹が空いたので売店でたこ焼きを食べる。タコは一つずつしっかり入っていたものの冷めていた。アツアツでないのは致命的。
大阪でよく食べたので、タコ踊りの幟りなどを見ると時々食べたくなるのだ。たこ焼きは大阪発祥とされるが、優れてアジア的な食べ物だといつも思う。汁につけて食べる兵庫の明石焼きの方がルーツとする人もいる。
銀杏の並木通りは何処ですかと売店の人に尋ねると、すぐ隣がそうですがあいにくもうほとんど散ってしまいましたと言う。
今年は黄葉も遅いのではないかと思っていたのに、この辺りは暖かいのだろうかと訝る。
それでも園内にはまだ散っていない銀杏もあって、午後の日を浴びて黄色に輝いていた。
雨上がりの陽に輝く銀杏の葉の黄色ほど、素晴らしい黄色は他にそうはない。

小春日和の風呂上がりに、いっとき秋色を楽しんだ午後であった。
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村上春樹を読む(その13)・「村上さんのところ」などとCD「僕と小説とクラシック」 [本]

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「パン屋再襲撃」( 1986 文藝春秋)
表題は1985年作(下記の絵本「パン屋を襲う」で触れたい)。あと「象の消滅」、「ファミリー・アフェア」、「双子と沈んだ大陸」の短編。ほかに2篇、計6篇が収められている。
いずれも面白く読める。「ファミリー・アフェア」は「家庭の事情」とでも訳すのか。60~70年代に活躍したアメリカのファンクバンド、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの曲名「Family Affair」と同じだと指摘する人も。
主人公の妹の婚約者の名前が渡辺昇、安西水丸の本名だ。「ノルウェイの森」ほか、あちこちに出てくるのが可笑しい。この短編集「パン屋再襲撃」では主人公僕の共同経営者、「象の消滅」では象の飼育係、「双子と沈んだ太陽」ではやはり共同経営者として、渡辺昇が俳優のごとく出てくる。皆別人ながら短編集に通した横串と見るのはうがち過ぎか。
ほか2篇のうちの「ねじまき鳥と火曜日の女たち」(1986)は、後の長編の冒頭の書き出しでほぼそのまま使われた。失踪猫の名はノボル・ワタナベで「クロニクル」のわたやのぼるにほぼ同じ。
「ねじまき鳥クロニクル」の刊行は、1994年だから、この短編が書かれてから9年が過ぎていることになる。

「パン屋を襲う 」(2013 新潮社)
「パン屋を襲う」「 再びパン屋を襲う」の2編の短編を収録。それぞれ「パン屋襲撃(1981)」、「パン屋再襲撃(1985)」を改題、絵本に仕立てたもの。
絵はカット・メンシック(独イラストレーター)なる女性が描いている。絵は好みだから評価は人によるだろう。自分は嫌いではない。
「パン屋を襲う」は若い男の二人連れがパン屋に押し入ってパンを強奪しようするが、パン屋の主人からワグナーを一緒に聞けば、パンをやると持ちかけられ、襲撃が頓挫する話。
「再びパン屋を襲う(旧題パン屋再襲撃)」は、結婚したばかりの若い男女が、猛烈な空腹に耐えかねてパン屋を襲う話である。かつてパン屋を襲った経験のある男の方が妻と再びパン屋(実際にはハンバーガーのマグドナルド)を襲う。物語はいわば独立しており、読者は二つの物語の関連性はそれぞれ考えろ、とつき放されることになる。いつものことだが、なぜワグナーなのか(「パン屋を襲う」の方)も含めて不分明、謎めかせて読者を惹きつける魂胆と見た。

「波の絵、波の話」(1984 写真 稲越功一 文村上春樹 文藝春秋)Pictures of Wave,Tales of Wave英題名。
波の絵は絵画かと誤解しかねないが、Photograph の方。マンハッタン、パリ、ロングアイランド、ハワイなどの波の写真と歌詞、短編レイモンド・カーヴァー村上春樹訳など。
手元に置いて、ウイスキーでもやりながら時折眺めるには大判で重過ぎると思う。

「The scrap 懐かしの一九八〇年代」(1987 文藝春秋)
スポーツ・グラフィック・ナンバー誌に掲載(1982~1986)された。
「オリンピックにあまり関係ないオリンピック日記」がとぼけていて読ませる。

「地球のはぐれ方 東京するめクラブ」(2008 文春文庫)
海外はハワイ、サハリンのみ。日本のはぐれ方である。名古屋、熱海、江ノ島、清里などであまりはぐれたくない。

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問」  (2000 朝日新聞社)
村上朝日堂のHPの掲示板での作家と読者とのやりとりを収録したもの。村上春樹の答えは丁寧で辛抱強い。大方は共感する、あるいはそういう考えもあろうと思うものが多い。
個人的に言えば、一人が好きで一人でいたいので走ったり、音楽を聞いたり小説を書くことに没頭するのだ、というあたりは、やや誇張もあろうが、同感するところもある。

ただ一つだけ違和感を覚えたのは、なぜ選挙に行かないかという28歳の主婦からの問いへの回答。政治性において極端に個人的であるとして、選挙に行かないのは、人それぞれだから、とやかくいう筋合いではないのかも知れない。しかし、自分は決して非政治的な人間ではないというからには、質問者にはどうすべきかを言うべきではないかと思う。そうでないと、村上春樹でさえ行かないのだから、と若い人たちが安易に思ってしまうような気がする。著名人の発言力は本人が思う以上に強いのだ。もっと言えば、行くべきだと言って欲しい気さえするのだが、余計なことだと叱られそう。

「村上さんのところ」  (2015新潮社)
上記「村上さんに聞いてみよう」から15年後になされた読者との対話。
17週119日間にわたり37万7465通(うち外国語14カ国2530通 )の質問があり3716通に答えたという。うち473通のやりとりを収録。驚くべきタフネス。
二つ気になった応答がある。
村上春樹の小説は主人公に主体性がなく草食男子が多い、と言うの住職(ドイツ人僧侶)に対する答え。
一面的な見方だ。世界の変化を認識し自分の世界観を調整しようとしている のであって、新しいモデルを物語からこしらえたいと書いている。受動的ではないと、作家はやや気色ばんで答えている感じ。
もう一つは、50代主婦の「1Q84」における薬物・sexシーンは必要だったのかという問い。たしか主人公が父を見舞いに行って世話になった看護婦とのエピソードだったと、自分も覚えている。
大麻は、日本では禁止されているがアメリカの幾つかの州では合法。フィクションの中での話 だ。物語の中では殺人でも解せないということになる。ナーヴァスな自主規制の方が怖いのではないか。
必要かという問いへの答えとしては行違いがあるような。

なお、蛇足ながら質問者の最高齢84歳とか。作家より高齢な読者は少なそうだし、ましてメールをうって作家にコードネームを欲しがるような人は少なかったとみえる。

「みみずくは黄昏に飛び立つ 川上未映子インタビュー村上春樹」(2017 新潮社)
「職業としての小説家」「 騎士団長殺し」をめぐるインタビュー 。自分は主題の2冊とも読んでいないので特に感想も書けない。

さて、ここ5ヶ月ほどに村上春樹の著書をほぼ一読(最近作「騎士団長殺し」を除き)したが、読む前に持っていたイメージとそんなに大きく違っていたかというと、そんな感じはあまりしない。
多くのファンが村上春樹に魅かれるのは、第一に読みやすい文体にあり、第二に不分明なテーマと展開、第三に著者の読者への親切心などであろう。
第一の文体は分かりやすくリズミカル。もちろん推敲され磨き上げられたものだからでもある。二番目の「不分明な」というのは我ながら適切ではないと思うのだが、いまのところ良いことばが見つからない。謎めくオープンエンド、敢えて余白の多い絵のように読み手にも想像させる。三つ目の読者に対する親切心については、日常生活の描写にしても、無意識下の異界の物語にしても随所にそれが溢れているから多くの説明は不要だろう。
「村上春樹の読み方」や解説本が沢山あるのは初めて知ったが、これも上記の3点と関係がありそうだ。
自分はといえば、総じて違和感より共感が上回ってきたとまでは言い切れないが、これだけの量の本を通読することになったのは意外であった。もっとも、美味しい卵を産む鶏を知りたいという好奇心で読んだ本も多かったが。

蛇足ながら、この5ヶ月ほど著書に出てくる音楽を聴きたくなりアマゾンミュージックで探し、アイポッドやアイフォーンで聴いている。音楽と小説の関係は、今なお不分明で情けないが。
もとより音楽の鑑賞能力は極端に低い。ただ、常日頃少しでも音楽に親しめればと思っているので、良いとっかかりになったことは最大の収穫かも知れない。
同じようなファンもいるらしくニーズに対応して「僕と小説とクラシック」というCD(巡礼の年篇、泥棒かささぎ篇、シンフォニエッタ篇の3アルバム)があってアイフォーンで時折り聴いている。リストの「巡礼の年」、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、プッチーニ「泥棒かささぎ」などが収録されている。いまどきはなんでも用意されていると感心するが、「僕」とは誰かなどと詮索すると面倒な気もしないでは無い。不分明なままの方がよさそうだ。
そのうち、僕と小説とビール、ワイン、料理レシピでも現れるのだろうか。

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アイスペールで稲づくり [雑感]

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今年の春5月、新宿駅近くで買い物のあと散歩していると、JA東京のアグリパーク(農業情報発信拠点)を宣伝する店舗がオープンフェアを開催していた。
商品を買ったら福引きが出来て4等賞品「バケツで稲づくり」のキットが当たった。
種籾と肥料と稲づくりマニュアルがセットになっている。平成元年から28年まで小学生など960万人が参加した実績があるとパンフにある。教材として人気があるのだろう。

適当なポリバケツがなかったので、使っていないアイスペール(ワインクーラー)でチャレンジする。
土は家人が培養土をスーパーで買ってきてくれた。園芸用腐葉土なのでやや有機質が多いのが気になったがそのまま使用した。
マニュアルを後でよく読むと、土についてはかなり詳細につくり方が書いてあったが、無視した。これは稲の成長、米の品質に影響があったと思われるが、具体的にはどんな影響を及ぼしたかは分からない。

収穫は10月予想だから栽培期間はほぼ6ヶ月かかるが、やることは基本的には水を切らさないことだけである。ただ、分けつ、中干し、水落ちなどのタイミングが難しい。いつそれをやるかだが、忘れるとまずいことになる。

分けつ(苗の移し替え)で失敗した。芽がでてから葉が4、5本になったところで苗を植え植え替える(たぶんこれが田植えだ)のだが、余分な苗をもったいなくて捨てられず側に植えたのである。小さなアイスペールには苗が多すぎることになり、その後の稲の生育に悪影響を及ぼしたようだ。ケチは駄目と思い知った。

懸念したとおり苗全体に勢いが弱く下の方の葉も枯れてきたものもあり、なかなか穂が出てこない。もうダメかなと焦ってきた8月18日にやっと1、2本穂が出て、白い花がこぼれてきたのを見つけたときはホッとした。近くで見ると稲の花はきれいである。
米づくりは八十八も手がかかると言う。キットは病気、虫、嵐、田の水の管理などが無いので楽だが、実際には農家はもっと大変だろうと思う。
実際の手間もそうだが、いっときも気が抜けないだろうことは容易に想像できる。

米は水田で栽培されるが、極めてシンプルなもので優れた装置であることが良く分かる。
しかも連作が可能であり、保水の機能も持ち合わせている田んぼというのは食糧生産だけでなく環境保全にも優れたシステムだ。バケツ稲作りはそれをよく教えてくれる。

10月5日稲刈り。束ねて干す。穂から籾を落としてから(脱穀)、玄米にするためすり鉢で籾を剥がそうとしてもうまくいかない。籾殻(もみがら)をはずす作業を脱稃(だっぷ)と呼ぶそうだが、こんな言葉は知らなかった。
乾燥不足かと思って暫く放っておく。JAのネットでは軟式野球ボールで摺りあげると良いというのだが。軟式も公式も野球ボールなど無い。
これでは、「稲は出来たが米は出来なかった」になってしまう。
ジムで頂いた筋膜リリースのボールを代用して小さなすり鉢でやってみるが、なかなか籾殻が剥がれない。長時間かけてやっと玄米らしくなった。次は精米。
なお、この段階で計ってみたら22g。これではご飯茶わん一杯にも足りないだろう。ふうっ、疲れた。
いつもスーパーで買う米は、決して高価とはいえない気がしてきた。


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村上春樹を読む(その12)・「日出ずる国の工場」ほかノーベル文学賞のこと、など [本]

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「日出ずる国の工場」(1987 平凡社)
安西水丸との工場見学記。前書きで次のように言う。
日本人は愛おしいくらいよく働く人種で…仕事そのものの中に楽しみや哲学や誇りや慰めを見出そうと努めている…取材を続けているうちに日本とか日本人の概念が徐々に膨らみタイトルを変更した…。(当初「村上朝日工場」あるいは「メン・アット・ワーク」にしようと考えたのだと述懐する)
現場を見ての作家の気持ちの変化が良く分かる文章である。作家は正直である。
自称「ノン・ノンフィクション作家」が選んだ取材先は①京都科学標本(人体模型)、②アデランス、③CD工場、④コム・デ・ギャルソン、⑤松戸・玉姫殿(結婚式場)、⑥消しゴム工場、⑦小岩井牧場(経済動物たちの午後)である。
アデランスは「ねじまき鳥クロニクル」で主人公が笠原メイと「髪の毛調査」をするアルバイトのシーンに登場する。作家はいやに細かいことまで知っていると思いながら読んだ覚えがある。作家のいう引き出しの一つだろう。

自分はこの中で小岩井牧場だけは昔仕事で訪ねたことがある。
思い立って「愛おしいくらいよく働く人」であった自分は、どのくらい牧場や工場を見学しただろうと、記憶を呼び覚まして辿ってみた。
牧場は、酪農場、養豚場(黒豚、無菌豚、種豚)、肥育牛(乳雄牛、黒毛和牛、短角牛)、養鶏(採卵鶏、ブロイラー)、種競馬など畜産関係が多い。15、6くらいは見学している。他に養殖場(養鰻、養鱒、養鼈、鰤、鯛、鮑)などもあった。
工場は、食品工場(製パン、清酒、ビール、ウイスキー、ワイン、ジュース、製糖、味噌、醤油、ハムソーセージ、ジャム)が多く、機械工場(農機、自動車ハーネス、)、製紙、製缶、縫製、段ボール工場など30近くをすぐに列挙できた。
他に思い出せないものもあるに違いない。引き出しとしては充分過ぎるほどだが、引き出しても使いようが無いのは残念。

「遠い太鼓」(1990 講談社)1986年から89年の3年間ギリシャ、イタリアなどで暮らした作家の滞在記、旅行記。作家は37~40歳。
表題はトルコ民謡ー遠い太鼓に惹かれて旅に出るーという古謡からとのこと。旅行記なのに短編集の表題かと思ってしまう。この海外で暮らした時期に作家は「ノルウエイの森」、「ダンス、ダンス、ダンス」を書いたという。
この種の旅行記、滞在記を村上春樹はスケッチと呼ぶ。これらは小説を書くときに、頭の中の引き出しから時々引っ張り出すのだともいう。
このあと、アメリカ東部で暮らし「ねじまき鳥クロニクル」などを書くのだが、加納クレタなどいくつかギリシャ関連のことどもが引出しから出てくることになる。

読んでいていくつか感想があるが、二つだけ。
一つは作家の妻のこと。当然のことながら、ほとんど夫婦揃っての海外暮らしなのでいつも一緒であるから、記述の多くは「僕らはー」が多い。しかし夫婦の会話は、時々出てくるもののきわめて少ない。
読む方は、いつも表に出なくともこのとき奥さんはどうしているのか、なんと言っているのかなどと妙に気になる。作家は夫婦の性格の違い、二人の距離感、衝突した時の対処の仕方なども時折書いているが、若いのにまぁ我慢強いなと感心する。勿論片方だけでは無く、二人ともである。どこかで作家は、妻が最初の読者で意見を貰うと書いてあったように思うが、日常生活、作家生活とも好感の持てる二人三脚のようだ。勿論読者に推し量れ無い事情もあるのだろうが。
もう一つは、この時期の自分が送っていたわがサラリーマン生活との違い。自由とはこういうものかと再認識する。作家の支払う代償の大きさとその代わりに手にする自由が光り輝いて見え、改めて驚く。支払うものが小さい代わりに、心身の安寧を得て暮らしていた自分を顧りみて、人の一生はかくも異なるのだという感慨を覚える。

「雨天炎天 GREECE アトスー神様のリアルワールド」(1990 新潮社)
村上春樹はヨーロッパ滞在中の1988年にギリシャのアトス半島にショート・トリップを行った。なお、そのあとトルコへ行った紀行文も「雨天炎天」である。「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)は、このブログ記事「その10」ですでに書いた。
今回のこちらがアトス半島の旅。アトス半島は、ネットによれば、マケドニア南部テッサロニケの東南に突き出た三つの半島のうち一番東側の細長い半島。独特の宗教共同体の自治で知られているという。ギリシャ正教の修道院が二十、そのもとに粗末な建物が立ち並ぶ。住人のほとんどは男子聖職者であって、彼らはここで修行をし、宗教的な生活を送って一生を過ごすという。ミャンマーやチベットの僧などを思い起こすが、日本にはこれほど厳しい生活をする修行僧はいるのだろうか。

「ラオスにいったい何があるというんですか?紀行文集」(2015 文藝春秋)
作家がかつて住んだギリシャ、イタリア、アメリカ再訪記など。再訪記よりイタリア・トスカーナ州のワイナリー訪問記が面白くて印象に残った。キャンティといえば藁苞の瓶も有名で水彩画でもよく題材で描いたことがあるが、本格的なキャンティ・クラシコの方を飲んで見たいものだ。(黒い鶏のエンブレムが目印らしいが。)
トスカーナは粘土と石灰石の混じった土壌が美味い葡萄を育てるという。昔訪ねてワインテイスティングをさせて貰ったブルゴーニュも、地底にある石灰石に葡萄の根が届くとワインが美味しくなるのだと聞いた。ワインの味を決めるのは石灰石か。

ちなみに題名はラオスに行った時にヴェトナム人に聞かれた言葉という。何があるか分かっている旅は旅とはいえぬという作家の持論。それはそうだ。再訪はその地の変わりようを見る旅だし。

「蛍・ 納屋を焼く・その他短編」(1984 新潮社)
帯にリリックな7つの短編 とある。「叙情的」というように流れるような文章だが、例により書かれない部分があるので分かりにくくもある。(書かれぬ余白が味を出しているのだろうとは思うが。)
表題の2編と「踊る小人」、「めくらやなぎと眠る女」、「三つのドイツ幻想(冬の博物館としてのポルノグラフィー、ヘルマン・ゲーリング要塞1983)」、「ヘルWの空中庭園」)が収められている。
長編「羊をめぐる冒険」(1982)と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(1985)との間に書かれた初期の短編集。
「蛍」はノルウェイの森の原形のようだ。他の短編も村上春樹の長編小説のシーンや登場する女性などと似た所があるのは面白いし、村上春樹の小説を理解するヒントがあるかも知れない。

「シドニー!」(2001 文藝春秋)
2000年シドニー・オリンピックの村上春樹による観戦記録である。スポーツ情報誌「ナンバー」に掲載された。
観戦記よりオーストラリア事情、歴史などの方が力が入っている感じ。マラソンやトライアスロンを除いてだが。
女子マラソン金メダルの高橋尚子より、有森裕子のインタビューに力が入っているのも村上春樹らしい気もする。理由はよく分からないが。
アボリジニーの女性が金メダリストとなった女子400mの決勝レースは読ませる。原住民と侵略者の歴史は何処でも奥が深いものがあるとあらためて考えさせられる。アメリカインディアン、アイヌ、マヤ・アステカしかり。

終始五輪は退屈だと言いつつ膨大な観戦記(409ページ!)を書いた作家は、後半で次のように総括的に呟く。このつぶやき末尾の「長い結婚生活の薄暗い側面」という意味は何か良く分からないし、ここに相応しい喩えなのかどうかとも思うが。
「シドニー・オリンピックは、とことん退屈ではあったが、それを補ってあまりあるくらい~あるいはやっとこさ補うくらいには~価値あるものだったということができる。長く続いた結婚生活の、ある種の薄暗い側面と同じように」

この文章を書いていた時にカズオ・イシグロ(1954長崎生まれ)のノーベル文学賞受賞のニュースが伝えられた。彼の「日の名残り」はこのブログでも取り上げたが、「記憶」が主たるテーマとは読んでいなかった。とても立派な小説読みとは言えないなと反省。

http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2014-07-22
カズオ・イシグロ「日の残り」ーマナーハウスとカントリーハウスのことなど

イギリス国籍の日本人であるカズオ・イシグロは、村上春樹より5歳ほど下、二人は友人でもある。受賞理由は「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」という。

村上春樹はいつも有力候補に挙げられながら受賞を逸していて、その理由を何かで読んだことがある。
たしかに村上春樹の書くなかにノーベル賞となじまないものもあるようには思う。例えば暴力(性)などもその一つであろう。選考委員会がどんな基準を持っているのか知る由も無いが、それが何か危険なものに結びつく怖れを懸念することは考えられる。
しかしもっと小説を書く者、読む者を信頼しても良いという気持ちもある。
何れにしても受賞と小説の良さは別物であろう。世の中にはいろんな書き手といろんな読み手がいるのだから、良し悪しは人によるのだ。









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へびうり、柱サボテンなど ーびっくりご近所の庭木 [自然]

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近所を散歩していると、よその家ながらついつい庭木や花に目がいく。
日本は公園は少ないけれど、個人の家の庭は一つ一つは小さいが、集積するとかなりの面積になるのだと聞いたことがある。小さな庭を集積した大きな面積に、いかほどの意味があるのかよく分からないが。
庭のあるじはみなそれぞれ手をかけ楽しんでいる。一方自分を含めて道行く人、散歩をする人もまたその成果を楽しみ恩恵を受ける。
なんの変哲も無い平凡な花、百日草、ペチュニアなどを植えている家もある(我が家がまさにそうだ)が、一見して高価そうな鉢に植えた華麗な花木を、季節に応じて変えている家、一年かけて世話をして見事な花を咲かせる薔薇屋敷など様々である。

しかし中には庭の前の道を覆うほどの鬱金桜の見事な木があって、花の時期に見つけうわぁとびっくりすることもある。びっくりといっても他の人もびっくりするかどうかは知らない。人は皆違うことに驚くような気がするからである。自分でさえその時の気分のありようで、びっくりしたりしなかったりする。だから人によりびっくりするものが異なるのはなんの不思議もない。

びっくりした一例をあげると、蛇瓜。インド原産。カラスウリ科の蛇瓜(へびうり)。別名毛烏瓜とも。自転車に乗って走りながら、数本ぶら下がっているのを見たときは、えーっと驚いた。
英名は、Snake gourd 。れっきとした野菜であり、イタリヤ料理、カレー料理などにも使うとか。見たところあまり美味しそうではない。率直に言って気味が悪い。

最近では山法師。ヤマボウシ(山法師、山帽子、学名 Cornus kousa)はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。これは、花水木のあとしばらくして咲くが、庭木として最近では特段珍しくはない。驚いたのは栽培種なのか亜種なのか、普通は木のてっぺんに花をつけるのだが、側面にびっしりと花をつけているのを見つけたときである。

また、近くの普段歩かない路地で見つけたサボテン。家の二階にまで届き、更に上に伸び続けている背の高いのを見つけたときは驚いた。壁に釘を打ち丈夫そうな紐でサボテンを家が抱え込んでいる。ネットで調べてみると柱サボテンというものらしい。正確かどうかは自信がないけれど、サボテン科 ケレウス属 の鬼面角というのに一番似ている。南米産で6-8月に花もつけるという。こんなに大きくなるんだと初めて知る。

近所の方が育てている鉈豆。刀豆(トウズ )ともいう。マメ亜科 ナタマメ属 で血行促進や免疫や力の向上に資するという。古くから良薬として珍重されたらしい。そういえば、新聞広告で何かに効くというサプリがこの写真入りで掲載されていたのを見た覚えがある。驚くのはそのさやの大きさである。たぶん中の豆もさぞかし大きいのだろう。食用にもなるが、食べたことはないので、味はどうか知らない。

話は逸れるが、青梅街道を車で走ると「びっくりドンキー」というハンバーグレストランがあって、壁や屋根にトタンなどを張り付けいかにも廃屋の雰囲気を出していた。中に入るとどんなびっくりが用意されているのかとずっと思っていたが、とうとう入る機会がなかった。
最近リフォームして小綺麗なデザインに変わってしまったのである。あの佇まいも味があったのにと残念がっている。たぶんびっくりは外装だけで普通のファミレスだったのであろう。

加齢とともにか引きこもりがちなこともあって、最近ここにあげた類のびっくりがとみに少なくなっているような気がする。

原発再稼働、政治混乱、自然災害、人災などにはびっくりさせられてばかりいるのに、片手落ちだ。
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村上春樹を読む(その11) ・「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」など [本]


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村上春樹の随筆などをランダムに読んでいる。

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」(1999 平凡社)
陽子夫人の撮影した写真が掲載されたスコットランド、アイルランドのウイスキー紀行文。
ウイスキーは、アイルランドで生まれアイラ島を経てスコットランドに渡ったという。
この紀行文を読む前には、「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という表題はアイラ島のシングル・モルト・ウイスキーとアイリッシュウイスキーにしても、言葉で良さを人に伝えるより飲めば分かるということかと思ったが、それにしては言いまわしが少し変である。やはりそう単純でもないようだ。
ウィスキーのもつ味わいを少しでも読者に「共有」して欲しいという願いをこめてこの文章を書いたらしい。つまり、自分の言葉だけで読者がウィスキーを味わえたらどんなにかすばらしいだろうか、という作家としての思いがこもっているのである。むろん言葉だけでウィスキーを味わうことはできない。言葉はウィスキーでなく言葉に過ぎないからだ。それでもなお作家は「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と夢を見続けるのだと次のように書く。作家が伝えたいのは何もウイスキーのうまさだけでは無い。
「でも例外的に、ほんのわずかな幸福な瞬間に、ぼくらのことばはほんとうにウィスキーになることがある。そして僕らは(少なくとも僕はということだけれども)いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ」
言葉を扱う作家としての希望、姿勢を示した表題なのだ。直球でなくカーブかナックルボールの言いまわしで、人の目を惹くところは相変わらずである。

1999年2月、仕事でスコットランドはインバネスのモルツメーカー・トマーチンデイストラリーを訪ねて見学させて貰った旅を懐かしく思い出した。
ここのウイスキーのブランドは「LANG」だった。lang は辞書によればlanguage の省略形だとある。とすれば村上春樹の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」と偶然ながら呼応するような気もする。

少なくとも作家の「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」という夢想とトマーチンディストラリーが、そこで蒸溜して作ったウイスキーにLANG(language・言葉)とネーミングしたココロには似たものがあるかも知れない。

自分がインバネスに行った1999年は平凡社からこの本が出版された年だが、作家は1997年に「サントリークオータリー」にこの文を書いているので、旅の時期は自分よりかなり前になるようだ

作家は「うまい酒は旅をしない」とも言う。舌では分からないが雰囲気は少し分かる。灘の清酒メーカーの人から清酒は野菜や魚と同じで新鮮が一番と教えられた。地酒が美味しいのはそのせいだという。ウィスキーはどうなのだろう。都会の薄暗いバーで飲むより、荒涼としてうそ寒いインバネスで飲んだ方がうまいと思ったかどうか、今となると思い出せない。
ディストラリーの側を流れていた小川の水は、ピートが混ざっているのか茶色く濁っていたのだけいやに記憶に残っている。


「村上朝日堂 はいほー!」(1989 文化出版社)
「ハイファッション」なる服飾雑誌(眼にしたことはないが)に連載していたエッセイ集。
作家はかなり気楽に自分自身の生い立ち、性格や生活態度、趣味や夫婦仲などを書いている。自分の夫婦仲のことをこだわりなく披瀝するというのは、なかなか出来る事ではない。作家は意外とまじめな性格のよう。村上朝日堂というのは朝日新聞社専売ではなさそうだし、例により「ハイホー!」の説明はなかった(のではないか)と思うが、訳が分からないエッセイの表題ではある。

「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」(1997 朝日新聞社)
サリン事件被害者インタヴューを一年間かけて文章化していた同時期に、週刊朝日に連載していた気楽なコラム。著者は「アンダーグラウンド」(1997 講談社)とのバランスをとっていたという。シリアスなものと気楽なものとの。

「村上ラヂオ」(2001 講談社)
「anan」連載のコラム集。短くて気楽ながら丁寧で好ましいエッセイ集。読者を20歳前後の女性と決めつけず書いているのが良いのか、1話が(文庫本で)1ページ半ほどの短文なのが良いのか、理由は分からないが好感度が高いと思う。
中でも気に入ったひとつ。
「パスタでも茹でてな!」
イタリアの車の運転モラルが低い話。車の窓をあけてドライバーが「シニョーラ、運転なんかしないで、うちでパスタでも茹でてな!と怒鳴る。」という話からパスタの話になり、「国境をまたいで超えただけで、パスタが突然信じられないくらいまずくなる。国境って変なものだ。それでイタリアに戻ってくると、そのたびに「おお、イタリアってパスタがおいしいんだなあ」とあらためてしみじみ実感する。思うんだけど、そういう「あらためてしみじみ」がひとつひとつ、僕らの人生の骨格をかたちづくっていくみたいですね。」としめる。
思うんだけどという転じ方がすこぶる良い。そして後に続く文章がまたすこぶる結構。わがブログ「しみじみ e 生活」のテーマそのものだ。

「村上ラヂオ2 おおきなかぶ、むずかしいアボガド」(2011 マガジンハウス)
「アボガドはむずかしい」
作家は難しいのは食べどきのことを言っているのだが、自分の経験では、アボガドの難しさは傷んでいるのに外からは分からないことだ。これで何度泣かされたことか。
食べどきなら、キウイの方がよほど難しい。かつて「採り時を教へぬキウイの硬さかな」という駄句を作ったことがある。
紹介されている村上夫妻のたのしむタマネギときゅうりとアボガドのサラダ、ショウガドレッシングが美味しいとの由。一度試してみたい気がした。

「村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン」(2012 マガジンハウス)
「ブルテリアしか見たことがない」
ブルテリアは犬の種類。これしか飼ったことのない人に犬は分からない。一度しか結婚していない人に女を分かったと言えない。
各文最後の「今週の村上」がくだらないけれど面白い。特にダジャレ。フリーダイアルと不倫ダイアル、洗剤意識と潜在意識、何回止まっても一時停止など。わが記憶力が急低下しているのに、覚えているのがいくつかある。ダジャレや言葉遊びの好きな人は好きである。回文だが、「またたび浴びたたま」という著書がある。

「またたび浴びたタマ」(2000 文藝春秋)
うーむ。自分も「伊丹の酒今朝飲みたい」など言葉遊びは好きだが、一冊の本にするほどのことかなとも思う。回文に怪文が添えられているが、読んでいて「定型」は物語を作りやすいのではないかとふと感じた。5・7・5調が俳句、短歌を、韻が詩を、折句が追悼句を、作りやすいように回文は怪文を生みやすい。

「意味がなければスイングはない」(2005 文藝春秋)
かねて作家が音楽(ジャズやクラシック)についてじっくり書いて見たいとして実現したエッセイ。
相変わらず上手いアイキャッチの表題について作者は「あとがき」でデュークエリントンの名曲「スウイングがなければ意味はない」のもじりと明かしている。名言はそのままひっくり返しても意味がある場合があるものだと知る。
本文では、「シューベルトピアノソナタ17番ニ長調D850 ソフトな混沌の今日性」、「ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト」
の二章だけが少し理解できたような気がするが、あとのジャズやロックの話は殆どが理解の外にあった。


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村上春樹を読む(その10) ・「辺境・近境」など [本]


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「辺境・近境」(1998 新潮社)は、ロード・エッセイと称する8編が収録されている。
「辺境」のなかでは「ノモンハンの鉄の墓場」が印象に残る。
「近境」では「讃岐・超ディープうどん紀行」が面白かったが、これはどこか別のところで読んだような気もする。
同じく「近境」では、やはり1997年5月の「神戸まで」(書き下ろし)が出色。
前のブログに取り上げた「アンダーグラウンド」を書き上げた後だという興味と、自分が当時作家が歩いたそこに住んでいたので、懐かしい記憶を呼び覚まされながら面白く読んだ。
自分は1995年から1997年7月までの2年間、大阪支店勤務だった。前半1年は、豊中市の一戸建て社宅に住んだ。前任者が住んでいた社宅は芦屋のマンションだったが、地震で損壊して住めなくなったのである。1年後修復されたので戻って、後半1年間は芦屋から大阪は御堂筋の淡路町まで車で通勤した。
マンションは芦屋川の西側に山に沿って建てられ、エレベーターが登山電車のように斜めに昇降する頑丈だが変わった建物。前任者は1月17日定例会議のため上京していて、辛くも難を逃れたのである。
部屋が9階なのでベランダからの夜景は、六甲ランド、ポートアイランドの灯も見えて夜も見事な眺めだった。
前の芦屋川の河原では猪の親子が、時々数頭しきりに餌を求めて徘徊していた。
神戸の事務所は2階建てで一階が潰れ、壊滅的な被害を受け金庫の重要書類などを取り出すことを含め難儀したが、人的災害を免れたのが何よりであった。

大阪支店は兵庫、和歌山、滋賀、京都府の支店、事務所を所管していたが、神戸には取引先も多くて、挨拶と言う名の営業でせっせと通った。西宮、伊丹、灘の清酒メーカー、六甲ランド、ポートアイランド立地の企業などなど。転勤では静岡、新潟、大分、福岡で暮らしたことがあるが、関西は初めてで、しかも初めての単身赴任生活だったので毎日が新鮮な感じだった。

芦屋に住み高校まで育った作家は、2日かけて西宮から神戸までを散歩する。いわばセンチメンタルジャーニー、故郷紀行だが、震災(とサリン事件)の後だからただのそれではない。

神戸を襲った大震災は2年前の1995年1月17日である。その2ヶ月後にサリン事件が起きたとき、アメリカにいた作家は帰国して被害者にインタビューしてノンフィクション「アンダーグラウンド」と(のちにオウム信者へのインタビュー集「約束された場所で」も)を上梓する。
「僕がこの本で書きたかったのは、我々の足下に潜んでいるはずの暴力性についてであった。」と言う。そして、地下鉄サリン事件と阪神大震災は別々のものじゃない、二つは心的で物理的なもの、だという。このあたりは我々読者が正しく理解するには努力が必要かもしれない。
しかし、それとは別にせよ、起きてしまった二つのことに何が出来るかを考えても、自分(作家)にもまだ答えはないともいう。答えを得るまでに時間がかかるが、間に合うだろうか?と危惧するとも。
突然起きた理不尽なカタストロフに対して自分が何が出来るかという問い、これは我々と同じ普通の人の感覚であろう。作家と言えど特別な人間ではないのだから少しもおかしい事ではない。
なお、神戸の震災については直接テーマにした著作は無いが、短編小説集「神の子供達はみなおどる」という地震にまつわる連作があることは前に触れた。

「ノモンハンの鉄の墓場」は、「うずまき鳥クロニクル」を理解するために得るところがあった。
「うずまき鳥クロニクル」では、ノモンハン事件(実質的戦争を「事件」というのは、最近やたらと多い「言い換え」である)の生き残りが重要な語り手で登場するが、暴力は物理的なものでかつ心的なもので別物じゃないのだという作者の意識を思えば、ノモンハン事件が時・空を超えてエピソードとして挿入されている意味も分かるというもの。時を超えてということをクロニクルという言葉で表したのか。
作家のこの小説で書きたかった一つに暴力(性)があり、これは作家の持つ大きなテーマの一つであるが、なかなかどうして分かりにくい。

作家のノモンハンへの旅が小説を書く前でなく後であったということは面白いし、訪ねる前に書いた現地の様子は現実もそのとおりであったと、どこかで書いていたのも面白い。さすがであるが、人は心に浮かばないものは見えないという怖れもないわけではない。

作家は戦跡を歩いた日の深夜2時過ぎ、得体の知れない地震のような激しい揺れを経験することになる。それが大地の揺れでなく作家自身の心の揺れだと知覚する。
「暴力」が物理的かつ心的なもので、過ぎた時間に関係ないという証であろう。村上春樹の小説が少しわかるような気がして、これも収穫のひとつだった。

「雨天炎天 Turkey チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周 」(1990 新潮社)
紀行文というのは、近々その地を訪ねるといった目的意識なく読み始めるとよほど好奇心が強いひとでないと、無理やり旅の道連れにされたようなもので、文章が面白くなければ最後まで読み通せない。まぁ、埒もない読後感想の「辺境ブログ」文よりはもちろんましだが。
この旅行記では、トルコ東部高地ヴァン湖の泳ぐヴァン猫の話が面白かった。作家が絨毯屋とグルのホテルマンの誘いに乗り、猫を見たさに絨毯屋に案内される。幸い世にも珍しいヴァン猫にも会えたが、絨毯を買うことにもなるのが面白い。自分だったら、きっと同じようなことをしたに違いないと思う。
ネットによればヴァン猫は、世界に1000匹ほどしかいない希少種という。可愛らしい顔をして、瞳が青もしくは琥珀色、または片方が青で、もう片方が琥珀色というのもいるというのだからすごい。しかも写真で見ると上品な猫である。
水を怖がらずに泳ぐ猫としても知られる。トルコのヴァン県原産。(写真はネットから拝借した)




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村上春樹を読む(その9) ・「アンダーグラウンド」など [本]


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「アンダーグラウンド」(1997 講談社)
1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の被害者(本人および家族62人)から聞き出した体験談のインタビュー記録。後記の「約束された場所で underground 2」とともに村上春樹には、珍しくノンフィクションである。

サリン事件の起きる2ヶ月前、1995年1月には阪神淡路大震災が起きた。我が職場の神戸にも事務所があり、崩壊したので自分は本社にいたが、東京にも直ちに対策本部が設置された。
自分はその後間も無く7月に復興中の関西(大阪支店)に赴任した。55歳であった。前任者の芦屋の社宅は傾き入居不可能となり、豊中市の新しく借り上げた戸建ての社宅で1年間暮らした。

3月20日にサリン事件が起きた時は、東西線で高田馬場から大手町まで行き日比谷線に乗り換え日比谷駅まで通勤していたことになるが、その朝のことはよく覚えていない。通勤時間帯が自分の方が早かったのだろうか。後から職場のテレビで霞ヶ関駅辺りの映像を見た様な気がする。
今にして思えば、相次いで起きたこの二つの大事件は、自分の身近かで相次いで炸裂したのである。まかり間違えば自分が遭遇していたかもしれない、というのがまさしく実感である。

自分は「アンダーグラウンド」を講談社文庫で読んだが、731ページに及ぶ大作である。しかもインタビュー部分は全て上下段。本は当然ながら分厚くて手に重く、内容からしても、 寝ころがって読むには難がある。
アンダーグラウンドは言うまでもなく地下鉄を指すが、また「心の闇」である人間の内なる影の部分をもイメージしている。村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」に登場する「やみくろ」の世界である。
それは我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実とから排除し続けている真っ暗闇であり、そこに光を当てると言うのが作家の狙いだ。確かに加害者でなく被害者の声を先ず聞く、というのはユニークなアプローチである。

当然ながら個々の被害の状況は似ているが、被害者それぞれは家族を含めた周囲の状況は異なる。いずれも同時代に生きるひとの言葉だけに迫るものがある。
自分も、西武新宿線の立川近くから勤務地大手町に1時間半余りかかる長距離通勤に音を上げた。少し近くになる中野に引っ越したが、引き続き東西線の満員電車を経験していた自分には、事件に遭遇した人の話を読んでいて身につまされて、しばしば胸が苦しくなった。そして当時の自らの追想に誘発されつつ、多くのことを考えささられることになった。

ところで、巻末の「目じるしのない悪夢 ・私たちはどこに向かおうとしているのだろう」によれば、事件を知ることだけでなく作家は、海外から帰り日本をももっと知りたいという動機もあったと説明している。

自分などは、被害者に聞くのならオウムサリン事件より東日本大震災による福島原発事故の方が日本を知るのに好材料だと思う。しかし、原発事故はオウム事件の16年後に起きたのだから、比較しても詮無きことではあるが。
この二つはどこが異なるのか、考えさせられる。原発事故は地上(Terrene)で起きたこと、サリン事件は地下(Underground)で起きた違いがある。小説家は地下の方が惹かれるかも知れないが、起きた場所が事件の本質に差異をもたらすことでは無かろう。
被害者が普通の生活者だというのは同じである。原因ではかたや宗教(らしきもの)、片や自然現象に併発した原発事故と明らかに異なる。

心の救済を求めて生活者であることを放棄し教祖に全てを委ね安寧を得た者が、無差別殺人に加担するというのは常軌を逸している。しかし、現実に起きた。
電力確保のための原発建設は生活者の為ではあるが、それだけなら代替手段がないわけではない。使用済核燃料処理が出来ない中での原子力産業は、いったい誰のものかも問われねばならない。原子力村か過疎にあえぐ地域住民か。こちらは経済が直接絡む。
オウムの方は、信者の出家に見られるように経済からは一見して遊離しているように見えるが、どうだろうか。
原発事故で強制的、自主的を問わず避難した被災者にインタビューしたら…経済、家計、家族など日本の何かが見えてくるのではないかと思う。
そうは言っても、政府、国家、核兵器開発、政治など解明出来ぬ怪物がずるずる出てくるだろうから余ほどの覚悟が必要だろうが。
また、オウムについて作家は「内なるアンダーグラウンド」と言って、誰もが持っていて意識的に避けていることについて語るが、原発についても同じこと、つまり「内なる原発」が言えるのではないかと強く思った。

「約束された場所で underground 2」(1998 文藝春秋)
オウム事件の被害者へのインタビューのあとに加害者たちへ同じことを行い、彼らの生の声なり、正直な思いなりを、そのままの形で紹介したいと思うようになったと作者は言う。それもまた、先の場合と同様に、「明確な多くの視座を作り出すのに必要な<材料>を作り出す」という目的のもとで。こうして同じかたちで書かれたのがこの本である。
こちらは、マスコミなどで詳しく世に知らされたことが多いのだが、オウム側のことについては、いくら聞いても理解し難いことがある。なぜ、こんな教祖に全生活を投げ打ち、全身を捧げることが出来るのか。
自分が読んだのは、「村上春樹全作品 1990~2000 [2]-7 約束された場所で 村上春樹、河合隼雄に会いにいく」である。「ー会いに行く」も再読した。
「約束された場所で」にも巻末に河合隼雄との対談がついている。
河合隼雄は、村上春樹とのこの対談で教祖について「あれだけ純粋なものが内側にしっかり集まっていると、外側に殺してもいいようなすごい悪い奴がいないと、うまくバランスがとれません」といっているが、そうしたメカニズムが反社会的な行為に走っていくところは、ヒットラーのナチズムとよく似ているという。そしてオウムの幹部とBC戦犯も似ていると。たしかにあなた任せの思考停止、誰もが責任を取らぬ曖昧さはサリン事件、原発事故、太平洋戦争に通奏低音のように鳴り響いている。

また、オウムに走った者の発想(宗教の追求)と作家の物語をつくる精神の類似性、共通点についてあるいは異なる点についての心理学者と小説家のやり取りは大変興味のあるものだった。

なおこの本の題名「約束された場所で」は、アメリカの現代詩人マーク・ストランド(Mark Strand)の詩からとったものだという。その部分を、村上自身が次のように訳している。 
ここは、私が眠りについたときに
約束された場所だ
目覚めているときには奪い去られていた場所だ

このノンフィクションは、村上春樹の「悪」についての考え方に近づく一つの手がかりになるのかも知れないが、まだ自分には作家の問題意識そのものが分かりかねる感じもしてもどかしい。
悪とは何か。閉じられた世界の悪はその世界の住民にとり悪ではない。開かれた世界の善も閉じられた側から見れば悪の場合もある。
一人ひとりの心の闇にある小さな我欲が集積、増加すると量が質に変化するように大きな悪(例えば戦争)になるのか。我欲には小さな安穏な生活、家族の安寧願望も含まれる。
人間の暴力、自然の暴力。人が損なわれるとはどういう事か。
脳裡に作家の言、自分の考えなどが交錯しつつ靄のように来ては去り、去っては来てまとまらない。
これでは村上春樹の良き読者には、まだなれそうもないなとしみじみと思う。


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村上春樹を読む(その8) 「走ることについて語るときに僕の語ること」など [本]

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村上春樹がボストンマラソンなどを走るマラソンランナーであることはよく知られている。
玉子が美味しければ鳥など見なくても良いというのはどこに書いてあったか、メモしそこなったので分からないのだが、村上春樹の言ではなかったかと思う。また、同じ作家が贔屓のヤクルトの選手の活躍を知れば彼の生い立ちや周辺の事を知りたくなるのは自然だともどこかで読んだような気もする。これは全く正反対である。
小説とプロ野球を同列にするわけにいかないが、長編小説の事を知るのに書いた作家の人柄や周辺のことを知ろうとするのは間違っているのかどうか自分には分かりかねるが、うまい卵を産む鶏がどんな種類か、どんな餌を食べ、どんなファームで暮らしているかがすぐ気になる方である。よって随筆や短編集インタビューなどをせっせと読むことになる。

「走ることについて語るときに僕の語ること」(2007 文藝春秋)
著者はエッセイでなく自分史に近い「メモワール」だという。メモワールはフランス語で「記憶」「思い出」を意味する。英語でも主に「回想録」「自伝」を指す言葉として使われる。ここでは「英・仏」合わせたものか。
村上春樹の場合、小説の作法が長距離ランニングと同じようなものと言うのは、よく理解できる。武道家の評論家がいるようにジョガーの小説書きがいるのは、数は少ないがありうることだ。三島由紀夫みたいな例も(やや中途半端にも見えるが)ある。
しかし、スイム、バイク、ランのトライアスロンをやり、大学で教えながら海外生活をする作家は少ないことは確かで、それが小説に反映しないとはとても思えない。
しかし、そう聞いて(年寄りはとくに)だれでも思うだろう。身体能力の低い老いた作家は、遅かれ早かれ小説が書けなくなるに違いないと。もっとも、武術やランニングをしない作家でも歳をとれば書けなくなるのは同じでもある。物語を作り出すと言うのは力技だというのは、容易に想像出来る。
ピカソ、北斎などをみれば画家は幾分違うかも知れない。油彩は力技にも見えるのだが、80歳を過ぎても傑作を残した巨匠は少なくない。
表題は相変わらず巧みなアイキャッチだが、著者の敬愛する作家レイモンド・カーヴァーの短編集のタイトルが原型という。そのタイトルとは、
"What We Talk About When We Talk About Love" うん、なるほど。

「神の子どもたちはみな踊る」(2000 新潮社)
表題のほか5篇の短編小説が収録されている。初出し、連作「地震のあとで」その1~その6。
1995年の阪神大震災がテーマになっているが、地震そのものを取り上げている物語はない。地震は物語の背景だったりストーリー展開のきっかけとしてあつかわれている。
大災害でも当事者以外は外から被災を見ているわけで、神戸であれば北海道の人、東北の災害であれば大分の人はそれぞれ同情はすれど、また自分の日常に戻るのだからこういう扱いもありだろう。地震をめぐる全く別の物語をいくつか書くというのは俳句、短歌の連作あるいは連句、連詩のようで一種の趣がある。
表題が代表作なのだろうが、(そして大方の人と異なるかも知れないが)自分は「蜂蜜パイ」が一番好きだ。村上春樹の小説の原型みたいで読んでいて楽しい。ハッピーエンドなのも老人には有難い。
ところでこの短編集を読みながら、村上春樹は東日本大震災、福島原発事故についてどんな発言をしていたかが気になり出した。何処かにあったのだろうが、あらためて探して見ねばなるまい。

「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011」(2012文藝春秋)
村上春樹の小説作法、執筆姿勢がよく分かる。例は適切では無いがギリギリ自らを憑依状態に追い込んで物語を作り出すという感じを受けた。プロットなし、シュール、闇、夢、井戸、壁、異界など作品の特異性から見て、そういう状況に耐えられる精神力と体力が必要だと解釈したが、的を射ているか否か自信は勿論無い。少なくともマラソンやトライアスロンで体を鍛え規則正しい日常を、作家が心がけるのはこのためかと思う。

「海辺のカフカ」、「スプートニクの恋人」など個々の作品への応答もあるので素人読者(自分のことだ)には大いに助かる。
特に海外メディアのインタビューにおける作家の説明が、率直にして分かり易くて良い。

村上春樹 はこの時60歳だが、小説家の老いについてこう触れている。
「あれほど才能を持った人(カポーティ、チャンドラー、サリンジャーら)たちが、老境を迎える前に思うように現実に書けなくなってしまうというのは、本当に惜しいことだし、切ないことだと思うんです。反面教師といったらそれまでだっけれど、僕はどこまでやれるか挑戦して見たいです。」「るつぼのような小説を書きたい 1Q84前夜」(2009)。
身体を鍛えているからか自信がありそう。ふと、「韃靼疾風録」(1987)を最後に63歳で長編をやめ、晩年は「街道をゆく(1971-1996)」などを書いた司馬遼太郎(1923-1996 、73歳没)を想起した。

ところで、作家は神戸の震災やサリン事件に強い関心を寄せてはいるが、2011年の福島原発事故についてはどうだったかと前から気になっていた。
2011年6月のカタルーニャ国際賞受賞インタビューにおけるインタビュワーの紹介の中で村上春樹の東日本大震災、福島原発事故についての言及を見つけた。(インタビューの応答ではなく作家の言だとして紹介されている)
「我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。それが広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。」

「レキシントンの幽霊」(1996 文藝春秋)表題を含む7編の短編集。いずれも怖い話だがそれぞれに怖い中味は違う。読む人によって怖さは異なるだろう。自分はいじめの「沈黙」より、妻が洋服を買い漁りはてに交通事故で死んでしまう「トニー滝谷」の孤独が異様に怖かった。

「スプートニクの恋人」(1997 講談社)
「僕」が恋した女性すみれは、年上の女性ミュウと恋に落ちたが、うまくいかず忽然とこの世界から消えてしまう。僕はミュウに頼まれギリシャまで探しに行くが見つからない。
レズビアン、性をめぐって展開する中編小説。単線型小説に属するのだろうと思う。
ミュウの髪を一瞬に白髪にした不思議な経験も性にまつわる。オープンエンドであり、女をなくした男など村上春樹特有の展開。「ノルウェイの森」もこれに似た雰囲気の小説だが、こちらは表題の「スプートニクの恋人」がもう一つ分かりにくいというか、テーマとの付きが離れている感じ。スプートニクはロシア語でみちづれ、人工衛星の軌道はすれ違っても会うことはない。恋愛とはこれに似ているというのだろうが。「象徴と記号」の違いは「片思いと相思相愛」の違いだという方が分かりやすいが表題には向かないだろう。Symbol やSign(Codeなど)をどう使ってもたぶん「The Sputnik Sweetheart 」には敵わない。


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滑り莧(スベリヒユ) ワタシのことか ポーチュラカ [自然]


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春過ぎてパンジーなどが終わると、夏のプランターに植える草花の種類が少なくて、花屋さんの店頭でいつも悩む。
定番は日々草くらいであるが、今年はポーチュラカの苗を見つけた。時期が過ぎたのか6個300円。お買い得のこれが見事に赤と黄の花をつけてくれて夏中楽しめた。

ネットで調べると、ポーチュラカオレラセア(学名)はスベリヒユ科スベリヒユ属ポーチュラカ。
多肉質の葉と茎をもち、同属に松葉ボタンがあってたしかに雰囲気が似ている。
酸味があり、ぬめり(これが滑るもとになる)のある独特の食感を持つとある。東北では「ひょう」と呼び、茹でて芥子醤油で食べる山菜の一種、干して保存食にもされたという。
中国では生薬として解熱、解毒、虫毒利尿に効き目あるとされ馬歯莧、馬歯菜、五行草、酸莧、豬母菜、地馬菜、馬蛇子菜、長寿菜、老鼠耳、宝釧菜などと沢山の名前があるというから薬効顕著な漢方薬なのだろう。
トルコ、ギリシャ、沖縄などでは葉物野菜の不足する夏季に重宝されサラダに入れたりして食べるというが、リンゴ酸由来の苦味があるらしい。
食べられるとか薬草でもあるとかも知らなかった。ハナスベリヒユはこのスベリヒユの近縁種で「花滑り莧」(はなすべりひゆ)と書く。「莧」などという漢字は初めて見る。これも知らなかった。

スベリヒユの「スベリ」は茎や葉を茹でた際にぬめりが出ることや踏みつけると滑ることに由来し、「ヒユ」はヒヨコと同源の言葉で小さくて可愛らしいという意味らしい。
ポーチュラカという花名は、ラテン語の「porto(持ち運ぶ)」と「lac(乳)」が語源で、茎や葉を切ると乳状の液が出ることにちなんでいるという説や、ラテン語の「porta(ポータ・入口)」が語源で、実が熟すと蓋が取れて口が開くことに由来するという説があるが、自分には確かめる術はない。

暑さや乾燥に非常に強い植物で、地表を覆うように育つ。朝顔のように朝開いて夕方に一斉にしぼむいわゆる一日花。
今年の夏は雨の日が多く日照時間も極端に少なく異常気象が続く。もうこれ以上の変な天気は勘弁して欲しいと祈るのみである。
ポーチュラカの花が元気に咲いてくれて嬉しい。


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村上春樹を読む(その7)・「小澤征爾さんと、音楽について 話をする 」など [本]

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その作家の随筆などを先に読んでから小説を読むのと、小説を読んだ後に随筆を読むのでは、少し味わいが異なるような気がする。自分の場合で言えば、前者が丸谷才一、後者が村上春樹である。
随筆で代表させたが、対談、インタヴュー、解説、批評などを指す。
自分は、どちらかと言えば小説をあまり読まない方だからであるが、随筆、エッセイなどである程度人となりを知ってから小説を読む方が多いが、小説を読んでから人となりや考え方を随筆などで知るというのは少ない。

村上春樹の小説の理解に少しは役立つかと、あとから随筆などを何冊か借りてきて読んだ。短編小説も何冊かあったが、これは人となりを知るために役立つというものではない。

「小澤征爾さんと、音楽について 話をする 」(2011 新潮社)
村上春樹の小説にはジャズやクラシックが出てくるからと手にした。世界的な指揮者との音楽対談。
この書を通読して自分が理解したのは2割とないだろうと思う。小澤征爾は勿論、素人と言っている村上春樹の音楽のレベルは、極めて高いことが一読して分かる。
音楽の奥の深さに驚きつつ、かたや今さらながらわが音楽の素養なしに呆れる。もっと若い時から音楽に親しむべきだったと悔やんでも遅い。
それにもかかわらずこの本を読了したのは、ひとえに村上春樹の筆力以外の何物でもないだろう。わからなくても本は読み終えるものだなと妙なことに感心する。
対談に登場する名曲(ブラームス「ピアノ協奏曲1番」、ベートーヴェン「ピアノ協奏曲3番」、ジョージ・ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」)などをひたすらアマゾンミュージックなどで聴いているのみである。嗚呼。
ただ、「インターリュード」と称したコラムは、 interlude 幕間、間奏曲だからか、少し内容が分かるものもあってほっとする。

「村上春樹、河合隼雄に会いにゆく 」(新潮文庫 1996)
「ねじまき鳥クロニクル」(1994,5)を書いた直後の対談。
村上:スポンティニアスな物語でなければならない (…自発的な 自然発生的な)など、作者の意図などが知り得て参考になる箇所がある。河合隼雄は一頃盛んに読んだ。
対談によるば、河合はこの小説をかなり評価していたことが分かるが、その物語性、主人公の屈折した心理描写を見れば理解できるように思う。

「ランゲルハンス島の午後」(光文社 1986)
安西水丸の絵のついた気楽な内容のエッセイ集。表題は書き下した少年(中学生)時代の話。ランゲルハンス島は膵臓の細胞(膵島)のこと、ランゲルハンスはそれを発見した医師の名前。
アイキャッチの巧みさに驚くが、例によって、それで何を言わんとしているのか、説明もないので明確でなく何やらあとに引くこともたしか。
これもアメリカ滞在記の「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)で作者が、あとがきの最後に「うずまき猫は見つかりました?」というのと似た雰囲気。どこかにうずまき猫のことが書いてあったかな、斜め読みなので読み落としたかな、という感じ。

「TVピープル」(1990文藝春秋)
表題のほか数編の短編集。その中のひとつに「加納クレタ」がある。
水の音を聴く姉マルタのもとで働らくクレタは4年後「ねじまき鳥クロニクル」で再登場するが、これは「スポンティニアス」な物語なのか。

「回転木馬のデットヒート」(1985 講談社)
表題のほか8編の短編小説。
表題には、「はじめに」と付いていて小説に対する作家の考え方のようなものが記されている。村上春樹の小説についての考え方の一端が分かるのかもしれない。
「僕がここに収められた文章を<スケッチ>と呼ぶのは、それが小説でもノンフィクションっでもないからである。マテリアルはあくまでも事実でありヴィークル(いれもの)はあくまでも小説である。」とある。人から聴いた話を短編にしておき、それを材料にして小説を構想するのだろうか。確かに村上春樹の短編が長編の素材になっているものがあるような気もする。
だが、他人から「聴いた話」と自分自身の関係がどうして回転木馬(メリーゴーランド)のように追いつきも追い越しもせず、「仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートを繰り返す」のかというあたりになると、当方は小説家ではないからかストンと腑に落ちないところがある。

「カンガルー日和」(1983 平凡社)
表題のほか22編の短編小説。
「図書館奇譚」には、1982年の「羊をめぐる冒険」、その続編である1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」に出てくる羊男、美少女が登場 する。
図書館は村上春樹の好きな場所(中でもその地下室?)で「海辺のカフカ」など頻出する場所だ。

「村上朝日堂の逆襲」(1986 朝日新聞社)
週刊朝日連載のコラム。朝日堂とは何だろうと思っていたが、週刊朝日のコラムだからか?いわく因縁があるのかと想像していたのだが。?うん、「村上朝日堂」は、アンアン連載だったかも。この辺になると、わけが分からない。ま、とまれ一連の朝日堂ものからはかなり作者の人となりや考えをうかがうことが出来る。

「やがて哀しき外国語」(1994 講談社)
1991年から2年半米国ニュージャージー州プリンストン滞在記。
「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)はそのあと2年間住んだマサチューセッツ州ケンブリッジ滞在記。いずれも安西水丸の漫画風挿絵付きだが、後者に比べ「やがて哀しきー」はまじめな感じ。

「夢で会いましょう」(1986 講談社文庫)
糸井重里との共著。短編というよりショートショートをアイウエオ順に並べたもの。村上は「かなり面白い」、と前書き口上にいうがア行2、3編で読むのをやめた。
自分にはまだ、これらを面白がる才知と度量はないようだ。1986年と言えば昭和61年。

こところ小説や随筆などを集中して読んだが、なお村上春樹を理解していないという気がする。
もっとも理解できないのは、なにも村上春樹に限った話ではない。
一人の作家、その小説を分かろうとすることなど無理なのだろう。力不足だ。
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村上春樹を読む(その6)・「ねじまき鳥クロニクル」など(下) [本]


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題名の「ねじまき鳥クロニクル」は、「ねじまき鳥」が何をシンボライズしているのか、「クロニクル」がいかなる「年代記」なのか、読了しても明確にならなかった。
ロッシーニ歌劇「泥棒かささぎ」、シューマン組曲「予言の鳥」、モーツァルト戯曲「鳥刺し男」もそれぞれの巻きで何を表徴していて、「ねじまき鳥」とどんな関わりがあるのか、作者は明示せず読者に委ねているのだが。文学的ないし音楽素養に乏しいからか、想像力が足りないのか、「付き」が漠としていて察しかねるのである。題名、副題が分からないのでは、とても良き読み手とはとうてい言えない。

さて、村上春樹の小説を読むときセックス、暴力(悪)、死(異界)をどう読むか触れねば、核心に迫ることは出来ないだろうが、自分には多少荷が重すぎる。
性と暴力は、夢、月、闇、想像懐胎、共振現象などシュールなものでまぶされ、あたかも現実にある様にみせかけて語られることが多いのが特徴であろう。表現が適切か知らぬが、虚実皮膜の間に遊ぶ危うい趣きがある。死についても世界の果て、黄泉の世界と現世との往き来などで語られるが、性、悪(暴力)とセットで描かれ、これらは、この「ねじまき鳥クロニクル」にかぎらず作家の重要なテーマであることは明白である。
しかしながら率直なところ「セックス」、「暴力」に限って言えば、少しく「過剰」と感じる。これは明らかに自分が老来、歳をとったせいでもある様な気もする。
「ねじまき鳥クロニクル」より「1Q84」の方を好ましく読んだのは、どうやらこのあたり(過剰感の強弱)にあった様に思う。

村上春樹の小説では美少女や娼婦が登場する一方で、良く動物や鳥が頻繁に登場する。
「うずまき鳥クロニクル」では、猫が登場する。
物語の始めのころ、妻が家出する前に可愛がっていた猫が、姿をくらます。戻らぬ猫を探し続け、後半になって妻を取り戻すことができずにいる主人公のもとにある日ふらりと帰ってくる。
自分が知らなかっただけだが、村上春樹は猫好きで若い時から猫を飼っていたようである。どんなに好きかは彼の手になる絵本「ふわふわ」(文 村上春樹 画 安西水丸 1998 講談社)を読むだけで分かる。
この楽しい絵本は、「ぼくは世界じゅうのたいていの猫が好きだけれど、この地上に生きているあらゆる種類の猫たちのなかで、年老いた雌猫がいちばん好きだ。」と始まる。
絵本に登場する年老いたおおきな猫の名前は「だんつう (段通)」という。

彼の書く猫は、自分も家に猫が一匹いるので感じがよく分かるのだが、猫リアリティに並々ならぬ気配が感じられる。
「うずまき猫の探し方」(1996新潮社)というのもある。これは米国ケンブリッジ滞在記、絵日記風エッセイで陽子夫人が撮影した近所の猫がしばしば登場する。

猫を扱った小説の3大傑作は源氏物語、漱石の猫、谷崎の「猫と庄造と二人のおんな」だと何かで読んだ記憶があるが、いつの日か村上春樹がそれに匹敵するような傑作を書いてくれることを期待したい。
妄想ながら、村上春樹「騎士団長殺し」のあとの大作を新聞発表!「100万回生きたねこ」。題は佐野洋子の絵本を仮に拝借したが、そんな感じのものがいい。

再び苦手な音楽の話。
「僕」が良く行く駅前のクリーニング店の主人は、JVCの大型ラジカセでパーシー・フェイス・オーケストラが演奏する「タラのテーマ」や「夏の日の恋」を聴きながら仕事をする。
村上春樹の小説では、クリーニング店の主人に限らずタクシー運転士、ホテルのボーイなど音楽に詳しいフツウの人が登場する。端役、脇役だったりするがときに重要な人物だったりもするので油断は禁物である。
「彼はおそらくイージーリスニング・ミュージックのマニアなのだ」と主人公に評される。easy listeningとは、くつろいで楽しめる軽音楽のことだ。JVCはむろん日本ビクター株式会社のブランド。
なお、パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」は「ダンス・ダンス・ダンス」や短編集「女のいない男たち」にも登場する。「ダンス・ダンス・ダンス」ではドルフィン・ホテルのフロアでBGMとし流れる。
前回取り上げた短編の「女のいない男たち」では語り手が次のように告白する。「僕は彼女を抱きながら、いったい何度パーシー・フェイスの「夏の日の恋」を聴いたことだろう。こんなことを打ち明けるのは恥ずかしいが、今でも僕はその曲を聴くと、性的に昂揚する」
ちなみに「夏の日の恋」は、1959年11月に公開された映画「避暑地の出来事」の主題歌である。パーシー・フェイス・オーケストラはシングルとして発表。パーシー・フェイスのバージョンは翌年1960年初から春にかけて全米チャート1位を9週連続で記録した、とネットで知る。
アマゾンミュージックで早速ダウンロードして聴いてみたが、それほど感激しなかったのは残念。「タラのテーマ」は昔見た映画「風と共に去りぬ」の火事のシーンなどをを思い出しただけであった。

「ねじまき鳥クロニクル」は長いだけに面白いことがふんだんにあり、話題に事欠かないのであげているとキリがない。当方の文章もつい長くなったが、もうひとつだけ。
主人公は、義兄綿谷ノボルとパソコン通信でやりとりする。最後に妻とも同じ方法で話すのだが今でいうチャットである。これを読みながら、これも連句の「文韻」というのを思い出した。両吟歌仙(二人で巻く連句)で長句と短句を交互に詠むのは座でやるのが主流だが、昔の人は手紙でもやりとりをしたらしい。のんびりしたよき時代の風流なものと感心したことを思い出したが、現代では「メール韻」というものがあると聞いてこれを真似て挑戦したことがある。

村上春樹の作品はまだ読み始めたばかりだが、これまで読んだ小説の文章の中では一つだけ気になる書き方があった。
登場人物Aの(考えや気持ちが)分かる?という問いに対してBが「分かると思う」と答える科白が多い。
<思う>というのは、いらない場合も時にはあるのではないかと思うのだが「分かる」と言い切らないのが多いのである。
確かに他人の気持ち、考えは100パーセント分かると言い切れない。だから分かる<と思う>と答えるのは理屈は通っているが、じぶんには何故か気になる。かといって不快というわけではない。たぶん作者の生真面目さが出ているだけのことかも知れないのだが。


村上春樹を読む(その5)・「ねじまき鳥クロニクル」など(上) [本]


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「ねじまき鳥クロニクル」(1994,5 新潮社)は、作者45歳のときの著作。1996年読売文学賞を受賞している。英訳版「The Wind-Up Bird Chronicle」。
「羊をめぐる冒険」の続編という「ダンス・ダンス・ダンス(1988)」の6年後に書かれた長編小説である。この後の長編小説が2002年「海辺のカフカ」になる。

「ねじまき鳥」も「クロニクル(chronicle 年代記 歴史)」も思わせぶりなもので商品でいうアイキャッチ力(りょく)抜群。
後の「1Q84」と同じように、第1部 「泥棒かささぎ」編(1994・308ページ)と第2部 「予言する鳥」編 (1994・356ページ)が先に刊行され、1年後に第3部 「鳥刺し男」編 (1995・492ページ)が発表された。
副題も人の目を惹くし、1年間結末を読者に想像させるところも「1Q84」と同じスタイルで本の商品力を高めたに違いない。

ページ数が示すように長大な小説である。このように長い小説というのは、外国は知らず日本ではあまり類が無いのでは、と思う。
読後感としては、長大なだけにまず大きな「樹木」のような小説だなという感じを持ったこと。真ん中にてっぺんまで達する太い幹があって、無数の大小の枝が伸び葉を茂らせている様を思い起こした。幹は妻を失った僕が取り戻そうとあえぐ、「女のいない男」の物語である。

枝はサブストーリー、葉がデティルであり、これが樹全体を覆っている感じ。樹種のイメージは、なぜか針葉樹でなく広葉樹。春の樹でなく冬の樹。
サブストーリーがたくさんあり、作家特有のデティルがそこにも丁寧に書き込まれる。登場する人物の細かな描写、散歩した、ビールを飲んだ、音楽を聴いたetc.と延々と続く。ときに比喩、警句も混じる。長い小説になるのは当たり前だ。何と言ってもどうやら作者はプロットなしで書く部分が多いらしく、どう書こうか行きつ戻りつするところまでも書いたりしているのでは無いか、と訝る。長くなるのは必然というもの。

この小説も複線型の部分がある。「僕」が主人公だが、手紙形式で間宮中尉や笠原メイなどが交互に語り手のごとく出てくる。「1Q84」の方が、複線のかたちがすっきりしていて、こちらはまだぎこちない感じは否めぬ。むろん、そう感じるほとんどの責は読み手の自分の方にあるのだが。

読んだ順序は逆だけれど、「1Q84」の牛河が出てきて手塚治虫のランプ、ヒゲオヤジをまた思い出し、さぁ俳優の登場と思ったが、どうやら、村上春樹の場合は「俳優方式」といった単純なものでも無いらしい。

例えば「ねじまき鳥の探し方」 (久居つばき 1994 太田出版)では、俳優説はとらず208号室、16階、いるか(ドルフィン)ホテル、高松など良く出てくる場所と同じようなものとして解説している。
なお、この本は「うずまき鳥クロニクル」第3部が刊行される前に出版された(追っかけ)本 だが、井戸を緯度とし 北緯35度15分から20分の間にある地名から登場人物名を付けていると推測している。へぇ、と思いつつ読んだ。
第3部で主人公の義兄綿谷 昇は長崎で死ぬのだが、長崎は同一線上から外れているのはご愛嬌。

読みながら、ふと村上春樹の小説は、和歌 、俳句や連句のように「付き」の世界のようだなと思う。別の小説の登場人物を再登場させる、前使った場所を再登場させる、前使った場所、月、井戸、ホテルを使うことで 、言葉の持つ意味に加えて以前読んだ作品を思い出させる、読者がそれを読んでいれば、連れて想起することでイメージがさらに膨らむ。よく使う音楽も、それから色々なものを想像させ、イメージが膨らむ。
連句は前進のみで後戻りなしだから、基本的には時空を自在に行き来するハルキワールドとは別だが、匂い付けや面影付けなど連想させるところが似ている。登場人物、エピソード、場所、音楽などだけでなく、言葉もあたかも俳句の季語のように読者が脳裡にあるものを惹起させるのが上手い。短歌や俳句における本歌取りの面白さやテクニックを思えばよく分かるというもの。
この手法は読者が知識、経験、情報を豊かに持つほど効果が高まる。逆にそれらが小さいとしぼむ。
自分の場合で言えば音楽などが「しぼむ」ほうの良い例だろう。「ねじまき鳥クロニクル」の第1~3部の副題はロッシーニのオペラ「泥棒かささぎ」の序曲、シューマン 組曲 「森の情景」第7曲 「森の予言する不思議な鳥」 、モーツアルトの戯曲「魔笛」のキャラクター「鳥刺し男」からという。

かささぎ(鵲)は韓国旅行でよく見た「カチガラス」のことだなと、間抜けなことを考えただけだった。九州では佐賀県にたくさんいた。東洋では瑞鳥、西洋では「まともでない者」とか。主人公がまともでないのか?予言する鳥は本田さんのことか?、鳥刺し男とは?謎めいている。まったく推理小説仕立てだ。
オペラに限らず音楽的素養のない者(自分のことである)にとっては、作者の意図はストレートには伝わらぬ。読後にオペラの筋を知り音楽を聴いても、受け止め方には微妙な差があろう。
音楽だけでなく車の車種(例えばスバル360とポルシェとか)、ワイン、ウイスキーの銘柄、ファッションなども、読者が作者と同程度の情報レベルならより意図は伝わり楽しめる。
地名なども同じだ。「海辺のカフカ」で主人公の少年は中野区の野方に住み、そこから家出した。我が家の近くだ。高円寺や阿佐ヶ谷なども出てくる。読者がその場所を知っていれば、その地に一瞬思いを馳せる。
むろん、この連想に正解のようなものは無く、読み手によって異なる。イメージの膨らまし方も強弱それぞれなのが特徴であり、基本的にイメージすべてが曖昧なところが、小説の醍醐味であろう。村上春樹に限ったことではない。(つづく)


村上春樹を読む(その4)・「 世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド」など [本]


「世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド」(1985 新潮社)は、作家が36歳のときの作品で代表作のひとつである。谷崎潤一郎賞受賞を受賞している。

「ハードボイルド・ワンダーランド」の章は、暗号を取り扱う「計算士」として活躍する「私」が、自らに仕掛けられた「装置」の謎を捜し求める物語である。
「世界の終り」の章は、一角獣が生息し「壁」に囲まれた街(「世界の終り」)に入ることとなった「僕」が、「街」の持つ謎と「街」が生まれた理由を捜し求める物語である。
当初は関係ないように思える二つの物語が、「一角獣の頭骨」という共通のキーワードで繋がる。
村上春樹お馴染みの二つの物語が並行して進み、先で出合うという形式の長編小説だが、かなり難解という印象は免れない。二つの話の時間軸も一方に流れるわけでもなく、時に戻る感じもあったりして戸惑う。
現実と異界、表層と無意識の二つの世界がどう繋がるのか、或いは結びつかないのか、読者にはストーリーの構造が必ずしも明確に示されるわけではないから、物語の筋を追いつつ考えねばならないことがあるようで落ち着かない。
難解という印象はそのあたりからくるのか。ただし、それこそが、読者に考えさせる作家の意図するところでもあろう。ゆっくり何度か読み返すことが必要な小説なのかもしれない。
村上春樹自身は自作の中では重要な位置にあると言う。確かにこの世とあちらの世界との往き来は彼のメインテーマのひとつであることは疑いないようだが、それを読者としてきちんと理解は出来ていない確信があって情けない。

例によってこの小説にも音楽はたくさん登場するが、代表は何と言っても最終章に出てくるプロテストソングシンガー、ボブ・デュランの「激しい雨が降る」であろう。1941年生まれのボブ・デュランのこの曲は1963年リリースだから、小説に書かれたときは既にそれから20年以上が経過していた。2016年、75歳でノーベル文学賞を受賞した歌手22歳のときの曲。邦題「今日も冷たい雨が」。叫ぶようなリフレインが人の胸を打つ。

  And it's a hard, and it's a hard, it's a hard, and it's a hard,
  And it's a hard rain's a-gonna fall.

そして最終章の文章は次の通りである。
「誰にも雨を止めることはできない。誰も雨を免れることはできない。雨はいつも公正に降り続けるのだ(中略)私はこれで私の失ったものを取り戻すことができるのだ、と思った。それは一度失われたにせよ、決して損なわれてはいないのだ。私は目を閉じて、その深い眠りに身を任せた。ボブ・ディランは「激しい雨」を唄いつづけていた。」

小説での雨は人間の終わり「死」を表徴している。ボブ・デュランの雨は世界の終わりを歌っているとも見える。村上春樹らしい洒落た歌の引用である。


「国境の南 太陽の西」 (1992 講談社)
失われた初恋を取り戻そうとして主人公が煩悶するリアリスティックな恋愛小説というふれこみ?だが、残念ながら自分には典型的な不倫小説としか読めなかった。たぶんまっとうな読み手ではないのだろう。

アフターダーク(2004 講談社)
「海辺のカフカ」のあとに書かれた小説。「悪」が一つのテーマというが、これが悪と明確には示されていないように思う。その後もこのテーマは追求されていくので、その初期的な位置にあるとする人もいるようだ。
題名が示すように、日が暮れてから夜が明けるまでの二人の姉妹(姉のエリ妹のマリ)の行動、一晩の出来事を交互に語っている。これも複線物語。
語り手が私たちという一人称複数なのが珍しい。だが、私のほかは誰なのか分からぬ。なぜ単数ではないのか。
この小説が一人の少女の成長の物語ということは感じられるが、全体に「海辺のカフカ」より分かりにくい感じがする。少年の成長譚が多い印象の村上春樹にしては、少女というのは珍しいし、当然ながら、自分の経験を踏まえていないからか。などと言うのは想像力の豊かな巨匠に失礼というものだろうが。

東京奇譚集 (講談社 2005)
アフターダークの翌年に出されたもの。短編集は読んでそのとき面白くても、余程のことでない限り直ぐ忘れるのが難点。ハワイのカウアィ島ハナレイ湾(ベイ)で高校生の息子を(鮫に襲われて)無くした母親の話「ハナレイベイ」が印象に残っている。関係ないが、昔行ったオアフ島ハナウマ湾(ベイ)の景色を思い出しながら読み終えた。
作家は、偶然や共振現象など非日常的な奇妙な話に強い興味があり、それらは長編小説でも良く登場して雰囲気を盛り上げるとともに読者を煙にまく。しかし、独立した話にすると何やら不自然になるのは仕方がないのか、「品川猿」が好例。奇譚の難しいところ。

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雑文集 (2011 新潮社)
雑文とは、作家による自作、翻訳書の解説や、インタヴュー 、交遊録、エルサレム賞受賞挨拶「壁と卵」だったりだが、随筆、エッセイ風のものもあり、作家の周辺、考えを垣間見ることが少し出来る。村上春樹はこの種のものは少ない作家の一人であろう。
友人安西水丸、和田誠のカバー装画が楽しい。
掲載文の中では、「音楽について」に興味があったが、素養ゼロの自分には残念ながら難しかった。ただ「ノルウェイの森」についてビートルズの曲がノルウェイの「森」か「内装材、家具」かの議論に関して釈明?しているのが、印象に残った。第三の説があるという紹介も面白い。

少ないコラムの中では「温かみを醸し出す小説を」(2005 読売朝刊)が記憶に残った。
村上春樹の小説を読むときに心にとどめておくことにしよう。作家は次の通りに書いている。
生きていくにはきつい日々に、どこまでが人間でどこまでが動物か、どこまでが自分の温かみでどこまでが他の誰かの温かみか、どこまでが自分の夢でどこからがほかの誰かの夢か、境目が失われてしまうような小説を書きたい。これだけが良き小説の基準だ。

インタヴューでは、オープン・エンドが多い理由を問われて「明白な結末が必要ないと思うからであり、日常生活の局面でも(明白な結末は)そうはないのでは、と答えている。
そう言われれば何やら納得感がある。

ほかに「世界の終わりとハードボイルド・アンダーランド」について「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」では書きながら使っている脳の部分が違っている感覚だったとか、二つの物語がどこで繋がるか決めずに書き進めたとか、いくつか興味のあることが披瀝されていて面白い。

さて、作家はインタヴューで読んでほしい自分の長編小説として「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と「うずまき鳥クロニクル」をあげている。大きな転換点となった長大な小説と言っているので、次は「うずまき鳥クロニクル」も読んでみよう。かつて、一度読んだような気もするのだが、全く思い出せない。

村上春樹を読む(その3) 「 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」など [本]


「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013文藝春秋)。
この長い題の小説は、先にブログで書いた「1Q84」BOOK3が発表された(2010年)3年後に刊行された長編である。
最近作「騎士団長殺し」は、4年後(2017)に発表されたという位置関係になる。「色彩を~」は376ページという長さだから、どちらかと言えば二つの長編のあいだに書かれた中編小説か。
内容も多崎つくるという名の一人の中年男が、仲の良かった高校の5人組(主人公の他は、赤松、青海、白根、黒埜と4人とも苗字に色が付いている)から追放された、自分の真実を求めて遠く(フィンランドまでも)巡礼の旅をするという単純なストーリーである。

英訳版は「Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage」である。
先に書いたが、自分は「色彩を持たない」という語に惹かれた。手遊びで透明水彩画のお稽古を続けているせいでもある。もっとも水彩画はWatercolor であるが。
小説家は小憎い表現で人の気をひくのが上手い。「透明なー」ではありふれているし、透明水彩画の用語でもある「trancelucent 半透明」「tranceparent(分かりきった)透明水彩」でもない。
しかし読んで見るとなんということも無い。自分を見失った少年という意味も読者に暗に知らしめているのだろうが、苗字に色が付いて無いというだけのこと。作家の諧謔というか言葉遊びに付き合わされたていである。
登場する二人の脇役も灰田、緑川と色付きでしかもそれぞれに個性的 で面白いキャラクターである。
旅をして自分を探せと勧めるつくるの恋人、木元紗羅にはなぜか色がついていないが、その理由は知らない。
ちなみに中国語訳の題名は「没有色彩的多崎作和他的巡礼之年」。色彩がメイヨー。

先に村上春樹の小説には音楽がたっぷり盛り込まれていると書いたが、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では、ハンガリー出身のフランツ・リストのピアノ独奏曲集である「巡礼の年」がそれ。
ロシアのピアニスト、ラザール・ベルマンの演奏が有名という。主人公田崎つくるの4人の友達のうちの一人シロ(白根 柚木)が弾くピアノ曲の「ル・マル・デュ・ペイ」はこの「巡礼の年」の一節である。ル・マル・デュ・ペイとはフランス語でホームシックという意味の言葉だそうだが、ノスタルジアとも訳すように昔のことが懐かしいとか、過去にこだわるとかいう意味もあるよう。青年の自分探しという物語の基調と共振して、物語全編に流れている。
先にこのブログで書いた新田次郎 ・藤原正彦著の「孤愁 サウダーデ」のサウダーデ(ポルトガル語)は「愛するものの不在により引き起こされる胸の疼くような思いや懐かしさ」のことというが、「ル・マル・デュ・ペイ」も同類の感情であろう。

ラザール・ベルマンの「巡礼の年」もアマゾンミュージックでダウンロードして聴いた。
作者はこの音楽から小説を構想したのだろうか、それとも小説が出来てからふさわしい音楽を探すのだろうか。多分前者であろうという気がするが、そう思わせるだけで小説は成功したと言えるのだろう。しかし、音曲を知って小説を読むのと、自分のように後から聴くものでは、小説の味わいがかなり異なるだろうという気はする。

さて、作家を理解するためには、やはり初期の作品に触れる必要があるだろうと思ってデビュー三部作といわれる作品から読むことにした。

「風の歌を聴け」( 1979 講談社)
デヴュー作 (作家30歳 )のこの小説は、なかなか手強いというのが読後感。同じ遊びでも、全く何の足しにもならない遊び、読んだ後に何も残らないような、無益な遊びに終始している不思議な小説だ。評価、賛否が分かれたのは自然であろう。丸谷才一が評価したと何かで読んだ覚えがあるが、分かるような気がする。
「1973年のピンボール」(1980 講談社)
「僕の目に前にいるピンボールマシンはもはやただの機械ではない。それは人間のように話すこともでき、しかも僕の心に向かって訴えかけてくれる恋人でもある。」といった文章が続く。文体も取り上げられた題材も、日本文学ではこれまでにないユニークなものと評価する人もいる。

「羊をめぐる冒険 」(1982講談社)
村上春樹の小説は、この「羊をめぐる冒険」を境にして大きく転換したとされる。
この小説は、幽霊となった友人の行方を追う冒険物語であるとともに、羊に隠された不思議な秘密を解き明かそうとする推理小説でもある。羊男が面妖(緬羊)でユニーク。

村上春樹の小説はこのデビュー三部作もそうだが、鼠、羊男、牛河など登場人物が映画俳優のように何度も登場するのが一つの特徴だ。
ハルキストにはこれもたまらぬ魅力になっているのだろうか。
手塚治虫の漫画に何度も登場するキャラクター、ひげおやじ、ランプ、お茶の水博士などをつい思い出してしまった。村上春樹は小説で、手塚治虫は漫画で、同じ俳優が別の物語で別の人物を演じるという映画の手法をそれぞれ試みたのであろうか。

ダンス・ダンス・ダンス(1988講談社)
羊をめぐる冒険の続編。6年後に刊行された。全体的には「1Q84」に似ている。パラノイア、幻想小説、擬似世界、あっちの世界が描かれ、霊媒的な能力を持った美少女(ユキは「1Q84」のふかえりと重なる)などが登場する。例によって数多の音楽が出てくるが、村上春樹には珍しく絵・ピカソ の「オランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士 」が登場する。
しかし、こんな絵は実際にないものだという。ありもしない絵をなぜ持ち出したのか、作家の遊びか。

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続いて読んだのは短編集。
「中国行きのスロウ・ボート」( 1986 中央公論社)
村上の初期の短編小説七篇を収めている。スロウボートは貨物船のこと。
表題になっている「中国行きのスロウ・ボート」は、日本人が中国人から負わされている重荷のようなものを描いた作品だ。一人の日本人が、これまでの半生で三人の中国人と
会ったと語り始めるのだが、作者の父が中国で暮らしたというから、そのことが下敷きになっていることは明らかというのが一般的な見方のようである。
「貧乏な叔母さん」、「カンガルー通信」などそれぞれなにを言わんとしているのかはっきりは書いていないが、読者に考えさせるような書き方である。
「午後の最後の芝生」は、自分が求めているのはきちんと芝生を刈ることだけという男の話。各編が何かの暗喩のようなものになっているのが特徴か。
文学的素養のないもにはもう少しはっきり言ってくれという感じがないわけでもない。
「午後の最後の芝生」にブラームスのインテルメッツォ(間奏曲)が出てきたのでアマゾンでダウンロードして聴いたが、音楽の素養がないせいで良さが分からなかった。ブラームスはバイオリンソナタくらいがせいぜいのところのようだと知る。

「女のいない男たち」(文藝春秋 2014 短編集)
女のいない男の話ばかりの6篇が収められている。女のいないというのは、離婚されたり、死別したりして相手を失った男のことでペットロスならぬ女性ロスに陥った男の話である。
「 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 」とほぼ同時期に書かれた最新の短編集。
「色彩を~」もあえて言えば女のいない中年男の話とも言えなくも無い。村上春樹の小説に登場する男は比較的ちゃんとした男が多いが何故か女に去られるケースが多いのは不思議だが、そこから新しい女性を求めて遍歴する。なにを言おうとしているのか明らかにされない。しばしば次の女性とどうなったのかわからずに物語が終わったりする。

短編を読むと作家がどんなことに関心があるのか、少し分かるような気がするが、随筆などを書いてくれるともっと良いのだが、などとつい思ってしまう。安直と言われそうだが。
村上春樹は前書きや後書き自作解題なども嫌いと見える。

村上春樹の文章は読みやすい方であろう。読みやすいと言って話が分かりやすいというわけではない。むしろ説明が少なく結末がない話もあるなど、読者に何を言おうとするのか分からず難解とも言える。
加えて何気ない描写の中に多くの比喩が散りばめられる。しかし、この中には独特のものがあって面白い。
またそれらがアフォリズム(警句、箴言、金言)のていをなしているものがあって、ストーリーから外れるのだが、人を驚かすような、なかなかのものが時にある。読者にとっては、これも楽しみのひとつであろう。


村上春樹を読む(その2)・ 「1Q84」など(下) [本]

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「1Q84」に戻る。
「1Q84」のどこが意外に面白かったかだが、もとより「村上春樹は総合遊戯施設である」というのは通説のよう。例えば、「村上春樹の1Q84を読み解く」(村上春樹研究会 2009 データハウス)では、ずばりそう言っている。
「1Q84」のストーリーは好き合った少年と少女が幼くして別れ、成年になってお互いを探し再会するというものだが、作者のエンターテイメント性が存分に発揮され、 読者サービスは旺盛である。さながら恋愛小説、推理小説、ハードボイルド、アクションドラマ、ポルノ、幻想小説、怪奇小説、ホラー小説、メルヘン小説などの集合体のようだ。
もちろん、音楽(ジャズ、ロック、クラシック)、車、ファッション、映画、ワインなど日常の人の楽しみについて蘊蓄を傾け、教養、宗教、哲学などまでたっぷりと教えてくれて楽しめるだけでなくオウム、サリン事件、連合赤軍事件らしき深刻な社会現象などまで読者に提供し考えさせることまでしている。
だが、批評家はこの本のテーマは「世界を変える」人たちの思考と行動の物語であるという。どのような世界に変えるかと言えば、「クローズド」な世界から「オープン」な世界へ。クローズドシステムとは、その中に入ると個人が失われるシステムのことだという。
このあたりになると、クローズドな世界、オープンな世界とは具体的にどんなものか、読者には具体的には示されない。読み手がそれぞれ考えるということだろう。

この小説は構成もかなり凝っている。二人の主人公青豆と天吾が交互に登場して物語が進展して、かなり先でこれが繋がる。読者は二つの別の話がいつ一緒になるか先を想像しつつ楽しむ趣向だ。ブック3ではもう一人牛河が加わるのも、何やら意味ありげである。

2005年の「海辺のカフカ」(2005 新潮文庫 )は、「1Q84」の5年前、作家56歳の時の長編小説で、テーマ(母子相姦、父親殺し、姉犯し、近親相姦など)こそ違うが、構成、手法は酷似している。この小説は「1Q84」の後に読んだのだが「1Q84」に全体的によく似ている。
構成やストーリー展開が独特であり、深刻になりがちなテーマを普通のそれとは異なったイメージにカモフラージュしている感じだ。
「1Q84」がこの世1984年とあの世1Q84年の間の往き来であり、猫の町、二つの月が異界の象徴であるが、「海辺のカフカ」では少年が異界(死の淵から)入り口の石を経てこの世に生還する。基本的な設定もかなり似ている。

天吾の代作した小説「空気さなぎ」が、愛し合う二人を再会させるという手の込んだストーリーを楽しむだけでなく、作者はブック1(4~6月)、2(7~9月)で完結したかに見せかけ、10先(10~12月)もあるよと、それとなく予告し、1年後間を置いてブック3(10~12月)を発表したのだ。
1年間読者に次の展開を考え、想像する時間を持たせ楽しませることまでしている。ハルキストへのサービスだろうが、その後に三冊を一気に通読してしまうことになる読者にはこの楽しみを享受することはできない。
それにしても、1~3月はどうなっているのか自分には謎だが。

また、この小説はプロット(プロットはストーリーの要約、出来事の原因と結果を抜き出したもの)を事前に作らず、筆の赴くまま行き当たりバッタリで小説を書いているのではないか、とさえ思わせるような展開ぶりである。
構成の複雑さから見ても、全くのプロットなしということはありえないだろうが、文体と軽やかな語り口がそう思わせるのだろうか。
自分は、内田康雄の推理小説を思い出した。この作者は、プロットなしでその場で思いつくまま書くのだと公言している。作者も読者も思わぬ展開を楽しむ。

ところで、村上春樹の小説は、彼がジャズバーを経営していたことがあったというだけに音楽が随所に登場することで知られる。音楽はさりげない日常の中の点描であったり、物語の重要な展開に関わったり、ときに小説のテーマそのものに関わったりさえする。
「1Q84」で言えば、 チェコの作曲家ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」である。ヤナーチェクが1926年、63歳(老いらくの恋!)のときに恋人に触発されて作曲したという管弦楽のための小品という。自分のように音楽に疎いものにとっても、クラシックの中ではマイナーな方ではないかと思う。
管楽器の大掛かりなユニゾン(音)が特徴で、冒頭は威勢のよいファンファーレに始まり、金管楽器の叫ぶような音と、ティンパニのおののくような響きがこたえあう。
ヒロイン青豆 がタクシーのカーステレオで聴き、恋人探しのきっかけになった曲であり、かたや天吾が高校時代管弦楽のクラブで臨時にティンパニーを叩く曲という小粋な設定。

自分もさっそくアマゾンミュージックでダウンロードした。聴いてみると、なるほどスポーツジムのインストラクターである青豆にふさわしい曲であり、ストーリー全体にマッチするような気もする。
自分も通っているフィットネスクラブでストレッチなどをしながら、アイポッドで時折聴いたりする。
村上春樹の読者はこの類いの楽しみも、たっぷりと味合うのだろうと確認したかたちだが、あまり音楽を知らぬ者には新しく名曲を知ることになって有難いことではある。

自分が年寄りのせいであろうが、「1Q84」では、天吾が千葉県の千倉の病院に入院している父親を2年ぶりに訪ねて見舞うシーンが印象に残っている。「ノルウェイの森」でも、主人公ワタナベがガールフレンドの小林 緑の晩年の父親を見舞って面倒を看るシーンがある。この二つを比べると、「1Q84」の方がかなりリアルな感じがする。
例えば、父親は自分の死を覚悟して終活しているのだが、死後遺された者の事務負担軽減の為に戸籍まで移しているという。つい二つの長編が書かれた20年余のインターバル、過ぎた時間を意識してしまった。小説の中では二つとも重要なシーンの一つでもあるといえ、小説家の書きたかったことはこんな些末なことではないのは承知しているが。

さて「1Q84」は「クローズド」な世界から「オープン」な世界へと変える人々の思考と行動の物語という小説のテーマだというが、なかなか解りにくい。その理由の一つは、イメージするそれぞれの世界が人によって異なることにあるような気がする。例えば、極端な喩えで誤解されそうだが、あえて言うと北朝鮮をクローズドな世界と見る人もいるが、彼の国と国交のある160カ国以上の国の人から見ればオープンな世界と言えなくもない。ちなみに彼の国と国交のない国は日本、米国をはじめ30ケ国あまりしかない。
彼の国はクローズドだが、対極にある国々でも「人として損なわれることはない」とも言い切れまい。
東にも正義があり,西にもまた正義があるようなものである。確たるクローズ、オープンな世界というのもないような気もする。
そこにいると「人として損なわれてしまう世界」がクローズドな世界だ、と抽象的、観念的にならざるを得ない。
そんな難しさはあるが、「1Q84」が小説としては面白いことに変わりはない。二つの世界を具体的に示すのは小説家の仕事ではないし、エンターテイメントを愉しむ、それで良いのだろう。


村上春樹を読む(その1)・「1Q84」など(上) [本]

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この頃、がらにもなく村上春樹の著書を読んでいる。
図書館では読みたい本だけ探していると、どうしても偏るせいで借りたい本が少なくなる。興味が薄くても読めば何かしら面白い発見もあるわよ、という家人の言に従って見た。
偏見だと非難されそうだが、一般的に言えば、村上春樹の小説は若い人向けであって、高齢の老人はあまり読まないのではないかという気がする。
しかし、年齢を問わずハルキストと称する人もいるくらいで、誰もが認めるように熱烈なファンが多い。海外向けにも数多く翻訳され、毎年のようにノーベル文学賞候補と騒がれるのは周知のとおりである。
村上春樹は1949年生まれだから、68歳。少年の成長譚、自分探し、ビール、タバコ、ジャズ、セックスなどのイメージが強い作家も今や前期高齢者に仲間入りしている。

村上春樹著「1Q84」は、たまたま「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(2013文藝春秋)を図書館で手にして読んで見ようかと借りた時、側にBOOK1があったので一緒に借りて読んだ。
思い出したが、「ノルウェイーの森」(1987 講談社)を、通勤電車の中で読もうと文庫本を(上)だけ買った。が、読んだ覚えがなく、あるいは読んで忘れたのか、本棚に置いたままだった。
そのころ、さかんに読んだ安部公房の方が印象が強い。なぜかしら自分の中では村上春樹は奇天烈なことばかり書く安倍公房と一緒にくくられているが、実際には若い頃も読んでいなかったのである。
もちろん、村上春樹は早くから人気があったのだが、皆がなぜこうも読むのか、よく理解出来なかったのは、実のところほとんど読んでいないからであろう。

今回ついでに図書館でこの「ノルウェイーの森」(「下」)も借りて来て通読した。累計発行部数1000万部を超えた超ベストセラーだという。
老人には、似て非である堀辰雄「風立ちぬ」を思い出させたが、文章には村上春樹特有の色つやのようなものがあるような気がした。さらにアマゾンのビデオ(映画)もアイパッドで見たが、ヒロインでもない(つまり脇役の)小林 緑が印象に残ったほか、とりたてて良いなとも思わなかった。こちらが枯れてしまったのだろう。
標題の「ノルウェイの森」は、広く知られているようにビートルズのヒット曲からだが、ノルウェイのウッドは、森でなくノルウェイの木材であって部屋の内装とか家具とかの誤訳だという説もあるとか。
She showed me her room
Isn't it good, Norwegian wood
個人的には歌詞などから、森は少し無理があり、内装材説だが、森でも、内装材でもそれなりの雰囲気があって面白いのは、小説でも同じであるのが何やら可笑しい。

村上春樹は、最近も近著「騎士団長殺し」がベストセラーになったりして、話題になっているので、(ふだんあまり小説を読まないのだが)「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に手が伸びたというところか。勿論、「透明な…」でなく、「色彩を持たない…」という独特の言い回しに惹かれたこともある。

この「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の方は、あとで機会があれば読後感を、ということにして、今回は「1Q84」の方について書こうと思う。
上記の通りあまり熱心な読者、(勿論ハルキストにあらず)ではないので人に役立つ感想はとても無理というもの、いきおい自分のための備忘的なものになる。
なぜ、先に読んだ「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」でなく「1Q84」か、というと読む前に想定した以上に、総じてこの本は「面白かった」からである。

「1Q84」は、Book1,2 が2009年、Book3が翌年2010年に刊行された長編小説で3冊ともミリオンセラーになった。それぞれ、554p 、501p、602p の大部だが放り出さずに読了したのは面白かった証左であろう。

題名は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説「1984年」(Nineteen Eighty-Four 1949刊行)にちなむという。「1984年」は、トマス・モア「ユートピア」などのいわゆるディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く作品である。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。
「1984年」という年号は、この本が執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラム説などがある。これによって、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示したものとなっている。
なお、アナグラム(anagram)とは、言葉遊びの一つで、単語または文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にさせる遊びのことである 。「回文」などと同じ言葉遊びだが、「いろは歌」のほうがこれに近いか。

ところで話が少し逸れるが、前述の村上春樹近著「騎士団長殺し」(2017.2 英訳「Killing Commendatore」)は、全2巻からなり第1部「顕れるイデア編」(512p)と第2部「遷ろうメタファー編」(544p)に分かれている。初版部数は2巻合わせて130万部。2010年の「1Q84」Book 3 から7年ぶりの長編作品になる。
これを読んで、書評らしきものを書けばタイムリーだから読む人が少しはいるだろうが、7、8年も前の「1Q84」ではもう興味は薄れていて(ふと六昌十菊という言葉を思い出した)読後感想文など読んでみようという人は、もはやいないような気がする。

「騎士団長殺し」をダメモトで図書館に4月23日、インターネット予約 してみた。
順番は5月23日現在、上744、下 820 とある。仮に杉並区の図書館に1冊しかないとして、予約取置き期間、貸出期間含めて一人2週間かかると仮定すれば、借りて読めるのは24、5年かかる。仮に5冊あるとしても5、6年かかる計算になり、老い先短い高齢者には間に合わない。「1Q84」など(下)に続く

蜜柑の接ぎ木 [自然]


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はじめての接ぎ木は二年前の春(27年4月)だった。一年目は、かぼすの台木に接ぎ木した柑橘類14本全部枯死して完敗したが、昨春二回目は28年4月20日に接ぎ木したところ、ついに二年目にしてやはり14本の穂木のうち1本から芽が出た(芽デール28.6.11)。そのことを興奮してこのブログに書いた。

2年目、芽デール!
http://toshiro5.blog.so-net.ne.jp/2016-06-13

その後他のもう一本の穂木から芽が出たが、夏を過ぎて秋頃までに残念ながら二本とも芽が枯れてしまった。
やはり我が素人技術では無理と思い知らされた。接ぎ木の初歩的な技術を教えてくれて、穂木を熊本から二年連続で送ってくれたM君にこれ以上迷惑はかけられない。
まして彼のところは28年4月の地震の激甚な被災を受け、かつての日常を取り戻すのに何かと落ち着かない状況下にある。

29年3月5日、メールで今年(三回目)はやめると申し出る。

事実上の敗北宣言をして1ヶ月あまり、29年4月17日、昨年発芽して枯れた穂木から新芽が出ているのを発見した。4月23日には蕾らしきものもついているのに気づく。5月3日にはそれが三つあり少し膨らんでいるのを確認した。

一昨、昨年と2回14、5本も接ぎ、殆ど失敗したと思ったが、昨年は芽が出て喜んだのもつかの間 、その芽は枯れたのに今年になって新しい芽が出たのはどういうことなのか。
それに何と花蕾までついていたのだ。
しかもこの穂木は地震のさなかに空輸されたものだ。復活、復興のシンボルのようなものではないか。これが感激せずにおられようか。

思わず昨年作った駄句に七七を付け足して腰折れを。花はまだ先である、無茶苦茶だ。
隈府より東都に飛びし蜜柑穂木 地震(なゐ)の翌年 芽吹き花咲く

接ぎ木も挿し木も自然の力を利用した伝統技術だろうが、不思議なものだ。成長した個体の一部だから移植されても、元の木の花芽をつける能力を持ちそのまま発揮する。実生なら花が咲くまで数年かかるのだが、一気に時間を速めるバイオテクノロジーである。

はじめての接ぎ木を体験して、結果がどうなっているかを見るのは楽しいものである。カボスの木に接いだデコポン、レモン、甘夏などがたわわに実るのをずっと夢見ていた二年間だった。農園で園芸を趣味に楽しんでいるM君の気持ちが、ほんの少しだが、分かったような気がする。

M君に報告したら、メールに添付した画像から推定すると、花が咲き実がなる可能性があると喜んでくれて、「①三つの花のうち一つは授粉用にして実が二つなったら一つを摘果し一つを残すか、②人工受粉もせずそのまま三つを大きくし後で二つを摘果する二方法がある」と教えてくれた。
三つとも大きくして食べるものとばかり思っていたのでびっくりした。あなたは欲張りだと家人から笑われる
人工授粉は難しそうなので後者②の方法を選択することにする。周りのかぼすの花が同時に咲いていれば、三つとも実がなる可能性はあるとM君のご託宣。幸いかぼすは、今年も今沢山の白い蕾をつけている。
取らぬみかんの皮算用である。

花芽が出た穂木が何か記録しておかなかったのが残念だが、それが分かるかも知れないという楽しみもある。
M君は、画像の花芽から推定して晩柑種だろうという。

ネットで晩柑種を調べると、文旦(ブンタン)の突然変異種に河内晩柑というのがある。
「大正時代に熊本県河内町で発見された柑橘で、ブンタン系の自然雑種。地域によって「美生柑(みしょうかん)」や「宇和ゴールド」、「ジューシーフルーツ」などと呼ばれることもある。果汁が豊富で果肉がやわらかく、さっぱりとした甘味がある。その外観から「和製グレープフルーツ」ともいわれるが、グレープフルーツのような苦みや酸味はない。サイズは250~450g程度で3月下旬~6月頃に出回る。」とあり何やら美味しそう。

このあと実がなり大きくなることを願うが、この二年の経験からみても、自然は何が起きるかわからない。まだまだ、接ぎ木の楽しみと心配の泣き笑いが続きそうである。


新田次郎・藤原正彦著「孤愁 サウダーデ」 を読む [本]


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「孤愁 サウダーデ」(文藝春秋 2010)は 新田次郎 (1912-1980 67歳没)の死去により未完となった小説を、30年後に息子の藤原正彦(1943~ お茶の水女子大名誉教授 数学者)が書き継いで完成させた。
ほかにも小説の合作というのがあるものやら、不学にして知らない。かりにあったにしても、親子というのは珍しいのではないか。
森鴎外と於菟、露伴と文(あや)など親が小説家で子が随筆家というのは多いが、親子とも小説家というのはいられるのだろうか。
親子作家といえばアレクサンドル・デュマなどがすぐに頭に浮かぶ。「モンテクリスト伯」のペール(大デュマ)と「椿姫」を書いたフィス(小デュマ)であるが、小デュマは脚本家だったという。
親子で画家、音楽家であったりするのは、環境やDNAを考えれば自然であってそう珍しくはないけれど、コラボしたとか共同で作品をものしたというのは、あまりないとみえて聞いたことがない。

藤原親子の例は珍しかったし、引き継いだ子が作家でなく数学者だったから、自分は知らなかったが、刊行されたときは話題になったようだ。
正彦の母、つまり新田次郎の妻藤原てい(1918ー2016 98歳没)には、(自分は読んでいないが)「流れる星は生きている 」の著書がある。
新田次郎は気象庁の気象学者だったが、妻の小説が売れるのを見たことが小説を書く動機の一つだったらしいから、まあ変わった家族ではある。

藤原正彦は「国家の品格」、「管見妄語」など随筆家としても知られる。「管見妄語」は週刊新潮連載のコラムを単行本化したもので何冊か読んだことがある。自分は、たしか近刊の「出来すぎた話」を読んで知り、この本(「孤愁」)を読む気になった。

さて、その「孤愁」は、ポルトガルの軍人、外交官で文筆家だったヴェンセスラオ・デ・モラエス(1854-1829 75歳沒)の評伝である。
モラエスは、明治後期に来日し神戸でポルトガル領事をつとめた。、日本の自然、文化、女性を愛し、その日記や日本を題材にした著作で、日本の素晴しさ、日本人の美徳を世界に知らしめた。
リタイア後、神戸から徳島に移住し、亡くなった日本人妻の墓守のように暮らしその地で没した。
文学者でもありあまり知られていないが、「もう一人の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」といわれている。
題名の「孤愁 サウダーデ」とは、「愛するものの不在により引き起こされる胸の疼くような思いや懐かしさ」のことという。
ポルトガル人が特に強く持つ心情とされるが、ロシア人など他の民族も持ついわば万国共通の一般的なヒトの感情であろう。似たものにはメランコリー 、無常感 、憂愁 、悲愁 、哀愁 、憂鬱 などがあるが、郷愁とともに語られるところが特徴的と言えるか。

「孤愁」は、文藝春秋の単行本では、630ページ。422ページまでが新田次郎の書いた部分だから、藤原正彦は後半三分の一を書いたことになる。

読む前から当然文体の違いからくる不自然はないか、書こうとしたことが変わってしまってはいないかなど気になったが、小説技法など知らぬ自分にはあれこれ言う資格はない。
長い時間をかけて父と同じ取材をして資料を集めて書いた、と言うだけに読んでいてそれなりに面白い。
藤原執筆部分は、今の日本人が忘れている日本の良さ、日本人の美徳に触れた箇所が随所に出てくる。「国家の品格」の著者である、藤原の個性が色濃くなっているのは何やら微笑ましい。

父新田次郎が心筋梗塞で倒れたとき、藤原正彦は36歳の数学者で、新婚ホヤホヤだった。父の無念を思い、引き継いで書くと宣言したものの直ぐには書けなかったという。その後30年間、資料を集め続け、ようやく、新田次郎がこの「孤愁」を書き始めた年と同じ67歳で、物語の続きを書き始めることができたと述懐している。
とくに後半は主人公の晩年を書くことになるので、36歳では難しかったろう。若者が「死にゆく者の孤独」を描くだけでも、それなりに想像力が求められる。まして67歳の父が何を書こうとしたか、テーマに迫りながら文体も近いものにするのは至難だったに違いない。

あとがきで藤原は次のように書いている。
「確かに難しい仕事だった。当初の父の書いたであろうようにというのは早々に諦めざるを得なかった。どうしても別個の人格が出てきてしまうのである。父が全力で書き、そのバトンを受けた私が全力で書く、という作品となった。

さらに藤原は「父の無念をやっと晴らした 」という想い、「父の珠玉の作品を凡庸な筆で汚したかもしれない」という危惧を持ちつつも、「一つだけ確かなことは、父との約束を三十二年間かけて果たした安堵感である。」とあとがきを結んでいる。

家族から離れ異郷に単身骨を埋めた主人公の「孤愁」と藤原一家の家族の結びつきの強さが、読み終えて対照的につよく心に残った。
この読後感は、藤原の父への強い思慕、母ていの三人の子を引き連れての引き揚げ潭、「管見妄語」に記された正彦家の家庭の話などに影響された自分だけのもので、きっと正しい読み方、良い読み手ではないような気がする。

なお、自分は新田次郎の小説を読んでいない。似たタイプの吉村昭、城山三郎などは何冊か読んでいるのだが。作品一覧をみてもあまり読みたい本がなさそうだ。「孤高の人(1969)」、「剣岳 ;点の記(1977)」といったところか。


千駄ヶ谷で富士登山 [風流]

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家人が渋谷区千駄ヶ谷の八幡神社に富士塚があると新聞記事で見つけて、一度登ってみたいと言うのでついて行った。桜はまだ蕾小さく春とはいえ、晴天なのに少し寒い弥生某日である。
八幡神社は千駄ヶ谷一帯の総鎮守で「鳩森八幡神社」(はとのもりはちまんじんじゃ)とも呼ばれる。860年(貞観2年)、遣唐使慈覚大師(円仁)によるというから、 かなり古い社である。

阿佐ヶ谷駅から総武線(各駅停車)に乗り15分ほどの千駄ヶ谷駅下車、鳩森神社は約600メートル歩いて8分ほど。富士山まで家から40~50分ほどしかかからない。山は6メートル。あっという間の富士登山である。

江戸時代中期に富士信仰が盛んになると江戸を中心に多くの富士講が生まれ、「江戸八百八町講中八万人」といわれたという。
江戸中期から後期にかけての人口は50~100万と推計する人もいるが、八万人とは大げさといえ、かなりの愛好者がいたことは確かのようだ。
そのため講に集まる人によって富士塚も多数つくられ、現在東京都内には約50か所もあるとは知らなかった。
富士山の世界遺産登録は、風景美だけでなく日本人の富士信仰など文化的な価値が認められたからであることは周知の通りだが、講や富士塚などはその具体的な例のひとつであろう。

江戸市中の有名な富士塚は特に「江戸八富士」と呼ばれた。また、各地に点在する富士塚は庶民から「お富士さん」などと呼ばれ親しまれていたという。
当時の場所に現存する富士塚としては、千駄ヶ谷富士が都内最古のもので、東京都の有形民俗文化財にも指定されている。
江戸八富士にはほかに品川富士(品川神社境内)、茅原浅間神社境内の江古田富士などがあるとか。
最も高いものでも15メートル(品川富士塚)というからまさにミニュチュア富士。

実際に登ってみると、富士山から運んできたという熔岩が積み上げられ、日本庭園の築山の趣き、6メートルだとさほど高いという感じではない。
浅間大社もある。浅間大社に祀られているのは、木花咲邪姫(コノハナサクヤヒメ)という、美しい女神。
江戸時代の人も、今でいうヴァーチャル リアリティの世界で富士登山の疑似体験を楽しんだのだろうが、講にも参加出来ず富士山に登れなかった庶民が少し可哀想な気がしないでもない。

ところで、自分は社会人になり最初の転勤が静岡市だった。近くに富士を見ながら、4年ほど暮らしたが一度も富士登山をしなかった。なぜか是非登りたいとも思わなかったような気がする。新潟市で暮らした3年間に、佐渡へ行かなかったのも同じことだが、余り感心した性格ではない。

さて、千駄ヶ谷富士登山が終わったあと、お昼でも食べようとと探したが、神社周辺ではまだ11時前で開店しているレストランなどがない。
東京体育館近くまでもどり、モーニングカフェとやらでアスリートらしき人達と一緒にフレンチトーストを食べて帰った。
家を9時ごろ出て、なんと12時前には帰宅した。スピード富士登山、しみじみしている間などはなかった。家人はすぐにヘヤーカットに行ってくると出かけた。


やまどりの長き尾一閃いま雲に [詩歌]

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この一月、畏友を一人失った。友というより会社の一年上の優秀な先輩で、自分がどうしても追いつけなかった方である。まさしく自分とは「月と何か」くらいの差があり、同僚、部下(会社の先輩さえも!)に慕われ、誰もが一目置いた存在だった。
新入社員の頃からの家族ぐるみで世話になって以来のお付き合いなので、奥様にお悔やみの手紙を出したら、これ以上ないと思われる見事な返礼状を頂いた。このご夫婦にはとうていかなわんとまた思い知らされた。
昨年の賀状に夫婦で喜寿を迎えると添え書きがあって、その前の年にはまた会いたいものですねと、書いて頂いたことを思い出したが、そうしなかったことを悔やんでいる。
彼は役員で退任したとき、自分が設立の企画に携わって新発足した信託銀行の社長に就任された。周囲が期待したとおりの実績をあげたが、それは彼の人生のほんの一部に過ぎなかっただろう。しかし我ら二人が意図しなかったことといえ、この関わりは自分には何か因縁めいたものを感じたものである。

追悼の折句を作った。

やまどりの長き尾一閃いま雲に

自分の句は柿本人麻呂の有名なやまどりの歌を踏まえている、などというほど立派なものではないが、誰でもこの歌を想起するだろう。

あしびきの 山鳥(やまどり)の尾の しだり尾の
   長々し夜を ひとりかも寝む

この歌は拾遺集に収められたものだが、離れて暮らすという山鳥のつがいが啼いて呼び合うという習性をふまえて作られた歌である、ということはよく知られている。

絵は水彩(F4Waterford)で描いた山鳥。このあと空にもう一羽を付け加えたが、こちらの方が良いのは想像の余地があるからか。




一年ニ句選 [詩歌]


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俳句は身のまわりにたくさんあったのに、なぜか自分で作ろうなどと思ったことがなかった。例えば自分が働いていた会社では入社した頃、毎月発行する貯蓄債券の商品の広告に俳句を使っていた。
まあ何とも古いセンスときめつけ老人にしか受けないだろうなと思っていたが、俳句は人気があるとみえて花を広告のテーマにするようになってやめるまで、随分長く続いたようだ。

わがサラリーマン生活が不本意にも突然終わる時がきて、あわただしい生活が終わろうとしていたときに、なぜかふっと頭に浮かんだのが俳句だった。俳句はため息文学とも言うとか、その通りふうっと息を吐いたときに生まれた。
残っている記録では平成14年(2002)の歳末の二句がはじめての俳句である。
いわば処女句である。

蠟梅の多弁愛で合ふ大晦日
すさまじき年も過ぎ行き風呂に入る

最初の句は、蠟梅と大晦日とが冬の季重なり、しかも多弁は造語。蠟梅は普通香りを愛でるが、五弁の梅と違い花弁の多いのが良いねと話しているというだけのもの。
二句目は、すさまじい(秋の季語)は、冷じいで、「荒ぶる」が語源という。季語としては「秋冷がつのる」という意とか。
すさまじいとしか言いようのない今年も過ぎて行くんだなあ、という感慨にふけりながら風呂に入る、と詠むときに使っても季語になるのやら心もとない。
なお、風呂は季語ではないとかで、困惑するばかり。「年も過ぎ行き」で年の暮れになるのだろうか。
いずれにしても、はじめての句は今思うとなやましいことでいっぱいだが、こういった悩みは、いつまでも消えないものである。
それにしても自分にとって平成14年(2002)は、年頭1月から年末まで確かに凄まじいとしか言いようのない年であったことを、この句を読むと思い出す。
しかし、そんな年の暮れに俳句を詠むことが出来たのは、何より幸せだったと思わねばならぬ。

あれから15年も経ち、これまで多くの自己流の駄句を作ったが、これを俳句と言って良いものかといつも考える。いずれにしてもいくら作っても良い句は出来ない。もっとも、自己流だからどんな句が良句なのかも分からないのだが。
いつも「冷や汗駄句駄句」とつぶやきながら作っているのである。

一年ニ句を選んで見た。たくさん作った年と少ない年がある。二句という数に意味は無い。一句を選びきれなかったのも実力がない証拠か。
こうして時系列で並べてみても、年を経たからといって出来は良くなっていないのは明らかだ。が、俳句というものは作者にとって日記の代わりにはなることだけは確認出来た。
何やら最近勢いが弱くなって来たのは気になる。句数も減って来ている。

2002 (平成14) 蠟梅の多弁愛で合ふ大晦日
すさまじき年も過ぎ行き風呂に入る
2003 (平成15) 意馬心猿鬱金桜に風と消え  
故宮にて翡翠白菜息を呑み
2004 (平成16) 御徒町女義太夫夏袴
被爆せしおうな傘寿や半夏生
2005 (平成17) 嘉魚棲みて明神池の佳き日哉   
飯桐の実のおびただし過ぎし日よ
2006 (平成18) セーターをせめて二枚に老痩躯
田の中の耳塚暮れて秋深し
2007 (平成19) 寒酒や父の形見の河豚徳利
栃わかば明日は晴れよ破れ傘
2008 (平成20) やまももや遅疑逡巡もせず熟れて  
春潮やさかしまマンション船溜まり
2009 (平成21) 採り時を教へぬキウイの硬さかな   
冬ざるるアイスプラント塩きらら
2010 (平成22) ふゆばらや麻酔科女医の声やさし
口縄に似た瓜まっつぐぶらさがり
2011 (平成23) リフォームや壁に仔猫の出入り口 
引越しの猫に木天蓼(またたび)キャリ-籠
2012 (平成24) 水彩を学び八年破蓮(やれはちす) 
武蔵野の武蔵野うどん武蔵振り
2013 (平成25) 初孫は男の子なり若緑       
春さむき春のあかつき有明山
2014 (平成26) ゆくりなく翡翠にあう花見かな
寒明けや気くばりボスのお別れ会 
2015 (平成27) 右手(めて)上げてピンクの信号毛布猫
自画像の髪眉白く冬帽子
2016 (平成28) 眼裏(まなうら)に白鷺を見てくらしをり
隈府から東都に飛びし蜜柑穂木

気配りボスの偲ぶ会    [随想]


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世の中には凡夫の自分などには、到底及びもつかぬ傑出した人、器の大きな人がいるものである。
例えば自分が組織に属してサラリーマンとして仕えた上司、直接の部下だったことはないので正確に言えば上司の上司だった方はまさしくそんな人である。

残念ながら平成25年(2013)暮れに亡くなられ、翌年明けに偲ぶ会が開かれた。もうあれから三年になる。

自分が謦咳に接したのは氏が組織のトップとして在任した平成3年(1991)から平成12年(2000)の間10年弱になる。  
近くで見たその言動は、若い人を育てることを第一に考えていたように思う。
大物は清濁併せてというが、濁は決して飲まず、片や清酒を愛した。勲章などを毛嫌いし、権力を持ちながら分け隔てせず人と接しておられた。  
宴会では、客人をよそに仲居さんと何やら熱心に議論したりしていた。愛犬のために膳の残り肉を紙に包んでポケットに入れて、見つかると照れ笑いをされながら言い訳をした。  気くばりのひとという揶揄めいたあだ名は、接する人のことを真に思う立ち居振る舞いから付いたもので、本人は意にも介していなかったのではと思う。 死すれば人は急に大人物になったりするが、この人は生前からまさしくそうであった。  
お別れ会の前夜、東京に降った雪がたいしたことがなく、朝晴れたのは、帝国ホテルに集まる大勢の老人への天上からの気くばりに違いない。
氏は昭和2年(1927)大阪生まれ。86歳没。

  寒明けや気くばりボスのお別れ会    杜 詩郎

大江戸線 ゆめもぐら [随想]

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西武新宿線の鷺ノ宮駅から中井で乗り換えて新宿へ行くのに利用している都営大江戸線は、昭和47年から建設が検討され、20年かかって平成3年度に開通したという。
東京の地下鉄の中では比較的新しい方だが、すでに4半世紀近くが経っていることになる。
この地下鉄の始発駅は都庁前、終点光が丘駅、6の字型の珍しい「環状」線である。  
何といっても、特徴は大深度地下鉄であること。六本木駅は東京の地下鉄駅で最も深い42.3m、わが西武線乗換駅の「中井」が第6位で35.5mある。トップテンにあと3駅(新宿、東中野、中野坂上駅)もランクインしている。
 エスカレーターは、途中踊り場がある2段がほとんどでしかも長い。「下り」がないところも多く、膝の悪いひと、老人泣かせである。
 車体のラインカラーは「マゼンタ」。紫を帯びた紅色でおしゃれだ。
 路線名の由来は東京の古称である江戸の雅名「大江戸」からだが、路線名称選好委員会で公募した時、多かった候補の「東京環状線」・愛称「ゆめもぐら(!)」に某都知事が難色を示したという。理由は、土竜が畑を荒らす小害獣だからではなく、「環状線」の方だったらしい。ん?、感情問題か。
 結局、2位の「大江戸線」に決定した。このあたりの経緯を今知っている人は、いまや少ない。
 毎週、都庁前駅で聞くBGMは、小鳥の声。いつまでたっても耳に馴染まない。蓼科や栂池で聞いた美しい声を、思い出すよすがになるだけの効果はあるが。

いくつかの駄句。
新宿の地下鉄駅の百千鳥

老鶯や地下鉄駅の谷渡り

おぼろ夜や地下に消えたるゆめもぐら
(もぐらは季語ではない。「土竜追い、土竜打ち」は新年とか)

ゆりかもめ東京ベイに舞い翔びて (ゆりかもめ 都鳥のこと 冬)

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